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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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忘れられた労働者/家政婦の歴史(濱口桂一郎)

2023-09-15 22:54:46 | 読んだもの(書籍)

〇濱口桂一郎『家政婦の歴史』(文春新書) 文藝春秋 2023.7

 『働く女子の運命』や『ジョブ型雇用社会とは何か』の濱口さんの著作なので、きっと面白いだろうと思って手に取った。ありそうでなかったテーマで、初めて知ることが多かった。

 かつて(近代初期)中流以上の多くの家庭には女中さんがいた。いや実際には知らないけれど、明治や大正の文学を読んでいると、当たり前に出てくる。女中と呼ばれる存在の直接の先祖は江戸の奉公人としての下女であるというのも納得。それとは別に、1918(大正7)年に大和俊子(おおわ としこ)という女性が始めたのが「派出婦会」である。派出婦会は、家庭で臨時に人手が必要になったとき、女中代わりの女性労働者を供給(=派出=派遣)するビジネスだった。この派出婦という言葉は、私は「サザエさん」とか「いじわるばあさん」とか長谷川町子作品で覚えたような気がする。大和俊子が派出婦会を始めた当時は、ちょうどスペイン風邪の流行と重なり、人手の需要が多かった。また、未亡人や人妻が安心して働ける職業も少なかったので、派出婦会は大きな成功を収めた。逆に前近代的な制度である女中として働きたいという希望者は、1930年代から急速に減少していった。

 女中などの奉公人を雇主に紹介する職業を「口入れ屋」といい、近代では「職業紹介事業」に分類される。一方、派出婦会は「労務供給請負業」と見做された。「労務供給請負業」の範疇において、派出婦会は優良事業であったが、人夫、沖仲仕など、親方が労賃の半分近くをピンハネしてしまうような問題業者も多かった。

 さて終戦後、GHQの支配下で新たな労働法が続々と作られた。特に労働者供給事業のほぼ全面的な禁止は、担当官スターリング・コレットの「個人的見解」「十字軍的な強い意志」によって作り出されたものだという。へええ、知らなかった。確かに労働者供給事業が、労働者に非人道的な支配を強いるものであることは、現代の派遣労働者の境遇を考えても分かる(コレットの苦心にもかかわらず、日本で労働者供給事業が復活してしまったのは、後代の話)。

 しかし、これによって派出婦会も事業を続けられなくなってしまった。日本側の担当者は、派出婦が労働組合を結成し、組合が労働者供給事業を行うという体にすれば継続できるという、アクロバティックな解決方法を考えたようだが、さすがに現実性がなくお蔵入り。結局、派出婦会は「有料職業紹介事業」という、全く実態とは異なる看板の下で生き延びることになる。これにより、女中とは異なる職業であったはずの家政婦が「家事使用人」のカテゴリーに放り込まれてしまった。「家事使用人」は、個人の家庭から指示を受けて家事をする者とされ、労働基準法上は労働者と見做されないのである。えええ、これも知らなかったわー。

 1999年には労働者派遣法が改正され、労働者派遣の対象業務が大きく拡大した。家事も介護も「派遣」の対象業務になったのだが、家政婦紹介所は、積極的に家政婦派遣事業所になることを選択しなかった。介護に関しては訪問介護事業者を称しても、家政婦事業については紹介所という、二枚看板方式が一般化してしまったという。

 その結果、2022年9月、家政婦がある家庭に泊まり込みで7日間連続勤務した後に亡くなる事件が起き、遺族が過労死として訴え出たにもかかわらず、家政婦は家事使用人であって労働基準法の適用を受けない(労災保険法も最低賃金法も適用されない!)という理由で退けられてしまった。現行法の運用としては正しいのかもしれないが、常識的にはどう考えてもおかしいので、改善が必要だと思う。

 また、考えさせられたのは、GHQの担当官コレットが悪逆非道の人夫供給業を撲滅するために振り下ろした「正義の刃」が、家政婦というニュービジネスを、伝統的な女中の世界に叩き込むことになってしまったという解説である。こういう、思わざる結果は、どこの世界にもあるのだろうな。だから正義の実行は大切だけれど、大局的な是非とは別に、その影響を細やかにメンテナンスしていく仕事も忘れてはならないのだと思う。

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初めて知る素顔/文楽名鑑2023(人形浄瑠璃文楽座)

2023-09-10 22:27:33 | 読んだもの(書籍)

〇福山嵩郎編集;塩川いづみイラスト『文楽名鑑2023』 人形浄瑠璃文楽座 2023.8

 いま個人的に大注目の1冊。一般社団法人「人形浄瑠璃文楽座」が、全座員86人のプロフィールを掲載した「文楽名鑑」を発行した。「好きな演目は」「初舞台から現在までを振り返って一言」といった真面目な質問があれば、「カラオケの十八番は」「好きな動物は」「モテ期はいつ?」なども。約70項目のアンケートから、それぞれの個性がにじむ、えりすぐりの回答が掲載されている。

 私は文楽を楽しむようになって、すでに40年近くになるけれど、座員のみなさんについて知っていることは、毎回の公演プログラムに掲載されている「文楽技芸員の紹介」ページの白黒写真と芸名がほぼ全てである。実は年齢(年代)もよく存じ上げなかったので、本書を見て、え!この方、もう80代(見た目が若い)とか、え!若手かと思ったら意外と歳上、など、小さな驚きがずいぶんあった。ちなみに大阪公演のプログラムは、以前からよく座員の方へのインタビューを掲載しており、最近は東京公演のプログラムにもそうした記事が見られるようになったのはうれしい。

