佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

「魔魚談序章」その1・・八木禧昌作

2011-01-06 20:51:00 | 釣り

昨日書きましたように「我が大物たちの記録」の中から連載していきますので楽しんで読んでください、今日から八木氏のを3回にて掲載です。

 

プロローグ

 

これまでに、釣ったり、採ったり、飼ったり、さまざまな魚に出会っ たが、生涯忘れ得ぬ魚、というのも少ないけれどいる。

 

これはその中で も僕にとって「極め付き」と言える魚との出会いの物語である。しかも 僕は、僕流の「術」を行使することによって、たった一度しか会ってない魚なのにいまも会うことができる。会えるだけではない。数千キロ彼 方の出会いの場所に、時空を超えて瞬時に立つことが出来るのだ。

 

のっけから、怪しげな大風呂敷を広げられ、読者諸彦には直ちに信じ てもらえそうもないが、この物語は釣った魚の長さや重さという既成の大物の概念には当てはまらない不思議な力を持つ魚と出会った感動の記 録である。

 

果たして生硬な筆致で、どれだけその感動を伝えられるかわ からないが、事実を忠実に書き記していこう。そして僕の体験と興奮を読者諸彦と「共有」できることになれば、望外の喜びである。

 

物語のキーワードは「においの記憶」だ。

実は、この物語の主人公は、中国・内モンゴルの渓流で出会った1匹 の魚、中国での標準名に、いいにおいを表す「香」の文字が入っている。魚体からいいにおいを発するだけでなく。姿態や色も美しく、味も よい高級魚だ。

 

たちまち賢明な読者諸彦から、それは「アユ」じゃないか、とご指摘 があるかもわからない。たしかに手元の中国科学出版社発行の「中国経済動物誌・淡水魚類・第二版」(一九七六年刊)にアユは香魚=「鮭形 目・香魚科」と記載されている。

 

読みはシャンユィだ。我が国でもアユ は鮎のほかに「香魚」とも書く。アユが魚体から発する芳香について は、ウリであり、スイカであり、メロンであり、アングラーなら、とっくにご承知のことだろう。

 

 一般に魚のにおいは生臭い、といわれる。昨今のお台所の魚離れの要 因もそこにあるそうだ。にもかかわらず「魚でいいにおい」と聞いて即 座にアユを連想するのは、魚に造詣の深い読者諸彦ならではのことだろう。だが、違った。残念ながらこの物語の主役はアユではない。

 

 ウィ(シャン)ユィ

前記、中国の魚の図鑑を手に入れたあとしばらくしてやはり山渓魚探 索で中国東北部鴨緑江水系(遼寧省)に出かけたとき、瀋陽で「中国淡水魚類的分布区域」(中国科学出版社出版・一九八一年刊)なる書籍を 入手。内容は五年前の前記図鑑より濃密だった。

 

その中に記載の「茴 (香)魚」に僕は惹かれた。()書きだが、あきらかに香の字が魚名に 含まれている。つまり、ウィキョウのにおいのする魚=ウィ(シャン)ユィ=と読める。

 

中国で「ウィユィ」と発音するこの魚、欧米での呼び名は、グレーリ ングだ。フライフィッシングをされる皆さんからは、なんだい、もった いぶって、グレーリングなら知っているよ、といわれそうだが、中国で、グレーリングが「茴香魚」として発表されていることを僕は、この 本ではじめて知った。

 

ウィキョウは地中海沿岸からヨーロッパ一帯が原 産のハーブの「フェンネル」である。いい香りで定評のあるハーブだ。 俄然、本当にウィキョウのにおいがする魚なのかどうか、確かめたくなった。一旦興味を抱くと、あれもこれもと手を伸ばしたくなる僕の 「いちびり精神」に火がついた。

 

この本によると中国にはグレーリングが二種いるとか。「北極茴 (香)魚」と「黒竜江茴(香)魚」だ。前者は北流するロシアのオビ河 源流額尓斉斯(エルチス)河流域の新疆ウイグル自治区の辺境にすむという。後者は黒竜江=アムール河=流域の広大なエリアに分布するとい う。ほかにもこの魚に関する情報がおいおい集まり出すとわけもなく心 が躍った。この魚だけじゃない。イトウやコクチマス、その他アブラビレの魚の中国大陸での消息が続々集まってきた。

 

たださえ狭い部屋に地 図や資料が溢れ、まるで少年時代に遊んだ戦争ごっこの「参謀本部」の 様相を呈してきた。

 

そんなこんなが下敷きになって、一九九七年、アブラビレの魚が好き な仲間うちで誰言うとなく中国東北部・アムール河水系へ釣りに行こ う、ということにあいなった。一九四二年、当時京都大学の先生や学生だった人々が中心となりおこなった、学術探検「大興安嶺探険(今西錦 司隊長)」の足跡の一部を(畏れおおくも)辿ってみようという、実に 破天荒な思いつきに、たちまち十二人のアングラーが「行こう」と名乗りを上げた。

 

やがて「大興安嶺釣魚訪中団」の看板が上がった。まだ旅 行日程も定まらぬ内から、団員はそれぞれに思い描いた「未知釣行」の 甘美に酔っていた。いちびりの僕も、上ずっていた。手書きの団内新聞を三号まで発行するという力の入れようだった。

挿絵は外国の方が描いた絵です。

コメント
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