ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
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メール isamix@gmail.com
 



今年もふろしきがんばります。

また何かと新たな結び方も生まれましょう。

完結する連載あれば、新連載も始まるかも(未定)。

時たまテレビ等にも登場します。

今年は動画を色々と撮ります。
盛り上がりますよ!

用事あれば、いつでもご連絡ください。

そして、僕のふろしきのいちばんの特徴は、様々な個性的な結び術も
さることながら、身体の使い方にあります。

ふろしき包みが揺れない持ち方、歩き方、背負って走っても
包みはほとんど揺れません。
この、無理も負担もない省エネな動作こそが神髄であり、
余裕や隙間が美や芸術性さえ生むと感じています。

風呂敷を通した舞い。
環境、場と一体になり、自我は消失する。

これからも、我が道を究めて参りたい。

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読書が大好きであるが、せっかちで読むのも早いため
すぐに読む本が無くなり手持ちぶさたとなる。

そのため、昨日は湯に浸かりながら、地図を眺めていた。

図書館は10時に始まるから、出掛けには寄れない。
駅でちょっとした文庫本を買うこともあるが、
本当にインタレストな本にはなかなか逢えない。

出版業界不況というが、みながネットから様々な情報を得られるからではなく、
近頃の本の内容がつまらないからだ。

編集者がはじめから机上のテーマなりコンセプト、イメージありきで
そこに強引に寄せ集めたパーツをねじ込むから、
薄くて人為的な二番煎じの出来になってしまう。

脈絡がなさそうでも、一つ一つの魅力的な原石を有機的に混ぜ合わせて、
そこから醸成さるる後から見えてきたテーマに合わせて
柔軟な枠を設える方が自然だ。
この世界、いちいちけじめや境界は本来存在しないのだから。

清も濁も、聖も俗も、裏表も同時に在り、しかも結ばれあっている。

まさに風呂敷のように、ごた交ぜの中身に合わせて
ふにゃふにゃと形を変えながらも、まるまる包み込んで
一つの宇宙にまとめ上げる、そういう道程やまなざしを持てば、
これからも素的な本はいくらでも発生するだらう。

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食いしん坊ながらも、本能鮮やかに正確無比たる子どもたちは
ご飯を無理に片付けることはせず、残すこともある。
小さい子ほどそうだ(床に落っことす量も多いから、ウズラでも放そうか)。

残り物は親が食べますが、それがなかなかの量なこともあるので、
親は初めから満腹に食べず、小盛りにして腹半分で待機するのが賢明だ。
さもないと、子育てメタボチックになっちゃう。

食べ過ぎは、食べないよりも内臓への負担となる。

もっともよくないのは、きちんと食べる時間がなくて
お菓子で済ますことだ。
大量の砂糖と酸化した油で、てきめん負担が大きい。
食後につまむ程度なら、ご飯たちと中和されるが
お菓子のみでは、その量も増えやすいし、心身馬鹿になろう。

もっとも、手作りのパンケーキ等ならば優しい。
出来合いのパッケージされた菓子は危険。

体が求めるカロリーをかき集めるために、必要としない成分まで
てんこ森盛りに摂取して、その消化に肝臓やすい臓を傷める。

たまにならよいが、忙しくて毎日お菓子ばかりでは死を早めるし、
新しい創造的な思考は濁されて、過去の杵柄だけで惰性に
流されてしまうだろう。

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今日は息子と浅草の新年会に行った後、三ノ輪の
おいしいパン屋「オオムラ」でちょっと買い物と買い食いをし、
次に手撞きなお餅「月光」さんで、ぜんざいと
お土産のお餅を求める。

暖かな日だった。長女が前日ミカンを食べ過ぎたのか
吐いてしまったので、2人だけで出かける次第となった。

田舎といってもよい日野市から都心へ出るのは、
移動時間と混雑によりどうしても心身疲弊しやすい。

一人一人が、住んでいる街で働けば、本当のまちおこしになる。
僕が風呂敷の引き売りでも始めて、そのうち高幡不動の参道に
ささやかな風呂敷屋をひらくとか。

みなが車を手放すことで、自転車や馬やリヤカーや徒歩にやさしい
街となり、自ずと健康にもなる。

全体が急に極端に変わることは難しいだろうが、
個性あるモデル地区は観光地としても
魅力的でしょう。

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今思い出したのは、この暮れには
年越しそばを食べていなかったこと。

もっとも、仙台の妻の実家に来ていましたし、大晦日は
ちょうどぶり返したように寝込みながら
日に何度も嘔吐していたのでした。

その頃、東京は日野の自宅に残してきたウサギは、
ケージの上に山と積まれた牧草を食んでいたでしょう。

ウサギの食事はシンプルでよい。
野原に居たって、草にカラスノエンドウにギシギシに笹に
ヨモギにタンポポに、とサラダのみだ。

もしも吾輩が一種類の献立のみで生涯暮らすならば、
蒸して炊いた胚芽米に漬物(きゅうり糠漬け、
白菜おしんこ、タクアン、梅干し等)がよい。
南国なら毎日果物でも。

服も、四角い布が数枚あれば、衣に結んで着られる。
風呂敷は、シャツにもズボンにも羽織にも腹巻きにも
エプロン、帽子、頭巾にも手袋にも結ぶことができる。

僕は風呂敷の結び方も、これはこうする、と決めたくない。
人により千差万別のアレンジやその場の創意工夫があり、
人毎や家ごとに独自の結び方文化が存在したら、多様で
とっても奥深い世の中となろう。

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