「表題」に関連して、まずはじめに我が身に起きた最近の事例。
それは1ヶ月ほど前にオークションで購入した真空管。
いろんな銘柄の真空管の音を試したかったので「オークション」を覗いていたところ、目指す対象商品のタイトルに「ムラード」とあった。
これは信頼できるイギリス製の老舗ブランドなので「ムラードにしては安い」と乗り気になってすぐに落札した。
しかし、到着早々、ペア〔2本)のうち1本から雑音が出たのがそもそもおかしかった。「ムラード」がそんなに確率的にみて簡単に故障するはずがないと思うべきだったが、今となってはもう後の祭り。
とりあえず交換を要求したところ、すぐに代替品が送られてきたので1週間ほど続けて聞いてみたが、どうも音が歪っぽくてうるさく感じる。
高域がチャラチャラしていて安物の真空管に共通する独特の”匂い”が感じとれる。最初に聴いたときから気付くべきだったのに、まったく「自分の耳も当てにならない」。
知人も、あの落ち着いて穏やかな「ムラード」らしからぬ音だと断言するので、真空管に印刷されている文字をよく見てみると〔今更、何だ!)「Mulard」のMの一字さえも入ってない。
「しまった、騙されたか!」
今ごろになって気付くのがおかしいし、”うかつ”の謗りをまぬかれないところ。
あくまでも推定の範囲なのでどこの誰やら、出品者の公表を差し控えるがやはり「白箱」に入っている真空管にはある程度用心が必要。改めて「元箱」の重要性を認識した次第。
ともあれ、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」で出品者の居住する「T県」に対していっぺんに悪印象を持ってしまった。
これまでオークションで数限りなく取引してきたが明らかに「騙された」のはこれが初めて。真空管の代金「6,000円」をドブに捨てたようなものだった。
世知辛い世の中なのでこれからは「オークション」もある程度疑ってかからなくてはと、淋しい気持ちながらも「いい教訓」になった。
そこで、次の本。
「ニセモノはなぜ、人を騙すのか?」(著者:中島誠之助、2007年8月、角川書店)
著者の中島氏はいわずと知れたテレビ番組「開運!何でも鑑定団」の中心メンバー。
この番組は「値付け」の面白さもさることながら、出品物の故事由来にも興味があって毎週楽しく観ている。
本書のテーマを一言でいうと”ニセモノを見抜く目を養い目利きとなるための心得”に尽きるようだ。
構成は次のとおり。
☆ 世の中はニセモノだらけである
☆ ニセモノにひっかかる三つの法則
☆ 骨董業界の厳しい修行方法
☆ 感性を鍛えるには「現場を踏む」
☆ 番組以外で絶対に鑑定をしない理由
☆ 許せるニセモノもある
とにかく、掛け軸の90%、焼き物も80%がニセモノだといってよいそうで、そもそも骨董品に限らず世の中にはあらゆる分野でニセモノが氾濫している。
騙す人間と騙される人間の双方によってニセモノは成立するが、本書ではニセモノはニセモノなりの存在意義を認めており「ニセモノ憎し」一辺倒ではないところに面白味がある。
「ニセモノがあってはじめてホンモノが光ってくる」「人間は投機性のあるものを好むので、運試しをしたい気持ちを適えさせる」など始めから終わりまで「寛容」の気持ちが一貫している。
こうした”気持ちの余裕”が逆にニセモノを見極める”目利き”の秘訣なのかも知れないなどと思ったりした。
冒頭に掲げた「真空管」の話も、「そんなにうまい話があるはずがない」という気持ちの余裕と、まともな感性さえあれば防げたはず。
結局、「騙す人間」と「騙される人間」、どっちもどっちなのかもしれない。