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見もの・読みもの日記

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「私たち」はなにものか/宮本常一(畑中章宏)

2023-06-08 22:22:06 | 読んだもの(書籍)

〇畑中章宏『今を生きる思想:宮本常一:歴史は庶民がつくる』(講談社現代新書) 講談社 2023.5

 はじめに「民俗学」という学問について、著者は次のように解説する。人文科学は「私たちはどこから来たのか」「私たちはなにものか」「私たちはどこへ行くのか」という命題を追究するものだ。「私たち」の範囲は学問領域によって異なるが、柳田国男は、20世紀の日本列島に住む日本人を「私たち」と措定して「日本民俗学」を立ち上げ、「私たち」の起源・定義・未来を追究した。このとき柳田は「心」を手がかりにしたが、「もの」を民俗学の入り口にしたのが宮本常一(みやもと つねいち、1907-1981)である。

 なるほど、この整理は分かりやすい。しかし宮本の民俗学というと、私は「もの」(民具研究)よりも、旅、聞き書き、座談、フィールドワークの人というイメージが強い。本書も代表作『忘れられた日本人』を読むことから、宮本へのアプローチを始めている。この本は読んだかなあ。私が民俗学に強い関心を持っていたのは学生時代の80年代なので、よく覚えていない。都会育ちだった私には、宮本の本に描かれる、漁村や農村、さらには村落共同体の外側で生きる人々の姿は、あまりにも遠すぎて、共感できなかった。

 今の年齢になってようやく、日本列島に生きる人々には多様な暮らしぶりがあること、多様性を前提としつつも、がむしゃらに働き、いたわりあいながら、つつましく健全な暮らしを営む「庶民」というカテゴリーに括ることができることが、私にも理解できるようになった。宮本は、庶民の立場から庶民の歴史を書くことを志していたという。

 前近代の日本人は、稲作に携わってきた人口が多数を占めることから、移動が少なかったように思われがちだが、宮本は移動する庶民の姿を多数記録している。飢饉や自然災害や、両親の死去などの個人的な理由で食いつめた人々は、食いつなげる場所を求めて移動し、「乞食」になって流浪したり、別の土地に住み着いたりした。共同体の側から見れば、外側から来るものの刺激を絶えず受け、刺激を取り入れていた。つまり「共同体」(人々が価値を共有する世界)と「公共性」(異質な価値観を抱く人々が共存する、オープンな空間)の絶え間ない往来の歴史があったのだ。現在の日本では、国外からの移民・難民の受入れが大きな課題になっているが、著者の言うとおり、私たちの多くが「移動する人々」(あるいはそれを受け入れた人々)の子孫であることに思いをめぐらせてほしいと思う。

 宮本の記録した「庶民」の世界は、もはや消え去って跡形もないだろう、と感じるところもある。祖先から受け継いだ知識(伝承)は「公」のものだから、私見や粉飾を加えることをしてはならない。維新以前に生まれた老人には、まだ古い伝承形式が保たれていたというが、令和の現代では、無字社会での伝承の意味を想像するのも困難である。また、これは都会(大阪)の話だが、宮本が18歳の頃というから1920年代、文字を知らない女性たちに恋文の代筆を頼まれたとか、大きな橋の下には「乞食」の集落があったというのも興味深かった。

 また宮本は、東日本は同族集団が基本で、縦の主従関係による家父長的な上下の結びつきを特徴とするが、西日本は、フラットな横の平等な関係を特徴とするという。寄合いや一揆のような横の組織は西日本で発達し、若者組・娘組のような年齢階梯制(これはフラットな組織の例なのか?)は東日本では非常に希薄だという。これは実感がなくて、是非を判断できないが、覚えておこう。

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「唐の中華」の誕生/中華を生んだ遊牧民(松下憲一)

2023-06-06 22:42:17 | 読んだもの(書籍)

〇松下憲一『中華を生んだ遊牧民:鮮卑拓跋の歴史』(講談社選書メチエ) 講談社 2023.5

 このところ、遊牧民に注目した中国史の本(私にも読めるような一般向けの教養書)が次々に出ていて、どれも面白い。本書は鮮卑拓跋部と呼ばれる遊牧集団の歴史を概観する。

 鮮卑は1世紀頃、モンゴル高原にした匈奴が衰えたあとに登場する。2世紀頃、檀石塊という英雄が現れ、一大国家を形成するが、やがて各地に部族長が自立する。伝承では、黄帝の孫が「大鮮卑山」に封健され、その子孫が拓跋氏を称したと言われている。北魏の世祖太武帝が使者を派遣して(拓跋氏の)先祖を祀らせたという記事が『魏書』にあり、1980年、内モンゴル自治区の嘎仙洞(かっせんどう)で史書と一致する碑文が見つかっている。しかし、黄帝の子孫という伝承が中華とのつながりを演出するためであるのと同様、鮮卑を強調するのも、遊牧世界の正統性を主張し、慕容に対抗するためではないかと著者は推測する。

 3世紀後半、神元帝は、各地の部族を吸収して拓跋部を中心とする部族連合体(拓跋国家)を築き、盛楽に拠点を移した。本書には、著者が2010年に訪問したという盛楽博物館が紹介されており、写真を見て、あっと思った。私も同じ2010年にここを訪ねたことがあるのだ。著者のいう「余談」も懐かしく思い出した。さて、神元帝の死後、拓跋国家は分裂し、華北は雑多な異民族が興亡を繰り返す五胡十六国時代に突入する。拓跋部は「五胡」に数えられているが、北魏の前身である拓跋国家の代国は「十六国」に含まないのが通例であるという。代国は西晋に封健されることで、中華世界の一員となった。

