発表前に少しPPTを直そうと思って、「シイン」と入力したら、普段使っていないパソコンだから、私仕様に学習していなくて、
変換された文字列は、
「死因」
ふ、不吉な。
私の専門は音韻です。
「子音」です!
蔵王駅で女子高校生か女子中学生が会話をしています。午前8時ぐらい。
女子A「どうしよう。お腹痛い」
女子B「大丈夫?」
女子A「だいじょばない」
女子B「ええ!」
ええ??
大丈夫は動詞でしたっけ?
遊ぶや飛ぶと同じ五段活用の動詞?
だいじょぶと引き音節がなくなっているのも面白いです。
母は,ブログのネタにされるのを警戒して,最近では自分からは言わず,私に言わせようとします。
庭にある椿の名前がここ数日,どうしても思い出せなかったらしく,
「ほら,茶室に飾る,椿の名前,何やったかいな?」
と聞いてきます。
私が答えます。
「何やったっけ?『むくすけ』?」
それを聞いて,
「そうそう,『侘助(わびすけ』!!!」
母は,数日,思い出せなかった「侘助」を思い出せたのが,うれしいと同時に,私が,「むくすけ」と言ったのが面白かったらしく,その後,「『むくすけ』って何~。槿(むくげ)と混ざったんちゃう~」とか何とか言って,楽しんでいました^^
忙しい毎日が始まりました。
今日は,早めに帰宅し,少し余裕があったので,久しぶりに母と電話で話しました。
母は,自分は,長女だから,のんびりしているということを言いたかったらしく,
「私は,ほら,『そうろう(早○?)の甚六』やから・・・」
と,何度も何度も,「そうろう」,「そうろう」,と言います。
もう,私は「そうろうの甚六」を想像するとおかしくておかしくて。
母上,「そうろうの甚六」ではなく,「そうりょう(総領)の甚六」です!
そうりょうの甚六(じんろく)(『精選版日本国語大辞典』より)
長子は次子以下にくらべて俊敏でないの意。長男または長女は,大事に育てられるので,弟や妹にくらべるとえてしてお人好しで愚鈍だということ。
今朝は,今季で一番涼しい朝だそうです。
某公共放送の天気予報を見ていました。
「これまでは,気温が下がりづらかったんですが,…」
わぁぁぁ,前から最近の「~づらい」の使い方が気になっていたけれど…
一瞬,「気温」という生命体が,下がろうと努力しているけれど,なかなか温度が下がらない,心理的に辛いと思っているという妙なイメージが浮かびました…。
20年以上,使ってきたコーヒーメーカーがとうとう壊れました。
昔に比べて,コーヒーを飲む量が減ったので,買い替えることはせず,コーヒードリッパーで毎朝入れています。
コーヒーを入れるたびに思い出すのが,父が入院していたとき,病院のデイルームで母と妹と休憩していたときのことです。
ドリップコーヒーを入れているとき,私がせわしなくお湯を入れていると,妹が言います。
「お姉ちゃん,ちゃんと,『おもらし』せな!!」
ひぇぇ~。何を言っているのだ,この子は~と思ったんですが,よくよく聞いて見ると,どうやら,
「おもらし」ではなく,「お蒸らし(おむらし)」だった模様。(お湯をかけて,少し時間をおいて,蒸らしたほうがおいしいコーヒーができるんだそうです。)
変なところに,「お」をつけないで~と思ったものでした^^
うちの人はよく,播州は関西ではない,ボケとツッコミができないと言って,人をよくからかいます。
先日,その通りかもと思ったことが…
『朝日新聞』2016年9月21日水曜日の夕刊に次のようなタイトルが…(「まだまだ勝手に関西遺産」)
「ギンギラギンに隙間なく~♪」
姫路には,ゴム手袋(ショーワグローブなど)やマッチなど,目立たないけど,人々の生活に寄り添ったものを作る工場があります。
この記事は,日常生活から消えていくマッチについて書かれたものでした。(先日も,兼松日産農林株式会社がマッチ製造販売から撤退というニュースが流れました。)
あ,そうか。「マッチ」,すなわち,「近藤真彦」のことか。だから,ヒット曲「ギンギラギンにさりげなく」をもじって,「ギンギラギンに隙間(すきま)なく」として,マッチがずらっと並んだ製造過程の写真を掲載したのか,と記事を全部読み終わって,だいぶん,時間が経ってから気づきました。
ふ,不覚…
以下,記事抜粋です。
国産マッチの約9割が兵庫県でつくられていることは、あまり知られていない。「日本燐寸(マッチ)工業会」という業界団体も神戸にある。先日、工業会の岡田兼明(かねあき)会長(61)が経営する大和産業(姫路市)の工場を見学し、マッチがどのように作られているかを見せてもらった。
(中略)
日本のマッチ産業には140年の歴史がある。本格的な生産が始まったのは明治初期(1870年代半ば)。生産拠点は東京から名古屋、関西に広がり、原料輸入と製品輸出に便利な港がある神戸が一大生産拠点となる。神戸で造船や鉄鋼などの産業が発展するのに伴い、マッチ生産はさらに西の姫路へと移った。(後略)