 出身が関西以外という座員の方は意外と多いのだな。千歳太夫さんと亘太夫さんが東京都江東区出身(私の地元~)というのも初めて知った。鶴澤燕三さんの神奈川県葉山町出身にもびっくり。希太夫さんは「好きなアーティスト」がプラシド・ドミンゴで、「歴史上の人物で会ってみたい人」はチャイコフスキーとの回答。やっぱりジャンルは違っても音楽や楽器が趣味という方が目につく。吉田玉男さんが錦絵や陶器を集めていらっしゃるというのも気になる。

 食べもの関係では「おでんの好きな具」に咲太夫さんと鶴澤清治さんが挙げていた「さえずり」。聞いたことがなくて調べてしまった。関西では一般的なのだな。あと「好きなパン」に藤太夫さんが挙げていた「クワエベーカーズ」(阿倍野)の食パン、睦太夫さんが挙げていた「No.4」(東京・市ヶ谷)のリーンブレッド(山形食パン)は覚えておこう。

 笑いながら納得したのは「太夫あるある」「三味線あるある」「人形遣いあるある」で、三味線は「右の前腕だけ太くなる」かと思えば、人形遣いは「スポーツジム入会時の筋量測定で右利きにもかかわらず『左利きですね』と言われる」のだそうだ(主遣いになると人形の重さのほとんどを左手で支えるため)。厳しい肉体労働なのだ。

 編集の福山嵩郎さんのお名前は知らなかったので、検索したら、京阪神エルマガジン社で立ち上がった、文楽の初心者向けフリーペーパー「ハロー!文楽」を作っていらっしゃる方だと分かった。ありがたいなあ、こういうの。リンクをたどって「文楽協会」のホームページを見に行ったら、意外と今ふうのデザインで、情報がコンパクトにまとまっていてよいと思う。

こちら「ハロー!文楽」編集部

公益財団法人 文楽協会

 本書には、引退された吉田蓑助さんのページがあったのも嬉しかった。住太夫さんや嶋太夫さんの回答も、こういうかたちで読みたかったなあ…。本書を10年先、20年先(自分が生きているとして)に読み返したら感慨深いものになるだろうとも思った。

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自分たちで決める/病が分断するアメリカ(平体由美)

2023-09-06 22:24:03 | 読んだもの(書籍)

〇平体由美『病が分断するアメリカ:公衆衛生と「自由」のジレンマ』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.8

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行によって、アメリカは多くの死者を出した。本書は、アメリカの公衆衛生が抱えるジレンマを歴史的経緯を踏まえてひもとく。

 公衆衛生とは、地域やコミュニティを病から防衛し、住民の健康を維持するための公共的な取り組みをいう。個人よりも集団を対象とし、病を発症した人の治療よりも、病の拡散を防ぎ、健康な人を病に罹患させない対策に重点がある。そのため医療とは異なる仕組みが必要で、病院よりも政府と行政が大きな役割を担っている。公衆衛生の三要素は「数を数え分析すること」「健康教育を行うこと」「行動制限を行うこと」だという。三要素にはそれぞれの困難がある。

 さてアメリカは「自由の国」といわれる。著者は「アメリカ的自由」を三つの観点で説明する。第一に「自分たちのことは自分たちで決める」という自治が成立していること。アメリカでは、地域のことを熟知していない中央政府が一元的に物事を決定することに反発がある。第二に権力や権威の腐敗を避ける仕組みがあること。権力者は繰り返し住民の審判を受けなければならず、一度はとんでもない候補者が選ばれても、次の機会には是正される(と考えられている)。第三に選択肢が複数あること。選択肢が限られていたり、特定の選択を迫られたりすると、アメリカ人は自由が奪われていると感じるそうだ。

 こういうアメリカでパンデミックが発生し、公衆衛生(防疫)対策が導入されると、人々は「それはどうやって・誰が決めたのか」に注目する。「自分たちのことは自分たちで決める」を原則とするアメリカ人は、情報公開や住民集会での丁寧な議論などの手続きを期待するし、自分たちが選んだのではない「公衆衛生の専門家」をうさんくさく感じて反発するという。ううむ、アメリカ人、正直めんどくさい。さらに、その公共政策はどれだけの効果を上げるのか、社会的・個人的コストに見合う利益があるのか、という問い直しがしつこく行われるという。

 アメリカでは、戦争や外交、通商には連邦政府が権限を持つが、公衆衛生や医療は州政府の所管とされてきた。19世紀半ば以降、この分業体制はさまざまな問題を引き起こすようになった。現在、パンデミックへの対応は連邦と州がそれぞれも役割を担っている。今後、COVID-19対策に関する包括的な検証では「民主主義社会における分権的制度の功罪も俎上に置かれることになるだろう」と著者はいう。だが、天然痘、コレラ、インフルエンザなど、過去に何度も「連邦による包括的対策の必要性」が議論されては否定されてきた。アメリカ人の「自分たちのことは自分たちで決める」信念は、かくも頑固なのだ。

 アメリカ社会におけるワクチンと反ワクチン運動の歴史(19世紀、天然痘ワクチンに始まる)やマスクの悪印象(20世紀初め、スペイン風邪に始まる)の話も興味深かった。アメリカでは、マスクは医療従事者でなければ犯罪者、弱さの象徴、男らしくないイメージと結びついており、なぜアジア諸国ではマスク忌避感が存在しないのかを逆に不思議に思っているらしい。

 公衆衛生と格差も、本書が提起する重要な問題である。近年、社会的経済的地位(SES: Socioeconomic Status)が健康と病に及ぼす影響が注目されているという。貧困層・低所得層は長時間労働が常態化し、簡単で腹を満たせる食事になりがちである。子供の頃に形成された食習慣や生活習慣は成人後の健康度を左右する。国民皆健康保険制度のないアメリカでは、貧困層は医療にもアクセスしにくい。構造的に生み出される健康問題は、まわりまわって社会の不安定化をもたらす、など。