 代国は前秦の攻撃を受けて瓦解するが、代王の世孫・拓跋珪は部族長たちに推されて即位し、国号を魏に改める。独孤部、賀蘭部、鉄弗部を従え、慕容部の後燕を平定した拓跋珪は皇帝(道武帝)となった。平城(大同)を首都に定め、宮殿を建設し、儀礼や制度を整備した。当初はさまざまな点で遊牧民的な要素を残していたが(西郊祭天、子貴母死、金人鋳造!?)次第に中華王朝の体面を整えていく。そのターニングポイントである「部族解散」の評価には議論があり、現在は部族の再編と見る説が有力だという。あらためて五胡十六国から北魏の歴史を読んで、この時代は、中華ファンタジー(特に冒険アクション系)の時代設定に取り込まれているように思った。

 5世紀前半、北魏太武帝は華北を統一し、五胡十六国時代は終焉する。北魏の胡漢二重体制、廃仏と復仏、大好きな雲崗石窟に関する記述も興味深いがここでは省略する。5世紀後半、文明太后(馮太后だね)の改革を引き継いだ孝文帝は、胡漢二重体制を改め、皇帝を頂点として、胡族と漢族をあわせた社会の構築を目指す。また、平城から洛陽に遷都し、真の中華王朝であることを示そうとした。

 本書の第6章「胡漢融合への模索」では、北魏洛陽の繁栄を体験するため、いきなり「転生したら洛陽だった件」が始まって、笑ってしまった。内容は『洛陽伽藍記』という書物に基づいており、ライトノベルと呼ぶには固い文体であるが、嫌いじゃない。だが、むしろ私は、漢化政策に反対して乱を起こした北辺の民の居住地「六鎮」のほうが気にかかる。引用されていたのは「勅勒の歌」。私はこの漢詩、たぶん小学生のときに読んで、以来ずっと好きなのだ。六鎮のひとつ、懐朔鎮(内モンゴル自治区)の風景を歌ったものだという。六鎮の乱のあとには、爾朱栄とか高歓とか侯景とか、会田大輔氏の『南北朝時代』や吉川忠夫『侯景の乱始末記』で見覚えのある名前が次々に登場し、新たな時代に入ったことを感じさせる。

 北魏を経て隋唐に至る過程で、遊牧民の胡俗が中華世界に定着し、「漢の中華」とは異なる中華が形成されていく。遣唐使を通じて日本が取り入れた「唐の中華」には、胡床・胡坐(足を垂らして腰掛に座る)・餅(粉食)・ペットの犬など、胡俗に由来するものが多い。中華文明が滅びないのは、胡俗と漢俗が融合を繰り返し、新たな中華を生み出していくためである。うん、この結論はとても好き。単に古いものが生きているだけの歴史よりずっと魅力的だと思う。

 もうひとつ、本書でとても印象的だった記述をメモしておく。鮮卑(あるいは突厥、匈奴)とは、支配集団の名前であると同時に、そこに所属する人々全ての連合体の名前である。したがって鮮卑がモンゴル系かトルコ系か、という問いは意味を持たないという。民族というより、むしろ国家に近いことを覚えておこう。

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近ごろの大学/ルポ大学崩壊(田中圭太郎)

2023-05-26 22:32:46 | 読んだもの(書籍)

〇田中圭太郎『ルポ大学崩壊』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.2

 ここ10年ほどの間に全国の大学で起きている「耳を疑うような事件」について取材したルポルタージュ。国公私立の26大学が取り上げられている。ただし、その中身は、特殊な経営者個人の問題(多かれ少なかれ、むかしからあったのでは)と思うもの、社会全体の劣化とともに、クリティカルな特殊例が露出してしまったと思われるもの、国が主導する「大学のガバナンス改革」が要因と考えられるもの、とさまざまなので、きちんと切り分けながら読む必要があると思う。

 個人的に、いちばん衝撃的だったのは北海道大学の事例。名和豊春氏は、2017年4月に北大総長に就任した。これに先立つ総長選挙では、現職の総長(山口佳三氏)が大幅な人件費削減を打ち出していたのに対し、名和氏は人件費の削減率圧縮と大学の教育研究水準の維持を訴えて、意向投票の票を集め、総長に就任した。本書の記述によれば、その後の財政再建も順調に達成されていたにもかかわらず、「パワハラ疑惑」が報じられ(しかし公益通報は存在しなかった)、騒ぎを収拾するために名和氏が願い出た辞職は認められず、文部科学大臣から「解任」が発表された。現在、名和氏は文科省と北大に裁判を起こしているという。北大の総長人事がキナ臭いことになっているのは風のたよりに聞いていたが、思った以上に闇の深い話だった。時間をかけてでも真相を解明してほしい。

 学長選考に関しては、筑波大学の任期撤廃と独裁化、東京大学の疑惑の選考会議(2020年9月)も取り上げられている。私はこれらの大学の事務方に関わっていたので、どちらも良識派の教員が「おかしい」と批判的な目で見ていたことを知っているが、文科省(むしろ財務省)の外圧に抗っていくには、強い学長を戴く大学にならざるを得ないことも分かるので、なんというかジレンマを感じる。

 「大学は雇用崩壊の最先端」という刺激的な題の章もあって、いわゆる「雇い止め」問題が取り上げられている。どう見ても経営陣の我儘やマイノリティ差別だろう、という分かりやすい例もあるけれど、根本的には、競争的資金を増やして基盤的経費を削っていくという国の大学政策が転換しなければ、解決しないのではないかと思う。研究者の雇用が不安定になることで日本の研究力が低下することも、優秀な人材が必要なら無期雇用や正規採用を増やせばいいことも、常識的に分かっているのに実行できないのは、(少なくとも国立大学では)大学の経営陣の責任ではなくて、国の施策と予算構造の縛りが大きいと思うので、本書がそこにあまり切り込んでいないのは不満に思う。

