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『ゴールデンカムイ』第七師団・和田光示役は堀部圭亮!撮影地の“奇跡”に「ツイてるのかなんなのか…」

2023-12-30 | アイヌ民族関連

シネマトゥデイ2023年12月29日 13時36分

堀部圭亮演じる和田光示 - (C) 野田サトル/集英社 (C) 2024 映画「ゴールデンカムイ」製作委員会

 野田サトルの人気漫画を山崎賢人(※崎は「たつさき」が正式)主演で実写化する映画『ゴールデンカムイ』(2024年1月19日公開)に、堀部圭亮が出演することが明らかになった。29日、公式Xや公式サイトなどで発表された。

実写『ゴールデンカムイ』場面写真(18点)

 本作は、日露戦争終結直後の北海道を舞台に、“不死身の杉元”と呼ばれる元陸軍兵の杉元(山崎)とアイヌの少女・アシリパ(山田杏奈※リは小文字)が、アイヌから強奪された莫大な埋蔵金を巡って、第七師団や脱獄犯たちと争奪戦を繰り広げる物語。堀部が演じるのは、大日本帝国陸軍第七師団の大尉・和田光示。中尉・鶴見篤四郎(玉木宏)の暴走を止めようとする。

 堀部は「普段、あまり漫画を読まない自分でも知っている人気作品『ゴールデンカムイ』。映画化の噂は耳にしていましたが、オファーを頂いた時は驚きと共にとても嬉しかったです。短いシーンながら、参加できたことを光栄に思います」とオファー時の喜びを述懐。「撮影は2月の北海道。事前に「極寒」「ー20℃」などロケに際しての諸注意を頂き、手持ちの防寒着に加え、更に羽田空港でも数点買い足して、万全の体制で現地に乗り込むも「この時期の北海道では考えられない暖かさの日」に当たり、現場で段取りを終えた段階で汗だくに。結局、肌着なしで撮影に臨みました。ツイてるのかなんなのか…」と撮影を振り返ると共に「とにかくスケールの大きな、まさに“大作”です。ぜひ劇場のスクリーンでご覧ください!」と呼び掛けている。

 2021年の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の一人二役(赤螺吉兵衛・吉右衛門親子)も話題を呼んだ堀部。北野武監督の映画『』では宇喜多忠家を演じ、現在、三池崇史監督のスリラー『怪物の木こり』が公開中。

https://www.cinematoday.jp/news/N0140785


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ウルルにはアクティビティからロマンチックなディナーまで! 先住民の文化に触れながらここだけの体験を満喫

2023-12-30 | 先住民族関連

トラベルウオッチ12/30(土) 0:04配信

写真:トラベル Watch

 オーストラリア政府観光局によるプレスツアーに参加してきた。

 ウルルには豊富なアクティビティがあり、滞在期間を思う存分楽しみつくすことができた。非常に充実したスケジュールだったが、今回の旅だけでは知りつくせなかったウルルの姿がたくさんある。まだ見ぬウルルの表情を思うと、再び訪れたくなってくる。

【画像】アナング族の現代アート「ドットペインティング」を体験できる

 ここからは、ウルルで体験した盛りだくさんのアクティビティをご覧いただきたい。

■ アナング族の現代アートに挑戦

 エアーズロックリゾートでは、アナング族の現代アートを体験できるプログラムが行なわれている。アナング族のアーティストからレクチャーを受け、実際に自分だけのドットペインティングを楽しめるプログラムだ。

 アナング族のアーティストの言葉を英語に訳してもらいながら、ドットペインティングに登場するモチーフを学んでいく。水場を表現する円形の模様や、人間の男女の描き分け方、足跡の形で動物を表わすことなど、実際に赤土にモチーフを描きながら教えてもらう。

 今回の旅では、アナング族によるアートを見る機会が何度もあった。最初は美しいドットの連なりや細かい技術に魅せられるばかりだったが、モチーフの意味を知ってから見ると、その絵が表現するものが分かってくる。アートに内包された意味を探る姿勢を得たことは、今後芸術作品を鑑賞するなかでも非常に大きな意義をもたらしてくれるだろう。

