一昨日(13日)搭載した「秋の写真四題と詩」は予想以上の反響だった。
日頃から理屈っぽい話が多いので、新鮮味を感じた方が多かったのかもしれない。
さっそく「お問い合わせ」と「ご意見」が1件づつあったので紙面で回答しておこう。
1 「撮影したカメラの機種をぜひ教えて欲しい」
撮影者のT君(高校時代の同窓生)に問い合わせたところ、次のような返事があった。
7年前にニコンのデジタル一眼レフカメラを購入しました。ところがニコンの一眼レフカメラは設定ボタンが沢山あり、わかりませんでした。マニュアルを読んでも用語が分かりません。
ニコンにはニコンカレッジというカメラ専用の学校があることを知りました。専属のプロの写真家が講師です。それから7年間、品川、新宿のニコンカレッジに通い、約100回プロの写真家に指導を受けました。プロの写真家に指導を受けてすこしは見れる写真になりました。
ニコンカレッジの参加者はお金持ちが多いです。新製品が出ると、すぐに購入します。僕のカメラは安いです。現在は3代目です。NIKON D-500です。
レンズは10mm-24mmの広角ズームレンズ、85mmのマクロレンズ、35mmの単焦点レンズ、18mm-200mmの望遠ズームレンズをもっています。
あの写真は18mm-200mmの望遠ズームレンズを200mmに設定し開放(f5.6)にして撮影しました。
以上のとおりで、カメラはおそらく「キャノン」か「ニコン」と推測していたが後者だった。「D-500」が安いといっても、望遠や広角レンズなどを含めるととても素人の手が届く価格帯ではないようですよ。
そして「ニコンカレッジ」!
カメラの腕はこういうベースで鍛えられているんですね。オーディオも「オーディオカレッジ」があるといいですね・・。
いずれにしてもカメラもオーディオも、上達するには「熱意と根気と資金」の3要素が必要のようです(笑)。
次にご意見について回答しよう。
2 「詩」の解釈について
昨日の立原道造さんの詩、非常に感じ入りました。
詩や詩人にとんと疎い当方ですが、これは来ました。命が終るときの詩ですね。
”寂寥の中に”は、寂寥の中に星くづにてらされた道 とつながるのでしょうか?
それとも、てらされた道を過ぎ去って、”寂寥の中”にいく と読むのでしょうか?
前者ですかねえ。行き先が”寂寥”では・・・と思います、が、しかし、誰が寂寥なのでしょうか?
詩は深いですね。私が浅いだけ?!
以上のようなご意見だったが、わずか24歳で夭折(病気は結核)した詩人「立原道造」の名前が今ではいっさい出てこないのが残念です。
「優れた芸術作品はその底流に死を内在させている」とは、心理学者の「河合隼雄」氏の言葉ですが、幼心にその辺の雰囲気を感じ取って記憶に残っていたのかもしれません。
ただし、細かな解釈については正直言ってお手上げです。
そこで手っ取り早くネットからそれらしき解答を引用させてもらいましょう(笑)。
「作中使われている「夢」という言葉は、「魂」と置き換えてもよいであろう。動くこともままならず病床で死を迎える作者は、自らの魂を、かつて自分が愛したところへ彷徨させ、自分との別れを物語らせる。
その哀悼の彷徨を終え、魂が行き場を失ったとき、魂は凍りつくのである。すなわち、死、である。
生と死を隔てる扉から、魂は生の場より退場する。その先の世界は、寂寥に満ちた星くづに照らされた道であった。
ここで語られているのは、作者自身の死である。
作者は率直に自身の死を見つめ、自らの死の床を想像し、自らの死そして死の世界を考え、それらを表現する言葉を磨きぬき、完璧な詩に昇華させている。その徹底した冷徹な作業を行う、若き作者の精神の強さに私は慄然とする。
名作というもの、年を経れば、見えてくるものはまた違ってきて、新たな魅力を知ることができる。しばらくは、読書は古典を中心にしてみようと、近頃思った次第。」
以上でよろしいでしょうか(笑)。
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