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見もの・読みもの日記

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いつも恋は思案の外/文楽・桂川連理柵、大経師昔暦

2019-02-11 21:32:55 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 人形浄瑠璃文楽 平成31年2月公演(2月2日)

・第1部『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)・石部宿屋の段/六角堂の段/帯屋の段/道行朧の桂川』(11:00~)

 文楽2月公演の初日に行った。第3部の『壇浦兜軍記』に人気が集まっているが、あえて外して第1部と第2部を見てきた。『桂川連理柵』は菅専助作。桂川の川岸で38歳の男性と14歳の女性の遺体が発見された事件をもとにしている。プログラムの解説を読んだら、江戸時代の内から、実は殺人事件だったという説もあるそうだが、年の離れた男女の心中物として親しまれてきた人気曲である。

 信濃屋の一人娘・お半は、伊勢参りの帰り、石部宿(滋賀県湖南市)の宿屋で、隣家の帯屋長右衛門と同宿する。その晩、丁稚の長吉に言い寄られて怯えるお半を、長右衛門は「子供のことだから」と思って一つ布団に入れてやったのが過ちの始まり。もともと、お半は「隣りのおじさん」長右衛門を憎からず思っていたのだが、長右衛門には全くそんな気がなかったのに、ひょんなことから男女の関係になってしまう。むかしは分からなかったが、このへんの人情の機微が、何ともリアル。二人の関係を知った長吉は、腹いせに長右衛門の預かり物の脇差を盗み出す。

 お半は身重になり、長右衛門との仲が人々の噂にのぼるようになる。長右衛門の妻・お絹に横恋慕する儀兵衛は、この醜聞をネタにお絹に言うことを聞かせようとするが、機転を利かせて長右衛門の窮地を救う。報われないけど、カッコいい女性だ。単なる貞女ではなく、内心の葛藤を包み隠したような御高祖頭巾姿が印象的。

 やがて帯屋にお半が忍んで来る。転寝する長右衛門にお半が「長右衛門様、おじさん」と、か細い声で呼びかけるのは原作のセリフの一部改変だそうだ。「おじさん」の危険な色っぽさ(近代的な感性かな?)。長右衛門は早く帰るように促すが、お半が落としていったのは死を決意した書き置き。長右衛門は後を追う。「道行朧の桂川」の幕が上がると、桂川を背景に、お半をおんぶした長右衛門。「白玉か何ぞと人の咎めなば露と答えて消えなまし、物を思ひの恋衣、それは昔の芥川、これは桂の川水に、浮き名を流すうたかたの、泡と消えゆく」というこの歌詞。ああ、これは江戸の伊勢物語(芥川)なのだ、と痺れる。追手の気配を感じ、心中を決意したところで幕。

 クライマックスの帯屋の切は、咲太夫と燕三。今回は下手の端の席だったが、咲太夫さんの語りはよく聴こえて、物語に入り込めた。人形が、前半は出遣いでなく頭巾・黒衣で遣っていたのは、近頃めずらしいような気がした。

・第2部『大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)・大経師内の段/岡崎村梅龍内の段/奥丹波隠れ家の段』(14:30~)

 近松門左衛門作。京都烏丸通り四条下ルの大経師(暦の頒布を許された特権的な商家)の妻おさんが、手代茂兵衛と関係し、処刑された事件に基づくもの。冒頭に「すでに貞享元年甲子の十一月朔日」という詞章があって、あ、新しい暦の頒布でてんやわんやしているというのは貞享暦か!と気づく。

 大経師以春の妻・おさんは、実家の父親のため金策の必要に迫られており、手代の茂兵衛に相談する。茂兵衛は引き受けて店の金を用立てしようとするが、手代の助右衛門が見つけて騒ぎ立てる。すると下女の玉が、自分が頼んだことだと罪をかぶって事をおさめる。玉は以前より茂兵衛に思いを寄せていたが、茂兵衛はつれなくあしらっていた。一方、大経師以春は、たびたび玉の寝所に忍び込むなど、無理に言い寄っていた。いや、江戸時代の生活、怖いわ。雇い主から奉公人へのセクハラなんて普通だったんだろうな。第1部の『桂川連理柵』は、奉公人が主人の娘に暴行を働こうとした話だし…。

 玉の話を聞いたおさんは、身代わりに玉の寝所で休むことにする。夫の以春が忍んできたら懲らしめるつもり。一方、茂兵衛は、自分を助けてくれた玉の思いに応えようと、その寝所へ忍び込む。そして二人は暗闇の中、人違いから過ちを犯してしまう。以春が帰宅し、差し入れられた行灯の光で真実を知り、茫然とする二人。この「大経師内の段」は舞台の使い方にも変化があって面白い。

 次の「岡崎村梅龍内の段」は、玉の伯父・赤松梅龍やおさんの両親が登場し、口では厳しく責めながら、生きのびてほしいと願う人情が聞かせどころ。現代人にはちょっと冗長の感もあり。「奥丹波隠れ家の段」は、茂兵衛の故郷の奥丹波に隠れ住む二人のところに正月の門付け万歳がまわってくる。おさんを見て、大経師の奥さんだと言い出す万歳。それやこれや、ついに役人たちがやって来て、二人を捕えて引き立てていく。しかし、おさん茂兵衛は奥丹波でひと月くらいは過ごせたのだろうか。犯した罪に怯えながらも水入らずの生活は楽しかったか、いろいろなことを考えてしまう。

 『桂川連理柵』は伊勢物語だったが、これは冒頭に自由気ままに走りまわる猫(三毛)が登場し、「それは昔の女三の宮、これはおさんの当世女」という詞章がある。こちらは源氏物語。文学の伝統って面白いなあ。

 東京公演のプログラムは、児玉竜一先生の「上演作品への招待」が面白いのだが、「鑑賞ガイド」のページもあり、1つの作品の解説が2箇所に分かれてしまっているのはなんとかならないものか。
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主役も悪役も女たち/文楽・伽羅先代萩、他

2019-01-28 23:27:52 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 平成31年初春文楽公演 第1部(1月13日、11:00~)

 今年も大阪で新春文楽を見てきた。記事を書くのをぐずぐずしていたら、25日で千穐楽を迎えてしまったけど、とりあえず。今年は松の内を過ぎてからの鑑賞だったので、もう正月の雰囲気はないかと思ったら、ちゃんとロビーにお供え餅とにらみ鯛が飾られていた。



 舞台の上に掲げられる干支の文字、今年は大凧に「亥」で奈良・壺阪寺の常盤勝範住職の揮毫。演目にちなんだのだろうか。



・『二人禿(ににんかむろ)』

 京の遊郭・島原の街角で、大きな花かんざし、赤い振袖姿の二人の禿が他愛ないおしゃべり。羽根つきや手毬に興じる。この手毬唄が「京でいちばん糸屋の娘、二番よいのは人形屋の娘」という歌詞で、よくある定型的な数え歌なのだろうが、つい横溝正史の『悪魔の手毬唄』を思い出してしまった。