 レクチャーのあとは、実際に自分の作品の制作に取り掛かる。落ち着いた色の絵の具を使って、黒いボードをドットやモチーフで埋めていく。作業テーブルにはモチーフと意味が記された解説書もあるので、分からなくなってしまっても安心だ。作品が完成したあとは、自分が描いたストーリーを発表したり、アナング族の先生が同じ制作時間で完成させた大作を鑑賞したり、ドットペインティングを心ゆくまで楽しんだ。

■ セグウェイでウルル外周を散策

 ウルルを訪れたら、ぜひセグウェイで岩の間近を散策してみてほしい。大迫力の岩壁のまわりをすいすい走りながら、陽光がウルルをより赤く染める美しい光景を堪能できる。

 普段はめったに乗る機会のないセグウェイを前にして不安が湧いてきたが、乗り方について説明を受けたあと、ツアーに出る前に簡易的なコースで練習することができる。乗っているうちに慣れてくるので、初めてセグウェイに乗る場合でも心配はいらないだろう。

 今回は、国立公園を移動することで場所に応じた解説が自動的に再生される日本語音声ガイドをレンタルしていた。セグウェイで移動している間にもさまざまなストーリーを聞くことができる。有料ではあるが、広大なウルルについてより詳しく知ることができ、言語も英語以外に北京語、日本語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語から選択できる。先住民の物語も実際の風景を見ながら聞けるので、散策する際は借りておくのがお勧めだ。

■ 満天の星空の下でいただく限定ディナー

 アナング族の言葉で「美しい砂丘」を意味する「タリウィル」。ウルルとカタジュタを望める砂丘で、サンセットと星空を眺めながらディナーを楽しめる。4月~10月15日の開催で、1回20名限定のラグジュアリーなディナー体験という特別感を味わうことができるので、記念日を祝う旅にもお勧めだ。

 ホテルからバスで会場へ。まずは見晴らしのよい砂丘のうえで、スパークリングワインや先住民の食材が使われたカナッペを楽しむ。アボリジナルの伝統的な管楽器「ディジュリドゥ」の音色が響くなか、沈みゆく夕陽と大地の赤色に徐々に影が落ちていく様子を眺めた。

 そのあとは、本格的なコースディナーとオーストラリアワインのペアリングを。メニューは変更されることもあるが、メイン料理のバラマンディやデザートのオーストラリア チーズ、ワインと、オーストラリアならではの食材を選択することが可能だ。ワインはそれぞれのメニューに合うお勧めのものが紹介されており、そのままペアリングを体験したり、あえて好きな品種を狙い撃ちしたりと、思い思いに堪能した。

 オーストラリアワインといえば、古樹もある黒ブドウのシラー(オーストラリアではシラーズ)が有名だが、これにぴったりのグリルド・ビーフをメインとすることもできる。夕食が終わりに差し掛かったころには、星座や先住民の物語の説明がはじまる。

 食事を楽しんだあとも、アボリジナルの文化に触れる時間は終わらない。焚き火を囲み、お酒をいただきながら、アボリジナルの文化や歴史などの話を聞く。実際の狩猟道具であるブーメランに触れることもでき、その重みを実感した。

■ 光のインスタレーションのなかで日の出を待つ

 早朝、イギリスの芸術家、ブルース・マンロー氏による大規模な光のインスタレーション「フィールド・オブ・ライト」に参加した。もともと、2016年4月に期間限定でスタートしたが、人気のアトラクションのため常設となったという。

 7エーカーの広大な大地に約5万本以上の茎に乗った電球が灯され、次々と色を変えていく。光の花畑のようなこの光景は、夜と早朝のツアーでのみ鑑賞することが可能だ。遠くから見るだけでなく、光のなかを歩いて幻想的な風景を満喫できる。