 なお、これまで貧困は都市スラムの問題とされてきたが、現在は非都市部の高齢者の健康リスクが非常に大きくなっているという。これは新しい知見だった。人口過疎の農村部では、医療アクセスの不全に加え、脂肪分過多の単調な食生活、喫煙率の高さ、酒の消費量、閉鎖的なコミュニティにおけるメンタルヘルスの問題、健康と病の科学的理解がアップデートされないこと、さらには「清潔で安全な水」の入手さえ担保されていないのだ。開発途上国ではなく、アメリカ国内の話である。そして、急速に過疎化が進む日本の農村部でも、やがて同じ問題が広がるだろうと想像すると、暗い気持ちになった。

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社会都市から企業都市へ/東京史(源川真希)

2023-08-22 22:03:25 | 読んだもの(書籍)

〇源川真希『東京史:七つのテーマで巨大都市を読み解く』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.5

 著者は休日には東京の都心や隅田川の東側の地域を歩くことが多いという。冒頭に隅田川テラスから見た永代橋の写真が掲載されていたのに親近感を覚えて、本書を読むことにした。本書は「東京を通して浮かび上がってくる近現代の歴史」を七つのテーマに分けて論じている。七つのテーマは「破壊と復興(震災・空襲)」「帝都・首都圏」「民衆(スラム・貧困・労働環境)」「自治と政治」「工業化と脱工業化」「繁華街・娯楽・イベント」「高いところと低いところ」。東京は「権力」と「富」が集中する輝かしい巨大都市である一方、次々に問題が沸き起こり、責任ある人々は、対応に苦心してきた。そのダイナミックな展開こそが東京150年の歴史の魅力だと思うが、以下では、私が気になったトリビア的な記述を書き留めておく。

 ひとつは、破壊と復興を繰り返してきた歴史の記憶が、現在の街並みにも残っているという指摘。1945年の敗戦直後に占領軍が撮影した写真には、都心の多くの家屋が焼夷弾で焼き払われたにもかかわらず、奇跡的に焼け残った建物の姿が収められている。そうした建物(鉄筋コンクリート製)には今日まで使用されているものもあるという。馬喰横山駅を出たところにあるビルはその1例。今度見に行こう。それから「復興」とは少し違うが、湾岸地域には埋立てによって生まれた広大な土地がある。私の住む江東区の古石場、枝川、豊洲の一部などは東京市が作った。戦前、南砂町付近には海水浴場があったという記述にはびっくり。

 都市化が進んだ大正・昭和初期、路面電車がしばしば焼き打ちに遭ったというのも興味深かった。電車は人々の生活を合理化する一方、交通事故やストレス、車夫などの失業問題を引き起してもいたのだ。

 大正中期、都市下層民の居住場所は深川、本所、浅草区に多く、関東大震災以降は、さらに外側の郡部、のちの荒川、向島、城東区域などに拡散した。この時期(20世紀のはじめ~大戦前夜)世界の大都市では、さまざまな社会都市政策が試みられた。東京市も1919年末に社会局を設置して、公設市場、公営住宅、簡易食堂、児童託児所、公衆浴場、職業紹介所などを整備していく。こういうの、一国史だけ見ていると日本すごいとかナチスすごいになりがちだけど、国際的な趨勢だったんだよな。そして、いまの日本の大都市が、こういう社会政策を切り捨てる方向(民営化・収益化)に向かっているのが悲しい。東京市営の簡易食堂・深川食堂は、現在、深川モダン館として保存されている(我が家の近所)。

 制度史的には「東京都」の誕生が1943年7月、すでにガダルカナルから日本軍が撤退し、戦局が不利になっている状況下だったというのも、あらためて驚きだった。そして、このとき「東京府知事」という役職がなくなり「東京都長官」(国の官吏)が置かれたということにも。東京市は、国(内務省)に自治権を取り上げられたのである。この前段には、東京市議会が汚職の温床になっていた状況がある。そのため、市民の側も、優良候補を選出するなど、さまざまな啓発活動をおこなった。しかしこうした運動は「方向性がずれると、議会制それ自体を掘り崩しかねない」と著者は指摘する。これは、近年の選挙を見ていても思い当たるフシがある。

 工業化と脱工業化の章は、私の子ども時代(1960年代)の風景を思い出してなつかしかった。そうそう、ちょっと都心を外れれば、東京には大小さまざまな工場があった。総武線の沿線には、煙を吐き出す高い煙突や大きなガスタンクがあった。工場の地方移転が進むのは1980年代以降の話である。

 1980年代、中曽根政権は「都市再開発」を有効な政策と位置づけた。その象徴的な事業が、赤坂・六本木地区で行われた森ビルによる市街地再開発だという。そうなのか。今でこそ周辺の美術館によく行くけれど、同時代的には、全くその意義を理解していなかった。しかしバブル崩壊、構造改革を経て、都市再開発(都市計画行政)における経済対策の比重が増していく。「社会都市の行き詰まりにより、企業都市へに移行」というのが著者のまとめだが、喫緊の神宮外苑再開発問題も、この路線の上にあるものだと感じた。

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歴史の学び方/検証ナチスは「良いこと」もしたのか?(小野寺拓也、田野大輔)

2023-08-19 23:57:46 | 読んだもの(書籍)

〇小野寺拓也、田野大輔『検証ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット No. 1080) 岩波書店 2023.7

