「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

なぜか、聴く気がしなくなった「ピアノ協奏曲」

2012年07月31日 | 音楽談義

暑い、とにかく暑い。

30日(月)付の新聞記事によると「今年の猛暑は地球規模の広がりで、歴史に残る暑い夏になるだろう」とのこと。お互いに熱中症には気を付けましょうねえ。

さて、こんなに暑いと音楽鑑賞どころではなく、日中は比較的風通しのいい2階に上がって本を読んだり、あるいは先週録画したテレビ番組を観るのが主な日課になっている。

こういう時のシステムは、テレビから音声コードを引っ張り出して10ワット出力の小さなトランジスター・アンプに繋ぎ、スピーカーはフォスター「BFー103S 口径10センチ」という省エネタイプの組み合わせ。テレビの音ならこれで十分。

とはいえ、本命のオーディオ・システムのスイッチも毎日、短時間でも入れてやった方がメンテナンスにいいので運動ジムから帰って午後4時くらいからエアコンを入れて”チビリ、チビリ”やりながら2~3時間、クラシックを聴いている。

「早く芸術の秋が来ないかなあ」と、涼しい季節の到来が待ち遠しいが、こういう猛暑の時期に一日中「音楽鑑賞」出来る人はよほどの音楽好きだろう。

そこで、無類の音楽好きで思い出すのがオーディオ仲間で杵築市にお住いのMさん。

久しぶりに「どうしてますか~、相変わらず音楽を聴いてますか?」と、電話でご様子を伺ってみると「やあ、久しぶり~。毎日飽きもせずに聴いてるよ。音楽を聴いていると、不思議にお腹(なか)がいっぱいになって”うまいものを食べたい”という気にならないんだ。一石二鳥だよ」

Mさんはバッハからベートーヴェン、モーツァルト、マーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィッチまで、クラシックなら何でもござれで、まさに音楽が「精神的なご飯」になっている稀有の方である。しかし、オーディオの方は達観されていて、アポジーのSPをずっと愛用されているが、「いじり出すとキリがない世界。そんな時間があったら音楽を聴いていた方がいい」というのがその理由。まことに、ごもっとも。

とはいえ、いくら音楽好きといっても唯一の例外がショパンの作品。以前から「耳あたりはいいんだけれど、彼の作品はさっぱり後に残らないね~。」とおっしゃる。

「クラシックの森」に奥深く踏み込めば踏み込むほど好きな曲目が変遷してくるのは自分にも心当たりがある。たとえば若年の頃にあれほど聴きまくった「ピアノ協奏曲」が近年ではまったく聴く気にならない。ショパンはもちろんのこと、モーツァルトやベートーヴェンといった大家の作品もけっして例外ではない。

どんなに名曲とされるピアノ協奏曲にもどうも気分が乗らないのである。おかしいなあ、あれほど好きだったのにね~。一方、ピアノ・ソナタの作品群に対してはまったくそういうことがないのでピアノという楽器が嫌いになったというわけでもない。それは断言できる。

これはいったいどうしたことか?以下、自分なりに分析してみたが、どうせ素人の「たわ言」に過ぎないので、あまり真に受けないように。


協奏曲とは、平たく言えば「単独楽器をオーケストラで支える音楽」である。単独楽器にもいろいろあって、誰もが思いつくのがピアノをはじめ、ヴァイオリン、クラリネット、オーボエ、フルートといったところ。(これらの楽器にはすべて「〇〇協奏曲」という作品がある。)

この中で、音域的かつ和音的にオーケストラと、ある程度対等に渡り合える楽器はピアノだけである。ちなみに各楽器のおよその周波数範囲を記してみよう。

 ピアノ 40~6000ヘルツ

 ヴァイオリン 180~1万ヘルツ以上

 クラリネット 150~1万ヘルツ以上

 オーボエ 300~1万ヘルツ以上

 フルート 300~1万ヘルツ以上

 男性歌手 100~8千ヘルツ

☆ 女性歌手 180~1万ヘルツ

ピアノだけが群を抜いて40ヘルツ付近から上の低域の周波数をきちんと出せることに気付く。一方、ヴァイオリンなどの楽器はせいぜい200ヘルツ前後から上の周波数しか出せない。その代り、ピアノと比べて高域の伸びには目を見張るものがある。

そういうわけで、これらの楽器群は低音域が絶対的に不足しているのでオーケストラでこの辺りの音域をきちんとカバーしてもらうと全体的にバランスのとれた姿になるので、比較的、協奏曲に向いた楽器といえる。それに「主」(単独楽器)と「従」(オーケストラ)の役割がはっきりするのも利点。

(音域のバランスという点では、たとえば「ヴィオリン・ソナタ」(モーツァルト)の場合でも、わざわざ「ソナタ」と銘打っておきながらピアノが伴奏して低音域部分をきちんと支えているし、歌手の伴奏にもピアノが活躍してまったく違和感がない。)

しかし、ピアノに限っては他の楽器やオーケストラのカバー(支え)は要らないほど、単独で音域的に十分な表現力を備えている。それなのに、なぜピアノ協奏曲というジャンルがあるのか、その必然性がどうもいまいち理解できないのだ。

それに、ピアノ協奏曲というのはオーケストラとピアノのどちらが主役なのかよく分からないところがあって、映画でいえば、どっちつかずの主役が2人いるようなもので、いったいどちらに花を持たせるのか、聴けば聴くほど散漫になって、曲全体がただ華やかだけで表層的に流れていく印象を受ける。

この点ではピアノ・ソナタの方がはるかにピタリとフォーカスが決まって作曲家の思想がきちんと伝わってくる。

べートーヴェンの後期ソナタやモーツァルトの珠玉のソナタ然り、この辺に自分がピアノ協奏曲から遠ざかった理由が見い出せる!

とまあ、いくら上段に振りかぶってみたところで、世の中、ピアノ協奏曲の愛好家が”ごまん”といるんだから、さぞや反対意見も多いことだろう。とにかく40年以上、じっくりクラシックを聴き込んでもらうと実感としてこの辺が分かってもらえそうな気がするのだが。

ここで、関連してふと思い付いたのだが、オーディオ装置も似たり寄ったりで、音楽を聴く上でしっかりした低音域の支えが音域バランスを整える上で一番難しいポイントだと思うがどうだろうか。

ともあれ、こうして以上のような屁理屈を一気に書いてしまったものの、それほど(書いた内容に)責任を持てるわけでもなし、改めて確認の意味で久しぶりに、(数あるピアノ協奏曲の中でも)白眉とされるクララ・ハスキルの20番(モーツァルト)でも聴いてみようかな~。
                    

 


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