見もの・読みもの日記

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吉備大臣入唐絵巻の謎(黒田日出男)

2005-10-22 21:51:39 | 読んだもの(書籍)
○黒田日出男『吉備大臣入唐絵巻の謎』 小学館 2005.10

 『吉備大臣入唐絵巻』は、私の大好きな絵巻だ。しかし、本書によれば、同じ初期絵巻の傑作『伴大納言絵巻』や『信貴山縁起絵巻』に比べると、「はるかにその知名度は低い」とのことである。そうか? そうなのか!? 最大の理由は、後者の2件が国内に所蔵されているのに対して、『吉備』は米国のボストン美術館が所蔵しており、日本国内で観賞できる機会がめったにないことにあるという。

 これまで、美術史家の評価では、『吉備』は、滑稽軽快な人物表現に見るべきものがあるけれど、『伴大納言』や『信貴山』に比べると、品格は一段落ちると評されてきた。しかし、私は、その「品下る」感じが好きなのだ。

 たとえば、唐朝の官人たち(その他大勢たち)の表情は、かなり誇張的・喜劇的に描かれているが、それを助けているのが、帽子の纓(えい)の動きである。あるときはだらりと下がり、あるときはピンとはね上がって、人物の気持ちを表している。まるで、手塚治虫や赤塚不二夫が使う表現のようだ。

 また、画家は「唐土」を描くために、さまざまな工夫を凝らしている。1つは、「絵巻にしては華麗すぎる」厚塗りの色彩。さらに、建築様式は仏堂伽藍から、人物の服装は仏画から借りている。その結果、異国らしくはあるが、どこの国とも知れない舞台ができあがってしまった。しかし、これもマンガなら普通のことだ。たとえば池田理代子『ベルサイユのばら』のフランスでも、横山光輝『三国志』の古代中国でも、舞台なんて、服装なんて、それらしければ、それでいいのだ。

 要するに、見識ある美術史家と違って、「品下る」マンガばかりを読んで育ってきた私にとって、『吉備大臣入唐絵巻』は、親しみ深く、なつかしい世界そのものなのである。

 さて、ここから、ようやく本題である。『吉備』の評価を低くしている理由の1つに、「楼→門→宮殿」という同一の背景が、計6回も繰り返されるという、構図の単調さが挙げられている(1933年、矢代幸雄の論文)。

 本当にそうか? 著者は、絵巻の詞書と、継ぎ目の状態を手がかりに、現状には錯簡(順序の入れ違い)があるのではないかと考える。そして、大胆な推定に基づき、場面を入れ替え(読み替え)て、『吉備大臣入唐絵巻』の原形を復元してみた。すると、そこには、反復的な構造の物語であるにもかかわらず、単調さを感じさせない、スピーディで、起伏に富んだ絵画表現があらわれたのだ。詳細は原文に譲るが、この復元『吉備』は、瞠目するほど、スゴイ。

 それとともに、本書の前半で紹介されている、この絵巻の伝来の軌跡も興味深かった。八百年の間、さまざまな戦乱、持ち主の交代を経て、1933年、『吉備』は米国ボストン美術館に売却されて、海を渡る。そして、翌年、ボストンを訪れた、美術史家の矢代幸雄と、運命的な会合を果たすのである。

 折りしも満州事変の勃発によって、米国には反日ムードが満ちていた。街を歩いていても厳しい日本批判を浴びせられ、自室に籠りがちになっていた矢代は「嫌なことがあったらすぐに帰ってくればよいのだから」と自分に言い聞かせて、ボストン美術館の新収蔵品展に出かける。

 どうせ日本の美術品など見ている客などいないだろう、と思って会場に行ってみると、『吉備大臣入唐絵巻』のまわりには、たくさんの人が集まっていて、「今度の収蔵品のナンバーワンだ」「日本の美術はえらいものだ」という、賞賛の声が聞こえる。やがて、人々は矢代に気づくと説明を求めてきた。矢代は、喜んでそれに応じ、それからは、毎日のように説明役を買って出た、という。初めて聞くエピソードであるが、当時の矢代の心中をおもんばかって、ちょっと涙ぐんでしまった。『吉備』の主題が、まさに異国での困難を克服する物語であるのも面白い。

 まあ、しかしながら、やはり本書の白眉は、大胆な仮説による「謎解き」である。絵巻の物語では、吉備大臣のもとに、鬼になった安倍仲麻呂が現われ、唐の朝廷から次々に発せられる難題を解くために、まめまめしく大臣を助けるのであるが、もしかして、黒田先生のかたわらにも、ひそかに鬼の仲麻呂がしのんできて、謎解きの手助けをしたのではないかしら。そんな空想に誘われた。
コメント (1)
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