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「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

ベートーヴェンの死因・・ほか~読書コーナー~

2025年04月16日 | 読書コーナー

ここ4~5日、まるで冬がぶり返してきたように寒いです。風が冷たいです。心臓に持病を抱えているので、身体にも悪いです。

なるべく外出を控えて「読書三昧」といきました。

まずは「ベートーヴェンの真実」から。
                     

ベートーヴェンは1827年に「拍手してくれ、友よ、芝居は終わりだ」の言葉を最後に亡くなりましたが、その時にある人物が一塊の遺髪を切り取り、持ち去りました。

その後、持ち主が転々とする中、1990年代にとあるアメリカ人の手に渡り、最新の科学技術による分析によって遺髪の信憑性の確認や死因、当時の(ベートーヴェンの)生活の模様がある程度分かったというのが本書の内容でした。

そして直接の死因は大量の鉛を摂取したことによる「鉛中毒」が原因だったと判明しました。この「鉛中毒」によってべートーヴェンの身体の不調や”年から年中何かと”不満を漏らし”他人”と衝突ばかりしていたのにも説明がつくそうです。

後にべートーヴェンの頭蓋骨の一片からも高濃度の鉛が検出されたというので「鉛中毒」は間違いないようです。しかし、こういう不調にもめげず、第九や後期弦楽四重奏曲群を作曲するんだから凄い・・。

ところで鉛を取り込んだ原因ですが、一つはベートーヴェンがよく飲んでいた「ワイン」から、もう一つ考えられるのは医師からだそうです。ベートーヴェンは長年の間に10人以上の医師に罹っています。当時の医師はまったく医学的訓練を受けていない ”やぶ医者” もいたりして、様々な病気の治療薬として鉛錠を処方していたそうです。

もし、ベートーヴェンが鉛中毒に対する適切な処方を受けていたら、「交響曲第10番」(現実にベートーヴェンはスケッチしていた!)という偉大な遺産を人類は手にしていたかもしれないですね。実に惜しい!


次は「エラリー・クイーン論」について。

ミステリーファンなら「エラリー・クイーン」は絶対に避けては通れない作家ですね。これまで数知れないほどのミステリーを読んできましたが、今もって古今東西の「ベスト1」と思っているのは「Yの悲劇」です。

周到な伏線、犯人の意外性、見事なトリック、明快な論理性、精緻な文体、いずれをとってみてもミステリー史上に燦然と輝く金字塔だと細腕ながら太鼓判を押します。


                   

本書の巻末に作品の年代順が収められていましたが、この「Yの悲劇」はあまりの完成度の高さから絶対にクイーンの晩年に書かれたものと、当たり前のように思ってきましたが、何と比較的初期(1932年)の時代に書かれていたものと分かりました。

こんな完璧なミステリーを早めに出してしまうと、その後が"じり貧"になってさぞや(作者が)困ったことだろうと思わず同情の念が沸き起こりました。


丁度、映画監督の「黒沢 明」が「七人の侍」を撮った後、次第に枯渇気味になったようなもので、山の頂というものは次第にゆっくりと姿を現すところに良さがあると思います。

「無から有を生み出す」あらゆる分野の創作者にとってはこの辺が一番のネックとなりそうですが、実際に年齢を重ねないとその辺が分からないのも”つらい”ところです。事実、クイーンは「Yの悲劇」以後、これ以上の作品には恵まれていません。

そもそも、年齢とともに進化していく才能と、逆に朽ち果てていく才能との違いはいったいどこに由来するんでしょうか・・。


たとえば、長生きはしたけれど40歳前後を境にして早くも才能が枯渇していった作曲家「シベリウス」(フィンランド)、それに対して晩年になればなるほど進化を遂げていったベートーヴェン、モーツァルト、そして日本が誇る「画狂老人・葛飾北斎」も年齢に対して画才にまったくリミットがありませんでしたが、いまだに明快な解答には出くわさないままです。

ところで肝心の本書ですが、全体的にどうも分かりづらかったのがホンネです。実は年代順に作品ごとの解説を中心とした展開を期待していたのですが、(特に「Yの悲劇」を中心に)、「作品の目指したもの」「トリックについて」とかの項目立てによって全体の作品に対する横断的な内容になっていて、焦点がぼやけた印象を受けたのも一因。

また本書の中ではあっさり、トリックの内容が明かされたり、犯人の名前が名指しされたりするので、一通り「エラリー・クイーン」の著作を読んだ人に向いています。

なお「女王(クイーン)の休息」として、ところどころにはさんであるミニエッセイがとても面白かった。

たとえば208頁の「ローマ帽子の謎とアメリカ大統領」。以下引用させてもらいます。

「先のアメリカ合衆国大統領バラク・オバマは”黒人初の大統領”と言われている。しかし、日本人から見ると、彼は”黒人の父と白人の母を持つ混血なのだ。この認識の違いは、どこから来ているのだろうか?