・『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)・竹の間の段/御殿の段/政岡忠義の段』

 有名な演目だが見るのは初めて。伊達家の家督を継いだのは幼い鶴喜代君。乳母の政岡は、御家乗っ取りを企む悪人たちから必死で若君を守っている。男性の面会は一切禁じていたのだが、八汐(悪い家臣の妻)は女医の小巻を連れてきて鶴喜代君の脈をとらせる。すると、いったんは死脈という見立てが、座を変えると何事もない。突然、八汐が長刀で天井を突くと、賊が落ちてきて「政岡に若君の殺害をたのまれた」と述懐する。全ては邪魔者・政岡を陥れようとする八汐の計略だったが、沖の井(別の家臣の妻)に不審な点を指摘され、失敗する。

 人々が去ると、政岡は自ら飯を炊いて、若君・鶴喜代と我が子の千松に食べさせようとする。そこに現れたのは、御家乗っ取りに加担する梶原景時の妻・栄御前。ちなみに配役は政岡を吉田和生、八汐を桐竹勘寿、沖の井を吉田文昇と手堅い布陣だったが、悪役の親玉みたいな栄御前を吉田蓑助さんでびっくりした。栄御前は、頼朝公より下された菓子を持参し、鶴喜代君に勧める。そこへ駆け寄った千松が菓子を奪って一口に食べてしまうと、毒にあたって息絶える。驚く人々。しかし政岡は平静さを崩さない。これは千松と鶴喜代君を取り換えていたからに違いないと邪推して、陰謀を打ち明けて去る栄御前。真相を知った沖の井は八汐に白状を迫り、政岡は我が子の仇・八汐を討つ。しかし、とりあえず栄御前は逃げおおせるのだな、このあとの展開は知らないけど。

 床は、織太夫・団七/千歳太夫・富助/咲太夫・燕三のリレーの予定だったが、病気の咲太夫さんの分を織太夫さんが代役。全編の半分以上を織太夫さんの熱演で聴いた。陰惨な話なのだが、三味線が華やかでわくわくした。登場人物のほとんどが女性というのも珍しい演目だと思った。

・『壺阪観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)・土佐町松原の段/沢市内より山の段』

 これも有名な演目だが初めて。今期の公演は、第2部(冥途の飛脚/壇浦兜軍記)のほうが華やかで人気があるだろうなあと思いながら、敢えて見たことのない第1部を選んだ。沢市とお里は、人も羨む仲良し夫婦。お里は、疱瘡で目が見えなくなってしまった沢市をいたわり、針仕事で世帯を賄っている。沢市は、お里が毎晩、明け方に家を出ていくことを不審に思っていたが、実は壺阪観音へ夫の眼病平癒のお参りをしていたと分かる。

 そこで二人揃って壺阪寺へ。沢市は寺籠りして祈願するので、三日経ったら迎えにきてくれとお里に頼む。お里を去らせて、その間に谷底に身を投げて死のうという決意。戻ってきたお里は、谷底に夫の亡骸を見つけて、後を追って自分も身を投げる。すると谷底に気高く美しい観音様(娘の頭だった)が姿を現し、お里の信心と功徳によって二人の寿命を延ばすと告げる。夢から覚めたように二人が起き上がると、沢市の目が開いていた。

 本作は古い観音利生譚に取材しているが、明治時代に書かれた浄瑠璃だけあって、登場人物の気持ちが分かりやすい。沢市が、お里の行動を疑い、ほかに好きな男がいるのではないかと悩むところとか、目の見えない自分は妻の重荷だからと死を決意するところとか、古いようで、近代の感性だと思う。「沢市内より山の段」の奥は鶴澤清治さんの三味線を堪能した。満足。と言っているうちに、今週末は東京の文楽公演の初日である。忙しい。

 なお本公演のプログラム「技芸員にきく」には桐竹勘十郎さんが登場。今年は父(二代桐竹勘十郎)が亡くなった時と同じ66歳になられるそうで、新年の抱負は「真面目に」。それを過ぎたら来年は「自由に」とおっしゃっている。何をなさるおつもりか、今から来年が楽しみ。「勘十郎を襲名してからは、15年が経ちました。ちゃんと勘十郎になれてるんでしょうか(笑)」というのも、よい述懐だなあ。それから毎回、楽しんできた連載企画「文楽入門・ある古書店主と大学生の会話」は今回で連載終了だという。いつも楽しみにしていたので残念! 大阪市立大学の久保裕朗先生、ありがとうございました。計16回分(4年分かな)ぜひ本にまとめるか、ウェブに載せて残してほしいなあ。
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「はね能」の面白さ/田峯と西浦の田楽(国立劇場)

2019-01-26 22:41:33 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 第133回民俗芸能公演『春むかえ 田峯と西浦の田楽』(2019年1月26日)

【1時の部】田峯田楽

 2019年新春の民俗芸能公演は、重要無形民俗文化財に指定されている2つの田楽を紹介する。どちらも観音修正会の結願に江戸時代から行われてきたもの。どちらも三遠信(三河・遠州・信濃)の県境の山間部に伝わったもの。この地域に大きな影響力を持っていたのが、名刹・鳳来寺である。ん?どこかで聞いた名前と思ったら、『おんな城主直虎』で虎松(のちの井伊直政)が預けられた寺だ。行ってみたかったけれど、奥地すぎてあきらめたところ。

 田峯(だみね)田楽は愛知県北設楽郡設楽町に伝わり、谷高山高勝寺に奉納されるもので、「昼田楽」「夜田楽」「朝田楽」の三部構成になっている。公演では、幕が上がると車座に座る10人ほどの田楽衆。烏帽子に白い水干姿の禰宜のおじさんが祝詞を奏上し「開扉」を告げると、一同が客席に向かって平伏する。ギギギという効果音が入って、観音像が安置されている厨子の扉が開いたという設定。

 禰宜のおじさんが、おそらく田峯田楽保存会の会長さんで、以下、この方の解説で進んだ。「昼田楽」の「扇の舞」「万歳楽」「仏の舞」は短い舞を数人が入れ替わりに舞って(本来は田楽衆全員が舞う)場を清める。使われている楽器は主に鉦、太鼓、笛。

 「夜田楽」は稲づくりの工程を舞で表現する。「日選び」「堰さらい」「田打ち」「籾蒔き」と続く。作業が終わった舞手は禰宜さんと短い会話をして下がる。このとき、多少のアドリブが入ったりして、観客の笑いを誘う。次の「おしずめよなどう」(何語だ?)は朱色の装束の羽織さん(と呼ばれるが羽織は着ていない)が登場して、長文の祝詞を奏上する。次に「鳥追い」は、ひとりだけ柄物の直垂(?)姿の鳥追いさんが鼓を打ちながら謡う。「あれはたが(誰が)鳥追」「〇〇の鳥追」という掛け合いのような詞章が面白かった。「普賢菩薩の鳥追」とか「地頭どんの鳥追」とか応じるのである。さらに「柴刈り」「代掻き」「大足」「雇人」と進んで休憩。

