「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「音楽愛好家=オーディオ愛好家=アンプ製作者」の三位一体とは?

2012年07月22日 | オーディオ談義

現在、第一システムの中高域用(SPユニット:AXIOM80)に使っているWE300Bアンプ(モノ×2台)。

今のところ音質に取り立てて不満を感じていなかったが、先日のブログで紹介した名古屋のYさんの件で刺激を受けたこともあるし、何せ購入後15年以上も経過しているので、奈良のMさんにお願いして、この際「メンテナンス」に出すことにした。

            

「この暑い盛りにプリアンプならともかく、重量の”かさばる”メインアンプはちょっと・・・」と、渋る奈良のMさんに三拝九拝(?)してようやく引き受けていただいた。

余談になるが、このWE300Bアンプはちょっとした”いわくつき”のアンプである。購入したオーディオ・ショップの経営者はとっくの昔に”夜逃げ”してしまって、いまだに行方が分からない。当時、委託販売でショップに預けておいたラックスのアンプは代金を受け取らないままとうとう闇の中へ消えてしまった。トホホ~。

とにかくこのアンプはそれなりの方が作ったのだろうが、どこのどなたかも判然とせず、したがって回路図も当初から無いが、出力トランス、電源トランス、チョークコイルなどが特注品のタムラだったので思い切って購入に踏み切ったもの。当時は仕事が忙しくてオーディオは片手間だったので、ショップの言いなりになった傾向は多分にある。現役時代は誰でもそうだろうが・・・。

しかし、段々聴き込んでいくうちに、それなりの不満を覚えて専門家に改造してもらって、ようやく満足のいく状態になったが、とにかく回路がどうなっているのか持ち主さえもわからない状況なので、そもそも回路図から整理して検討しなければならないMさんのご苦労もよくわかる。

Mさん、ほんとうにゴメン。時間はいくらかかっても結構ですからね~。

WE300Bアンプを長期間修繕に出しても、後継のアンプは欧州の名三極管としてWE300Bと並び称される「PX25」(イギリス)アンプが2台控えているので「銃後の守り」は完璧。

そして修理に出してからすぐに順次、Mさんから修理・改善個所の概要のメールが届いた。

 回路は非常にシンプルな基本回路に則っています。パーツはすべて高級品を使ってます。申し出がありました「力不足」の対策案としてプレート抵抗直近から真空管の直近アースにコンデンサーを追加して改善ができそうです。

 整流管ソケットはさすがのQQQ(サンQ製)も真っ黒です。運よく7~8年眠っていたソケットの取り付けピッチが合いましたので交換しておきます。

 300Bカソード抵抗のアース回路がタブーである整流管のリップルフィルターのアースまで戻った配線になっています。ここは要改善個所でSNの改善が期待できそうです。

 ご要望のあったムンドルフのコンデンサー「Supreme」は耐圧不足のようなので、私好みのデンマークの「JANTZEN(白)」でOKでしょうか?

 電解コンデンサーの定年退職者(?)を見つけました。もう少しすると電解液が漏れます。新品に交換しておきます。

        

いやあ、この添付画像を見て、思わず背筋がゾッとしたねえ~。これだけでもメンテナンスに出して大正解!

近畿地方は早くも梅雨が終わって、おそらく猛暑だろうから「修理の時間はいくらかかっても構いません。あまり作業に熱を入れて夏バテをしないでくださいね~」に、対して「ぼちぼちマイペースでやりますのでご心配は無用です。」
と、返答のメール。

Mさんに改造してもらうアンプはこれで、4台目である。いずれも十分満足のいく仕上がりで信頼度は100%以上。

なぜ、これほどまでにMさんに固執してお願いするかといえば、Mさんは世にも珍しい「音楽愛好家=オーディオ愛好家=アンプ製作者」だからである。

雑誌でいろんなオーディオ評論家のご意見やブログなどでも様々なオーディオ論を拝見するが、自分なりに信憑性を判断する基準として一番先にくるキーポイントは「この方は、はたして本当に音楽を愛している人かな?」である。(自分の場合は音楽といえばクラシックである。)

