呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

蔵王山麓暮らしのオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

「お母さんへの手紙」について、もう一言

2007-10-30 | 家族のこと
もう落ち着きましたか?と聞かれれば、漸く落ち着いてきました、と応える。
しかし、手紙にも書いたように、妻が家に居ないことが当たり前で、全く気にならなくなるということは在り得ない。
我が家では、この先永遠に妻が居ないのだ。
そこに穴が開いていることには、多分慣れるのだろう。
でも、慣れたからといって妻のことを忘れることは、絶対にない。
今はまだ家の中に、妻が暮らしていた頃そのままに遺品が置いてある。
妻のベッドはそのまま、クローゼットを開ければ衣類が掛けてある。
洗面所には妻が使っていた乳液とか化粧道具などもそのままだし
食器もスリッパもなども置きっ放しだ。
事あるごとに妻のことは想い出す。
ただ刻が経てば、その妻を想い出す度に悲しんだり涙を流したりはしなくなる、というだけのことだ。

妻が居ない、母親が居ないということは、家族それぞれの心の中にあるジグソーパズルの、肝心なピースがどうしても埋まらないということだ。
どんなに探しても、そのピースは見つからず、埋めることができない。
だから、仕方がなく肝心な部分が欠けたジグソーパズルを、それぞれが心の壁に掛けている。
いつしか、その欠けた部分が余り気にならなくなるのかもしれない。
でも何かの切っ掛けで、欠けていることに気がつき、悲しくなってしまう。
この繰り返しなのだろう。
ひょっとして僕のジグソーパズルの欠けているピースは2~3個かもしれないが、子供たちのは10個も20個も欠けているかもしれない。
それだけ母親の存在は大きいのだろうから。

パズルの欠けたピースが、永遠に埋められないと気に病んでいるのに
「そのうち自然にピースは埋まるさ(=時間が解決)」とか
「別なピースを持ってくれば、多少合わなくてもはめ込めば良いさ(=再婚)」
的な、デリカシーが欠如した発言もたまにはある。
ピースが埋められない辛さは、経験者しか分からないとは思うものの、その気遣いのなさには、憤りを感じる。
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お母さんへの手紙・その12~3週間ぶりの墓参り

2007-10-30 | 家族のこと
お母さんへ
久しぶりの手紙となりましたね。
お墓へも2週続けて行けませんでした。
段々こうやってお墓参りも間隔が開いていくんでしょうか。
勿論毎日仏壇の中やリビングの壁のお母さんの写真を見ているし
お母さんも僕たちのことを見ていてくれるのでしょう。
でもお墓に行くというのは、また別の気持ちになります。
「お墓に眠ってなんかいません」と言うけれど、やっぱりお母さんはそこにいるように思います。
お墓には、お母さんに会うために行くんです。

久しぶりに会う人に「落ち着きましたか?」と聞かれることがあります。
確かに落ち着いてきました。もう5ヶ月が過ぎたのだから。
でもお母さんのいない生活に少しずつ慣れては来たものの
お母さんがいないことが「当たり前」には、決してなりません。
家族の中にお母さんがいない、お母さんが欠けている状態が
これから永遠に続くのです。
これは家族をなくした経験をした人でないと理解できないでしょうね。
家族が一人いない穴は、どんなことがあっても埋まらないんです。
その状況に如何に慣れるか、ということです。
そういう意味では、確かに慣れてきて落ち着きつつあると言えるでしょう。
お母さんだって、多分まだまだ気になることがあるよね。
Waは大学に受かるだろうか、Yuは就職できるのだろうか。
二人ともちゃんとやって行けるのだろうか。
結婚は?孫の顔も見たかった・・・。
そんなことを僕が言っていると、いつまでもお母さんが落ち着かないかもしれませんね。
でも僕は別にお母さんが極楽浄土に行かないで、僕らの近くにいてくれてもいいんですよ。
これってお母さんには酷な言い方なのかもしれませんね。
お母さんが極楽にも行けず、来世にも行けないのでは、やっぱり可哀相しょうか。
傍に居てってお願いするのは、いけないことなんでしょうか。

この前は、新座のおばあちゃんとWaと3人でお墓参りをしました。
Waは今が一番大変で大切な時ですが、なるべくお母さんのお墓には行きたいと言っています。
いろいろ不安もあって、お母さんに縋りつきたいんですかね。
まだまだそういう年頃ですもの、縋りつかせてあげてください。
お墓の傍の東屋で、3人で昼ご飯を食べました。
コンビニで買った、おにぎりやサンドイッチです。
お母さんと一緒に食事をしている気がして、落ち着きます。
この墓地は静かで緑も多く、とても落ち着きます。
ここにして良かったと思います。
また行きますからね。待っていてください。
仙台のおばあちゃんも行きたいと言っていました。
またみんなで話をしましょう。その時まで、ゆっくり休んでください。
もう病気の心配をすることはないのだから・・・。
それではまたね、お休みなさい。

ippoより
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