 一方、これは完全に大学の現場で解決に取り組むべき問題だと思ったのは、ハラスメントの頻発。執行部と職員、教員と研究室スタッフ、教員と院生など、さまざまな紹介されている。「研究室」という小さな世界の上下関係が、なかなか外から見えにくいとか、狭い世界で頂点に立った結果、どこへ出ても権力的な振舞いが許されると勘違いしてしまうとか、大学固有の要因があると思う。しかし、ハラスメントに関しては、もはや特殊例が許容される時代ではない。特に学生が、こうした不安に悩まされることのないよう、大学関係者は意識を変えていく必要があるだろう。

 本書には、東北大学の学生組織が工学研究科の大学院生に実施したアンケートでは「8人に1人」がハラスメント経験者だった、という記述がある。ただしこれは、回答数67人のうちの8人である(修士、博士あわせると在籍者は2,000人くらい)。8人の被害を軽視するわけではないが、この数字をもとに「8人に1人の割合」を見出しに立てる編集は、ちょっといただけない。まあ本書は、多少の誇張もまざった大学説話集として読むのがいいのではないかと思う。

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見なければならないもの/反戦と西洋美術(岡田温司)

2023-05-23 23:00:07 | 読んだもの(書籍)

〇岡田温司『反戦と西洋美術』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.2

 17世紀から今日まで、西洋の美術が反戦への思いをどのように表現してきたかを時間軸に沿って振り返る。最近は「反戦」はひとつの政治的信条と見做されることが多く、美術や音楽で活躍するアーティストが「反戦」を掲げることを嫌う人たちが多いように思う。しかし反戦と美術って、そんな昨日今日の関係ではないはず、と思っていたので、本書は大変ありがたかった。もちろん著者の言うとおり、芸術はプロパガンダやアジテーションではないので、ある種のあいまいさを帯びることは避けられない。そのことは納得の上で、著者の集めた「反戦美術」を眺めていく。

 中世の十字軍はもとより、ルネサンス期イタリアの都市国家間の抗争でも、前面に打ち出されるのは、もっぱら英雄的な武勲か勝利の栄光だった。「戦争の惨禍」が西洋美術のテーマとして登場するのは17世紀(三十年戦争の時代)だという。本書の冒頭に登場するのはルーベンスだが、その作品は寓意の伝統を踏まえている。よりストレートに略奪、拷問、死刑などを描いたのは、版画家のジャック・カロ(1592-1635)。このひとは知らなかった。次のフランシス・ゴヤ(1746-1828)は私の大好きな画家。ゴヤの「見るにたえない」ものを「見なければならない」という葛藤は、戦争の惨禍を伝える芸術/メディアの本質にかかわるものとして問題提起されている。

 やや古典的な反戦美術のカテゴリーで取り上げられているのがアンリ・ルソー(1844-1910)の『戦争』で、これも好きな作品。ロシアにも、ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン(1842-1904)という画家がいた。2022年には、ロシアによるウクライナ侵攻に抗議するため、この画家の作品『戦争の神格化』の複製を掲げたロシア人の大工が逮捕されたという。

 19世紀後半のクリミア戦争、アメリカ南北戦争では戦場にカメラが持ち込まれる。しかし重い機材、長い露光時間などの制約から、リアルタイムで戦闘場面を撮影することはできず、演出や脚色がつきものだった。戦争写真はその成り立ちから、ある種のパラドクスを抱えていた、という指摘は腑に落ちた。

 人類史上最初のグローバルな総力戦である第一次世界大戦は、多様な反戦美術を生んだ(第一次大戦と美術との因縁はいろいろな意味で屈折している、と著者はいう)。作者と作品だけ見ていくと、ケーテ・コルヴィッツが取り上げられていた。町田市立国際版画美術館の『彫刻刀が刻む戦後日本』で覚えた名前である。アルビン・エッガー=リンツ、ポール・ナッシュ、ジョン・ナッシュ等は初めて知った。幽霊に頬を撫ぜられるような、不安で気味悪い作品が多いが、どこか奈落の底を覗き込むような魅力も感じさせる。そして第二次大戦以降の反戦美術に比べると、まだまだ牧歌的に思われる。

 第二次大戦以降は、人間が人間として扱われない状況が美術の中に赤裸々に立ち現れてくる。マックス・エルンストやピカソのシュルレアリスムは、むしろ受け入れやすい。ナチスの強制収容所から生還した画家たちの作品のショッキングなこと(骨と皮にやせこけた少女、処刑を待つ収容者の姿)には言葉を失う。しかし著者も言うとおり、写真だったら受け止め切れないものに(無意識に注意を反らしてしまうかもしれない対象に)しばらく視線を合わせてしまうのは、やはり美術の力ではないかと思う。

 そしてベトナム戦争を経て、フェミニズムや「アート界」の体制批判をくぐり抜けて、戦争犯罪の記憶を問い直し、いまこのときの戦争・内乱を告発する反戦美術は作られ続けている。感性や創造力に訴える芸術の力は、文字よりも直接的で生命が長い場合もある。実際、本書に採録された図版を見ていると、少なくとも私は、こんなふうに無慈悲に人間が扱われる状況を二度と引き起こしたくない、という思いが強く湧くのである。

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法と支配の正統性/法の近代(嘉戸一将)