 移り変わる色を追うようにエリア内を散策しているうちに空が白みはじめ、赤土の大地とウルルが姿を現わした。明るくなってきたら、小高い丘の上へ戻り、陽の光で徐々に色を薄めていくイルミネーションを眺めながら、お菓子とホットチョコレートをいただく。刻一刻と変わっていく空と土の色、光の球体をぼんやりと望んでいるうちに、寒いウルルの夜が終わりを告げた。

■ たくさんの頭、カタ・ジュタの岩の間を歩く

 カタ・ジュタは、ウルル-カタ・ジュタ国立公園内にある巨石群で、「たくさんの頭」という意味を有する。「マウント・ワルパ」と「マウント・オルガ」の間には散策路があり、両側に巨大な岩壁を見上げる体験ができる。

 カタ・ジュタは、もとは1つの大きな岩だったものが、風化によって削られて36の巨石群へと分かれた。大きな石が固結した礫岩でできているため、石のつなぎ目で分裂しやすいのだ。このため、近くで見てみると、こぼれ落ちた岩の一部が地面に転がっていることがある。これに対し、ウルルは細かい砂が固結した砂岩なので、どこかが割れたり崩れたりすることなく、少しずつ周辺が削られていく。

 ルートを進むにつれて緑が減り、よりごつごつとした岩剥き出しの地面になってくる。転ばないように注意しながら、散策路のゴールを目指そう。

■ 逆さウルルを撮影するサンセット&キャメルに揺られるサンライズ

 旅の最後の夜は、夕暮れのウルルの変化を楽しめるサンセットツアーへ。30分ほど前から会場で待機し、スパークリングワインやおつまみを頬張る。ここではウルルを少し離れた位置から望めるので、シャンパングラスに映した逆さウルルの定番写真を撮影することも可能だ。サンセットが始まるとあっという間に暗くなっていくので、忘れず早めに撮影しておくようにしたい。

 最初は昼間の真っ赤なウルルと淡い色の空。時間が経つにつれてグラデーションが濃くなっていき、気づけばウルルは赤黒く、空にも影がかかっていく。

 夜の姿のウルルとはここでお別れだが、旅はまだまだ終わらない。翌日早朝の「キャメルエクスプレス」に参加しても、飛行機の時間には十分に間に合う。

「キャメルエクスプレス」では、なんとラクダの背中に乗り、解説を聞きながらウルルを望む散歩をすることができる。むせかえるような昼間の暑さから一転、ウルルの朝は日本の真冬のように寒いので、早朝のアクティビティを予定している場合は屋外での防寒アイテムをしっかり用意しておきたい。荷物を預け、水と貴重品を入れた細長いバッグを肩にかけよう。

 準備ができたら、牧場でラクダたちにごあいさつ。乗り方や降り方のレクチャーを受けたら、1列に連なったラクダに後ろから順番に乗っていく。全員の準備が整ったら、いざ出発だ。

 歩き始めたばかりのうちは、あたりは暗く、ラクダがのんびりと歩く心地よい揺れで思わず眠気が蘇ってきそうになる。だがしばらく経つと、遠くに見え始める光が。早朝特有の赤茶色の風景が徐々に広がっていき、背中に乗せてくれているラクダの表情も見えてくる。

 ウルルが見える場所まできたら、途中の丘で一旦休憩。スタッフにカメラを渡せば、乗っているラクダとの姿をひとりひとり写真に撮ってくれる。少し休んだあと、ラクダたちは再び牧場への道を歩き始めた。のんびりとした歩調に揺られ、徐々に温まってくる空気を感じているうちに、名残惜しさを残してツアーは終了する。

 牧場に戻ったら、相棒のラクダにお礼を伝えよう。一緒に写真を撮ったり、改めてふれあいの時間を楽しめる。受付のある建物では、それぞれのラクダたちの写真が載ったキーホルダーなど、「キャメルエクスプレス」のグッズを購入することも可能だ。自分が乗せてもらったラクダのアイテムがあれば、思い出に連れて帰るのもよいだろう。

