六所神社内 大沢神社(浜松市浜北区大平 813)
唐猫様の石碑
五月の「大沢地区」の「唐猫様」 (右)
写真提供・大平小学校
1. はじめに
「浜松市大平」には、全国でも大変 たいへん めずらしい「唐様 からねこ さま」の言い伝 つた えがあることを、わたしはつい最近 さいきん 、知りました。きっかけは、「浜松市立・大平小学校」のブログを読んだことです。三、四年生の生徒 せいと のみなさんが、地域 ちいき のことについて勉強 べんきょう するため、山に登ったり、神社でお弁当 べんとう を食べたり、地元 じもと の老人に古い話を聞いたりしている様子 ようす には、たいへん心を引かれました。その後、「大平小学校」のみなさんのおかげで、どんな大きな図書館 としょかん でも、それこそ日本で一番大きな図書館で調べてもわからない、「大平」の「唐猫様」について、いろいろとくわしいことを知ることができました。
そのため、「大平小学校」のみなさんに対 たい するお礼をかねて、今回 こんかい の記事 きじ は、小学校三、四年生くらいの子供むけに書くことにしました (本当はもっとむずかしいです...) 。特に「大平小学校」のみなさんのために書いているのですが、もちろん、全国 ぜんこく の小学生のみなさんが、この記事を読んで、「大平」の「唐猫様」や、あるいは自分の地域のちょっとした言い伝えなどに興味 きょうみ を持つようになってくれたならば、うれしいかぎりです。よかったら、大人 おとな の方も、読んでみて下さい。親子でいっしょに読んで下さったならば、書いたわたしとしては、これ以上 いじょう に喜 よろこ ばしいことはありません。
むずかしいと思われる漢字 かんじ には、横 よこ に小さい字でふりがなをふっておきます。それでも、ときどき読めない漢字が出てくるかもしれません。そんなときは、あきらめないで、そのまま何 なに か言葉 ことば をあてはめて読みすすめて下さい。もちろん、お父さんやお母さん、まわりの大人、そして学校の先生などに聞いてみたり、自分で調 しら べてみたりするのは大変よいことです。わからない言葉 ことば についても、同じようにしてみて下さい。また、この文を読んでいて「少し長いなぁ」と思ったら、一度に全部 ぜんぶ 読もうとしないで、毎日 まいにち 少しずつでよいから読みすすめていきましょう。
それでは、始 はじ めます。
2. いなくなった「唐猫」
楊斎延一「女三の宮」 (部分)
大東文化大学・電子ギャラリーより
今回、ここで話題にするのは、「浜松市大平」をはじめ、日本じゅうの「唐猫さま」についてです。「唐猫」と書いて「からねこ」と読むのは、ここまで読んで下さったみなさんは気づいていることでしょう。でも、実 じつ は「大平」というのも特別 とくべつ な読み方をする地名なのです。私も最初 さいしょ は間違 まちが えました。「大平」と書いて「おいだいら」と読むのだそうです。
「唐猫」について、辞書 じしょ や百科事典 ひゃっかじてん などで調べてみますと、すぐに出てくるのは、千年以上むかしの日本で飼 か われていた猫 ねこ たちのことです。そのころの日本には、猫はあまりいなかったので、中国から輸入 ゆにゅう された「唐猫」はたいへん貴重 きちょう なもので、天皇 てんのう や身分 みぶん の高い人だけが、特別に飼っているものでした。もともと、「唐猫」の「唐」とは、いまの中国や韓国 かんこく などの国々をさす言葉だったのですから、「唐猫」というのは、はじめは「輸入された外国の猫」という意味 いみ だったのです。みなさんが、もう少し大きくなったら学校で勉強 べんきょう することになる『源氏 げんじ 物語』や『枕草子 まくらのそうし 』あるいは『更級日記 さらしなにっき 』などの本に、このような「唐猫」は登場 とうじょう しています。それぞれの本の中では、「唐猫」がたいへん大切にされ、かわいがられている様子 ようす が描 えが かれています。みなさんは、「百人一首 ひゃくにんいっしゅ 」に描かれたお姫 ひめ さまを見たことがありますか? あのような素敵 すてき なお姫さまたちに、猫たちはだっこされて暮 く らしていたそうです。
この次の時代 じだい 、いまからおよそ七百くらいむかしになると、「神奈川 かながわ 県」の「鎌倉 かまくら 」に侍 さむらい たちが「幕府 ばくふ 」という政府 せいふ をつくって、日本を治 おさ めるようになりました。この時代、日本では、中国からたくさんのお経 きょう を輸入したのですが、海をこえて運 はこ んでくる間 あいだ に、ネズミたちにかじられてダメになってしまうお経が多かったのです。そう、ネズミって、本もかじるんです。そこで、船乗 ふなの りたちは、船に猫をのせて、ネズミたちを退治 たいじ させたのです。お経を受けとった日本のお寺でも、やはりお経をネズミから守るために、猫を飼うところが増 ふ えたといいます。この猫たちも「唐猫」と呼 よ ばれたのですが、特 とく に「鎌倉」の近くの「金沢」で輸入された猫たちは、「金沢猫」と呼ばれ、長く大事にされました。
しかし、おもしろいのは、この時代から後、「唐猫」という言葉は、日本から完全 かんぜん に消 き えてしまうのです。日本でも猫の数が増えて、もう外国からつれて来なくてもよくなったからでしょうか、とにかく、日本から「唐猫」たちはいなくなったのでした。
3. 大平の唐猫
ところが、そんな消えてしまったはずの「唐猫」が、ほんの少しばかりではあるけれども、日本の各地 かくち に残 のこ されていることがあるのです。「浜松市浜北区大平」にもそのようなめずらしい「唐猫様」がいます。まず手始めに、「大平の唐猫」伝説 でんせつ について紹介 しょうかい しておきましょう。