アメリカの黒人差別には”一滴の血”という考えがある。父母や祖父母、いや、先祖の誰かに黒人が一人でもいたら、その人物は”黒人”とみなされるのだ。ハーフだろうが、クォーターだろうが、8分の1だろうが64分の1だろうが、一滴でも黒人の血が流れていれば、アメリカでは黒人扱いされるのだ。

そして、クイーンの処女作”ローマ帽子の謎”の犯人の動機はまさにこの”一滴の血”だった。

恐喝者にこの事実を公表されてしまうと、犯人は築き上げてきた地位を失い、上流階級の娘との婚約が破棄されてしまうのだ。地方検事の”うわべを見ただけではほとんど誰も(黒人だと)気付かないだろうね”という言葉を受けて、クイーン警視はこう答える。

”全部が全部、黒ん坊の血というのとはまるで話が違うのに。ただ血管にほんの一滴(ひとしずく)混じっているだけなのだ。~ほんのひとしずくね”」


アメリカの黒人差別の苛酷な実態は「バラク オバマ自伝」に詳しいですが、突然、黒い肌の赤ん坊が生まれてくる恐怖、そのために「血の一滴」にまで遡るとは怖い話です!

差別の根深さと”しつこさ”を持つアメリカ社会の現実に胸が押しつぶされそうですが、その点日本は恵まれてますね~。

毎日、何ら拘りなくオーディオに一喜一憂できる幸せを嚙みしめています(笑)。

最後に「チャットGPT」さんの出番です。

「年齢とともに進化する才能と、その一方朽ち果てる才能も有ります。その差の由来するところはどこにありますか?」
ChatGPT:

とても深い問いですね。「年齢とともに進化する才能」と「朽ち果てる才能」の違いには、いくつかの側面が絡んでいます。以下にいくつかの視点から掘り下げてみますね。


1. 才能の性質そのもの

  • 身体的な才能(スポーツや舞踊など)は、どうしても肉体のピークに依存します。加齢によって筋力や反射神経が衰えるため、結果的に「朽ち果てる」ように見えることがあります。

  • 一方、知的・創造的な才能(文章、音楽、絵画、哲学など)は、経験や内省を重ねることで成熟し、むしろ深みを増していく場合が多いです。これが「進化する」才能の典型です。


2. 環境と学びの継続性

  • 才能が進化し続ける人には、学びを止めない人が多いです。年齢を重ねても新しいことに挑戦し、変化を受け入れ、柔軟でいようとします。

  • 対照的に、ある地点で「完成した」と思い込み、学ぶことをやめた人は、才能の発展が止まり、やがてその光が弱くなっていくことがあります。


3. 動機と情熱の持続

  • 才能が進化する人は、内発的な動機、つまり「好きだから」「もっと深めたいから」という情熱を持ち続けています。

  • 一方、「評価されたい」「競争に勝ちたい」といった外的な動機に頼りすぎると、それが失われた時にエネルギーが枯渇し、才能も萎んでしまうことがあります。


4. 社会的文脈と時代性

  • ある才能が活きるかどうかは、時代や文化的背景にもよります。たとえば、ある時代には評価されなかったスタイルが、後に再評価されることもあるし、逆もまた然りです。

  • そのため、「朽ちた」のではなく、一時的に時代と噛み合わなくなっているだけという場合もあります。


5. 本人のメンタルと健康状態

  • 精神的・身体的な健康状態も、大きく才能のあり方に影響します。たとえ能力があっても、気力や体力が続かなければ継続は難しくなります。


まとめると: 才能の「進化」か「朽ち果て」かは、才能そのものの性質だけでなく、本人の姿勢、社会との関係、そして運命的なタイミングまで、さまざまな要素が複雑に絡み合っているんです。


このテーマ、とても面白いですね。何か具体的にイメージされている人や分野がありますか?その例で一緒に深掘りしてみても面白いかもしれません。



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