大沢の唐猫様を訪ねて
わたしは、「六所神社」にお参りした後、少しばかり「大平小学校」を訪 たず ねて、素敵 すてき な教師 きょうし のみなさんと、かわいらしい三、四年生の生徒のみなさんにお会いして、その足で、近くの「大沢地区」の石碑 せきひ を見に行きました。
分かりやすい場所にあるわけではないのですが、先生方のていねいな説明のおかげで、無事 ぶじ にたどりつけたときは、小おどりしたいほどうれしかったものです。
「大沢地区」に行くには、「大平」の中心から見て県道を南に走ります。ゆるやかな峠 とうげ を一つこえたあと、道が下り坂で大きく右、そして左へと曲 ま がってゆくあたりで、右手の土手の切れ目から、西へとむかう道が現 あらわ れますが、この道を右に曲がると「大沢地区」に出るようです。
坂の下には、緑の田圃が広がり、その真ん中を「灰木川」が横切っています。そして、はるかむこうには、つくりかけの「新東名高速道路」が空高くそびえていました。
小さな川の左右に一面の稲穂 いなほ がゆれ、透 す きとおった水の下には「カワニナ」や「シマドジョウ」の子供がたくさんいる、そんな美しい道端 みちばた に石碑は立っていました。
わたしが子供のころから大好きな「カエル」たちも、小さいのから大きいのまで、たくさんいました。マダラ模様 もよう が目立ったので「ヌマガエル」だと思うのですが、「ツチガエル」だったかもしれません。
ひっくり返しておなかが白かったら、「ヌマガエル」だとわかるので、一ぴきつかまえようとしたのですが、失敗してしまいました。
大きい石碑の方は、だいぶ読み取りにくくなっていましたが、聞いた通り「大沢神社」と文字が刻 きざ まれていました。
しかし、「唐猫様」たど伝 つた わる小さい方の石碑はというと、風化 ふうか がはげしすぎて、石碑の文字はほとんど読むことができない様子 ようす でした。
しかし、注意 ちゅうい 深く見てみると、うっすらと「馬頭□世音」と書かれているのがわかりました。
これは「馬頭観世音 ばとうかんぜおん 」のことでしょう。ふだん、「馬頭観音 ばとうかんのん」と呼ばれる仏 ほとけ さまのことです。
- でも、馬の神様とされる「馬頭観音」の石碑を、「大沢地区」の人びとが代々 だいだい 「唐猫様」と伝えてきたというのは、何だか不思議 ふしぎ な話ですね。このことについて、わたしは一つの考えがあるのですが、説明するのが大変むずかしいため、ここでは簡単 かんたん に言えることだけ書くことにします。
わたしは、「猫」や「馬」は、その昔、山と里のさかいを守る「水の神さま」として大切にされていたのだと考えているのです。「水の神様」といっても、「雨」「風」「雷 かみなり 」なども、この神様に関係 かんけい します。 - いまは、こんな風 ふう に考えています。だから、「大沢地区」で「馬頭観音さま」が「唐猫様」といっしょにされていたとしても、何も不思議はないのです。
ひとしきり、二つの石碑をながめたり、田んぼの魚や蛙を目で追ったりした後、ふと振り返ると、後ろにはなだらかな緑の丘が連 つら なっているのが見えました。 - 伝説の「大沢の南の山」というのは、いったいどの山なのだろうと、額 ひたい を流れる汗 あせ をぬぐいながら、過去 かこ に想 おも いをはせて、わたしの今回の「大平」訪問 ほうもん は、名残 なごり 惜 お しくも終わったのでした。