この辺は、一通り読ませていただければおよそ長年のカンで、その人の(音楽への)愛情度の察しがつく。音楽への愛情が感じられなかったら、どんなに”もっともらしい”ことが書かれていてもあまり信用しないことにしている。

先日のブログで五味康祐(作家)さんや瀬川冬樹(オーディオ評論家)さんの件に触れたが、自分がなぜ盲信に近いほどの信頼を寄せていたかといえば、ご両人とも人後に落ちぬクラシック愛好家だったからである。

五味さんは「西方の音」などの著作で言うに及ばないが、瀬川さんは「大公トリオ」(べート-ヴェン)を聴かれて、感動のあまりその場に”ウ~ンと唸って、思わずしゃがみ込んだ”という記事を、たまたま拝見して大いに共感をおぼえ、「自分もまったく同じだった!たぶん、それは第三楽章に違いない」と思ったことが、いまだに脳裡に焼き付いている。

現代のオーディオ評論家の中で、自分の知る限りではクラシック愛好家は全然居ないとは言わないが、その場にしゃがみ込むほどの「心から音楽に感動する方」がはたしてどのくらいいるんだろうか。

また、逆に音楽評論家がオーディオ愛好家であった試しもまず聞かない。その代表格で、もう亡くなられた吉田秀和さんのオーディオ装置をブログで拝見したことがあるが、ドイツのエラック(さすが!)の小型スピーカーだったがマニアの目から見てそれほど凝ったものではなかった。ましてや指揮者や演奏家が本格的なオーディオ愛好家なんてことは、聞いたことがない。

たとえば我が家に2回ほど聴きに訪れた高校時代の同級生「O君」は音楽学校を卒業後ドイツに留学してあのチェリビダッケから指揮法を学び、帰国後は郷里の福岡で音楽学校を開いているが、音楽を聞き分ける耳は人並み外れて凄かったがオーディオにはあまり熱意を感じなかった。

したがって「音楽愛好家=オーディオ愛好家」でさえ稀少な存在といえるのに、これに「アンプ製作者」が加わるとなると、まさに砂浜の中で一粒の「金」を探すようなものだろう。そもそも「音楽=右脳」、「物理学=左脳」の領域とされているんだから一人の人間の中で両立するなんて至難の業である。

市販のオーディオ製品(それこそピンからキリまであるが、一般的な話として)が、なぜつまらないかというと、音楽を愛していない技術者(多くは大学の工学部を出ただけ)が、ただ定数どおりに設計し、そしてコストを削減するために部品を妥協しながら作るからである。

周辺機器との相性もあって、いったん完成したアンプが個人のシステムの中でそのまま通用するとすればよほどの僥倖だろう。

しかし、音楽を愛する人が作ったアンプは明らかに違う。たとえば、基本的には物理学の法則にしたがってアンプを製作するものの、いったん出来上がった後の試聴が肝心で、「音楽として、はたして聴ける音かどうか」が問題。

もし、音楽として聴けないと判断すれば、ためらうことなく、すぐに原因を追究して、回路の手直しやコンデンサーなどの交換をする。この部分においてこそ、「音楽愛好家=オーディオ愛好家=アンプ製作者」の三位一体の真骨頂が発揮されるのである。

こういうわけで、Mさんは「マタイ受難曲」や「イギリス組曲」(グールド)などを愛聴される無類のバッハ好きの音楽愛好家であり、オーディオ愛好家として実際に真空管アンプを何台も作ってこられた方なので「大船に乗った気持ち」で命よりも大切な(?)アンプを預けられるわけである。

「市販の製品で満足」という人は、それはそれで幸せな方だが、万一、それ以上の欲を持つ方はオーディオ機器の製作者が果たしてほんとうの音楽好きなのかどうか、確かめることが「好みの音=いい音」に近づくための一つの方法であると思うがどうだろうか。


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