今、語彙調査で1906年の文章を調べています。1906年は、明治39年で、後5年で大正時代です。まだ100年前とみるか、100年も前とみるか、どちらが適当なんでしょうね。
さて、その100年前の文章ですが、現代では珍しい表記もたくさん見られます。たとえば、
「中々、六ケ敷い」
これ、なんて読むかわかりますか?正解は「なかなか、むつかしい」なんです。
「むつかしい」と「むずかしい」は同じ言葉です。古語では形容詞は「し」で終わりますから、「むつかし」です。室町期までは、「むつかし」と発音されていました。「むずかし」が出てきたのは近世末といわれ、以後、両方の形が存在します。現在では「むずかしい」のほうが一般的です。東日本では「むずかしい」、西日本では「むつかしい」と東西対立していましたが、共通語としての「むずかしい」が日本全体に広がったのでしょう。(『日本国語大辞典』第二版「むずかしい」の語誌参照)
というわけで、タイトルの「六借、難、六ヶ敷」はすべて「むつかし」と読みます。特に「六借」という表記が古辞書に多く載っています。
1906年の文章は、表記は難しいですが、読んでも意味がわからないということは決してありません。夏目漱石をはじめとする明治の文豪たちの文章は書かれてから、すでに1世紀も経っていますが、なお、たくさんの愛読者がいますよね。やはり、まだ100年前なんでしょうか。どう違うのか、何が同じなのか、その差を明らかにしていきたいと思います。
さて、その100年前の文章ですが、現代では珍しい表記もたくさん見られます。たとえば、
「中々、六ケ敷い」
これ、なんて読むかわかりますか?正解は「なかなか、むつかしい」なんです。
「むつかしい」と「むずかしい」は同じ言葉です。古語では形容詞は「し」で終わりますから、「むつかし」です。室町期までは、「むつかし」と発音されていました。「むずかし」が出てきたのは近世末といわれ、以後、両方の形が存在します。現在では「むずかしい」のほうが一般的です。東日本では「むずかしい」、西日本では「むつかしい」と東西対立していましたが、共通語としての「むずかしい」が日本全体に広がったのでしょう。(『日本国語大辞典』第二版「むずかしい」の語誌参照)
というわけで、タイトルの「六借、難、六ヶ敷」はすべて「むつかし」と読みます。特に「六借」という表記が古辞書に多く載っています。
1906年の文章は、表記は難しいですが、読んでも意味がわからないということは決してありません。夏目漱石をはじめとする明治の文豪たちの文章は書かれてから、すでに1世紀も経っていますが、なお、たくさんの愛読者がいますよね。やはり、まだ100年前なんでしょうか。どう違うのか、何が同じなのか、その差を明らかにしていきたいと思います。