 休憩開けは「田植」で、田楽衆全員が立って太鼓を囲み田歌をうたっていると、子守が木の枝などに着物を着せた「ねんね様」(本尊十一面観音の子供)を背負って現われ、ねんね様に食事を差し上げる。舞台転換があって「夜田楽」。舞台に小さな焚火が点る(もちろん造り物だが雰囲気がある)。「庭固め」「火伏せ」「ちらし棒」「ふけらかし」(見せびらかせしの意)「あたま惣田楽・から輪田楽」(左、右、と声をかけながら腰をかがめて歩く)「殿面」「翁面」「駒」「獅子」(三人が入る獅子舞)と続き、「閉扉」で終わった。全体にほのぼのした雰囲気だった。お年を召した方が多く、お疲れ様でした。

【4時の部】西浦田楽

 静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家の所能観音堂で開催される。その内容は中世の祭礼の姿をよく伝えるとされ、折口信夫も調査に訪れているそうだ。また現在でも15軒の「能衆」がこの祭りを世襲で受け継いでいるというのにも驚いた。幕が上がると、舞台上手には大きな焚火(の造り物)。奥に演台。下手には満月が掛かっている。三角形の烏帽子を被った男たちが客席に背を向けて輪をつくっており「庭ならし」を謡うところから始まる。西浦田楽の公演は、特に説明なしで進行した。

 舞台奥の演台に数人が陣取る。台に上がって太鼓を叩く役が2名。腰かけて笛を吹く役が数名。なぜか中央に座って、ときどき台本?を見ているおじさんがいた。そういう役回りなのだろうか。舞は「御子舞」「高足」「高足のもどき」「麦つき」「水口」と続く。舞手の年齢層が若いためか、わりと動きが早い。もっとも「高足のもどき」では白髪のおじさんが頑張っていた。「鳥追い」は4人の舞手が2本の棒のような簓(ささら)を擦りながら舞う。歌声は舞台外から流していたように思う。やはり「これはだが(誰が)鳥追」「天月日の鳥追」「鎌倉どんの鳥追」という掛け合いがあり、田畑を荒らす鳥や獣を憎んで、はるか遠くへ追い払おうとする。しかし、どこか哀愁を感じる旋律だった。次に「惣とめ」。前半は簓を擦りながらの2人舞。後半は面をつけた観音の化身が登場。「禰宜禰宜なんだらよ」という章句を繰り返して、さまざまな神々を召喚する。ここで休憩。

 休憩開けは「田楽舞」から。はじめ4人の田楽衆が、やがてもっと人数が増え、編木(びんざさら)を鳴らして輪になって舞う。田楽にしてはテンポの早い、切れのある舞。次の1人舞「のたさま」も大きく手足を振り回して舞う。ここまでが「地能」で、以下「はね能」と呼ばれるジャンルに入る。事前にプログラム(来場者全員に無料配布!)でこの言葉を見てもピンとこなかったのだが、実演を見て理解した。「しんたい」「梅花」「猩々」と続くのだが、所作がすごくアクティブなのだ。手足をピンと跳ね上げたり、クルっとまわったりする。ちょっと京劇みたいだ。それなのに、舞に挟まれる謡の詞章は全く古典的なのだ。たとえば「しんたい」の冒頭は「げに名を得たる松がよの、老木に昔顕はして」である。これ「高砂」そのままじゃないか。しかし旋律が絶妙に変。少なくとも、素人が考える「いかにも古典芸能」的な旋律とは大いに異質なものを感じて、とても面白かった。最後は「弁慶」(五条大橋の牛若と弁慶の所作事)で終了。よい体験をさせてもらった。
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ギャラリートーク・明治の学校建築~高等教育施設を中心に(藤森照信、池上重康)

2018-11-09 22:59:51 | 行ったもの2(講演・公演)
国立近現代建築資料館 ギャラリートーク『明治の学校建築~高等教育施設を中心に』(2018年11月3日 14:00~、藤森照信、池上重康)

 企画展『明治期における官立高等教育施設の群像-旧制の専門学校、大学、高等学校などの実像を建築資料からさぐる』(2018年10月23日~2019年2月11日)のギャラリートーク全5回シリーズの第1回を聴きに行った。初めて聞く資料館で、どこにあるのだろう?と思ったら、池之端の旧岩崎邸庭園に隣接していた。「開館5周年記念」の企画展というから、2013年にできたのだろう。むかしから藤森先生ファンの友人を誘って、湯島でランチのあと、資料館へ向かった。

 展示室のある2階へ上がると、階段前のスペースに50席ほどの椅子が並べてある。ここが会場らしいが、ほとんどの椅子が埋まっていたので、脇のソファをキープして待つ。立ち見を決めたお客さんも10人くらいいた。やがて関係者一行が階段を上がってきて、藤森先生が「え、ギャラリートークって展示品の前でやるんじゃないの」と驚いている。私もそう思っていた。そして、せいぜい1時間くらいかと思ったら、司会の川向正人氏から「約2時間」という発言があって、嬉しいけどびっくり。

 はじめに藤森先生がフリースタイルで喋り始める。いちおう参加者には、展示資料を掲載した小冊子が配られていたので、時々それを参照した。以下、気になって書き止めた発言を写しておく(記憶違いがあったらご容赦)。

 日本の学校建築は、全て政府が面倒を見たことが特徴である。小冊子の「文部省組織・人物解説」というページに掲載されている最初の三人、山本治兵衛(1854-1919)、久留正道(1855-1914)、山口半六(1858-1900)は重要。特に山口半六は、大学南校出身でフランスに留学し、文科省に入る。文科省では大臣から数えて三番目に偉かった。

 日本の近代初期の建築家には、山口半六、辰野金吾、妻木頼黄(つまき よりなか)がいる。山口は文科省、妻木は大蔵省で活躍したが、辰野は工部大学校で多数の弟子を輩出した。その結果、日本の近代建築は全てコンドル(辰野の師匠)に行きつくと言われる。

 (職業的な)建築家は「木」をやらないのが世界の常識である。しかし日本の建築家は違う。はじめは「擬洋風」という不思議な建築をやるが、次第に日本の骨組み技術に近代的な「トラス」を加味した木造洋風建築をつくり出す。

 次に北大の池上重康先生が、展示資料をパワーポイントで紹介しながら解説。時々、藤森先生がフリースタイルで質問やツッコミを入れる。池上先生いわく、小冊子の「明治期官立高等教育機関の変遷」のページを見ると分かるとおり、北海道大学は札幌農学校から連綿と続いている。したがって、どんな資料も北大構内にある。どこもそうだと思っていたら、津軽海峡以南の大学は全く違った。たとえば東大では、医学校のものは医学部に、工部大学校のものは工学部にある。施設部には明治30年代以降の図面はあるが、それ以前はない。「ある」ことは分かっていても、どこにあるか分からない資料が多い。

 というわけで、投影写真を見ながら「これは新発見ですね」「簿冊を1枚ずつ開いていったら、あったんですね」みたいな資料探しの苦労話が興味深かった。また古い建築なら全部いいわけではなく、「これはバランス悪いですねえ」など辛口の批評もあって面白かった。

 建築家は必ずしも図面に署名を残さないので、誰が描いたものか見極めるのはなかなか難しいらしい。「ここにハンコが」という会話を聞いたので、あとで展示資料で探したら、小さな三文判で姓だけの訂正印が押されていたりした。明治年間に東大本郷キャンパスの各校舎の新築に関与したのは、文部省技師の山口孝吉(1873-1937)で、のちに東京帝国大学の営繕課長になった。営繕課長って、現代の施設部長につながる役職だろうが、すごい人がいたんだなあ。