■ ウルルとのお別れ

 朝食を済ませ、ホテルをチェックアウトしたら、飛行機でウルルからシドニーへ。赤土に乾いた草が生い茂る様子を上空から眺めつつ、ウルルをあとにした。

 シドニー空港に到着したら、シャトルバスで国際線ターミナルに移動する。このシャトルバスでは、めったに入れないような空港内の滑走路の間近を走ることができるので、飛行機好きの人にもぜひ利用してほしい移動手段だ。

 空港での待ち時間に便利なラウンジに入る際、「プライオリティ・パス」を活用する人もいるだろう。これまでシドニー空港には、プライオリティ・パスを提示することで割引を受けられるレストランはあったものの、会員が無料で利用できるラウンジはなかった。しかしながら、6月に世界60以上の「Plaza Premium Lounge」がプライオリティ・パスのプログラムに参加したことに伴い、シドニー空港国際線の「Plaza Premium Lounge」でもプライオリティ・パスを利用できるようになっている。パスを持っていれば、無料で飲み物をいただいて休憩したり、身支度を整えたりできるので、これから長い空の旅を控えている際はぜひ訪れたい。

 シドニーとウルルには、何度も訪れて体験したくなるようなアクティビティが充実していた。日本との時差も冬時間(4~9月)ではシドニーが1時間、ウルルが30分と短く、日本からの夜便の運航やラウンジのプライオリティ・パス対応など、空港もさらに利用しやすくなっている。シドニーのみであれば週末のうちに往復することもできるし、長期間滞在してウルルまでじっくり楽しむのもよいだろう。これまで、飛行時間が長いことから、まとまった休みが必要だろうと考えていたオーストラリア旅行。より気軽に訪れ、それぞれのエリアで地元の新たな一面を探したいと思った。

トラベル Watch,編集部:大竹菜々子 3週連続で金曜の同時刻(13:19)に発表された追加キャスト。これまで杉元&アシリパの前に脱獄犯・白石(矢本悠馬)と共に現れる笠原勘次郎役に島津健太郎、第七師団の伍長・玉井芳蔵役に山内圭哉が決定している。(編集部・石井百合子)

https://www.cinematoday.jp/news/N0140785

https://news.yahoo.co.jp/articles/ff06166cae3a6da5cec76188d917f184dd515c23


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アイヌの儀式やあそびなど 二風谷小ハララキ集会 地域調査活動の成果発表【平取】

2023-12-30 | アイヌ民族関連

日高報知新聞2023.12.29

「むかしのあそび」で自分たちが作った弓と矢を使い狩猟の練習を見せる2年生

【平取】二風谷小(遠山昌志校長、児童16人)で20日、地域を知り学ぶハララキ調査活動の発表会「ハララキ集会」が開かれ、父母や地域住民、アイヌ文化振興公社、町教委などから約40人が参加して子どもたちの発表を聞いた。

 総合的な学習の時間で取り組みが行われており、アイヌ語学習10時間、ハララキ体験活動10時間、ハララキ調査活動50時間の計70時間を設けている。

 ハララキ調査活動は「地域」に関するもので、二風谷の特徴を知り、地域の自然、歴史、生活、文化などについて調べる学習。地域の歴史館、博物館の施設、地域の人たちと手を携えてともに学びながら個人の課題の解決を図ることを目的としている。活動は、1997年(平成9年)にスタートし今年で26回目を迎えた。地域や町教委の関根健司アイヌ文化学習係の協力で進められた。

 2年生(2人)は「むかしのあそび」について発表。シノッポンクは「弓と矢を作り狩猟の練習」、カックイは「地面に杭を突き刺し獲物に命中させる練習」など遊びの中で、生きるための力にしていたという。

 3・4年生(9人)は「アイヌの儀式」について発表。新しい鮭を迎える儀式で火の神、川の神に感謝し豊漁を願って祈る「アシリチェップノミ」、舟に新たな命を与える入魂の儀式で舟材を授けた山の神へ感謝し、川の神へ報告する「チプサンケ」、みんなが健康で幸せに生活できるように、神々に感謝を述べ、火の神が人間の言葉を伝える役割を果たすため、取り仕切る古老が炉で火をおこして感謝の祈りを捧げる「カムイノミ」などを挙げ、「調べることでいろいろなことを知り準備が大変であることを理解した」とした。

