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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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はたらくくるま(除雪車)@札幌

2014-02-23 23:29:16 | 北海道生活
今週末は、土曜の朝から東京に出かけて、今日(日曜)札幌に帰ってきた。

土曜の早朝、観光スポットの清華亭も雪の中。



コンパクトな除雪車が、周囲の雪をサクサク片づけていく。



大きい道に出ると、大きい除雪車も作業中。



北海道で過ごす初めての冬なので、除雪車がものめずらしい。だいたい、深夜とか早朝に仕事をしているらしいので、音を聞くことはあっても、姿を見ることは少ない。希少種の動物を見たようで、この日は得をした気分だった。

一度、夜遅く帰るとき、除雪の済んだ薄暗い歩道を歩いていたら、まぶしいライトとともに正面に大きな除雪車が現れて、ひええ~と立ちすくむ経験をした。古い特撮ドラマで怪獣か宇宙人に襲われる気分だった。

今回の東京旅の収穫は、追って少しずつ。
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2013クリスマスケーキ

2013-12-28 20:52:06 | 北海道生活
札幌で迎える初めてのクリスマス。

24日も25日も仕事で、デパ地下の閉店間際に慌てて駆け込んだが、どこも混雑してて、ケーキが買えなかった。

結局、1日遅れの26日に買って帰った「きのとや」のケーキ。ショートケーキもベークチーズ(正式商品名)も294円。東京の有名スイーツに比べると、かなり良心的。





今日は12月28日。これから寝台急行で帰省の旅に出ます。列車が動いていることを祈りつつ…。

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2013札幌・初吹雪

2013-12-14 23:02:50 | 北海道生活
札幌に引っ越して、初めての冬。

10月に入った頃からそわそわと、初めて使うストーブを点検に来てもらったり、灯油を確保したり、冬靴・コート・帽子を買い揃えたりしてきた。

11月に雪が降ったときは、来たか!と思ったが、いつの間にかその雪も消えて、12月12日(木)まで、ほとんど積雪がなかった。このまま年末までいくのかしらと思っていたら、13日(金)は、みるみる積もって、帰宅時は傘も差せない「吹雪」に。鉄道も大混乱だったらしい。

今朝はよく晴れたが、銀世界に辟易して、外に出る気になれなかった。昼過ぎ、ようやく重い腰をあげて外に出てみるとこんな景色。





でも、今年の春は記録的大雪で、4月に新生活を始めたときも銀世界だったので、いまいち感動が薄い。あるべき風景に戻ったような気がしている。

今夜も冷えそう!
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2013札幌大通り・ミュンヘンクリスマス市

2013-12-09 20:45:02 | 北海道生活
久しぶりに地元レポート。

第12回ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporo(2013年11月29日~12月24日)が始まっている。ドイツには一度だけ行ったことがあって、秋だったから、まだクリスマスには早かったけれど、どの町でも「マルクト広場」散歩が楽しかったことは覚えている。





↓トナカイの毛皮。これはドイツというより、北極圏っぽい。


↓マトリョーシカ。これも...


↓ガラス工芸のお店は小樽から。


↓ロースト・アーモンド。炒り立ての温かい状態が美味!


ほかにもソーセージとじゃがいも、ホットワインなどのファストフードが楽しめる。

狭い会場だが、暗くなってからのイルミネーションも見ごたえがあって素敵。
来週末も行ってみよう。
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札幌・植物園の秋

2013-10-07 22:02:04 | 北海道生活
久しぶりに植物園を歩いてきた。

西日本は、まだ真夏日になっているらしいが、札幌の10月は、すっかり実りの秋である。

赤い実(ヤマボウシ)


黒い実(ナツハゼ)


青い実(サワフタギ)


また赤い実(イチイ)


むかし、北海道出身の先輩を見ていて、植物の名前をよく知っているなあ、と感心したことがあるが、私も少しは覚えて帰れるかもしれない。
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2013道南旅行・食べたもの