 話題の1冊をようやく入手して読んでみた。なぜ人々は「ナチスは良いこともした」と語りたくなるのか。1つには「物事にはつねに良い面と悪い面があるのだから、探せばよい面もあったのではないか」という、比較的真っ当な疑問がある。もう1つ、実は少なくない人々が「ナチスは良いこともした」と主張することによって、現代社会における「政治的正しさ(ポリコレ)」をひっくり返したいという欲望に突き動かされているという。

 これは分かる。実は私も高校生の頃、「ナチスは良いこともした」に近いことを主張してみたくて、『第三帝国の興亡』全5巻にチャレンジしたのだが、ぜんぜん歯が立たなくて、第1巻も読み終えられずに挫折したことがある。以後、よく知らないことには、みだりに口を挟まないようにしようと判断できたのは幸いだった。

 本書は「ナチスは良いこともした」の根拠となる典型的な論点を、ひとつずつ検証していく。たとえば「ヒトラーは民主的に選ばれた(から正統な権力である)」という主張。確かに当時のドイツの人々は議会政治に幻滅を感じており、反体制的なナチ党を第一党に躍進させた。しかし過半の有権者が望んでいなかったナチ党一党独裁を達成したのは、暴力や謀略によって政敵や制度を弱体化させた結果である。「ドイツ人がナチ体制を支持した」のは、その体制に「乗っかる」ことで「政治目標とは縁遠い個人的な利益が得られたという面が大きい」という。これは、いまの日本の政治状況にも、同じ光景が浮かび上がるのではないか。

 「経済回復はナチスのおかげ」とか「アウトバーン建設による雇用創出」神話については、数字に基づく反証が示されている。アウトバーン建設が生み出した雇用は下請け産業を含めても50万人程度で、当時の失業者600万人に比べれば、効果は限定的だった。景気回復をもたらした決定的要因は、むしろ軍需経済(再軍備)だったと考えられている。しかし急速な軍備拡張は、国家の財政支出の爆発的な増大を生み、根本的な解決には、戦争による資源獲得・負債の帳消ししかなくなっていく。同時に、占領地からの収奪・ユダヤ人からの収奪・外国人労働者の強制労働も行われた。これを、それでも「ドイツ国民」にとっては「良いこと」だったと考えるのは、現代人の立場からは、ほとんど無意味な主張だと思う。

 同様に「手厚い家族支援」「労働者保護」も、その第一の目的は戦争を戦い抜くための兵士や労働力を確保することであり、ナチスが想定する「国民」から外れる人々、政治的敵対者やユダヤ人、障害者などは、これらの恩恵を受けなかった。ナチスが労働者に与えた消費社会の夢はほとんど果たされずに終わったし、「もっと子どもを産もう」というインセンティブは、カップルにはほとんど働かなかった。この現実は、きちんと認識しておくべきだろう。

 そのほか「先進的な環境保護政策」「健康政策」についても然りで、本書を読むと、ナチスのやったことは失敗ばかりで、評価できる点など一つもない。著者がナチ体制を「ならず者国家」と呼ぶことも納得できた。けれども、そんな「ならず者国家」を呼び込んでしまうのが民主主義の怖さであり、巧妙なプロパガンダ戦略(感情のジェンダー化)なのだろう。

 いま高等学校では「歴史総合」というカリキュラムが始まり、歴史事象について自分の「意見」を持つよう求められているという。しかし本来「意見」を言うには、「事実」「解釈」「意見」という三層構造を意識すること、歴史の「全体像」や文脈を見ること、過去の研究の積み重ねから謙虚に学んでそれを乗り越えていくことが必要である、という著者の苦言は、歴史を学ぶ若者、若者に教える立場の人々に届いてほしいと思った。

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独断専行の理想と現実/関東軍(及川琢英)

2023-08-17 23:24:45 | 読んだもの(書籍)

〇及川琢英『関東軍:満州支配への独走と崩壊』(中公新書) 中央公論新社 2023.5

 関東軍は日本陸軍の出先機関の一つで、関東州と満鉄を保護するための兵力であったが、多くの謀略に関与した。「まえがき」の「自分たちだけで勝手に判断して行動するような組織や人物を批判する際、よく関東軍に譬えられ、独走は関東軍の代名詞にもなっている」という説明に笑ってしまった。私はさすがにこの比喩を使ったことはないが、古いドラマや小説のセリフでは聞いたことがある。本書は時代順に、関東軍誕生から崩壊までの軌跡をたどる。

 まず前史として、「関東」とは山海関以東の地、すなわち満州を意味すること、日本は日露戦争によって満蒙権益を得たことが語られる。この権益を管理・保護するためにどのような組織を置くか、組織の長は武官か文官か、さまざまな争いがあった。

 1919年、民政を担当する関東庁と兵権を有する関東軍が設置された。そしてこの、文官の総督と軍司令官の並立という制度は、朝鮮、台湾にも導入される。「文官が直接、出先軍を統制する道が開かれることはなかった」ことは留意しておきたい。また陸軍には、独断専行を奨励する気風があった。「陣中要務令」(教科書)には「自ら其目的を達し得べき最良の方法を選び、独断専行以て機会に投ぜざるべからず」という語句があるらしい。いや、趣旨は正しいと思うが、教条と現実の違いは難しいものだ。加えて、出先軍の長官は、陸軍三長官(陸相、参謀総長、教育総監)と「同格」と定められていたので、関東軍は、陸軍中央の指示を無視しても、天皇の意図を忖度し、独断専行を貫くことになる。

