佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

勝浦の釣りと清丸親父の還暦祝い

2011-01-11 22:22:57 | 釣り

久しぶりに勝浦に釣りに行ってきました。清丸の船長は相変わらず元気です。ガンコな所は治りません、お嬢が3人もいて孫が6人、男の子と女の子2人づつで、似た様な年齢で親父さんも判断がつくのかなぁと思っています。

 

今回のお祝いは一般の釣人仲間と違い、清丸会と家族の祝いの席に私がお邪魔虫で出席させてもらいました。釣人で祝う界は席を改め、日を改めて行われる予定ですので、釣仲間はまたその時に出席して盛り上げて下さい。

 

結婚して40年、奥さんよくぞ辛抱されたことです、頭が下がります。ここまできたら親父がくたばるまで面倒を見てやってくださいよ。勝手なこと書いて怒られるかもしれませんが、本当によくできた奥さんです。「親父さん、奥さん大事にしなはれや、そやないと罰が当たるよ」。そして、お酒も少し控えめにしたほうがよいですよ、まだまだ長生きして、孫とケンカして嫌がられても可愛いのやろからな。

 

私もたまには行きますから、嫌がらんと好きなワイチにあげてぇな。

 

お酒が好きなのはいいのですが、お酒に負けてはいけません。私は酒を飲みませんので、酒を飲む人のことは判りません。お酒の席には数え切れないほど出ていますが、私がしらふでいるので、なおさら酔った人を冷静に見ることができます。

 

いろいろな会合でも、飲み食いが割り勘とかになると意地汚い人もいる。日頃、お金に汚い人もこんなときには飲まないと損、食べなくては損とばかりの人もいる。情けない事ですが、性格でしょう。

 

肝心の釣りの話がどこかへ行ってますが、今回は相棒もなしで、清丸会のIIさんに、お供してもらいました。2日間ありがとうございました。私がいるためにIさんはあまり釣れませんでした、申し訳なし。

 

8日の土曜日は仲間との2週間に1度の定例中国語勉強会のために、迎えに来てもらうのを夜の9時にしてもらい、チーポン。8時に終わりにしました。仲間からエサ代をいただきまして、和歌山の富田にある藤原名人のお店、海クンにてエサを仕入れ、夜中の130分ごろに到着、勝浦も近くなりました。

 

そして、船長の家の2階で仮眠、9日の午前5時に起こされて6時過ぎに出船。海は波もなく穏やかです。まだ薄暗い海上を親子の船に分かれて乗船しました、私は親父さんの船で沖の山成群島のチョウシにIさんと2人で上がりました。

 

潮はあまり流れがなく、上ったり下ったりのどんよりとした潮で活性がありません。そのうえ、寄せてくる潮で上物の潮とは言えませんが、磯際より釣り始めました。

 

私は生オキアミで、Iさんはボイルを使いました。磯に上がってから30分ぐらいして初めてアタリがありました。そして7時過ぎにやっと1匹目、25センチ程度のグレ。続いてIさんにも同じようなのが釣れました。

 

小さいなぁと言いつつも彼らは今日、大会も組んでいるのでキープしましたが、あとが続きません。磯から竿2本ぐらい先でアタリがあり、気持ちよく引いてくれて36センチのグレが釣れました。これが今日の最大でした。

 

その後、私は五目釣りになり、イガミ、イソベラにタカノハ、ハゼのようなものまで釣れてきましたが、Iさんは気の毒に根がかりばかりしていました。沈ませ釣りとやらで底の方まで探っているからでしょう。結果私はグレ4匹とイガミにタカノハでした。

 

翌日は「オジャウラ」に磯を変更していきましたが、アタリも無く丸坊主を食らいました。帰りは高速が込むので大台を越えて帰りましたが、ところどころ雪がまだ残っていました。これから2月の尾鷲の大会のころまで大台越えは難しくなります。

 

でも、帰りは勝浦を3時半に出て大阪の私の家に着いたときは4時間で帰りました。私はよく寝かしていただきました。往復運転の畑清丸会の会長、お疲れさんでした、また機会があれば連れて行ってください。

 

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