2023-05-17 23:54:53 | 読んだもの(書籍)

〇嘉戸一将『法の近代:権力と暴力をわかつもの』(岩波新書) 岩波書店 2023.2

 読み始めてから、あれ?これは復刊書だったかな?と思った。テーマが古典的である上に、図版が少なく、パラグラフが長いので、版面が文字で(しかも横文字でなく主に漢字で)ぎっしり埋まっていて、古い岩波新書の雰囲気が濃厚なのだ。しかし内容はとても面白かった。

 本書のテーマは副題のとおりである。制度的な権力(政府)と恣意的な暴力(盗賊)をわかつものは何か。たとえば法に基づいて人を裁き、支配する行為は暴力ではないという回答がある。しかし権力者が身勝手な「理屈」によって法秩序を創造し、人を支配するとしたら、それは暴力ではないのか、と著者は問い直す。人は「最強の者」の力あるいは権力に屈せざるを得ないが、それは正統な意味での法(JUSTICE)ではない。

 では、何が法を法として可能にする=権威づけるのか。ルソーはその正統性を、国家を構成する諸個人による「契約」に求め、諸個人は、自らの意志に由来する権力のみを正統なものとし、その権力の創る法に服従すべきであると説く。でも、それでは秩序が成り立たないのではないかと思う。

 また別に、主権者=立法者の正統性をひとつの人格で代表しようという考え方がある。その由来は、ローマ法や古代ギリシアの哲学に遡るという。重要なのは、立法者が生身の人間ではなく「職務」として捉えられていたことだ。権力は「職務によって」行使されるから権力なのであり、そうでなければ暴力にほかならない。「職務」には私的な意思や欲望が働く余地があってはならない。このへん、いまの日本の立法機関(国会)にいる議員たちは、きちんと理解しているのだろうか。

 次に著者は、日本における西洋の法秩序の受け入れ過程を観察する。伊藤博文は、立憲主義を導入するにあたり、「機軸」(社会的紐帯)を定める必要があると考えた。井上毅は天皇の統治を古語の「シラス」に当て、天皇の理性によって秩序を実現することと説いた(対義語は「ウシハク」で豪族の実力行使による支配)。国語国文を重視した井上毅、法の「進化」を主張した穂積陳重、「祖先教」を提唱した穂積八束など、くらくらするほど面白かった。穂積八束は、旧民法法典の個人主義的傾向を排撃し(民法出テゝ忠孝亡フ→すごい認識)、日本の家族制度は祖先崇拝(家父長制)を紐帯とすることを説いた。この言説は、明治憲法の宗教的正統性を呈示するだけでなく、社会を一体のものとして演出する効果を持っている。「この一体性信仰は、日本の近代史においてたびたび現れる」と著者は指摘しているが、全くそのとおり。今なお、その残骸のようなものを見かけるが、発生はこの時代にあったのだな。

 一方、憲法学者の佐々木惣一(1878-1965)は、政治家や教育家が家族のような一体の国家というフィクションを信奉する限り、権力と暴力を分かつ議論は抑圧され、ますます暴力が跋扈すると主張した。佐々木は政治の役割は「個人の自由と機会の平等を保障しつつ共同生活を可能にすること」と考え、天皇の統治権は、この理想を実現する力(実現を意思する力)であり、天皇は「職務」という制度に拘束されていると説いた。明治憲法をこのように解釈するのは、なかなかアクロバティックだが、興味深い。

 次に「議会制の危機」について、再び西洋の例に戻る。歴史的に見出されてきたとおり、国民によって選出された議会が、国民に代わって国家の意思決定を行うという分業は、必ずしも理想的な民主的政治を実現するとは限らない。議会制とは「妥協の産物」なのだ。「代表観念をめぐる西洋的な伝統」は、古代ローマ法に始まり、教会の歴史において彫琢されてきたようである。古代ローマ法に見られる「皇帝の意思は法の効力をもつが、その権威は人民の権威と権力に由来する」という文言は、現代人にも感覚的に分かりやすい。しかし近代の主権論は、君主と人民の有機体的な関係を断ち切り、主権者たる君主に至高性を与えた。え?と驚いたが、至高の主権もまた法の下にあると考えられている。

 今日、日本国憲法において主権者と定められている国民は、憲法制定権力、つまり革命を起こす権力を有している。しかし理念的には、法をつくる者は、理性に基づき「不断に正しい法を作るための努力をつづける義務」を課せられていると考えるべきである。主権者もまた「職務」なのだ。

 堂々巡りの思考かもしれないが、法の条文に抵触すれば悪、抵触しなければ善、という判断で全て足りるとするのではなく、その「法」が理性と正義に即しているか、我々はもう少し熟慮する必要があると思う。少なくとも主権者に代わって、そういう深い思考を重ねてくれる代表を私は議会に送りたい。

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「中国史」を超えて/唐:東ユーラシアの大帝国(森部豊)

2023-04-19 23:31:35 | 読んだもの(書籍)

〇森部豊『唐:東ユーラシアの大帝国』(中公新書) 中央公論新社 2023.3

 めちゃめちゃ面白かった。何度も読んできた唐の歴史なのに、なぜ、こんなに新鮮で面白かったのか。従来の標準的な歴史は、後世の中国人が編集した典籍史料をもとに書かれてきた。しかし20世紀以降、敦煌やトルファンで見つかった同時代の文書史料、中国全土で見つかっている石刻資料(墓誌など)によって、唐の歴史像は大きくアップデートされているのだという。