 1928年、張作霖爆破事件が起き、1931年9月には柳条湖事件が起きる。関東軍は、奉天、長春、営口、吉林などを占領、陸軍中央が撤兵を指示しても、うやむやのまま引き延ばした。国内主要紙は謀略を疑うことなく、軍に好意的な報道を繰り返し、関東軍は世論を味方につけていた。ここ重要。若槻内閣と陸軍中央の穏健派は強く撤退を求めたが、関東軍もあきらめず、犬養毅内閣・荒木陸相の下、独立国家樹立へと加速する。そして1932年3月1日、満州国建国が宣言された。

 関東軍は、さらに熱河省を占領し、1933年5月に中華民国と塘沽停戦協定を締結する。以後、関東軍は、旧唐北軍や民間自衛集団、中国共産党指導下のパルチザン部隊など、さまざまな反満抗日軍の封じ込めに注力する(映画『崖上のスパイ』の時代だな、と思い出すなど)。

 満州国の政治経済体制も徐々に整えられたが、関東軍が満州国の統制権を完全に手放すことはなかった。石原莞爾が主導する関東軍は、対ソ戦準備のため、華北・内モンゴルへの進出を続けたが、中国との軋轢が徐々に深まる。1937年7月7日、盧溝橋事件を発端として、日中両国は全面戦争に突入する。1939年5月に始まるノモンハン事件で、日本・満州国軍はソ連・モンゴル軍に敗れ、敗北の責任をとって関東軍首脳の更迭が行われた。それでも関東軍は、対ソ攻勢作戦の機会を窺っていたが、ソ連の侵攻を受け、居留民の保護も果たせず、崩壊してしまった。

 通読して、あらためて、むちゃくちゃな話だなあと思った。近代と言っても、まだまだこんな野蛮がまかり通っていたのかと呆れた。一方で、私が時々思い出していたのは『孫子』の「君命に受けざるところあり」という言葉で、『孫子』には、君主は軍事に関して将に全権を委任すべきとか、国政と軍政は原則が異なるという主張が書かれていたと記憶する。そうであれば「独断専行」は軍事のあるべき姿かもしれない。しかし、やっぱり教条の理想には、現実の混乱を収拾する力がないと思う。

 ちょっと興味深く思ったのは、満州国軍の評価の高さである。現地人部隊が抗日勢力に流れることを防止するという打算的な一面もありつつ、石原莞爾は、日中親善のために満州国の協和的な発展を理想とし、満州国軍の整備に注力した。しかし石原の理想のようにはならず、満系やモンゴル系軍官は不満を強め、その経験や知識とともに、日本の支配を脱した東アジア各地の軍に移行していったという。ここにも、理想を裏切った現実があるように思った。

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黒白無常の誕生の謎/中国の死神(大谷亨)

2023-08-01 22:37:58 | 読んだもの(書籍)

〇大谷亨『中国の死神』 青弓社 2023.7

 ツイッター(旧称)で「無常くん」を名乗る著者のアカウントをフォローしたのはずいぶん前のことだ。本書は、無常という名の中国の死神について論じたもので、著者が東北大学に提出して博士号(学術)を取得した博士論文を下敷きにしている。だから、当然「学術書」のカテゴリーに入るのだが、文体はやわらかめで読みやすく(「ビビビッときた」「ブサカワ」など)、図像満載(多くは著者が撮影したカラー写真)、さらに著者手書きのカラー無常MAPあり、ソフトカバーでお値段抑えめなのもうれしい。

 無常は白無常と黒無常がペアになる形態が最もオーソドックスである。ともに高帽子を被り、白無常は長い舌を垂らし、傘や扇子(団扇型の)を持ち、首に元宝(むかしのお金)をつないだものを掛ける。黒無常は鎖を持つ。

 中国では、伝統的に人を冥界に連れ去る存在として、お役人風の「勾魂使者」が考えられてきた。それが18世紀・清朝乾隆期に高帽子を被った無常(白無常)が登場する。著者は、「山魈(さんしょう)」と呼ばれるバケモノの影響(イメージの混淆)があったのではないかと考える。うーん、この部分はあまり納得できない。古いバケモノである山魈との混淆が、なぜ清朝中期にいきなり起きたのかがよく分からない。それはそれとして、本書に掲載されている『点石斎画報』の巨大な山魈の図、そのまま諸星大二郎のマンガの一場面のようだ。また、中国語wikiで山魈を調べたら『閱微草堂筆記』の用例が出てきた。紀昀先生、福建で山魈らしきバケモノに遇っているみたい。

 初期の無常はソロで描かれていたが、やがて黒白無常のペアが誕生する。清末~民国期に刊行された『点石斎画報』には、しばしば両手を前方に伸ばしたバンザイ黒無常が描かれている。著者はここから、人の魂を奪うバケモノだった「摸壁鬼」が、無常(白無常)の影響を受けて、黒無常に変化したと考える。これは納得。迎神賽会のパレードなどで披露される「摸壁鬼舞踏」の写真も掲載されていて興味深い。なお、さらなる変化形として、福建系の黒白無常では、ノッポの白無常とチビの黒無常(ブサカワ型)のペアを見ることができる。これはもう、本書掲載の写真を見て楽しんでいただくのが一番よい。

 私が「黒白無常」の存在を確実に意識したのは、2018年に見た『遠大前程』という中国ドラマで、「上海十三太保」と呼ばれる十三人の武侠高手の中に、黒白無常を名乗る二人組の殺し屋が描かれていた。最近見た『飛狐外伝』(舞台は乾隆時代)にも、チンピラが黒白無常を装って主人公たちを脅かそうとする場面があった。歴史的には新しい死神なので、民国・清朝より前に登場させると時代錯誤感があるのだろうな。