2013-08-22 22:44:52 | 北海道生活
8/17(土)から8/21(水)まで、北海道民になって初めての「道内旅行」に出かけた。江差・上ノ国・松前・函館の史跡+古寺巡礼が目的。悪天候による交通トラブルに振り回されたが、なんとか綱渡り的に所期の目的は達成。

詳しくレポートしたいのだが、明日からの東京出張の用意をしなければいけないのに、眠い。

というわけで、とりあえず食べたもの。

初日の夕食、江差のそば屋でビールを注文して「何かつまみになるようなもの下さい」とたのんだら、メニューにないのに出してくれた鰤大根。美味かった。



二日目の松前は温泉旅館・矢野の「郷土料理プラン」。たまには、こういうのもいいねえ。ビジネスホテルの素泊まりプランばかりじゃなくて。



三日目、函館(湯の川温泉)はスタンダードな夕食プランだったので、食後にレストランでビールを飲みながら餃子をつまむ。



めずらしく年相応な大人の国内旅行でした。
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2013道南旅行・函館

2013-08-20 23:58:02 | 北海道生活
 8/20(火)函館。市電で「湯の川」から「谷地頭」に出る。今日は元町の洋館めぐりが中心だが、その前に高野寺(こうやじ)に寄る。本尊は高野山金剛峯寺大日堂から下付された藤原期の大日如来で、道内唯一の彫刻部門の重要文化財だという。北海道三十三観音霊場1番札所。



ここも本堂は閉まっていたが、御朱印と一緒に拝観をお願いしてみると「どうぞ、ご縁ですから」とご快諾。おお~うまく行き過ぎて、嘘みたい! 市立函館博物館のページ「函館市の文化財」に写真と解説があるので、リンクを貼っておこう。大日如来としては、めずらしいくらい優美な仏像だった。京都や奈良にあったら、絶対、仏像ファンが付いていただろうなあと思うと、人知れない今の状態は、幸運なのか不運なのか…。

お寺の方が在宅のときなら、いつでも拝観させていただけるそうだ(法事などで対応できない場合もあり)。こちらも、松前の阿吽寺さんも、御朱印のお代(志納)とともに拝観の御礼をお納めしようと思ったが、受け取ってくださらなかった。

・函館公園内の市立函館博物館へ。その前に、写真のかわいい洋館は「旧函館博物館一号」で「日本の地方博物館として最も古い歴史がある」建物だという。



本館では平成25年度企画展『新島襄と幕末の箱館』(2013年6月14日~9月1日)を開催中。あまり興味はなかったが、とりあえず見る。同展のポスターに使われている、どこか間の抜けた新島襄の写真が「アメリカ留学中、変装して日本を脱出した折の自分を再現コスプレしてみせたもの」だと分かって、なんとなく腑に落ちた。それから、いわゆる「箱館戦争」というのが、いまの函館市に限ったものでなく、江差や松前など、道南一帯を巻き込んだ広域戦争だったことを、あらためて認識する。自分の国の歴史さえ、こんなに分かっていないんだなあ。

博物館内にいる間に一雨通り過ぎた模様。再び市電で「函館どっく前」へ。これで函館の市電は全路線を制覇。太刀川家住宅、中華会館など、洋館めぐりのメインストリートに到着する前に、また雲行きがあやしくなる。慌てて、観光案内に載っていたカフェ「グリーンゲイブルズ」に飛び込み、昼食をとりながら、雨をやり過ごす。ファンシーすぎて、自分に不似合いで笑ってしまった。

・雨も上がったところで、時間が遅くならないうちに函館市北方民族資料館へ。と思ったら、実は4月~10月は午後7時まで開いている素敵な資料館で、心配無用だった。収蔵資料展『北の神々と霊魂の世界-祈る・占う・信じる-』(2013年7月27日~11月4日)開催中。複製や写真パネルが多いが、初めて見る資料も多く、興味深かった。同館のコレクションにかかわりの深い児玉作左衛門、馬場脩両氏のパネルが掲げてあった。児玉氏とアイヌ人骨問題については認識不十分なので、まだ意見は述べない。いずれ自分なりの見解を持てるようになりたいと思う。