 本書は、唐の歴史を「中国史」ではなく、東ユーラシアに展開した歴史としてとらえなおすことを目指す。このとき、重要な画期となるのが「安史の乱」である。安史の乱以前の唐の歴史は、「中国本土」(漢人の住む空間)の北部とモンゴリア、マンチュリア、そして東トルキスタンまでを舞台に展開する。安史の乱以後は、長江流域の存在感が増し、唐は黄河流域と長江流域のみを統治する王朝へと変化している。

 本書の記述は、唐の建国から始まる。隋唐革命が成功した要因のひとつが、ソグド人の協力であるという指摘がおもしろかった。太原の南の介州にあったソグド人のコロニーが李淵の挙兵に従ったことが、あるソグド人の墓誌から明らかになったという。次いで、固原や武威のソグド人集団も李淵に帰順している。

 このあたり、私はさまざまな中国ドラマを思い出しながら読み進んだ、武周時代の記述で、武攸寧、武攸暨の名前を見たときは『風起洛陽』を思い出して、色めき立ってしまった。安史の乱前夜「絢爛たる天宝時代」といえば『長安十二時辰』である。玄宗が政治への情熱を失った頃、モンゴリアでは突厥第二帝国が滅亡し、ウイグル帝国が誕生するという大事件が起きていた。このことが大規模な人間の移動を引き起こす。

 安禄山が拠点とした幽州(河北)には、ソグド人商人・突厥遺民・奚(けい)・契丹など、遊牧系・狩猟系の人々が集まっていた。安史の乱は、彼らエスニック集団の独立運動とみることもできる。唐朝では粛宗が即位し、西域方面に唐軍への参加を呼び掛けた。これにアラブ兵(大食)、ソグド人、東方シリア教会のキリスト教信者などが応え、不空の密教集団も協力している。最終的にウイグル軍が唐軍に参じたことで安史の乱は終結する。しかしその直後、唐朝はチベット軍の侵攻を受け、一時的とはいえ長安を占領されてしまう。チベットも、古くはふつうに好戦的な国家だったのだな。

 安史の乱以後、代宗・徳宗のもとで塩の専売や漕運改革が進められ、唐は財政国家に面目を改めたが、藩鎮の独立割拠を収めることはできなかった。一方、外交面では北のウイグル、西南の南詔、西アジアのアッパース朝等と結んでチベット帝国を封じ込めようとした。この壮大なプランを献策したのは宰相の李泌で(『長安十二時辰』の李必!)、穆宗の時代に唐・チベット・ウイグル三国の講和条約となって実を結ぶ。ああ、ラサへ「唐蕃会盟碑」を見に行きたいなあ。

 唐の滅亡まであと8代。本書は丹念にその衰退と混迷の様子を描いていく。ダメな皇帝列伝といえば明朝だと思っていたが、唐朝の終盤もなかなかのものだ。「会昌の廃仏」で知られる武宗は、道教を除く全ての宗教を排斥の対象とし、三夷教と呼ばれた景教(キリスト教)・祆教(ゾロアスター教)・明教(マニ教)は中国から姿を消してしまう。お~金庸の武侠小説でおなじみ、明教はここで邪教と認定されるのだな。安史の乱によって国力が衰退し、漢民族と非漢民族の対立が深刻化するにつれ、初唐の国際性や普遍性が失われ、「華夷思想」が表面化していく。

 やがて高仙芝・黄巣ら賊徒が登場し、中国全土を荒らしまくる。黄巣軍は広州に侵攻し、広州在住の中国人だけでなく、12~20万人に及ぶイスラーム教徒、ユダヤ教徒、マズダク教徒を殺害したことが、イスラーム史料によって知られるという。黄巣の長安占拠にあたっても、いたるところで人々が殺された。中国の歴史を読んでいると、こういう衰退の時代に生まれ合わせたら、何もどう頑張っても長くは生きられない感じがする。黄巣軍は李克用に討伐されたが、唐の命運はほぼ尽きていた。

 唐の後には「五代十国」と呼ばれる時代が来るのだが、北中国の「五代」は李克用と同系統の沙陀部族出身の王朝で、南中国の「十国」は黄巣と同様、河南から江淮の群盗や塩賊の出身であるという。後者については、玄宗の時代、この地に六州胡(ソグド系突厥)が移住させられていたというのも気になるところだ。

 ぼんやり「国際色豊か」くらいに考えていた唐のイメージの解像度がどんどん上がって、素晴らしく面白い1冊である。やっぱり歴史は何度でも書き直され、読み直さなくてはならないと思う。

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宇宙へ、そして地底へ/老神介護(劉慈欣)

2023-03-31 23:12:26 | 読んだもの(書籍)

〇劉慈欣;大森望、古市雅子訳『老神介護』 KADOKAWA 2022.9

 『流浪地球』とセットで刊行された劉慈欣のSF短編集。1998年から2008年に発表された5編を収める。どれも読みごたえがあった。

 「老神介護」は、地球よりずっと古くから存在し、地球の生命世界を設計した「神文明」の人々(神々)が地球に現れ、老後を地球で過ごしたいと訴えたことから始まる。20億柱の神々は人類の家庭に割り当てられ、西岑村の秋生の家にも神がやってきた。しかし、もはや創造力も技術力も失い、ただの耄碌老人でしかない神々は、次第に人類に白眼視されるようになり、再び宇宙へ旅立っていく。去り際の神は静かに秋生に語る。神文明は多くの偉大な奇跡を生んだ。しかしどんな文明も必ず老いる。地球文明も同様だ。生まれた世界から動かずにいるのは死を選ぶのと同じだから、必ず宇宙に飛び立ち、新しい故郷を探せ。この、未来へ、未知の世界へ、という呼びかけには痺れるものがある。

