昨日、NHKの「歴史秘話ヒストリー」という番組で、宮沢賢治を取り上げていた。題して「サラリーマン宮沢賢治・涙と汗の最後の2年半」
宮沢賢治は明治29年に岩手県里川口村(現花巻市)に生まれる。父親は質店を営んでおり富裕な家庭に育った。
しかし自分の周りで、冷害に苦しむ農民が貧困生活を送っているのを目の当たりにして、自分の境遇と比べ葛藤し父親と対立する。
家出同然で上京して仕事の傍らに童話創作に没頭するが、妹の病を機に帰省。農学校の教師となる。
その後、一関の石灰肥料会社に入社し、東京で肥料販売の営業を担当するが、急性肺炎で倒れ再び帰郷を余儀なくされる。
故郷で療養するが、その甲斐もなく37歳の若さで亡くなった…。
「雨ニモマケズ」の詩は、岩手に帰郷した後に手帳に残され、賢治の死後に愛用のトランクの底から見つかったそうだ。
「サラリーマン」として2年半、苦労して石灰肥料を売り歩いた頃に「雨ニモマケズ」の素案が出来上がったと思われる。
ふ~ん、こうやって賢治の生涯を理解し、病に倒れる前の2年半に営業で大きなトランクを提げて東京の街中を歩き回っていたことを知ると、この詩が俄かに身近に感じることが出来るようになった。
宮沢賢治もいろいろ悩み、営業マンとして苦労して、自分の理想の人生を思い描いてこの詩を作ったんだなぁ。頑張っていたんだなぁ。いろいろな想いが籠められた詩なんだなぁ。
そんな賢治が人生の最後を迎えたのが、現在の総合花巻病院。そしてそこの勤務医だった僕の母方の祖父が、宮沢賢治の最後の脈を取ったのです。(ホントですよ)
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今年の混声合唱団のサマーコンサートでは、北海道・東北所縁の合唱曲を取り上げる。その1曲として「雨ニモマケズ」を歌う。
力強くて、とても良い曲です。