 5・6年生(5人)は「アイヌ差別」ついて発表。差別の有無や内容、原因などの5項目についてアンケート調査、資料を活用しまとめた。1950年代からさかのぼり差別の実態や13世紀ころからの歴史にも触れた。2019年アイヌ施策推進法ができ、法律に初めてアイヌ民族が先住民族と明記され、差別の禁止も明記されたとし、直接的、文化的、制度的な差別に対する取り組みについてまとめ発表した。

 3年の貝澤斗茉(とうま)君は「儀式について調べてむずかしかったけどいろいろなことを知れた。中でもカムイノミを実際に体験して興味を持った」と話した。

 最後に遠山校長は「アンケート調査、資料、材料提供など協力に感謝したい。アイヌ文化を学習し自信を持つことで自己肯定につながっていくと思う。これからもいろいろな意味でアイヌ文化を学習し発信していきたい」とあいさつした。

https://hokkaido-nl.jp/article/32247


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イスラエルのガザ攻撃は「ジェノサイド」?ルワンダの集団殺戮と強制移動から考える

2023-12-30 | 先住民族関連

グローブ+12/28(木) 7:05配信

イスラエル政府は「テロに対する自衛」という名のもとに、パレスチナ自治区ガザ地区で大規模な空爆と地上侵攻を続けている。国連が運営する難民キャンプや病院をも標的にしたその行為は、各国から「ジェノサイド」だと非難されている。と同時に、イスラエル政府は繰り返し民間人にガザ南部に移動するよう呼び掛け、ヨルダン川西岸と東エルサレムからパレスチナ人を隣国ヨルダンに強制移住させる必要性も訴えている。「ジェノサイド」と非難されながら、人々を強制的に移動させようとするイスラエルの意図はどこにあるのか。将来、ガザでの「ジェノサイド」を検証する際に役立つと思われるのが、2024年4月に発生から30周年を迎えるアフリカ中部ルワンダのジェノサイドだ。(米川正子=明治学院大学国際平和研究所研究員)

【写真】ルワンダの虐殺記念館に展示されているジェノサイド犠牲者の写真

現在のガザのように、ルワンダでもジェノサイドと並行して大量の強制移動が見られ、それによって国の人口構成が大きく変化した。ジェノサイドの定義と目的、および強制移動の目的を振り返りながら、ルワンダのジェノサイドの政治利用について解説したい。

筆者はこれまで、元ルワンダ愛国戦線(元反政府勢力で現政権。以下RPF)幹部数人を含むルワンダ難民、コンゴ民主共和国(コンゴ)難民、国連平和維持活動の国連ルワンダ支援団(UNAMIR)の軍人、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)関係者、欧米諸国政府やNGO職員など約100人の関係者に聞き取り調査をしてきた。その過程で、ルワンダ政府がジェノサイドを政治的利用したことが明らかになってきた。

ジェノサイドの定義と目的

そもそも、ジェノサイドとは何か。「ジェノサイド」とは、人種・種類や集団を意味する古代ギリシャ語の「genos」と、「殺害」を意味するラテン語の「cide」を組み合わせたのが語源で、1944年、ポーランド出身のユダヤ人法学者、かつ弁護士のラファエル・レムキン(Raphael Lemkin)によって初めて用いられた造語だ。

その後、1948年の国連総会で「集団殺害罪の予防と処罰に関する条約」(ジェノサイド条約)が採択されたことで、法的な定義が与えられた。

本条約の2条には下記のように定義されている。

ジェノサイドとは、国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる次のいずれかの行為をいう。

(a) 集団の成員を殺すこと

(b) 集団の構成員に重大な肉体的または精神的な危害を加えること

(c) 集団の全部または一部の身体的破壊をもたらすことを意図した生活条件を故意に集団に課すこと

(d) 集団内の出生を妨げることを意図した措置をかすこと

(e) 集団の子どもを他の集団に強制的に移すこと

ジェノサイド研究者の石田勇治氏によれば、ジェノサイドは要約すると「人間の集団としての存在を否定する行為」であり、ジェノサイドを「集団殺害」ではなく、「集団抹殺」と訳す方が適切であろうと指摘している。