 充実した「ギャラリートーク」が終わって、さて展示を見ようと思ったら「閉館は16時30分です」という。ちょっと待て。意外と広い展示室、展示資料の多さにうろたえる。結局、これはどう頑張っても30分では見切れないとあきらめた。展示はもう1回見に来てレポートすることにする。
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アイスショー"THE ICE 2018" 愛知公演2日目(千秋楽)

2018-08-06 22:23:38 | 行ったもの2(講演・公演)
THE ICE(ザ・アイス)2018 愛知公演(2018年8月5日 14:00~)

 思い立って、またアイスショーを見てきた。"THE ICE"は2007年から開催されている老舗のアイスショーだが、私は一度も行ったことがなく、チェックもしていなかった。それが、先週末、大阪公演の様子がSNSに流れてきたら、なんとボーヤン・ジン(金博洋)が出演しているのか! ネイサン・チェンも! 宇野昌磨くんとのスリーショット最高じゃないか!!と衝撃を受けた。慌てて翌週の愛知公演のチケットを探して、日曜公演(千秋楽)をゲットした。

 会場は、愛知県長久手市の愛・地球博記念公園(モリコロパーク)アイススケート場である。ここはアイスショーのための仮設リンクではなく、ふだんは誰でも滑れるスケート場として営業されている。利用者のためのロッカーや貸し靴のカウンターが黒い布で雑に隠されていて、逆に微笑ましかった。最もリンクに近い2列が「氷上プラチナシート」で、私はその後方の「アリーナ席」の最前列だったが、パイプ椅子をつなぎあわせた席で、かなり窮屈だった。しかしリンクが近くて、スケーターの表情がよく見えるし、目の前を通り過ぎていくときのスピードが実感できるのはすごくいい。

 オープニングは、全ての出演スケーターが、それぞれ自分の衣裳で登場し、わちゃわちゃと滑った。宇野くんは黒をベースに上半身キラキラの、彼としては比較的落ち着いた雰囲気の衣裳。坂本花織ちゃんはスカートがふくらんだ緑色の衣裳。ボーヤンは素肌にベスト(?)のワイルド系だった。

 出演者を全て書いておくと、男子は、宇野昌磨、ネイサン・チェン、ドミトリー・アリエフ、ボーヤン・ジン、セルゲイ・ヴォロノフ、無良崇人、織田信成、友野一希。女子は、アリーナ・ザギトワ、宮原知子、ガブリエル・デールマン、坂本花織、三原舞依、長洲未来、マライア・ベル、本田真凜。アイスダンスのガブリエラ・パパダキス&ギヨーム・シズロン(パパシズ)、ペアのヴァネッサ・ジェイムス&モルガン・シプレ。そして「Next Generation」枠で日本のジュニア選手が日替わりで参加。千秋楽は横井ゆは菜ちゃんだった。

 ボーヤンのスパイダーマン・プロは初めて見た。ジャンプは盛大にコケてしまったが、終始楽しそうで何より。背が高くなり、腰まわりががっしりして、動きがシャープになった。そしてお客さんへのアピールも別人のように上手くなった。私の後ろの女性グループは「かわいい~かわいい~」と叫びっぱなしで、演技後は客席のあちこちで応援バナーや中国国旗が掲げられていた。なにこの人気! 友野一希くんのリバーダンスは、半端ない運動量と熱量で魅せる。前半の最後は、先月、暴漢に襲われて不慮の死を遂げたデニス・テン(カザフスタン)を追悼する特別なプログラム。男女10人ほどのスケーターが黒衣装に白いスカーフをつけて登場し、デニスの思い出の曲「Tu Sei」に載せて鎮魂の祈りを表現した。

 後半は、ご陽気な「ジャンプ大会」でスタート。進行役の織田信成くんと長洲未来ちゃんがリンク上に登場する。はじめに女子チャンピオンのザギトワがドアラの扮装で登場。頭にドアラの耳をつけ、小さな秋田犬(マサル)のぬいぐるみを三匹くらい抱いた姿は超キュート。リンクをまわって、お客さんにマサルをプレゼントしていた。続いて登場した宇野くんはなんと女装。黒Tシャツの上に縦じまの肩紐ワンピースを着て、短い髪はツインテールふうにピンクのリボンで結び、両頬にピンクのハートを描き入れて、可愛いのか不細工なのかよく分からない。しかし、この扮装でも、ジャンプはきっちり決め、お客さんの拍手でザギトワを上回って勝利した。

 勝利者インタビューで織田君が「今日はある方が見に来ていらっしゃるそうですね」と尋ねる。宇野君の「ええ、浅田真央さんが…」の答えに場内どよめき。どうやら北側アリーナの高いところに座っていたようだが、私の位置からは機材に隠れて見えなかった。"THE ICE"は浅田真央による真央ファンのためのアイスショーと言われてきたもので、今年は浅田真央の出場しいない「新生THE ICE」の公演だった。その結果、私のように新たなお客が引き付けられて来た一方、長年のファンはどこか寂しかったに違いない。素敵なサプライズを見せてもらった。

 三原舞依ちゃん、坂本花織ちゃんは、それぞれ持ち味を生かしたプロで、挑戦する姿が男前でカッコよかった。アリエフとヴォロノフは、ロシア男子らしい芸術性の高いプロ。ネイサン・チェンの「キャラバン」は、ずーっと滑って回って跳んで動きっぱなしなのに音楽から微塵もブレない。すごい。トリは宇野昌磨くんの「天国への階段」で、小さい体が圧倒的に大きく見えた。

 フィナーレは、ザギトワ、長洲未来、宮原知子が白いお姫様衣装で登場し、ザギトワがひとり残ったところに宇野昌磨くんが現れて、王子とお姫様スケーティング。ザギトワが退場すると、客席からネイサンとボーヤンが踊り込んできて、男子三人のコラボ! ネイサン→昌磨→ボーヤンの順にきれいなジャンプをきめて、会場大歓声だった。

 そしてグランドフィナーレは客席もマサルダンス(詳細略)で盛り上がる。スケーターたちの周回が終わって、いったん退場したあと、拍手に応えて、みんなもう一回出てきてくれた。そしてアンコール周回も終わったかと思ったら、なぜか宇野昌磨くんだけが、再登場。宇野くん、何かパフォーマンスをするわけでもなく、困ったような表情でリンクの中ほどまで出てきて、ぺこっと頭を下げて戻って行った。人のよさ全開で笑ってしまった。
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安定の名作劇場/文楽・卅三間堂棟由来ほか

2018-07-26 23:46:58 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 平成30年夏休み文楽特別公演(7月21日、14:30~、18:15~)

・第2部 名作劇場『卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)・平太郎住家より木遣り音頭の段』『大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)・六波羅館の段/身替り音頭の段』

