「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

盲目のピアニスト「辻井伸行」さんと楽譜

2020年09月12日 | 音楽談義

大活躍中の全盲のピアニスト「辻井伸行」さんについて、11年前にこのブログに投稿したことがあるが、いまだにときどき過去記事のランキングに登場してくる。

おそらく、折にふれ検索などで引っ掛かるのだろう。

改めて読み直してみると、凡作だらけの自分にしてはなかなか出来のいい力作といっていいかもしれない(笑)。

そこで、既に「忘却の彼方」にある方が大半だと思うので以下のとおり再掲させてもらおう。


いささか遅きに失するが、全盲のピアニスト「辻井伸行」さんが
「バン・クライバーン国際ピアノコンクール」に優勝したというニュースに思わず心が弾んだ。

生まれたときから光を失っているので「楽譜」をまったく見たことがないという「辻井」さんだが、一体どういう演奏をされるんだろうかと興味津々、一度お聴きしたいと思っていたところ早速6月13日(土)にBS朝日で
「全盲の天才少年ピアニスト~ショパンコンクールに挑戦~」と題して放映(116分)があったので録画した。


       

この番組は辻井さんが当時17歳、2005年の「第15回ショパン国際ピアノコンクール」に挑戦したときの模様を2005年12月4日に放映したもので今回はその再放送。

因みにこの「ショパンコンクール」はご存知の方も多いと思うが5年に1回ポーランドの首都ワルシャワで開催されるもので世界中の数あるピアノコンクールの中でも間違いなくダントツの最高峰と位置づけされるもの。日本人のこれまでの最高位は現在国際的な大ピアニストとして活躍されている「内田光子」さんの第2位。

年齢制限があって17~27歳までが出場の有資格者で辻井さんは当時その年の9月が17歳の誕生日なのでもちろん出場者中最年少。このコンクールは約1ヶ月の長丁場なのでテクニックは言うに及ばず体力、気力さらには財力(?)までもが要求される。

第15回のコンクールでは参加人数が多かったため予備予選(棄権者を除いて257人)が実施され、以下第一次予選(80人) → 第二次予選(30人) → 本選(12人)と絞り込まれていく。

辻井さんは結局二次予選まで残ったが最後の本選には進めなかった。「ショパンコンクール」で勝ち抜いていくためには「まず楽譜に絶対忠実であることを要求される」
と聞いたことがあるが、それでも257人中30人までに入ったのだから大したものである。

さて予備予選~第一次予選~第二次予選の辻井さんの演奏をじっくりと聴かせてもらったが一番好みだったのは第二次予選で弾かれた「アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ変ホ長調作品22」。一音一音が磨き上げられたように聴こえ、ひときわ美しい下降旋律が心に染み入ってきてショパンらしい優雅さだと思った。

この曲はショパンの中でも「クラウディオ・アラウ」の演奏で若い頃しょっちゅう聴いていたお気に入りだが、もちろんまだアラウには及ばないと思うが自分ごとき素人が評価するのはおこがましいけれども「十分才能あり」と感じさせてくれた。

全盲というハンディをまったく感じさせない演奏であることはいうまでもないが審査員も演奏の途中から全盲に気付いてビックリしたなんて言っていた。

番組全体から受けた印象では、辻井さんの今回のショパンコンクール参加は「小手調べ」といった感じで次回の2010年9月開催の「第16回」にピタリと照準を合わせている印象をもった。万一、それがダメなときでも27歳のときの「第17回」に最後のチャンスを賭けるといったところかなあ~。

お父さんが「医師」(産婦人科)なので国際コンクールへの参加も自由自在だろうとは要らぬお世話だが、とにかく来年の第16回ショパンコンクールには大注目である。もし優勝すれば日本人初の快挙として日本中が沸き立つだろうし、そうなってくれればいいと心から願っているが少なくとも上位入賞はして欲しい。