 私が個人的に気になるのは、無常の高帽子がどこから来たのかである。日本だと長烏帽子に当たるだろうか(最初に浮かんだのは加藤清正の長烏帽子形兜)。ネットで『豊国祭礼図』などの画像を探して眺めると、異形の風体として、高く尖った帽子を被った人物がときどき登場する。中国では、いつ、だれが、あんな帽子を被ったのだろう。何の根拠もないのだが、海外(西洋)の影響を受けてはいないのかな…丸谷才一さんの、阿国歌舞伎がイエズス会演劇の影響を受けたのではないかという仮説を思い出したりしている。あと、白無常の持ちもの、傘も気になるねえ。四天王が傘を持っていることもあるが。

 本編の間に挟まれた「無常珍道中」(旅ルポ)の章段も楽しい。多少、中国の田舎を知っていると、あるある~とうなずきながら笑える。著者が「地獄のゼリービーンズ」と呼んでいる、ベタッとした極彩色に塗り分けられたレリーフ画、私が見た雲崗石窟のいくつかの壁面もこんな感じだった。山東省の廟会の露店のカラーヒヨコ、すさまじい極彩色だが、私が子供の頃(昭和の日本)にもこういうお店が出ていたことを思い出して、なつかしかった。

 白無常・黒無常には、謝必安・范無救という名前があるのだな。謝必安といえば、ドラマ『慶余年』に出てきていた! 台湾では二人あわせて「謝范将軍」「七爺八爺」と呼ぶそうだ。いま見ている中国ドラマにも「七爺」と呼ばれる極悪人が登場するのだが、中国系の人たちの頭の中には無常のイメージが去来するんだろうか。次回、中華圏あるいは国内の中華系の廟に行く機会があったら、黒白無常を探してみよう!

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治水の神話と歴史/中国の水の物語(蜂屋邦夫)

2023-07-15 00:28:12 | 読んだもの(書籍)

〇蜂屋邦夫『中国の水の物語:神話と歴史』 法蔵館 2022.5

 昨年、とても面白く見た中国ドラマ『天下長河』が、いまWOWOWで『康熙帝~大河を統べる王~』のタイトルで放映中だ。清・康熙時代の黄河治水を描いたドラマである。SNSの感想を覗きに行ったら、ドラマに登場する陳潢と靳輔に関する記述が、この本にあると書いている人がいたので読んでみた。本書は、中国の洪水や治水の神話をはじめとして、水利史や古代都市の防洪・排水問題、黄河や長江の流態など、現実の歴史に即した問題も一書にまとめたものである。著者は文学博士で、専門は老荘思想・道教とのこと。

 はじめに神話。中国の神話は、帝王・伏羲から始まると思っていたが、『韓非子』には、木の上に巣をつくることを教えた有巣氏、火を使うことを教えた燧人氏の伝承があるのだな。伏羲兄妹(妹は女媧)がひょうたんに入って洪水から助かる話はいかにも神話的だ。『史記』「三皇本紀」には共工という水神が登場する。共工は人面蛇身の悪神だが、もとは苦心して洪水を治めた者だという記憶がかすかに残されており、おそらく「洪水を防ごうと奮闘して失敗した者」ではないかと著者は考える。堯帝の時代に治水事業を担当して失敗した鯀(こん)も同じ。失敗した共工や鯀の治水は「堙(いん)」(埋め立て)方式であり、成功者として知られる禹の治水は「疏」(水路を切り拓いて海や長江に流し込む)方式だった。中国の治水方式は「堙」から「疏」へ発展してきたとも言える。

 続いて遺物や歴史に基づいて考える。私は中国の歴史が大好きだが、太古の時代(新石器時代)については詳しく学んでこなかったので、仰韶時代、龍山時代の暮らしぶりなど、興味深く読んだ。太古の時代、人々は集落のまわりを空壕(からぼり)や濠で囲んだ「環壕集落」に住んだ。これは軍事上の防衛というより、野獣の侵入や家畜の逃亡を防ぐためだったと考えられる。本書には、ぼんやりした円形を描く城壁と壕溝に囲まれた城頭山古城(湖南省)の空撮写真が掲載されているが、古典的な中国の古城のイメージとは全く違っていておもしろい。城内にはパッチワークのように水田が広がっている。さらに湖北の馬家院古城、河南の平糧台古城と殷・偃師古城、山東の斉・臨淄古城も紹介されているが、城壁の目的のひとつが「防洪」であったというのは、目からウロコのように思った。もちろん同時に排水・進水施設も重要だった。古代の水利施設で最も名高いのが、長江流域にある都江堰(四川省)と霊渠(広西省)である。都江堰には、むかし一度足を運んだはずだが、記憶が薄い。

 次に大きく時代を跳んで、明の潘季馴と清の陳潢による黄河治水を紹介する。16世紀中頃、黄河の下流は東南方向に向かい、淮陰(いまの江蘇省淮安市)で淮河と合流し海に注いでいた(にわかに信じられない!)。南北を結ぶ大運河も淮陰のあたりを通るので、黄河が氾濫すると漕運に影響が及ぶため、歴代の治水担当者は黄河をいくつにも分流させ、洪水の脅威を軽減しようとした。潘季馴は、この方式を抜本的に転換し、堅牢な堤防を築いて水流をまとめ、水流の力で、川床に堆積した泥砂を排除しようとした。さらに治水上重要な地点には減水ばい[土貝](あふれた水を再び本流に戻す施設)を設けた。陳潢は潘季馴の方式を継承するとともに、流量の計算方法を発明するなど、進化させた。

 さらに話題は現代へ。黄河は1950年代から90年代まで、しばしば「断流」を起こしていた。そういえば、90年代には聞いたことがある。流水量の減少に対して、用水量の増加、水の浪費も原因だったようだ。しかし、水資源の利用が総量規制されるようになり、制度化、規範化が進められた結果、1999年以降、断流は起きていないという。よかった。中国も捨てたものじゃない。