 「扶養人類」は、神文明が去った後の地球が舞台。神の予言のとおり、かつて神文明が創造した地球の兄文明が地球にやってくる。兄文明は、人類の最低限の生活レベルを調査し、それに合わせて全人類を平等に扶養することを宣言する。その頃、人類は極端な格差社会となっていた。富裕階級の人々は、兄文明の調査が始まる前に貧困者に資産を分け与え、少しでも貧富の差をなくそうと苦心していた。しかし貧困者の一部には、どうしても資産を受け取らない者がいる。彼らを始末するため、殺し屋の滑腔が雇われた。密造の滑腔銃を用いるため「滑腔」と呼ばれる殺し屋の青年、その育ての親であり、薄い鋸をベルトにしているギザ兄、ソビエト共産党の警備スタッフだったロシア人ボディガードのKなど、香港ノアール的な血腥いリアリズムと、荒唐無稽な寓話的設定が混然一体化した、魅力的な一篇。

 「白亜紀往事」は、恐竜と蟻が共生によって文明を築き上げた地球の物語。脳の小さい蟻たちは恐竜のように好奇心と想像力を持てなかったが、エンジニアとして精密機械の操作や修理を担ってきた。しかし蟻連邦はついに恐竜たちに反旗を翻すことに決めた。恐竜世界はゴンドワナ帝国とローラシア共和国に分裂し、対立していた。両国は、それぞれ地球を滅亡させることが可能な反鉄(反物質)を有し、互いに牽制し合っていた。しかし蟻連邦の蜂起によって、恐竜世界のネットワークが停止し、カウントダウンの解除が働かなくなる。慌ててカウントダウン解除に奔走する蟻たち。しかし恐竜とはコミュニケーションをとることができない。かなりブラックなコメディである。地球を破滅させる威力を持った「反鉄」には、『陳情令』の「陰鉄」を連想した。

 「彼女の眼を連れて」は、一転してリリックな短編。月や小惑星で働く人々が多数になった未来社会、ふるさとの地球を「体験」できるセンサーグラスが発明された。地球で休暇を過ごせる人々は、他人の眼(センサーグラス)を連れ歩くことが社会貢献とみなされていた。あるとき主人公の「ぼく」は、繊細でロマンチックな女性の眼と休暇を過ごす。数か月後「ぼく」は真相を知る。彼女は地中探査船「落日6号」の最後の乗組員だった。落日6号は、事故を起こして地球のコアに向かって沈み続けていた。生態循環システムは機能しているはずだが、地上との通信はすでに途絶え、彼女は永遠の孤独とともに地球のコアに閉じ込められた。

 「地球大砲」は、その前日&後日譚。沈華北は、白血病の治療が可能になるまで人工冬眠に入ったが、74年後、目覚めたとたん人々に吊し上げられる。沈華北の息子の沈淵は、中国の黒竜江省から南極大陸の西の端に至る地球トンネルの建造を成し遂げたが、その過程で多くの人命を奪い、完成したトンネルは無用の長物だった。沈淵はひとりでトンネルの往復を続けて、最後は心臓発作で死んでしまった。落日6号に乗った彼の娘・沈静に呼びかけていたとも言われる。沈華北は再び冬眠に入り、50年後に目覚めた。すると今度は人々に手厚く迎えられた。地球トンネルは、ヴェルヌの『月世界旅行』よろしく、宇宙への大量輸送を実現する「地球大砲」として役に立っていたのである。これはほっこり心温まる話。二度目の冬眠に入る前の沈華北は、万里の長城もピラミッドも「完全に失敗した巨大プロジェクト」であるけれど、そこに凝縮された精神は人々を永遠に照らし続ける、と吠える。確かに無用か有用かの判断も、糾える縄みたいなものだろう。

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北野天満宮の神人たち/日本中世の民衆世界(三枝暁子)

2023-03-21 20:36:00 | 読んだもの(書籍)

〇三枝暁子『日本中世の民衆世界:西京神人の千年』(岩波新書) 岩波書店 2022.9

 本書は、西京神人(さいきょうじにん)と呼ばれる共同体を例に取り、中世民衆の姿を浮かび上がらせる。「西京」は、もと平安京の西側(右京)を指したが、10世紀に一条以北に北野天満宮が成立したことにより、11世紀には北野天満宮領域(右京一条・二条)が「西京」と意識されることになる。中世には「京都」の一部ではあるが、市街地の周縁部、すなわち「洛外」とみなされた。

 西京には様々な階層の人々が居住していたが、住人の多様性や流動性は市街地ほどではなく、基本的に北野天満宮に地子(地代)・年貢・公事(雑税)を納める人々だった。そして商工業者の中核となったのは麹業を営む西京神人たちだった。

 麹業は、酒造業とともに発達した。室町時代、権力者たちは酒宴を好み「酔狂の世紀」と呼ばれる時代を出現させたという。いや、鎌倉時代の武将も平安時代の貴族も、けっこう酒は飲んでいた気がするが、室町時代の京都で、産業としての麹業が成立したのは間違いない。なお、西京神人の後裔の川井家には、秋に収穫して貯蔵した米が、毎年のように紙屋川の氾濫に遇い、濡れた稲から黄黴が発生して麹ができた、という麹の由来が伝わっているそうだ。裏付ける史料はないものの、ありそうな話でおもしろい。

