オーディオ雑誌を見ていると、熱心なマニアの方々のシステムが写真入りで紹介されていることがときどきある。先日も本屋で何気なくパラパラとめくっていると、大型スピーカーが広い空間の中でいかにもいい音がしそうな佇まいで鎮座していた。スピーカーはタンノイさんで、相変わらず家具調の雰囲気も漂わせていていかにも洒落た感じ。
それにひきかえ我が家のシステムの外観は”ひどい”の一言に尽きる。同じタンノイさん(ウェストミンスター)が、もうまったく見る影がないほど引き立たないし、第一システムのウーファー4発と「Axiom80」にしてもいずれも自作のエンクロージャーだから家具調には程遠い。
「お芝居」を引き合いに出すと、華やかな舞台にも楽屋裏がつきものだが、我が家の場合は両方とも一緒くたになって公開しているようなものだからそれはそれはヒドイもの。
各機器の電源コード、機器の間の信号を結ぶ接続コード、そしてスピーカー・コードに至っては第一システムが片チャンネル5本だから両チャンネルだと10本、第二システムが3ウェイだから両チャンネルで6本が部屋の中を走り回っている。オーディオにマナーというものがあるとすれば配線コードは出来るだけ見ない、見せないというのがそうなのかもしれないなあ。
何といっても一つの部屋(6m×7m)に2系統のシステムがあり、それに液晶テレビ(45インチ)まで観れるようにしているのが諸悪の原因なのは十分承知。
自分は普段から見慣れているのでこれが当たり前だと思っているものの、たまに見えるお客さんなどはおそらくあまりの汚さにビックリされていることだろう。
元々整理整頓はあまり得意な”たち”ではないものの、「見てくれ」と「いい音」とが比例する関係にあれば絶対に前者にも努力を傾注するが”決してそうではない”ので、ある程度開き直っている”のが実状。
出てくる音が勝負なのであって外観はどうでもいい、男は中味で勝負だあ!
逆に言えば、「見てくれ」がいい「部屋とシステム」の写真を観ると、この持ち主の人は「ええ格好しい」だけで本当に好きな音を出そうと努力されているのかなあなどとつい考えてしまう。「見てくれ」だけで、いい音が出れば世話はないけどねえ。
長年の経験を通じて本当に好きな音を出そうと思ったら、オーディオは泥沼状態に陥ってとても「綺麗ごと」では済まなくなるというのが自論である。たとえば、見てくれは実に悪くなるがスピーカーの近くに空の大きなビンを置いたり、部屋の後方に沢山の割り竹を設置して音響効果に努力されている方を知っている。”オーディオ・マニアとはそうこなくちゃあ”と、こういう方は好みのタイプである。
我が家の卑近な例を2つほど挙げてみよう。
まず現用している真空管式のバッファー・アンプ。
普通どおりの何てことはない仕様だが、音質を決めるポイントに当たるコンデンサーに「マイカ・コンデンサー」を使いたいばかりに配線を外部に引っ張り出してもらっている。それもパラで2セットも。見てくれは実に悪いが、音の方はとても外観どころの話ではない程の変わり様になるんだからたまらない。「音」と「外観」のどちらを取るかと言われたら絶対に前者である。
次に、愛用している真空管式のプリアンプ。
たまたまオークションで手に入れて、大改造してもらい大のお気に入りだが、ご承知のとおりプリアンプは微小電流を扱う機器なのだが、残念なことにこのプリアンプの「玉に疵」のところがケースに鉄が使ってあること。
周知のとおり鉄は磁界を持ち、誘導電流を導いて音質に悪影響を及ぼす可能性があるので、なるべくプリアンプ系には使わない方がベターである。一流品ともなるとその辺は実に深く配慮してある。
たとえば以前所有していた「マランツ7」は流石だった。磁石で試してみたことがあるが木製のケースに加えて音声信号用のプラグを抜き差しするパネルにはいっさい鉄が使ってなかった。ちなみに磁石はオーディオの必需品である。
まあ、そういうわけで、このプリアンプへのせめてもの対策ということで磁界を閉じ込めないようにケースの上蓋を開けて使っているというわけだが、「見てくれ」を考慮する方にはとても想像できないような処置だろう。
こういう風に一時が万事の始末ぶりだが、自分という人間は「異常なのかな」とも思うが、果たしてどうなんだろう?