 たまたま前日の金曜日が大阪で仕事だったので、翌日のチケットを取ったら、珍しく初日公演だった。最前列の席だったこともあり、ときどき舞台の上に不慣れな感じが見えて、それも一興だった。第2部は「名作劇場」とうたっており、『三十三間堂棟由来』はよく聞く演目だし、きっと見たことがあるだろうと思ったが、全くストーリーに覚えがない。どうも初見だったらしい。プログラムのあらすじによれば、その昔、紀伊国の山中に梛(なぎ)と柳の大木が夫婦となっていたが、蓮華王坊という山伏(?)に連理の枝を伐り落とされてしまう。蓮華王坊は柳の枝に貫かれて命を落とし、白河法皇に生まれかわる(この想像力!)。梛の木は横曽根平太郎という人間に生まれかわり、老母、嫁のお柳(実は柳の精)、みどり丸という幼い息子と暮らしている。

 ここからが上演の段。お柳は、都に三十三間堂を建立するため、柳の木が伐り倒されることを聞き、眠っている夫に別れを告げて消え去る。慌てる家族たち。そこへ訪ねてきた盗賊・和田四郎(実は源義親の郎党)は、老母を池に吊り下ろして惨殺し、みどり丸に刃を向ける。鳥目の平太郎は手向いができなかったが、あわやというとき、カラス(熊野権現の使い)の羽音がして、平太郎の目が開き、四郎を討ち果たす。一夜明けて、街道筋を曳かれていく柳の木が突然、動かなくなる。平太郎とともに駆けつけたみどり丸は、自ら綱を曳いて、母を都へ送り出す。

 平太郎を玉男。お柳を吉田和生。和生さんはどんな役を遣わせても安定感があるが、こういう古風なヒロインがいちばん合うと思う。語りは睦太夫、咲太夫、呂勢太夫。咲太夫さんは、最近、別人のように痩せられて、少し心配だが、声は艶があり、よく聴こえた。

 『大塔宮曦鎧』は題名さえも記憶にない作品だったが、竹田出雲・松田文耕堂の合作で近松門左衛門が添削したもの。明治以来、上演が絶えていたものを平成22年に「文楽古典演目の復活準備作業」の一環として野澤錦糸によって復曲され、平成25年に復活上演された。プログラムに復曲を手掛けた野澤錦糸さんのインタビューが載っていて、昔の師匠の完本(まるほん)に三味線の譜面が朱で記されているのをたよりに復曲するのだそうだ。「近松門左衛門さんが添削した作品ですから、字余り字足らずの詞章が多いんですよ」「太夫の語りを印象付けるたけに、あえて七五調にしていないように思いますね」などの指摘を読んだあと、上演中「字余り字足らず」に気をつけていると、確かに納得できた。いつも思うのだが、大阪公演のプログラムは、東京公演より格段に中身が濃い。

 上演の段は六波羅館から始まる。後醍醐天皇は隠岐に流され、若宮と生母・三位の局は、永井右馬頭の屋敷に預けられている。六波羅守護職の常盤範貞は、三位の局に横恋慕し、送られた灯籠や浴衣の図柄を見て色よい返事をもらったと喜んでいるが、謹直な古武士の斎藤太郎左衛門は、別の解釈を示して、範貞の思い込みをくつがえす。このへんは、和歌文学の教養を楽しむ仕掛けで面白い。怒った範貞は、切子灯籠にことよせて、若宮の首を差し出すように命じる。永井右馬頭と妻の花園は、我が子を身替りに差し出そうと悩むが、浴衣姿の子供たちの踊りの輪に割って入った太郎左衛門は、全く別の町人の子の首を斬り落とす。それは町人の子ではなく、太郎左衛門の亡き息子が残した、彼の孫だった。咲寿太夫、靖太夫(+錦糸さん)、小住太夫、千歳太夫のリレーで文句なし。名作劇場の名前に恥じないと思った。あと舞台に登場する切子灯籠で、昨年見た八瀬の赦免地踊りを思い出し、懐かしかった。

・第3部 サマーレイトショー『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)・野崎村の段』『日本振袖始(にほんふりそではじめ)・大蛇退治の段』

 『新版歌祭文』は何度見てもいい。お染も久松も、社会倫理的には全くダメなやつだけど可愛くて憎めないところに、人間の不思議さを感じる。おみつは豊松清十郎。お染の母親お勝役で蓑助さんがちょっとだけ顔見せ。

 『日本振袖始』は日本神話を題材に、近松門左衛門が書いたもの。今回上演された大蛇退治の段は、まあ景事に近い。岩見神楽の大蛇を取り入れた趣向で、クリスマスモールか中華ふうの獅子舞みたいにキラキラした大蛇が4匹だか5匹だか現れる。ただあまり長い蛇でない(人形遣いが二人で遣う)ので、タツノオトシゴみたいで、あまり迫力がない。織太夫さんが聴けたし、勘十郎さんが見られたのでよいことにしておく。岩長姫(角出しのガブ)が酒に酔って、少しずつ本性を露わしていくところはスリリング。勘十郎さんにはこういうケレンが似合う。ちなみに生贄に捧げられる稲田姫が、脇明(わきあけ)の袖に太刀をしのばせておくことが「振袖の始め」と言われるのだそうだ。知らなかった。誰がつくった説なんだろうか。
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アイスショー"Fantasy on Ice 2018 静岡" 3日目

2018-07-12 21:46:01 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2018 in 静岡(2018年7月1日 13:00~)

 かなり遅ればせのレポートだが、アイスショーFaOI(ファンタジー・オン・アイス)静岡公演の3日目、つまり今期公演の千秋楽を見てきた。静岡公演は2015年にも行われているが、私は初遠征である。会場のエコパアリーナは、東海道本線の愛野(あいの)が最寄り駅。どこ?と思ったら、掛川と浜松の間にあった。はじめ東京から日帰りの予定だったが、静岡・名古屋在住の友人の誘いがあって、前日は浜松で落ち合って飲むことにし、駅前のビジネスホテルに泊まった。

 当日は浜松スタートで愛野へ移動。小さなローカル駅であることは、SNSの事前情報で承知だったので驚かない。お昼ごはんは浜松で仕入れ済み。1つしかない窓口に並んで帰りの新幹線の切符(自由席)も買っておく。駅前からエコパアリーナのある小笠山総合運動公園に向かっては、ゆるやかな坂道を15分ほど登る。私は歩くことにしたが、タクシー乗り場に長い行列ができていたのは、年齢層高めの(かつ財布に余裕のある)女性が多いせいかもしれない。広い道の左右には、緑の山並みを背景に規模の大きいマンションが建ち並び、掛川や浜松へ通勤する人のベッドタウンなのだろうと考える。

 かなり余裕をもって到着してしまったが、運動公園には日陰の逃げ場がないので、立ち往生する。エコパアリーナが早めに開場して、涼しいロビーに入れてくれたのはありがたかった。席は西側ロングサイド中段・中央くらいのS席。座席は固定・背もたれつきで安定感があり、傾斜が大きいので、前列の人の頭がほとんど邪魔にならない。隣りになった女性は「新潟会場(傾斜が小さい)はストレスが大きかったので大違い!」と絶賛していたが、その分、リンクが遠い感じはする。