ジェノサイドの定義については次の2点に留意すべきだ。

第一に、上記の定義から、被害者の数は国際法上のジェノサイドの要件として大きな意味はなく、その行為の意図が重要であることだ。なので、時おりジェノサイドを「大量殺戮(さつりく)」と訳されることがあるが、それは正確ではない。しかし集団破壊の意図を判断するのは容易ではなく、例えばアメリカにおける白人(警察も含む)による黒人の殺害はジェノサイドなのではないかという指摘もある。

第二に、ジェノサイド条約における定義が狭い点だ。

レムキン氏は、集団のアイデンティティーの破壊に大きな懸念を抱いていたが、 民族言語の使用の禁止、歴史的記念碑などの破壊など、集団の特性を破壊する目的の行為である「文化的ジェノサイド」は、条約には定義されていない。

そもそもレムキン氏はナチス・ドイツの暴力支配を告発するために、ジェノサイドという言葉を用いたが、その歴史は紀元前8、7世紀のアッシリア人によるジェノサイド的大虐殺以降、世界各地でたびたび記録されている。 ある学者によると、歴史に残る多様なジェノサイドの中で、よく記憶され、よく研究されている五大のジェノサイド(big five)とは、アルメニア、ホロコースト、カンボジア、旧ユーゴスラビアとルワンダを指す。

世界から忘れられたジェノサイド

その一方で、忘却された、あるいはほとんど国際的に認知されていないジェノサイドが世界各地で起きている。

認知されていない理由として、例えば西欧諸国が直接的、あるいは間接的にジェノサイドに関わったなど国際的な文脈や地政学的な主因が挙げられる。

前回の記事にも書いたように、1996~97年のコンゴ民主共和国東部で、ツチ主導のルワンダ軍がフツ(多数派)系ルワンダ難民数万人を殺戮し、国連はその行為をジェノサイドの特徴があると明言したのにもかかわらず、それについて国連安保理などで積極的に議論する姿勢が見られない。

コンゴ以外にも、下記のような忘れられたジェノサイドが記録されている。

・1803~1876年、オーストラリア大陸と周辺島でのイギリス人入植者による先住民族アボリジナルピープル6000人

・1843年以降、特に第1次世界大戦中、オスマン帝国でのトルコ人とクルドによるアッシリア人少なくとも3万人

・19~20世紀、ドイツでのドイツ人などによるロマ50万人

・1904~1908年、ドイツ領南西アフリカ(現ナミビア)におけるドイツ人によるヘレロ族6万人

・1950年以降、中国での中国人によるチベット族(数不明)

・1965~1966年、インドネシアでの共産主義者50万人

・1971年の東パキスタン(現バングラデシュ)でのパキスタン人によるバングラデシュ人300万人

・1972年、ブルンジでのツチによるフツ20万人

・1988年、イラク北部でのイラク系アラブによるクルド10万人

・2017年、ミャンマーでの軍によるロヒンギャ族(数不明)

2003年、そして現在も続くスーダンのダルフール地方における紛争もジェノサイドだと指摘されている。

日本が関わったジェノサイド(南京大虐殺、シンガポール華僑虐殺と関東大震災直後の朝鮮人虐殺)も忘れてはならない。

ジェノサイドは主に紛争中に実行される場合が多い。

その目的について、石田氏によると、「一見無目的で不合理なジェノサイドにも実行者の様々な具体的な目的があり、ジェノサイドはそのための手段として遂行されている」。

その目的には、戦争の勝利だけでなく、経済的富の獲得、実際の脅威または潜在的な脅威の排除、現実的または潜在的な敵に恐怖を広め、信念、理論、またはイデオロギーを実行することが含まれる。 そしてさまざまなジェノサイドの共通点として、「実行者はジェノサイドを正当化し、これに人々を動員するために、敵集団を悪魔化・非人間化するための言説や表象を創出すると同時に、自衛団のアイデンティティーを強化する」を挙げている。

