「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

ブログを18年間続けている理由

2024年04月29日 | 独り言

「ブログを18年間続けている理由って何?」と、問われたらどう答えようか・・。

「各テーマについて共感や示唆を受ける仲間を増やしたい、 幅広く読者を獲得してささやかな社会貢献ができれば幸い、 そして自己顕示欲がまったく無いと言ったらウソになる・・」といったところだろう~。

したがって、読者からメールをいただくといつも感謝の念に包まれます。

つい先日も、「本のお薦め」の中で触れた、「作曲家と映画音楽」について、読者に広くご意見を求めたところ、さっそく南スコットランド在住の 粋人「ウマさん」 から「示唆」をいただきました。

深く感謝しながら紹介させていただきます。

タイトルは「音を削る大切さ」

音楽と映像に関して、武満さんに印象深い言葉があります。(武満徹 エッセイ選 小沢純一編 ちくま学芸文庫より。下線はウマ)

映像に付加する音楽に対して、非常に冷静な方であることが伺えます。
 
「映像に音楽が付せられることで、映画全体としての心象は、また別のリアリティを得る。相乗する視覚と聴覚の総合が映画というものであり、映画音楽は演奏会場で純粋に聴覚と通して聞かれるものとは、自ら、その機能を異にする。

飽くまでも、映画音楽は演出されるものであり、そこには、常に、自立した音楽作品とは別の、抑制が働いていなければならない
 
「時に、無音のラッシュ(未編集の撮影済みフィルム)から、私に、音楽や響きが聞こえてくることがある。観る側の想像力に激しく迫ってくるような、濃い内容を秘めた豊かな映像に対して、さらに音楽で厚化粧を施すのは良いことではないだろう。ー 中略 ー むしろ、私は、映画に音楽を付け加えるというより、映画から音を削るということの方を大事に考えている
 
「わたしなりの映画音楽の方法論を語ると、ハリウッドの人たちは、なんとも不思議なものに接したような驚いた表情で、大仰に、Very intereting を連発した。そして、『アメリカの作曲家は一曲でも多く音楽を挿れたがるのに、あなたはまるで反対を言う ー中略ー おかしなことを言う人だ』
 
「わたしが、映画音楽から、仲々、足を洗えないでいるのは、実は、こうした自分とはまるで違った考え方や感じ方の人たちと、一緒に、夢を紡ぐことの面白さが、とても貴重なものに思われるからで、無駄をしたと言う思いなどない」
 
「そして今自分の仕事場に戻る。これからの孤独な作業に対して、これまでより、一層、新鮮な気持ちで、向かい合えるような気がしている」

「武満 徹」さんの当事者ならではのコメント、そしてエッセイを読破されたウマさんの蘊蓄(うんちく)にも感心・・、内容についても深く考えさせられました。

「音を削る大切さ」を敷衍(ふえん)すると、オーディオの究極の目的「スピーカーの存在を無にする」作業にも繋がりそうですよ(笑)。

そして、ほかの話題「沈黙を強いられる美」についてもメールが届きました。

前述のウマさんからは

「何と言っても「オーロラ」です。言葉など出てきません。ただ跪きたくなる神々しさに我を忘れてしまいました。
フィンランドのロバニエミで観た超幻想的な光景には呆然でしたね。

帰途、ヘルシンキ空港内にある熊本ラーメンで、やっと我に帰りました。」とのこと。



そして、モーツァルト愛好家のYさんからは「万里の長城からの眺め」でした。



(両方とも画像はネットからです。)

両者ともスケールの大きな「天空と地上のパノラマ」ですね
・・、簡単に行けないところが残念・・(笑)。

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