 長江の三峡ダムが着工したのも90年代で2009年に全体工事が完成し、2012年には発電所が稼働しているという。三峡下りには結局、まだ行けていない。一度行ってみたいものだ。なお、長江流域に黄河文明に匹敵する文明が生まれなかったのはなぜか。豊富な水をコントロールすることが原始人類の能力を超えていたこと、湿潤な風土ゆえに風土病の発声しやすい土地だったことを著者は挙げている。

 最後にもうひとつ、本書で知ったこととして、抗日戦争時代の1938年、国民党軍が日本軍の前進を阻むため、黄河の南堤を人為的に切って、大洪水を起こしたという話を書き留めておく。まるで古代か中世のような戦いが繰り広げられていたことに驚いた。

※7/16追記:本書には、中国北部の水不足を解消するため、長江の水を黄河上流に引く「南水北調」計画(1989年の朝日新聞の記事)が紹介されている。まさかこんな夢物語の計画、と思っていたら、本日付けで以下のような報道がネットに流れていた。

CRI(China Radio International)日本語:「長江の水を黄河へ 「引漢済渭」プロジェクトが西安へ送水開始」(2023/07/16)

すごいなあ。現代の陳潢と靳輔みたいな人が関わっているのだろうか、と想像した。

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美しい爆撃機の記憶/B-29の昭和史(若林宣)

2023-07-10 00:28:23 | 読んだもの(書籍)

〇若林宣『B-29の昭和史:爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.6

 太平洋戦争(あるいは大東亜戦争、アジア太平洋戦争)について、今なお多くの日本人が、戦争末期の数か月間に行われた日本本土空襲を記憶している。本書は、太平洋戦争を象徴する存在となった爆撃機ボーイングB-29スーパーフォートレスと日本人の歴史をひもとくものである。

 私は昔から「飛行機」と「空爆」の歴史に関心があって、この分野の既刊書をかなり読んできたが、新しく気づかされたこともいろいろあった。ひとつは、第一次世界大戦は人々が戦闘機どうしの空中戦を空の一騎打ちのように見なし始めた戦いであったが、戦略家は航空隊の圧倒的な優位性(前線を飛び越えて敵の補給路やはるか後方の生産施設を攻撃できる)に気づいていたという記述。「一騎打ち」とか「撃墜王」の清々しさは神話でしかないのだ。

 アメリカでB-29開発につながる動きが始まったのは1940年初頭である。このときアメリカはまだ参戦しておらず、最初から対日戦のために考え出されたものではないという。全長30メートル、全幅43メートル、自重30トンという巨体で、ジュラルミン合金を用いた全金属のセミモノコック構造。第一次世界大戦で用いられた飛行機がまだ「木製モノコック」でヨーロッパの家具製作の技術に倣ったものだったというのにもちょっと驚いた。本書にはB-29の全体像の図版(絵画?)が掲載されているが、四発プロペラエンジンが力強く、美しい。

 B-29の機体が「うつくしかった」というのは、当時の人々がしばしば語る印象である。本書は、こうした証言を丹念に収集していて興味深い。谷崎潤一郎が、機体の「スッキリしてゐて美しきこと云はん方なし」に加えて、プロペラ音に着目して「日本機のガラガラ云ふ音と異なりて、プルンプルンと云ふ如き振動音を伴ひたる柔らかき音なり」と書いていることも初めて知った。

 そもそも米軍は中国の奥地から日本本土を攻撃することを計画していた(目標は九州方面に限定された)が、1944年6月、サイパン島の陥落によって、太平洋方面からの本土爆撃が可能となった。1944年11月1日には偵察用に改造されたB-29が東京上空に初めて姿を現し、11月24日には中島飛行機武蔵製作所をねらった爆撃が行われた。以後、日本は無差別爆撃に徹底的に苦しめられるわけだが、その経験はわずか数か月間に過ぎないことをあらためて認識した。これでは「喉元過ぎれば熱さを忘れ」ても仕方ないかなあ、とも思った。

 1944年6月の北九州初空襲の後、大本営陸軍本部はB-29邀撃に関する戦訓を作成しており、そこには「最後には体当たりを以て撃墜するの断乎たる決意」という一節が見られる。そして、実際、8月の北九州爆撃では、体当たりによるB-29撃墜の例があり、盛んに報道・宣伝された。B-29に対する「特攻」が軍において組織的に企画・実行されるのは1944年11月からだが、それ以前から、一般大衆も帝国議会の議員も「体当たり」を称揚していたのである。

 1945年1月以降、激しさを増す空襲に苦しむ東京の様子は、警視庁カメラマンの石川光陽の『グラフィックレポート 東京大空襲の全記録』の引用で紹介されている。吉見俊哉氏の『空爆論』にも出てきた名前だ。伊藤整、山田風太郎、徳川夢声なども同時代の証言を残している。

 さて戦後である。徳川夢声は「娘たちは意識するとしないとに拘らず、B29を透して、戦勝国アメリカの男性に憧がれているのである」と日記に記した。しかし著者もいうとおり、B-29の向こうに「アメリカの男性」を見て、(自分のものであるはずの)日本の女性を取られる敗北感に歯噛みしているのは徳川夢声自身であろう。なかなかグロテスクな告白だと思う。