オット、何だか「ショパン・・・」の話ばかりになってしまい冒頭の「バン・クライバーン・・・」が通過点のような書き方になってしまった・・・。

自分では決して水を差す積もりは毛頭なく、「辻井」さんにとって貴重なステップのひとつであり、「ショパン・・・」の挑戦から4年後の21歳で見事に栄冠を獲得されたことは、より一層腕に磨きをかかれたという努力の賜物だと明記しておこう。

さて、ここからいよいよ本題に突入。いつもの調子で独善的で小理屈っぽい話になるがあしからず。

まず、「楽譜」を見たこともない辻井さんが点字の楽譜があるわけでもなし、どうして演奏ができるのかという大きな疑問を根底にもっていたのだがこの番組はきちんと答えてくれた。5歳のときから東京音大の講師の川上先生がつきっきりで指導に当たっておられるという。

通常の演奏者では「楽譜 → 演奏」なので音楽信号が「目から耳」へと伝達されることになるが、辻井さんの場合は「楽譜 → 川上先生が弾く → 辻井さんが聴いて演奏」となり「耳から耳」へとなっているわけで、人間の機能の面だけでいえばいわばストレートな形。音楽を聴くときには目は必要ではなくむしろ邪魔になるくらいなのでこれは理にかなっている。

もっとも川上先生によると「辻井さんは自分が感じた音をそのまま鍵盤を介して表現できる、これは神様から授かった才能」と激賞されていたので辻井さんだけに許された才能なんだろう。

それにしても、辻井さんのように楽譜がなくても演奏できるとすれば改めて「楽譜って一体どういう役割をもっているんだろう?」と素朴な疑問が湧き出てくるところだがこの問いに対するガイド本をつい最近見かけた。

「コンサートが退屈な私って変?」(2009.3.12、春秋社)   

「素朴な疑問に応えるクラシックガイド」の副題のもとドイツ人のクリスティアーネ・テヴィンケル女史の著作で、本書の104頁にズバリ「楽譜の役割は?」とある。

もちろんひとつの考え方に過ぎないし翻訳書なので結構、意味の把握がしずらかったが自分なりに要約してみると「楽譜なんてのは仕方なくできたのさ、昔はCDプレーヤーもCDを焼くソフトもなかったからね」
と、あるミュージシャンの言葉を引用しつつ、楽譜の役割とは音楽を記録化することにあり、その一番の動機は次の世代に残すことと記憶を助けることにある」と随分単純化している。音楽を理解するためには楽譜が読めなくても構わないといった調子で全体的に楽譜を金科玉条のものとしては捉えていない印象を受けた。

                       

ここで興味半分に「人類の至宝」とされる楽譜の写真を掲載。左がベートーヴェン第九の四楽章の自筆譜(112頁)。「気が狂ったようにグチャグチャ」とある。右が浄書スコア譜(印刷出版譜)。

自分が思うに「文学」だって「行間を読む」という言葉があるようにそれぞれの読者には独自のイメージ的な思考が許されているし、作家が文章だけで自分の思想を100%表現できるとは考えていないのと同じで、作曲家だって書き記した音符だけで自分の思想を完全に表現できるとは考えていないように感じるのだが。

つまり楽譜に記載された音符と音符の間とか周辺にも何か”something”がありそうで辻井さんのように演奏を聴かせてもらって聴覚の世界だけでイメージ思考をすることでむしろ作曲家の意思とか思想がより具体的に伝わってくるのではと思った次第。

というわけで、つまるところ不謹慎かもしれないが「盲目はむしろ辻井さんにとってアドバンテージになっているのでは」なんて考えてしまう。したがって、これからの辻井さんの音楽への挑戦に対してもこういう視点を含めて興味深く拝見させてもらおう~。

この番組の終盤、コンクール終了後にポーランドの盲学校で辻井さんの演奏に真剣に耳を傾ける生徒さんたちの様子(一番右の写真)が目に焼き付いて離れないが、もし盲目がメリットになることが実証されるのなら世界中の目の不自由な方に大きな希望と光を与え、何よりもプラス思考にもっていけるので是非とも辻井さんには大成して欲しいと切に願っている。

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