 室町時代、西京神人たちは、西京以外で酒屋(麹室を構え、しばしば金融業を兼ねた)を営むことの禁止を幕府(将軍義持)に訴え出て、認められた。義持は強烈な北野信仰の持ち主で(へえ!)、西京神人に麴業の独占を認めるとともに、彼らが怠りなく北野祭に奉仕することを求めたという。北野祭は10世紀に始まる古い祭礼だが、南北朝時代には、朝廷の財政危機により執行が難しくなっていた。そこで朝廷に代わって、新たな様式の祭礼を再編したのが室町幕府である。現在の瑞饋(ずいき)祭は、この再編に由来するらしい。

 嘉吉・文安期には、酒麹業の独占をめぐって相論が置き、西京神人が北野天満宮に閉籠し、管領軍と合戦となる事態(文安の麹騒動)も起きた。中世とは、武士だけでなく、僧侶や神職者、商工業者、農民など全ての人々が、紛争解決手段として武力を行使する時代だったことを著者は注記している。結局、この騒動によって西京神人は麹業の独占権を失い、幕府政所の伊勢氏の被官となって(武士の役割も担い)生き延びていく。近世に入ると、麹業は衰退するが、北野天満宮の祭礼に奉仕する「神人」としての結束は続く。

 近代には、神仏分離による北野天満宮の変質(比叡山延暦寺や曼殊院門跡との関係断絶)、「神人」身分の消滅、瑞饋祭の中絶など、大きな変化が起きた。それでも西京神人家の人々は中世からの共同体を守り、瑞饋祭の復興(明治23/1890年)を果たし、今日に至る。明治40年(1907)から100年にわたる日誌を書き続けているというのも素晴らしい。

 共同体でも家系でも祭礼でも「古くから続いている」と聞くと、我々は、ずっと変わらない姿で続いているように誤解しがちな気がする。実は、本書に描かれた西京神人のように、さまざまなアップデートを繰り返しながら続いてきたもののほうが多いのではないかと思った。北野天満宮のずいき祭(10月初旬)は、まだ行ったことがない(たぶん)ので、なんとか一度は見てみたい。「古式」のままではなく、明治初年に中断したものを、神人たちが執念で復活させたと思って眺めるのも、味わい深いと思う。

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ファミリーヒストリーは語る/敗者としての東京(吉見俊哉)

2023-03-12 20:13:08 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『敗者としての東京:巨大都市の隠れた地層を読む』(筑摩選書) 筑摩書房 2023.2

 はじめに2020年春からのコロナ禍によって、都心の空室率の上昇、人口の転出増、商業地の地価下落など、1980年代以来、数十年間にわたって東京が歩んできた方向(=福祉国家から新自由主義へ、効率化のための一極集中)を反転させる可能性が垣間見えることが示される。本書は、これまで明らかに近代化の「勝者」として歩んできた東京を「敗者」の眼差しから捉えなおそうとする試みである。

 そのために本書は、遠景・中景・近景の三つの視点を用意する。「遠景」は地球史的な視座で、縄文時代の南関東の「多島海的風景」を想像するところから始まる。やがて朝鮮半島からの渡来人たちが東京湾岸から上陸し、土着の縄文人と遭遇してクレオール化する。古代から中世へ、東国勢力は徐々に力をつけ、大和朝廷に対する自立性を獲得していく。こういう東国の古代中世史、とても魅力的だ。そして東京につながる巨大都市・江戸を出現させたのは1603年に始まる「徳川の占領」である。

 東京(江戸)は三度の占領を経験している。二度目は1868年の「薩長軍による占領」で、この記憶が「中景」となる。彰義隊・幕臣・博徒(清水次郎長)・貧民・女工など。敗者(あるいは弱者)がどこまで自分の言葉で語ることができたかを慎重に留保しつつも、明治大正の東京には、彼らの語りを成り立たせるメディア的な装置があったことを検証する。同じ著者の『五輪と戦後』でも触れられていたが、女工たちの歴史(逃走→争議→バレーボール!)がとても面白い。

 三度目は1945年の「米軍による占領」である。この占領によって、東京の風景が決定的に変貌したことは、著者が『五輪と戦後』『東京復興ならず』等で詳述しているところだが、本書は著者自身のファミリーストーリーから、戦後東京の「近景」を描いていく。私は長年の著者の読者だが、初めて聞く話ばかりで驚きの連続だった。著者の母親は、両親の離婚後、父(著者の祖父)とソウルで生活しており、終戦後、兄(著者の叔父)とともに子供二人で家出して東京の母に会いに行ったこと。著者の祖母の甥に、ヤクザからヤクザ映画の俳優になった安藤昇がいること。私は彼の名前を知らなかったが、本書にまとめられた安藤昇の生涯は、無法と暴力に彩られている。

 ここで著者がちょっと横道にそれて、丸山眞男が「無法者」のエートスを的確に定義していること(丸山はその生い立ちから右翼系の無法者に接する機会があったこと:苅部直氏の教示)や、エイコ・マルコ・シナワ氏による、近代日本の政治が無法者たちの暴力的行為と深く関わってきたという指摘に言及しているのは興味深い。ただし、近代化と暴力の関わりが明示的だったのは1960年代までで、その後は次第に隠されてきたのではないかとも思う。「サザエさん」など昭和のマンガで覚えた「愚連隊」という名称も久しぶりに聞いた。

 また、著者の曽祖父・山田興松は「水中花」を発明して米国市場に進出したり、造花をカリキュラムにした女子教育に携わったりしていた。著者は2002年に母をなくし、戸籍謄本を取り寄せたのがきっかけでファミリーヒストリーに興味を持ち始め、国会図書館や新聞社のデジタルアーカイブで親族の軌跡を発見したという。著者のいうとおり、同じような体験をする人は、有名無名を問わず、これから増えるのではないかと思う。