 出演スケーターは、幕張(5/27)との差分だけメモしておくと、宮原知子、ミーシャ・ジー、メドベージェワがOUT。三原舞依、デニス・バシリエフス、キャンデロロ、ポゴリラヤ、ペアのアリョーナ・サブチェンコ/ブルーノ・マッソーがIN。ゲストアーティストは、岸谷香さん、藤澤ノリマサさん、清塚信也さんに代わった。オープニングの衣装はマルチカラーのシャツ(男子)とワンピース(女子)で、夏らしくエスニックな雰囲気。エンディングはラメ入りキラキラTシャツ(各人各色)。女子は下がデニムの短パンで可愛かった。

 プルシェンコは「タンゴアモーレ」と「ニジンスキー」で変わらず。「タンゴアモーレ」は耳に残るなあ。2週間以上経っても、つい鼻歌に出てきそうになる。キャンデロロは「三銃士」で46歳でもバックフリップ(後方宙返り)を跳ぶ。演技後、リンク外の通訳さん?を手招きして何か言ってると思ったら「トリプルルッツを失敗したのでもう1回!」と要求して跳びなおしてみせた。ジョニー・ウィアは白衣装の「クリープ」と、藤澤ノリマサさんとのコラボで「川の流れのように」。これ、曲の解釈が素晴らしくて、何の違和感もなかった。美空ひばりに見せたかったなあ! ポゴリラヤは「フリーダ」を妖艶に、「夢やぶれて」(I Dreamed a Dream)は切々と。

 織田信成くんのジュリー「勝手にしやがれ」は最高! 高い技術力で真面目に冗談に取り組むカッコよさ!! プルシェンコにもキャンデロロにも負けない盛り上がりで、これは後々まで伝説のプログラムになると思う。羽生結弦くんの「春よ、来い」は、強い「祈り」が感じられて、何か宗教的な舞踊を見るような感じ。厳かで、やわらかで、美しかった。彼の指先が触れる氷から、春の花が咲きこぼれるのをみんなが幻視していたと思う。最後に何かを両手で掬い上げて、ぱっと投げ上げると、キラキラと光の粒が宙に舞った。単に氷のかけらなのだろうけど、世界が魔法にかけられたと思った。

 羽生くんのプログラム以上に印象的だったのは、ステファン・ランビエルとデニス・バシリエフス。それぞれソロもよかったが、後半に二人のデュエットプロがあった。曲は「ノクターン」(ショパンの13番)。男子スケーターが二人で滑るなんて、アイスショーならではの着想。芸術性に優れた師弟二人が創り出す美しい空間に圧倒された。加えて、リンクを暗めに抑え、演者をスポットライトで追っていく照明がとてもよかった。はじめはランビエルがソロで滑り出し、気が付くと暗闇の中、いつの間にか近くにデニスくんが来ているのである。交代してデニスくんのパートになると、ランビエルは暗闇に消えて、しばらくステージ前に立ちつくしている。それから、おもむろに光の中に滑り出て、デュエットパートで終わる。YouTubeに神戸公演と静岡公演のビデオが上がっているが、静岡公演の完成度の高さに驚く。やっぱり千秋楽に来て正解だった! このプログラム、またいつか見られるかもしれないけど、年齢とか技術レベルとか、今の二人の関係性が変われば、きっと別物になると思う。一期一会の演技を見ることができて、本当によかった。

 フィナーレは岸谷香さんの「ダイヤモンド」で盛り上がったけど、手拍子がいまいち揃わなかった(裏拍がとれない)のはご愛敬。ジャンプやスピンの一芸大会を終えて、スケーターのみなさんが一人ずつ退場し、最後に羽生くんだけが残る。期せずして会場のあちこちから「おめでとう」「おめでとう!」の声と拍手(国民栄誉賞に対して)。まっすぐ顔を上げた羽生くんがマイクなしの大きな声で「来シーズンも頑張ります!」と宣言し、みんなで「ありがとうございました!」を言い合って終わり。今年も夢の時間が終わってしまった。

 そのあと、愛野→掛川→新幹線こだまで帰宅。大集団の一斉移動だったので、掛川でこだまに座れないんじゃないかとひやひやした。終演時間が少し延びてしまったのは、トイレ不足で途中の休憩時間が延びてしまったせいもある。次回は、はじめから隣りのスタジアムのトイレを目指すことにしよう。
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オトコマエな虞姫/京劇・項羽と劉邦~覇王別姫(湖北省京劇院)

2018-06-09 23:55:42 | 行ったもの2(講演・公演)
東京芸術劇場 湖北省京劇院日本公演『京劇・項羽と劉邦~覇王別姫』全二幕(2018年6月9日)

 この時期に本場の京劇の招待公演を見に行くことも、すっかり定例化した。主催の日本経済新聞社さん、毎年ありがとうございます。今年の演目は『覇王別姫』と聞いて、やった!とガッツポーズをしてしまった。そもそも私が「京劇」に関心を持ったきっかけは、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『さらば、わが愛 覇王別姫』なのである。1993年の作品で、映画はその数年後に見たにもかかわらず、京劇『覇王別姫』を見る機会は、20年以上なかったのだ。積年の夢がやっと叶う。

 公演は本日が初日。開演前にプログラムを買って眺めていたら、今回の演目、中国語では『楚漢春秋』という題名だと分かった。伝統作品『萧何月下追韓信(蕭何、月下に韓信を追う)』と『覇王別姫』の二作品をベースにした湖北省京劇院のオリジナルだという。中国の大劇場の京劇は、現代の観客の嗜好に合わせた改作・演出を、わりと積極的に取り入れているように思う。

 第一幕は、劉邦の漢軍が舞台。鴻門の会で、あやうく項羽の怒りをなだめた劉邦は、褒中に左遷される。兵士に命じて桟道を焼き、二度と都(咸陽)には上らない意思を示して落ちていくのが序幕。さて、優れた将軍の材を求める劉邦のもとへ韓信が訪ねてくる。韓信は張良の推薦状を携えていたが、敢えてそれを懐から出さない。丞相・蕭何は韓信の人物を見抜き、意気投合したが、他の幕僚たちは韓信を侮り、劉邦も深く考えようとしなかった。怒った韓信は、書置きと推薦状を残して出ていってしまう。慌てた蕭何は、月下に韓信を追い、なんとか連れ戻す。劉邦もようやく考えをあらため、韓信を大将軍に任じて、項羽を倒すための戦いに出発する。

 韓信役の董宏利さんは、きびきびした立ち回りが美しい武生。黄檗宗の寺院にある韋駄天像を思わせる。蕭何役の尹章旭さんは感情表現が細やかで面白かった。顔の表情だけでなく、袖を垂らしたりたくしあげたり、髭を撫でたり、手先を震わせたり、全身で演技をする。特に手先・指先の表現は見ごたえがあった。蕭何ってこんなに好人物だったのか。月下に韓信を追って(たぶん山の中)馬から転げ落ち、冠が脱げても必死で韓信を引き止めようとするのだ。

 第一幕では、物語の中心人物である韓信、蕭何は隈取なし。劉邦もなし。しかし、劉邦麾下の将軍が揃うと、樊噲とあと一人誰だったか?素顔の想像もつかない、仮面のような隈取をした将軍役が、同じ舞台に立っているのが、面白い演劇だなあと思う。