・旧函館区公会堂。黄色の窓枠、青みかった灰色の壁板。友人は「めずらしい色合い」と言っていたけれど、私はなんとなく既視感を持った。どこで見たのだろう。日本か、それとも北米か。

↓ドレスを借りて写真を撮ることができるサービスがあって、案の定というか、このご一行は中国系だった。


↓敷地内にあった「旧開拓使函館支庁書庫」。函館は、明治40年(1907)年の大火で甚大な被害を蒙っているのだが「この建物はそのときの数少ない無被害の建物だったと想像される」のだそうだ。煉瓦倉庫も、土蔵に負けず、なかなかのものだ。


・函館ハリストス正教会。日本最古のロシア正教会の聖堂。ここも午後7時まで見学できるらしいと分かってのんんびり来てみたら、内部公開は5時で終わっていた。でも外観だけでも、十分に美しかった。



・最後に坂下の東本願寺別院に寄って、元町散歩を終わる。

翌日、友人はフェリーで本州に戻っていった。私は函館駅前の市場をぶらつき、復旧した鉄道で、札幌に帰着。縁のなかった北海道だが、少し歴史を知ると、その土地に愛着が湧いて来る。【8/28記】
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2013道南旅行・松前→木古内→函館

2013-08-19 21:33:49 | 北海道生活
 8/19(月)は北の城下町・松前を歴史散策。松前神社→龍雲院→光善寺→法源寺→法幢寺(松前家墓所)→松前城→阿吽寺→徳山大神宮→松前町郷土資料館。

・松前神社は、松前藩の始祖で若狭武田氏出身の武田信広公をお祀りする。武田菱の家紋にわくわくする。

・龍雲院の本堂は、現在松前にあるお寺の中で最も古い建築。山門に打ち付けてあった「曹洞宗 龍雲院」の額は金子鴎亭の筆。金子鴎亭(1906-2001)は松前出身の書家で、同行の友人の言うには、広開土王碑拓本の所持者としても有名なのだそうだ。松前は鴎亭のゆかりで「書の町」を標榜している。そのせいか、どのお寺の御朱印も格調が高くて、嬉しい。あと、龍雲院の山号「華遊山」が気に入って、いつか自分の号にしたい、とひそかに思う。

・光善寺は、京都百万遍の末寺。桜の名木血脈桜あり。本尊の阿弥陀如来立像は平安末期の乾漆像だという。源義経が寄進したとも言われ、境内に「義経山」の大字を刻んだ石碑(かなりボロボロ)も残る。

・法源寺の山門も北海道の寺社建築としては最古級。日露戦争で没した旧津軽藩将卒を弔う石碑があったが、明治大正の漢文の碑は格調があってよいなあ。『夷酋列像』を描き、「松前応挙」と呼ばれた画家にして、松前藩家老でもあった(←この旅行で知ったこと)蠣崎波響の墓所はこの寺にある。



・法幢寺の山門には、小さな極彩色の四天王が左右に二人ずつ、正面を向いておさまっていた(傘や琵琶は持っていない)。同寺は松前藩主松前家の菩提寺で、裏手に墓所がある。どれも小さめの五輪塔(最下段の地輪が縦に長い)で、小さな石の覆屋に収まっている。本堂左手の御霊屋の格天井には蠣崎波響が花鳥画を描いているが、残念ながら暗くてほとんど見えない。

↓墓所の入口


・松前城に戻る(武田菱に注目!)。暑いのと、少し空腹もあったので、入口脇の売店でソフトクリームを買って舐める。ここで不思議なものを売っていると思ったら、松前城公園の桜の木についている木札の要らなくなったものを1枚100円で売っていた。松前を代表する品種「南殿(なでん)」の札がいちばん多い。面白いので買って帰ることにした。



