「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

ハイセンスが求められる音楽

2021年02月03日 | 音楽談義

ブログのタイトルにはいつも気を使っているつもり。なぜなら、付けようによってかなりアクセス数が左右されるから。

このブログの当初のタイトルは「モーツァルトのピアノソナタに溺れて40年」としていたが、そのうち「溺れて」では、いかにも”ありきたり”のような気がしてきた。

もっと強い言葉が欲しいなあ、そういえば「淫する」という言葉がある・・。

広辞苑によると、「淫する」は「度を越して熱中する」、一方「溺れる」は「心を奪われる、はまる」という意味がある。

となると、やはり「淫する」が適当かな。

とはいえ「淫」を使った言葉には「姦淫」「淫乱」とかの過激な言葉があって、ちょっとイメージが悪い(笑)。

というわけで二転三転して最終的なタイトルは「ハイセンスが求められる音楽」に落ち着いた。

前置きが長くなった。さっそく本題に移ろう。

どうしようもないモーツァルト好きを自認している。

僅か35年の短い生涯の中で残された600曲以上にも亘る曲目の中で好きなジャンルといえば「オペラ」と「ピアノ・ソナタ」に尽きる。

とはいうものの、オペラは長時間ものなので本格的に聴こうとすれば何がしかの覚悟が要るが、その点ピアノ・ソナタは気軽に聴ける感じで、常に手もとにおいて途切れることなく聴いてきたのですっかり耳に馴染んでいる。

ソナタは全部で17曲あり、それらは第1番K(ケッフェル)279から第17番K.576まで彼の短い生涯(35年)の中でも年齢的にかなり幅広い時期に亘って作曲されている。

このソナタがモーツァルトの600曲以上にものぼる作品の中でどういう位置づけを占めているかといえばあまりいい話を聞かない。

まず、このソナタ群の作曲の契機や具体的な時期などの資料が非常に少ない点が挙げられる。

理由のひとつとして、モーツァルト自身がこのジャンルの作品をあまり重要なものと見なさなかったからという説がある。彼の関心は時期にもよるが、ほぼ一貫してオペラにあった。そして、ピアノ協奏曲、交響曲がこれに次いでいるという。

たしかに自分もそう思うが、作品の価値は作曲者自身の意欲や位置づけとは関係ないのが面白いところ。たしかにオペラが一番とは思うが、その次に来る大事な作品は個人的にはピアノ・ソナタだと思っている。

というのは、ピアノはモーツァルトが3歳ごろから親しみ演奏家として、そして作曲家としての生涯を終始担った極めて重要な楽器であり、このピアノ単独のシンプルな響きの中に若年から晩年に至るまでのモーツァルトのそのときどきのありのままの心情がごく自然に表現されていると思っているから。

さらにオペラは別として交響曲やピアノ協奏曲は何度も聴くとやや飽きがくるが、このピアノ・ソナタに限っては、何かこんこんと尽きせぬ泉のように楽想が湧いてくる趣があり、モーツァルトの音楽の魅力が凝縮された独自の世界がある。この魅力に一旦はまってしまうと”病み付きになる”こと請け合いである。

なお、実際に演奏する第一線のピアニストによるこのソナタの評価を記しておこう。



「モーツァルトの音楽は素晴らしいが弾くことはとても恐ろしい。リストやラフマニノフの超難曲で鮮やかなテクニックを披露できるピアニストが、モーツァルトの小品ひとつを弾いたばかりに馬脚をあらわし、なんだ、下手だったんだ、となることがときどきある。

粗さ、無骨さ、不自然さ、バランスの悪さ、そのような欠点が少しでも出れば、音楽全体が台無しになってしまう恐ろしい音楽である!」


(「モーツァルトはどう弾いたか」より 久元祐子著、丸善(株)刊)

なぜ恐ろしい音楽なのか、分かるような気がしますね(笑)。

逆にリスナー側にしてみると「粗さ、無骨さ・・・」に気が付かなければ鑑賞できない音楽とも言える。つまり「ハイセンス」が求められる音楽と言えよう。


さて、独特の「モーツァルト・ワールド」に入り込むために欠かせないこのソナタのCDはものすごく沢山のピアニストが録音しており枚挙にいとまがないが、いまのところ次の5名のピアニストのものを所有している。

 グレン・グールド「モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集」(4枚セット)
    録音:1967年~1974年

 マリア・ジョアオ・ピリス「同 上」(6枚セット)
    録音:1989年~1990年

 内田光子「同 上」(5枚セット)
    録音:1983年~1987年

 ワルター・ギーゼキング「ソナタ10番~17番」(2枚セット)
    録音:1953年

 クラウディオ・アラウ「ソナタ4番、5番、15番」(1枚)
    録音:1985年

                              

                
これら5名ともいずれ劣らぬレベルの高い奏者ばかりだが、以下、自分勝手な感想を記してみよう。

 グールドはこれまで耳にたこができるほど聴いてきた。「ピアノ・ソナタといえばグールド」の時代が長く続いた。あの独特のテンポにすっかりはまってしまったのが原因。

音楽の世界で句読点を意識したのは彼の演奏が初めてである。盤のライナーノートに、このアルバムは世界中のグールド・ファンの愛聴盤と記載されていたがさもありなんと思う。

一番好きなのは第14番(K457)の二楽章。しかし、さすがに15番以降は逆にテンポが早すぎてついていけない。

ちなみに、グールド自身は作曲家モーツァルトをまるで評価しておらず、このソナタについての感想も何も洩らしていない。(「グレン・グールド書簡集」で確認)


 近年、グールドに替わって聴く機会の多いのがピリス。とにかく抜群の芸術的センスの持ち主である。一言で言えば”歌心(ごころ)”が感じとれる。

澄んだ美しさと微妙なニュアンスがとても好ましい。ずっと以前に有料のPCM放送のクラシック専門チャンネルで聴いて心を奪われ、ピリスの演奏であることを確認してすぐに全集を購入した。

第1番から17番まですべてが名演で当たり外れがない。なお、ピリスには旧録音と新録音があるそうで、これは新録音の方である。


 日本を代表する世界的な音楽家となった内田光子さん。しかし、内田さんは活動拠点を徹底的にヨーロッパにおいているところが特徴。

外交官令嬢としてウィーンに学び第8回(1970年)ショパン・コンクールで2位入賞し一躍世界のひのき舞台に躍り出た。このソナタではヘブラー以来というフィリップス・レーベルの期待を担っての録音。

グールドにもピリスにもないピアノの響きと香りが内田さん独自の解釈とともに展開されていく。これが日本と西欧の知性と感性が合体した「内田節」なのだろう。

 購入したいきさつをすっかり忘れてしまったアラウ盤だが、豊かな深い音色で弾かれる骨格の太いソナタには恐れ入る!

とても美しい音色で、その美しさが表面に留まっておらず、武骨だがしみじみとした音が胸の中に温かいものとなってジワーッと広がり、そこからにじみ出てくるような美しさなのである。

この何ともいえない美しさはグールドにもピリスにも内田さんにも感じられなかったもので、とても新鮮に感じる。ゆったりしているテンポも味わいがあっていい。

音質の方も1985年のスイスでのデジタル録音なのでこれで十分。しかし、残念なことに彼はソナタ全曲を通しで録音するに至っておらずバラツキがある。

以上、こうして4人を聴き比べてのベスト盤をと思ったのだが、このピアノ単独演奏にはそれぞれの大ピアニストの個性と芸術性が凝縮されていて、リスナーのその日の体調次第で印象が左右されそうな感じがする。

オーディオ機器と違って音楽家の優劣はうかつに決めつけられないですね(笑)。



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