 1950年代にはB-29の性能ひいてはアメリカの科学力を讃嘆する論調が多く見られたが、無差別爆撃そのものの批判や反省にはつながらなかった。機能性(流線形)は美しい。しかし無差別爆撃に使用され、多くの命を奪ったB-29は本当に美しかったのか?という著者の問題提起は大事だと思う。そして『火垂るの墓』の著者である野坂昭如が、1978年、米国テキサスへ飛行可能なB-29に会いに行き、「俺は何をやっているんだ」という混乱した思いを書き残したエッセイ「慟哭のB29再会記」を知ることができたのもよかった。たぶん戦争の記憶は、きれいに整理するほど嘘になるので、さまざまな矛盾や混乱を含んだまま、受け止めるしかないのだと思う。

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女子的中華世界/雑誌・すばる「中華(ちゅーか)、今どんな感じ?」

2023-06-19 21:38:32 | 読んだもの(書籍)

〇雑誌『すばる』2023年6月号「特集・綿矢りさプロデュース 中華(ちゅーか)、今どんな感じ?」 集英社 2023.5

 中国発の幻想ファンタジー小説『魔道祖師』の作者・墨香銅臭氏が誌面に登場すると分かって、多数の『魔道祖師』および『陳情令』ファンが買いに走ったため、この雑誌、あっという間に店頭から消えてしまった。初版5千部を5月6日に発売した後、9日には1万部の増刷が決まり「文芸誌『すばる』が初の重版」というニュースにもなっていた。私は6月に入って、ようやく買うことができた。特集は100ページくらい(全体の3分の1程度)だが読み応えがあった。

・墨香銅臭、括号、綿矢りさ「良い物語を創るのに必要なこと」

 墨香銅臭さん(女性)は90年代前半の生まれだろうか(2015年発表の『魔道祖師』を「大学四年生の卒業間際」に書き始めた、と書いている)。括号さん(女性)はラジオドラマ『魔道祖師』の中国語版と日本語版の監修を担当した方。綿矢りささんは1984年生まれの芥川賞作家、知らなかったが、いま家族の都合で北京にお住まいらしい。この女性三人が『魔道祖師』に関するトークを展開するのだが、一番驚いたのは、綿矢氏が『魔道祖師』を実によく読んでいること。魏無羨や藍忘機のキャラクターの把握も的確だが、聶懐桑と聶明玦が一番好きと語って、「この二人が好きという感想は、これまであまりいただけなかったので」と墨香さんを驚かせている。

 墨香さんと括号さんが日本のアニメを見て育ったというのは想定の範囲内。墨香さん、『らんま2分の1』や『犬夜叉』がお好きなのか。小説では『嵐が丘』が好きで「激しい憎しみと激しい愛情が入り混じるような感情には、なんだか心のふるさとに戻ったような懐かしさ」を感じるというのが、とてもいい。影響を受けた作品を聞かれると、即座に「金庸先生の武侠小説です!」と答えた上で、90年代の香港映画などを挙げている。もともと中国の伝統文化が好きで、『魔道祖師』執筆当時は「魏晋南北朝に夢中でした」ともいう。

・綿矢りさ「激しく脆い魂」

 中華耽美小説を(ネット翻訳で!)読み始め、柴鶏蛋の青春BL小説『上瘾』に出会い、次いで『魔道祖師』に熱中した次第を振り返るエッセイ。ドラマ『陳情令』で魏無羨を演じたシャオ・ジャン(肖戦)の「美しさと儚さと健気さを同時に感じさせる顔相」を中国語で「易砕感」と表現すること、日本では、デビューした頃の中森明菜さんがそんな眼をしていた、という指摘が新鮮だった。

・佐藤信弥「『陳情令』のルーツ――仙侠と武侠、金庸作品との関係、時代背景」

 金庸『神鵰侠侶』『笑傲江湖』との関係、『魔道祖師』の時代背景等について語る。中国時代劇では三国志物以外に魏晋南北朝時代を舞台にした作品は多くなく、架空時代劇の『上陽賦』は、この時代の貴族制のあり方をよく表現できているとのこと。未見なのだが、見てみようかしら。またブロマンスもののおすすめドラマとして『逆水寒』『山河令』『鎮魂』『君、花海棠の紅にあらず』が紹介されている。

・はちこ「中華BL二十五年の歩み――誕生、発展、規制、そして再出発」

 中国初のBL向け掲示板が設置された1998年を起点とすると、中華BLはすでに25年の歴史がある。日本のBL文化と中華BLの類似点・相違点の分析は、個人的にとても興味深い。著者は、なぜBLが好きになったかを自問自答した結果、「私の好きなキャラがもっと愛されてほしかった」という単純な気持ちに行き当たる。これはちょっと分かる気がした。

・綿矢りさ「パッキパキ北京」(小説)

 コロナ規制が急激に緩和された、2022年のクリスマス前後から始まる物語。仕事で北京に赴任している夫の希望で、菖蒲(アヤメ)さんは愛犬のペイペイを連れて、北京に向かう。菖蒲さんは、銀座のお店でホステスをしていて、二十も年上の夫に見初められて結婚した。学歴も教養もあり、地位も収入もあるビジネスマンの夫だが、中国では適応障害を起こしていた。中国には何の思い入れもなく、中国語も喋れない菖蒲さんは、抜群のコミュ力とスマホの自動翻訳を武器に、どんどん環境に馴染んでいく。中国人大学院生のカップルと三角関係になりかけたり、夫と同時にコロナに倒れる危機もあったが、乗り越える。しかし夫から子どもを産んでほしいと言い渡された菖蒲さんは、この結婚生活の継続が無理であると判断し、男も高級バッグもなくても完全勝利できる女を目指し、阿Q的精神勝利法を極めることを決意する。

 ふだんあまり小説を読まない私だが、面白く読めた。菖蒲さん、本能と欲望に忠実のように見えて、観察や省察が的確で、これは小説の中にしかいないキャラだなあと思った。

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