城内の展示で、松前には蠣崎波響以外にもさまざまな書家や画人がいたことを知る。

・阿吽寺。本尊の不動明王立像は平安後期の作(※文化財オンラインに画像あり)。突然訪ねても拝観はできないよね…と思いながら、御朱印をお願いするついでに「拝観できますか?」と聞いてみた。そうしたら「どうぞ、どうぞ」と快く招き入れてくださった。本堂の須弥壇のさらに奥(!)へ進んでいくので、おそるおそる着いていくと、奥に厨子というか土蔵のような収蔵庫があって、重たい扉を開けると、比較的表情の優しい(平安時代らしい)不動明王が立っておられた。截金模様がよく残っている。ダイナミックな火焔も美しい。箱館戦争で、松前の寺町は多くの堂宇を焼失したが、阿吽寺では土蔵だけが焼け残ったのだという。

↓その土蔵を側面から。


土蔵ってすごいなあ…。京都・冷泉家の御文庫が、応仁の乱のあとに焼け残った話を思い出した。なお、本当こは年に数回、お不動さんの縁日に開扉しているというお話だったと思う(拝観できたことに舞い上がって、忘れてしまった)。

・徳山大神宮。ロシア人ゴローウニン幽閉の地の石碑あり。隣りの松前町郷土資料館は小学校みたいな建物だった。

 松前を離れるバスの時間が近づいていたので、コンビニでおにぎりと飲み物を調達して、昼ご飯とする。昨日と同じ海岸線を木古内に向かう。昨日より海は明るかったが、さすがに本州は見えなかった。各駅停車でのんびり、夕方の函館(湯の川温泉)着。花火が上がっていた。

↓旅行から戻って、自宅に掲げてみた「南殿(なでん)」(桜の品種名)の木札。


【8/28記】

※参考:北海道松前藩観光奉行
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2013道南旅行・江差→上ノ国→木古内→松前

2013-08-18 19:18:05 | 北海道生活
 8/18早朝、江差で目覚める。窓の外は、雨が降ったり止んだり。江差駅発8:09の列車で隣りの上ノ国駅(8:17着)に移動。まだ観光施設が開かないので、何もない駅の待合室で、ぼんやり時間をつぶしていると、だんだん雨も風も強くなってきた。最悪のパターン…。



 ここの見どころは、松前氏の祖である武田信広が、15世紀後半に築いた山城「勝山館」の大規模な史跡なのだ。ガイダンス施設はあるものの、基本的には野外史跡である。相談の末、タクシーを呼ぶことにし、まず洲崎館跡の神社に連れていってもらう。しばらく散策し、続いて山上の勝山館跡ガイダンス施設へ。

 少し雨も風もおさまってきたので、タクシーを帰して「歩いて下りる?」「どうする?」とずいぶん悩んだのだが、結局、外には出なかった。勝山館史跡のふもとにある旧笹浪家住宅を見学して、観光を終わる。円空仏あり。

↓ガイダンス施設に展示されていた勝山館史跡の復元図。驚異的に規模が大きい!


↓これはガイダンス施設のテラスから見た風景。雨はおさまってきたが、まだ強風で木々が激しく揺れている。


 駅前で昼食後、上ノ国を出る列車の出発まで、まだ1時間ほどあった。勝山館に未練を残す友人は、すっかり雨も上がったので「もう一回タクシーを呼んで、上から下まで徒歩で下ってくる!」とチャレンジしてみたのだが(鉄道トラブルの影響を受けて)上ノ国のタクシーが出払っていて、万事休す。また駅の待合室でぐだぐだと時間をつぶす。

 友人任せにした今回の旅行スケジュールの中で、「上ノ国」という地名は全く知らなかったが、勝山館跡はいちばん面白かった。近世以前の北海道の歴史が、急にはっきり見えてきた。松前藩の始祖が、私のヒイキとする武田氏につながりのある氏族(家紋は甲斐武田氏と同じ武田菱)で、さらに大好きな「みほとけの里」若狭(福井県)の小浜とも関係があろうとは! 昨年は二度も小浜の秘仏めぐりに行っているのだが、どこかで武田氏の痕跡には出会っていたかしら…。友人は、龍谷ミュージアムの『若狭・多田寺の名宝』展で見たかもしれない、というのだが、記憶は不確か。さて、家に帰ったら、同展の図録を掘り出せるだろうか。