 第二幕。楚の将軍・虞子期(彼も隈取なし)が登場し、漢軍を迎え撃つ。四本の三角旗を背負った将軍たちが激しい立ち回りを見せる。バレエのスピンみたいに、高速でくるっとまわって正面に戻る動きが美しい。少し体を斜めに傾けて回る瞬間、背中の旗と鎧を表す長い裾が、ふわっと広がる。漢軍の兵士たちは虎の顔のついた丸い盾を持ち、刀でそれを叩いて気勢をあげるのが面白かった。楚軍は大きな旗を振り回す。身体能力の高さはさすが。とりわけ項羽の馬丁役の二人組は、動きで目立つ役だった。観客から「好!」の声がかからないのが残念だったなあ。やっぱり日本人だと拍手になってしまう。

 ついに項羽が登場。長い漆黒の髭、黒と白の隈取。京劇の中でもきわめつけの異相で、雅楽の「阿摩」に少し似ている。長い矛(?)を振り回して、かなり激しい立ち回りも見せたが、私が感激したのは黒い房つきの鞭(大きな黄色いリボンを結んでいる)の操り方。荒い息づかいのように上下する鞭を見ながら、ああ、愛馬・騅(すい)の姿が見える!と思った。なお、この戦闘場面に、女兵士を引き連れた虞姫が登場するのにはちょっと驚いた。

 私がはじめて「虞美人」の物語を知ったのは、小学生の頃に読んでいた少女マンガ雑誌で、運命に逆らえない無力な女性の悲劇をイメージしていた。ところが、今回の舞台の虞姫は、意外と活動的、主体的な女性だった。楚軍の幕屋に戻ると、弱気になる項羽を「勝敗は世の常」と励まし、項羽を休ませて、自ら陣営を見回りに行く。その結果、四面楚歌に満ち、劉邦がすでに楚の地を奪ったこと、援軍が来る望みがないことを知る。虞姫は項羽を起こし、絶望を分かち合う。このとき、けっこう項羽が取り乱すのに対して、虞姫のほうが最後まで超然としている。ここで項羽の「力は山を抜き」の歌が入るのだが、なんだか憔悴していて、思ったほどカッコよくない。

 続いて虞姫が「私の歌と舞で憂いを晴らしてください」と静かに言って、双剣の舞を舞う。文字どおり固唾をのむ会場。自刎。ああ、映画『さらば、わが愛 覇王別姫』もこの舞台上の自刎で終わるのだが、私は最初見たとき、芝居なのか現実なのか混乱して、びっくりしたことを思い出す。そして、愛妃の自刎に取り乱す項羽、全然カッコよくない。それにしても項羽はこれだけ歌い、語り、叫ぶのに、髭のせいで「口元」の動きが全く見えないのだな。

 最後は烏江のほとり。楚軍はさんざんに討たれ、項羽は冠もなく、鎧も半ば奪われて(剣だけは下げている)よろよろと登場する。先日見た『鉄籠山』の姜維と同じ状態である。兵士を失い、愛妃も失った項羽は、覚悟を決めて剣を抜き、静止。そのまま幕。歌唱の聴きどころがたくさんあって楽しい演目だった。
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アイスショー"Fantasy on Ice 2018 幕張" 3日目

2018-06-06 21:44:03 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2018 in 幕張(2018年5月27日 13:00~)

 アイスショーFaOI(ファンタジー・オン・アイス)幕張公演の個人的メモを遅ればせながら書いておく。今年は幕張、金沢、神戸、新潟、静岡の5会場で3公演ずつ予定されており、すでに幕張と金沢公演が終了したところだ。私は前半・後半1公演ずつと考えて、家から近い幕張と静岡の千秋楽のチケットを取った。幕張はSS席で南ロングサイドの中央あたりだった。悪くない席だったけど、昨年のショートサイドのS席のほうが好きかも。来年は忘れないようにしよう。

 幕張のゲストアーティストは、CHEMISTRY(堂珍嘉邦、川畑要)、May J.さん、バイオリニストの宮本笑里さん。ピアノを弾いていたのは誰かなと思ったら、最後に音楽監督の武部聡志氏という紹介があった。出演スケーターは、羽生結弦、織田信成、安藤美姫、鈴木明子、宮原知子、紀平梨花。海外から、ハビエル・フェルナンデス、ミーシャ・ジー、バルデ、メドベージェワ、コストナー、プルシェンコ、ステファン・ランビエル、ジェフリー・バトル、ジョニー・ウィア。アイスダンスはテサモエ(テッサ・バーチュー/スコット・モイヤー)とカペラノ(アンナ・カッペリーニ/ルカ・ラノッテ)の2組。あと、いつものアクロバットとエアリアル。

 オープニングの群舞衣装は、モノトーンを基調にしたアンシンメトリックなデザインで、マーブル模様のキラキラが華を添えている。年によって雰囲気が変わるが、今年はスタイリッシュでかなり好きなデザインだった。羽生くんだけ(?)上衣が短かめで、腹チラに歓声が上がっていたのはサービスなのかも。元気に飛び出してきた羽生くんはジャンプで転倒してしまったが、暗転のあと、退場しながら体のひねり方を確かめる姿に負けん気が現れていて、ほほえましかった。

 日本人スケーターは、オープニング直後、CHEMISTRYの「Piece of a dream」で、FaOIチームの群舞に続き、羽生結弦と織田信成が再登場。しっとりと抒情的なスケーティングで魅せる。ジャンプやスピンの大技もいいけど、こういうの大好き。私は毎年、織田くんの魅力を再認識している。後半のCHEMISTRYコラボ「夢の続き」もよかった。宮原知子は大人っぽくエレガントな「アランフェス」。やっぱり技術力が他のスケーターと段違いだと思う。

 海外スケーターは眼福の嵐。ジョニー・ウィアは前半が「白鳥」(宮本笑里さんのバイオリン演奏)で、白と黒の素敵衣装。後半は「クリープ」で、2015年、2017年のFaOIで披露したプログラムの再演である。2015年は黒いドレスだったと思うが、今回は深紅のドレス。ロングスカートの裾を翻しながら、優雅に力強く舞う。ステファン・ランビエルは前半が「Read All About It」、後半が2017年の再演「Slave to the music」。どちらも芸術的なイケメンプロ。この日はどちらもパーフェクトな演技を見ることができた。彼も競技スケーターとしては、そんなに華やかな実績を残しているわけではないのだが、年々ファンのハートを掴んでいるように思う。そしてプルシェンコの「タンゴアモーレ」と「ニジンスキー」を、今このときに見られる幸せ! もちろん、かつての競技用プロと同じではないけれど、そのエッセンスはきちんと表現されていた。きれいな3Aも決めてくれて嬉しい。

 メドベージェワは前半のプロ(羽根ペンで空中に何かを書く)も、後半のミュージカルナンバー「メモリー」も、演劇の舞台を見るような楽しさがあった。身体能力の高さばかり注目していたけど、表現力の豊かなスケーターになりつつあるなあと思う。コストナーは前半の「You Raise Me Up」(バイオリン演奏)がカッコよくて、色っぽくてしびれた。

