今日は7月1日の月曜日。中央官庁や株主総会が済んだ大企業では人事異動が済んで初お目見えの日となる。日本各地の至る所で「〇〇です。どうかよろしくお願いします。」が繰り返されることだろう。思い出すなあ!
せめてこのブログぐらい、改めてよろしくお願いします(笑)。
さて、7年近くなるこのブログだが、(たかがブログでも)どうやら人生と同じように波があるようで、書く材料が少なかったり、多かったり、そして、筆の運びが鈍かったり、早かったりする時期が周期的に訪れてくる。
どうしても材料が思い浮かばないないときは、何とかひねり出そうとウンウン唸ったりするが、そんなにしてまでなぜブログを続けるんだろうと、ときどき考えることがある。しかし、逆に今の生活からブログを抜いてしまうと何だか張り合いが無くなってしまいそうだと思い直す。
まあ、そういうことの繰り返しがずっと続いているわけだが、今の状況は幸いなことにブログの材料が次から次に押し寄せてきてうれしい悲鳴を上げている。
なかなか筆の運びが材料に追いつかないのが癪の種だが、こういうときは時系列にしたがってコツコツと処理するほかはない。
そこで、まず先週の話。
26日(水)は4つの図書館から借りていた25冊の本の返却日。
大方の予想どおり(?)、すべての読破は無理だったがせめてもの罪滅ぼしにと、2つの図書館だけには梅雨特有の“しとしと”雨の中、返却に行ってきた。
まず、隣町のH図書館へ。返却したのは「闇の奥」「大迷走」「静おばあちゃんにおまかせ」「切り裂きジャックの告白」「僕は、そして僕たちはどう生きるか」の5冊。
このうち「切り裂きジャックの告白」がダントツに面白くて、その次が「静おばあちゃんにおまかせ」で残る3冊は残念なことにフィーリングが合わなくてザット目を通しただけ。図書館から借りる本のうち面白い本に出会う確率は、経験値から見て「当たりの確率はおよそ3割」で、これはプロ野球の一流バッター並の打率。
音楽評論家などが推奨するCDを実際に聴いてみたときも、だいたい同じくらいの確率かな(笑)。
さて、返却に行った際の駄賃とばかり借りたのが次の本。
最近読んで面白かった作家の作品につい手が伸びてしまったが、一番の期待は「鳥と雲と薬草袋」(梨木香歩)。全国48か所の珍しい地名の由来を追ったもので、自然観察と地名にまつわるエピソードの紹介がなかなかユニークそうだ。
本県の場合では「まなざしからついた地名→鶴見半島」「晴々とする“バル”→長者原」「いくつもの峠を越えて行く→牧ノ戸峠」があった。
H図書館が済むと、今度は地元のB図書館へと足を運んだ。
ここでも5冊を返却した。「クラシックの愉しみ」「内臓とこころ」「月光蝶」「福家警部補の再訪」「芥川賞物語」。しかし、確率の方はゼロでノーヒット。
この図書館は専用の駐車場がないので、路上駐車したまま“あたふた”と駆け込んで、バタバタと借りて、駆け足でクルマに戻るというパターンの繰り返し。とても、ゆっくり本を選択する暇はなく、目についた新刊書のタイトルだけを見て借りているので“はずれ”が実に多い。
完読したのは「月光蝶」だけという淋しさで、残りはハーフマラソンみたいな状態で終了。「クラシックの愉しみ」も腰を据えてじっくり読めば得るものがあるのだろうが、若い頃と違って解説書を読むくらいならその時間は音楽を聴いて楽しんだ方がいいような心境に近年はなってきた。
この図書館もまた返却のついでに、懲りずに次の5冊を借りた。
いずれも新刊本だが、今回は「当たり」が多そうな気がする。
まず、「シンクロニシティ」は過去に江戸川乱歩賞をとった「川瀬七緒」の作品だから期待が持てる。彼女の「147ヘルツの警鐘」は以前のブログにも取り上げたが、実によくできた本で、同じ「法医昆虫学捜査官」が活躍するのが楽しみ。
どうやら著者はシリーズ物にする積もりのようで、これは当方が期待していた通り。十分「絵」になる要素が大きいのでいずれテレビ・映画化される事は間違いなしと、断言しておこう。
「クルマは家電量販店で買え」は、モノやサービスの価格がどう決まっているか、が分かる本。第5章の「大学教育と学歴社会について考える → 大学教育を受けることで獲得する学歴の価格はどうみても高すぎる」の考察が面白そうだ。
「忘れられたワルツ」は短編集。著者の「糸山秋子」は2006年「沖で待つ」で芥川賞受賞。近年、歳をとるにつれてますます短絡思考に拍車がかかっているので、難しい本は勘弁してほしいのだが、はたして。
「カードウォッチャー」はミステリー。著者の「石持 浅海」(いしもち あさみ)は初めて聞く名前だが、つべこべ言わずにとにかく読んでみよう。