 午後、上ノ国→木古内へ移動(約1時間)。さらに長距離バスで木古内→松前(約1時間40分)。海岸線の景色が変化に富んでいて飽きなかった。松前では法華寺の境内を散策。本格的な観光は翌日の楽しみとして、夜は温泉旅館で郷土料理に舌鼓を打った。【8/25記、8/27写真など補遺】

※参考:上ノ国(かみのくに)町
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2013道南旅行・札幌→江差

2013-08-17 18:43:52 | 北海道生活
 今年は諸般の事情により、いつものような長い夏休みを取ることを諦めざるを得なくなった。そこで、いつもの中国旅行仲間が、東京から北海道まで来てくれるのに便乗して、私も一緒に道南を周遊することにした。

 出発(8/17)の前日から天気予報は波乱含み…。しかし、朝、起きてみると、雨は上がって、札幌の空は落ち着いている。よしよし、これなら…と思って、札幌駅に行ってみると、何やらゴッタ返している。電光掲示板に私が乗車予定だった7:30発特急北斗の表示がない。アナウンスを聞いてみると、大雨のため、午前中の函館方面行き特急は全て運休とのこと。

 一瞬、家に帰って昼まで寝なおそうかと思わないでもなかったが、午後から復旧するかどうかは分からない。それなら先に進むに如かずと思い、スマホで札幌(新千歳)→函館のフライトを探す。まだ些少だが空席があったので、思い切って予約。そして、行き先を切り替えて、新千歳空港に向かう。

 本州に住んでいたときは、航空会社のメンバーズカードを持っていなかったし、鉄道が運休したときの代替手段として飛行機を考えるって発想は絶対になかったので、自分の変化にちょっと感心する。

↓なんとプロペラ機!って、驚いてはいけないのかな。


 しかし、函館空港→JR函館駅の移動には、けっこう時間がかかり、予定していた江差行きには乗れなかった。何しろローカル線なので、次発を待つこと1時間以上。結局、東京を朝7時の新幹線で出てきて、新青森から急行に乗り継いできた友人と木古内駅で合流。江差に到着したのは16時近かった。

↓一両編成の江差線。来年5月の廃線が決まっているので、鉄道マニアらしき乗客が多い。あとは折り畳み自転車を抱えたツーリング客。


 それでもタクシーで、急ぎ旧市街に出て、旧中村家住宅と旧檜山爾志郡役所を慌しく観光。すぐ17時を過ぎてしまったが、まだ明るかったこともあり、法華寺は本堂に入れていただけたし、姥神大神宮でもご朱印をいただけた。ありがとうございます。

↓旧中村家住宅前から旧檜山爾志郡役所を望む。坂の多い狭い港町。


 前の週は姥神大神宮渡御祭という大きなお祭りで賑わったそうだが、この日の町は、観光客の目にはひっそりしていた。ただ、住民のみなさんは祭りの「後引き」の集まりを楽しんでいたらしい。

 旧中村家住宅と旧檜山爾志郡役所(郷土資料館を兼ねる)の展示で、いちばん印象的だったのは、鯡(ニシン)というのが、もともと豊漁・凶漁の差の大きい魚だったこと。江差では、明治45年(1912)と大正2年(1913)の豊漁を最後にニシンの回遊が見られなくなってしまった、という歴史的経緯。自然と生きるというのは厳しいなあ。後日、大正年間以降は、鯡の漁場がもっと北方に移動したとも聞いた。「鯡御殿」って、北海道の日本海側にたくさん点在しているんだな。興味深い。

 ともあれ道南の旅がスタートできたことを喜んで静かな祝杯を挙げ、明日の天候に不安を感じながら江差泊。【8/25記、8/27写真など補遺】

※参考:江差観光コンベンション協会
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