「大平小学校」のみなさんによりますと、ここの「唐猫」伝説には、次のふた通 とお りのものがあるそうです。
伝説A
いまでは、もとの場所は分からなくなってしまったが、昔むかし、「大平」の「大沢地区」の南にある山に「唐猫様」という神様が祭られていた。それが、あるとき「大沢地区」の田んぼに転 ころ がって落 お ちてきたところ、「大沢」の人びとは、「年貢米 ねんぐまい 」を納 おさ めなくてよいことになった。「年貢米」というのは、昔 むかし の「税金 ぜいきん 」のことだから、これはありがたいということで、村人はたいそう喜んで、「唐猫様」を「大沢」に迎 むか えて大いに祭った。それを知ったとなり村の人間が「唐猫様」を持ち出したところ、その人は病気になって、とうとう死んでしまった。そこで「唐猫様」を元のところにもどして祭ると、水害 すいがい などの災 わざわ いは起きなくなり、「年貢米」の取り立てもなくなったという。
伝説B
ある旅人が、「大沢地区」を通るとき、猫の置物 おきもの を落としていってしまった。それを拾 ひろ ったよくばりなとなり村の夫婦 ふうふ は、二人とも病気で死んでしまった。それを気の毒 どく に思った村人が、猫の置物を祭ったところ、それ以来 いらい 、村はとても幸 しあわ せになったという。
「浜松市立大平小学校」の皆様による聞取り (2011年・五月および九月)
なかなか不思議 ふしぎ な伝説ですね。「唐猫様」とは、どんな形をした神様だったのでしょう? 石で出来ていたのでしょうか、それとも木で出来ていたのでしょうか? もしかしたら、いまの「招き猫」みたいに焼 や き物 もの だったかもしれませんね。わたしも、知りたくてしょうがありません。でも、残念 ざんねん なことに、いまはもうこの「唐猫様」の本体 ほんたい は残 のこ っていないそうです。ただ、「大沢神社」そのものは、「大平」の「六所神社」に小さな祠 ほこら が移 うつ されていますし、神社が元あった場所には、いまでも「大沢神社」と「唐猫様」の石碑 せきひ が立っています。
ここからは、少しだけ、その二つの場所を訪 たず ねてみることにしましょう。
4. 六所神社を訪ねて
ここの風景の美しさは、私の写真のうででは写せなかった...。
「唐猫様」と関係する場所 ばしょ のうち、「六所神社」の方は、「大平」の中心地にあり、小学校もすぐ近くにあります。農協 のうきょう のとなりで、県道からすぐにお参 まい りできますが、「かどや酒店」さんの横の小径 こみち を入って、緑の柿園 かきえん の中を通ってお参りすると、息をのむほど美 うつく しい風景が見られます。
石の鳥居 とりい には、太くて立派 りっぱ な綱 つな が渡 わた され、ワラか、あるいは「木綿 ゆう 」のようなものを打って作った「四手 しで 」が下がっています。ふさふさとして、よそより大きな、たいへん素晴 すば らしい「四手」です。
柿園の足もとには、「ノビル」の可憐 かれん な花が咲 さ きほこっていました。このお花は、カモミールのようなよいにおいがするのですが、香りはたいへんわずかで、気がつかない人も多いようです。茎 くき や花を折 お ってしまうと、ネギやニンニクのような強いにおいが出てしまうので、いよいよ香りがわからなくなってしまいます。都会ではすっかり高級 こうきゅう な食べ物になってしまいましたが、「ノビル」は、おひたしにして食べると美味 おい しいことは言うまでもありません。
「ノビル」のほかにも、「フキ」がたくさん生えていました。いまはもう季節ではありませんから、丸く広がった葉っぱだけが目立ちましたが、春先にはきっと多くの「フキノトウ」が芽吹 めぶ いていたことでしょう。こちらは、テンプラも美味しいのですが、わたしは「フキノトウ味噌 みそ 」にして、あつあつのごはんと食べるのが何よりも好きです。ちょっぴり苦いので、みなさんは苦手かなぁ...。
元の話にもどりましょう。
鳥居をくぐると、石の小橋がささやかな沢にかかっています。沢は小さいですが、その両側 りょうがわ は深く落ちくぼんだ谷になっていて、水の流れは、橋の下から西へと、滝 たき のようになって落ちていきます。九月のいまは水も少ないですが、春には、水かさも多くて、さぞ美しいことでしょう。岸の土手には、青竹や杉 すぎ の木、それに楓 かえで などの樹木 じゅもく がしげっており、残暑 ざんしょ のきびしい季節でも、すずしい空気が気持ちよくほほをなでてゆきます。
橋を渡 わた ると、いよいよ神社の境内 けいだい です。数段の石段を登ると、正面には、瓦 かわら ぶきの立派な神社の建物 (社殿 しゃでん ) が見えます。左には、こちらを向いて「姥神 うばがみ さま」のお社 やしろ があり、それらの間には、六つの祠 ほこら を収 おさ めた建物 (覆屋 おおいや ) もあります。その正面には「注連縄 しめなわ 」がはられ、紙の「四手 しで 」も下げられています。「唐猫様」のいらした「大沢神社」は、この中の左から四つ目、見た目だと一番まん中にある祠です。
社殿の右にも、建物はありました。こちらは大きな建物で、お祭りの道具をしまっておくためのものなのでしょうか。だとしたら、きっと、たいへん立派なお祭りが行われるのでしょうね。わたしは、一度、ここのお祭りに来てみたいものだと思いながら、大変な満足 まんぞく のうちに、この日のお参りをすませることになりました。