強制移動の目的

前述のジェノサイド条約第2条(e)は、子どものみの強制移動を指すが、(c)の「集団の全部または一部の身体的破壊をもたらすことを意図した生活条件を故意に集団に課すこと」には、大人を含む強制移動が含まれる。

その理由は、法学者によると、「個人を故郷や国境を越えて、死亡率と罹患率が極めて高いことが予見可能な難民キャンプに強制移住させることは、人権侵害を伴う。これらの目的とした軍事行動は、国家的、民族的、人種的、宗教的集団の全体または一部を破壊する意図で行われたことは間違いない」。

しかし前述のように、住民の移動を強制する際に、実行者に特定の集団を破壊する意図があったのかが問われる。実行者が安全保障や経済的な理由から住民に移動を促した、あるいは一時的な避難を意図していた可能性もあるからだ。

そもそも避難(displacement)とは、住民が紛争や迫害から逃れるために、安全を求めて国内外に逃亡している動きと認識されている。が、政府や紛争当事者からすると、その同じ動きは追放(expulsion, deportation)という意味を持つことが多い。

さらに難民を含む集団の移動は、戦略的な理由で促進されることがあるため、強制移動は「外交政策、または安全保障を達成するための国家戦略の一部」として起きている。なので、住民の強制移動はジェノサイドの随伴的な現象というより、ジェノサイドの目的でもある。

強制移動には、土地と資源を得るための追放という経済的目的がある。それ以外にも、特定の地域の人口構成を変化させ、「それによって人口の存在そのものを危険にさらす」目的もある。

そのような人口移動は民族と関連している。なぜなら、避難民と、移動を強制する政府などのアクターは、一般的に異なる民族集団(または人種)の出身であるからだ。

上記の人口構成の変化には主に2種類がある。

一つ目は民族浄化で、特定に地域から人々を追放し、「望ましくない」人々を浄化すること。二つ目は民族統合で、すなわち民族間の相対的なバランスを変え、望ましい民族集団の経済的・政治的力を増大・強化するために、人口が少ない地域に再定住することだ。

特に強制移動が大規模であれば、避難民の不安定化と敗北だけでなく、彼らの財産や収入の喪失、経済的・社会的疎外による貧困の一因にもなる。最悪の場合、大規模な強制移動は特定の集団を消滅することもある。

上記のことをルワンダの事例と照らし合わせながら、さらに検証してみたい。

ルワンダのジェノサイドと強制移動

1994年4月から7月までの100日間に、50万~80万人が殺戮されたと言われるルワンダのジェノサイド。

ルワンダでは、それに先立つ1990年にツチ主導の反政府勢力「ルワンダ愛国戦線」(RPF)がウガンダからルワンダに侵攻し、フツ系のルワンダ政府との間で内戦が続いていた。1993年に和平合意が結ばれたが、その後も戦闘は続き、一般市民は殺害された。その内戦の延長線として、1994年の3カ月間、ジェノサイドが起きた。

【ルワンダ愛国戦線(RPF)】1959年の「社会革命」でルワンダ国外に避難したツチ難民によって、1987年、ルワンダに帰還するために、また単独政権だったハビャリマナ氏に複数政党制導入という民主化を強要するために、ウガンダで結成された政治的・軍事的組織。1994年7月以降はルワンダ政権与党。

ジェノサイドの引き金となったと言われるのが、1994年4月6日、ルワンダのハビャリマナ大統領(フツ)の暗殺だ。彼が乗っていた飛行機が⾸都キガリの国際空港に着陸する直前に地対空ミサイルで撃墜され、その翌日から政府軍・⺠兵とRPFの両者による殺戮が始まった。