 「近景」の最後に著者は、35年以上前、渋谷円山町のアパートで『都市のドラマトゥルギー』を書いていた自分に立ち返り、実は親族たちの軌跡のパターンを模擬的に反復していたのではないかと考える。

 終章では、山口昌男、鶴見俊輔、加藤典洋らを論じ、さらに海外の敗者論を参照する。シヴェルブシュは、敗者が敗北を否認するためのさまざまな方策(勝者への同一化、精神的な勝利の主張、報復の試み、責任転嫁 etc.)を挙げていて面白い。しかし私は、著者が山田太一ドラマを引いて語っているように、「敗者」であることを堂々と受け入れ、自分たちの「無力」に自覚的であり続ける精神に共感と尊敬を抱く。その意味で、「敗者から眺める」ことが東京の未来につながると著者は説くのである。

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危機に立つ人類の選択/流浪地球(劉慈欣)

2023-03-09 23:25:39 | 読んだもの(書籍)

〇劉慈欣;大森望、古市雅子訳『流浪地球』 KADOKAWA 2022.9

 『三体』で知られる劉慈欣のSF短編集。収録作品は2000年から2009年に発表されたものだという。正直に告白すると、私は今年の春節映画『流浪地球2』が好評というニュースを見て、そういえば2019年の映画『流浪地球』も見ていないなあ、と思い出し、まずは原作を読んでみるかと思って、本書を手に取った。そうしたら、標題作はすぐに終わってしまって肩透かしをくらった。「訳者あとがき」によれば、映画が原作を踏襲しているのは基本設定のみで、キャラクターもプロットも別物なのだという。

 しかし、本書を読み始めたことを後悔したかといえば、全くそんなことはない。どの作品も面白かった。奇想天外な設定を、いかにも事実(科学)らしく、緻密な描写を積み上げていく筆力に感服した。

 「流浪地球」は、400年後に太陽が大爆発を起こす、と天体物理学者が予測した世界の物語。人類は滅亡を逃れるため、地上に巨大な「地球エンジン」を建設し、地球の自転を止め、太陽のまわりを回りながら次第に加速し、太陽系を離脱してプロキシマ・ケンタウリを目指すことにした。計画開始からまもなく4世紀、いよいよ太陽系を離れる「脱出時代」に直面して、「太陽は爆発しない、我々は騙された」と主張する人々の反乱が暴発する。劉慈欣の作品世界では、宇宙時代になっても人類は「扇動」に揺れ動き「反乱」を繰り返すのだ。

 「ミクロ紀元」は、人類が移住できる惑星を探査する旅に出た「先駆者」の物語。二万五千年後、彼が地球に戻ってみると、そこには体のサイズを羽虫ほどにミクロ化することで生き残ったミクロ人間たちが新たな文明を築いていた。全宇宙でただひとりのマクロ人間となった主人公は、地球の未来のための選択を迫られる。マクロとミクロ、巨大な存在と卑小な存在の対比も、作者が繰り返し扱っているテーマである。

 「呑食者」では、あるとき、巨大なトカゲのような姿の異星人が地球に現れる。彼は巨大な宇宙船「呑食者」の先触れで、人類を家畜化し、地球そのものを食い尽くすことを宣言する。国連地球防衛軍の大佐である主人公は、異星人の使者・大牙と交渉し、月に人類の避難所をつくることの許可を得る。百年後、一部の人類を載せた月は、核爆弾の推進力によって地球周回軌道を離脱する。しかし地球防衛軍の真の目的は、迫りくる「呑食者」に月をぶつけて破壊することだった。主人公の大佐(最後は元帥)と配下の兵士たちの気高さ、清々しさ。邪悪で狂暴な異星人に見えた大牙が、種族を超えて、人類の戦士たちに共感と敬意を抱くのもよい。軍人嫌いの私が、この物語にはすっかり魅入られてしまった。

 「中国太陽」は、本書の中でいちばん好きな作品。中国西北部の貧しい村に生まれた水娃は、炭鉱や建築現場で働いたあと、北京に出て高層ビルの窓拭き作業員(スパイダーマン)をしていた。そこを中国太陽プロジェクトの主席科学者・陸海にスカウトされ、宇宙空間で中国太陽(人工太陽)の鏡面清掃に従事することになる。小学校しか出ていない彼は、宇宙から地球を眺める体験や、スティーブン・ホーキング博士との交流によって、少しずつ思索と信念を深めていく。そして中国太陽が役目を終えて太陽系の外へ送り出されることになったとき、それに乗り込み、恒星間探査に旅立とうと決意する。これも作者の文脈でいえば、「虫けら」の可能性や創造性を信じる暖かい物語である。

 この作品を読みながら、私はずっと泣いていた。10代の頃に読んだ古典的なSF小説(と、それに影響を受けた日本のSFマンガ)の読後感がよみがえるような気がした。未知の宇宙にあこがれるロマンと、未来を信じる楽観主義。作中で、主人公の水娃が「人類は前世紀の60年代には月に降り立ったのに、なぜそのあと人宇宙開発は後退してしまったんだろう?」と問いかける場面がある。エンジニアは「人間は現実的な動物」「前世紀の中ごろは、理想と信念に駆り立てられていたが、長つづきしなかった」「経済的利益のほうが上だ」「(あのまま宇宙開発を続けていたら)地球はまだ貧困から抜け出せていなかったかもしれない」と答える。そうか、私は物心ついた頃に「理想と信念に駆り立てられていた」時代を記憶している世代だが、その後はずっと「経済的利益」優先の時代を生きてきたのだと思うと、寂しくて胸にこたえた。

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