 それから、ふだんはあまり見る機会のないアイスダンス。第1部のトリをつとめたテサモエの「ムーランルージュ」は体が震えるくらい素晴らしかった。平昌オリンピック金メダルの演技だから、当然といえば当然。カペラノは、前半、スパイダーマンとワンダーウーマンに扮したお茶目プロ、後半はCHEMISTRYの「My Gift to You」で、ルカは全身黒コーデ、アンナは白カーディガンに膝丈の黒スカート、黒ハイソックスで、学生時代の切なさと甘酸っぱさを表現。変幻自在である。

 第2部のトリは、みんなが待っていた羽生結弦の「Wings of Words」(CHEMISTRYコラボ)。キラキラビーズのたくさん付いた青衣装に黄色いマント?スカーフ?を翻して登場。見事な3Aを決めて、満場のファンを歓喜の渦に落としいれた。フィナーレは、MAY J.の「アナ雪」(Let It Go)から「星に願いを」のディズニーメドレー。女子はエナメル生地のベアトップワンピース。男子は、ちょうちん袖にレースのスカーフ(クラバットというのか)、キラキラのベストというクラッシックな王子様スタイル。みんな似合ってました。

 例年はこのあと、ジャンプなどの一芸披露大会が続き、羽生くんのマイクパフォーマンスがあったりするのだが、今年はわりとあっさりめだった。それでも羽生くんの「せーの!」に続き、声を合わせて「ありがとうございました!」を言うことができて満足。アーティストが入れ替わる後半の公演も楽しみにしている。
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蜀の姜維、奮戦す/京劇・鉄籠山(新潮劇院)

2018-05-24 23:58:06 | 行ったもの2(講演・公演)
新潮劇院 張宝華追悼京劇公演 三国志『鉄籠山』(2018年5月20日、成城ホール)

 中国の古典劇が好きなので、時々ネットで公演情報を探している。よく活用しているのは、加藤徹先生が主宰する「京劇城」で、確かこの講演も「京劇城」で見つけて、申し込んだ。「鉄籠山」という演目は全く知らなかったが、調べたら「蜀の姜維と魏の司馬師の戦い」を描いたものだという。姜維!?司馬師!? 私はそんなに「三国志」に詳しくないので、1年前なら食指が動かなかったかもしれないが、昨年、夢中になった中華ドラマ『軍師聯盟』『虎嘯龍吟』で、すっかり馴染んだキャラクターである。これは見に行くしかない、と思った。

 新潮劇院は、1996年、北京京劇院出身の京劇役者・張春祥氏が東京都・世田谷区に設立した在日京劇団だそうだ。主要キャストは中国人名だったが、激しい立ち回りを見せる兵士役は、ほぼ日本人がつとめていた。今回の公演は、張春祥氏の父で、京劇の師であり、劇団の芸術顧問でもあった張宝華氏(1930-2017、中国国家一級芸術家)の追悼を意識したものである。どうでもいいことのようだが、この芝居が、諸葛孔明亡きあと、師の遺志を受け継いで奮戦する姜維の物語であること、張春祥さんが「鉄籠山」を選んだ意味を考えあわせると、他人ながら感慨深いものがある。

 そんなに混まないだろうとタカをくくって行ったら、約400名収容のホールがいっぱいになっていた。当日券を求めるお客さんが多くて、対応が追いつかず、開演が10分ほど遅れた。私は京劇だけのつもりで行ったら、加藤徹先生がいらしていて、冒頭に30分ほど京劇レクチャーがあって、とてもよかった。まず「鉄籠山」が、演じられることの少ない、非常にレアな演目だというお話があった。なぜなら「三国志」は絶対に前半のほうが華やかで面白い。ところが、劉備・関羽・張飛らが死に、諸葛孔明が死んだあとは、閉塞感がきわまり、人気がない。吉川英治の『三国志』も、孔明の死後は「篇外余録」というエッセイでお茶を濁しているのだそうだ。

 最近の大学の先生は、ふだんの講義も面白いんだろうなあ。京劇の演出上の約束事や、登場人物の解説も(マンガやゲームの絵柄との比較で会場を笑わせる)分かりやすくてためになった。魏と蜀に加えて異民族「羌」の武将たちが入り乱れるので、最低限、誰と誰がチームかを衣装と隈取で把握しておくと、劇の進行も分かりやすくなる。三国志は、魏・呉・蜀のほかに羌族を加えた実質「四国志」だという話も面白かった。主人公・姜維は忠義の赤心を表す赤い隈取、額に太極図を描くのは術者の証だという。司馬師は陰険そうな白面。冠に上向きの霊獣の首をつける。司馬師にしか使わない装飾で、加藤先生が「ウナギイヌみたい」と解説していたのに笑った。魏の将軍・郭淮、陳泰、蜀の将軍・馬岱、夏侯覇、さらに羌族の王・迷当。全員が4本の三角旗を背負っており、華やかな立ち回りの連続である。

 物語は蜀漢の延熙16年(253)、北伐に向かった姜維は、魏の司馬師を鉄籠山に追いつめ、羌族の王・迷当の援軍を得て、一気に勝負を決しようとしていたが、魏の陳泰は迷当を口説いて寝返らせる(小早川秀秋である、と加藤先生)。一転して、窮地に至る蜀軍。前半で、堂々とした軍服・冠姿だった姜維は、後半、なんとそれらを脱ぎ捨て(剥ぎ取られ?)、ナイトキャップのような帽子から長い髪を振り乱し、よろよろと登場する。京劇で、武将のこんな姿を見たのは初めてだった。

 敵の追撃を振り切り、馬岱に助けられる姜維だが、四十五万の蜀軍がわずか七人と五騎しか残っていないと聞かされ、「軍師!武侯!(孔明のこと)」と天を仰ぎ、再起を期して去っていく。えええ、これで終わり!?とびっくりした。まるで救いようがないではないか。これでは人気の演目にならないだろうなあと思った。

 しかし、バッドエンドの苦々しさを噛み締めるのも大人の愉しみで、張春祥さんの姜維は、敗残の将となっても威厳と品格があって、とてもよかった。『虎嘯龍吟』の姜維(白海涛)が年齢を重ねたら、こんなふうになるだろうと思った。あまりアクロバティックな立ち回りはなかったが、特別出演の石山雄太さん、兵士の一人をやっていて、さすが動きにキレがあった。楽しめる芝居だったが、「唱」が少なかったのが物足りない。終演後は、カーテンコールで張春祥さんから挨拶があり、アットホームな舞台だった。

 なお、新潮劇院のホームページで故張宝華氏の紹介を読んだら、6歳から舞台に上がり、22歳で劇団長となり、文化大革命以前は年間700以上の舞台に立っていたが、文革中は「封建主義者」の罪で舞台を追われ、1972年の名誉回復で団長の座に戻ったという。映画『さらば、わが愛/覇王別姫』を思い出すような閲歴である。いや、加藤徹先生の『京劇:「政治の国」の俳優群像』には、文革中に同様の経験をした京劇俳優たちのつらい話がたくさんあったなあ、と思い出す。
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