殺戮の端緒となった大統領暗殺は誰の手によるものだったのか。

2010年、カガメ政権下のルワンダ政府の調査委員会は、当時のフツ系ルワンダ政権内部の過激派によるものだったとする報告書をまとめた。しかし、カガメ氏の元側近だったRPF元参謀長は、フランス主導の調査に対してRPFが実行したと証言。ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)の特別調査チームも、カガメ氏が率いていたRPFが実行したと結論づけた。

ICTRの主任検察官カルラ・デル=ポンテ氏は「もしRPFが大統領機を撃墜していたのなら、(ルワンダの)ジェノサイドの歴史は書き直されなければならない。この状況は何十万人もの人々の死に対するフツ過激派の責任を決して軽減するものではないが、RPFに新たな光を当てることになるだろう」とまで述べている。 言い換えると、RPFが大統領機を撃墜したのであれば、RPFがジェノサイドを事前に計画し、RPFがジェノサイドの主な責任であることを意味する。

RPFのカガメ氏は、フツを殺戮して強制退去させることで、ルワンダ北部に「ツチ・ランド」をつくるという意図的な政策を開始。RPFは1990年にルワンダに侵攻以降、穀倉地帯である北部住民を追放し続けた結果、主にフツの住民約100万人が国内避難民となった。

同時に、RPFは、ツチ、フツを含むハビャリマナ政権の政治家、知識人、野党指導者、教師、実業家、RPFの反体制の人々を無差別に殺害した。ルワンダ政党の主要メンバーが一斉排除されて政治的空白が生まれる中、その政治的地位をウガンダなどから帰還したツチ元難民で埋めた。

1994年7月に、RPFが軍事勝利した。ジェノサイドによって80~100万人が殺戮され、同時期に旧政府の与党全員を含むルワンダ人250万人が国内外に逃亡した。当時の人口が700万人だったルワンダは、人口の半分が殺されたり避難したりしたことにより、国土の半分が「空き地」「空き家」になった。それらの多くは多数派フツが所有していたものだ。

RPFの軍事勝利後に、1959年の「社会革命」で隣国ウガンダ、タンザニア、コンゴ、ブルンジなどに避難していたツチ難民が帰還したのだが、彼らの中には国外で生まれ、帰還した際に初めてルワンダの地を踏んだ者もいる。家などの所有物がない彼らは、フツ避難者や死亡者が所有していた空き家や空き地を不法占拠した。それは国連によると、最も頻繁な人権侵害の形態の一つだった。

言い換えると、1959年のツチ難民の帰還とルワンダでの定住(空き地と空き家の不法占拠)、そしてRPF主導の政権転覆を実行するために、フツの人口追放と殺戮、つまりジェノサイドが必要だったと言っても過言ではない。

現実に、現政権のRPFは国民にさまざまな形で恐怖心を植え付けることにより、自称「望ましい」民族集団であるツチの経済的・政治的力を強化し、「望ましくない」フツやRPF体制に賛同しないツチの永久的追放に成功した。

ジェノサイド後、「ツチ=犠牲者、フツ=加害者」というレッテルが貼られたことにより、無辜のフツ市民でさえ、「ジェノサイド加害者」と間違って呼ばれることがある。これにより「敗者」であるフツのアイデンティティーも弱体化、あるいは消滅する可能性がある。その意味では、フツの「文化的ジェノサイド」も実行されたのだ。

そして「ジェノサイドを止めた」と標榜するRPFによるジェノサイドの政治利用はルワンダにとどまらず、隣国コンゴでも見られている。

現在のガザを見ると、ルワンダ同様にパレスチナ人がガザ地区からも追い出され、ふるさとに永遠に帰還できないのではないかと懸念を抱く。1948年、イスラエル軍によるパレスチナ人の村落の破壊により、大多数のパレスチナ人が恒久的に退去されたナクバ(アラビア語「大厄災、大惨事」の意)のように。ルワンダのジェノサイドの実態と影響について、今後さらに深堀りしたい。

米川正子

https://news.yahoo.co.jp/articles/b7550a6815bdb21d7e2687981b8485bcb0e382c0


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