十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

闘病記 退院

2016年06月30日 | 生活
本日、11時に退院した。怪しげな空模様だったが雨に振られずに実家に帰ることができた。

入院してから3か月、ヤレヤレである。

でも、まだ完全治癒したわけでもなく、入浴時や身体を横にする時以外コルセットを装着すること、腰に負担になるようなことは避けること、経過を診るために外来受診することなど注意を受けた。

1週間後に受診の予約を決められており、行かなければならない。この時チャリンコに乗れるか聞いて見ようと思っている。

骨が元のように固まるまで半年かかるそうで、どの時点でコルセットが外せるのか、外来受診して主治医が判断することなので先は長そうである。

医者と喧嘩して勝手に早期退院したNさん、大丈夫かしら、とふと思い出した。

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闘病記 退院

2016年06月29日 | 生活
昨日、ようやく問題のストレッチャーでの入浴がなくなり、自分で入浴できることになった。
といっても完全に一人ではなく問題なく入浴できるか、監視付きである。それで問題なければ1人で可能ということになる。
風呂といっても風呂桶に浸かるのではなく、シャワーを用いてのものである。身体を洗うだけ、温まるといういうものではない。

1人で入浴できるようになって、自宅での生活が可能との見極めができたら退院ということになる。

そこで主治医に退院時期を看護師に聞いてもらった。

そしたら今朝早々に主治医が病室にやって来て、「いつ退院しても構わない」と伝えに来た。1回2回一人入浴してからというつもりでいたのでちょっとビックリ。

明日は30日の月末、切りもよいので退院手続きを進めるよう看護師に依頼した。

世話になった看護師、療法師、看護助手や相部屋だった患者に挨拶をして回った。皆喜んで労いの言葉をかけてくれた。

4月1日からまる3月の入院生活、長かった~。
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一法言:死は平等

2016年06月28日 | 一法言

個体的生命は死んだらお終い、死んで生き続けるということは絶対ない。以下見解を表明させてもらう。
しかし、何もかもなくなるということではない。生きた証は残ることは間違いない。

1.死後の世界を体験し蘇った者はどこにもいない。どこにも死後の世界の情報はない。

2.臨死体験は死んではいない。仮死状態で死んでいないから蘇生するので ある。

3.生命情報は複雑多岐にわたり、DNAなど一定の形状を有する物質的媒体に記録 されてこそ利用できる。幽霊に媒体となるべきものはない。記録されない情 報は電波の如く飛び去るしかない。

4.次の世の生はいつのものなのか。ボケ老人が死んだらどうなる。それが 行き着いた最終の精神なのだから 延長線上のボケた霊魂でいるしかない、理屈を考えればそうなる。

5.生前の記憶を有する者がいて、生まれ変わりの例として挙げられるが、 極々断片的な思い出話で決め付けはできない。 多重人格者は容易に別人格を演出することができるようである。
自分のことを胸に手を当てて考えてみるといい、一体どんな記憶の断片があり誰の生まれ変わりと特定できるのか。万人に一人もそんな人間はいない。

6.自分や自分の子がどこかの訳の分からない者の生まれ変わりとは信じたいのであろうか。断じてノーである。夫婦の愛情の中に第三者が入り込み、 それが自分の本体だとなればこれ程おぞましいことはない。
それでいつ死んだはず俺なるものが飛び込むのか、それは受胎の時だという。出歯亀やピーピング・トムが俺だということになってしまう。
まさに 親不孝の極みである。

7.不遇な人間を前世の悪行のせいにするのは、差別思想の最たるものであ る。

8.零歳児の死も百歳翁の死も死は死であり平等である。善人の死と悪人 の死とに差別はない。自殺も他殺も自然死もそこには差別はなく平等であ る。差別をつけるのは生きている人間である。

9.いろんな宗教が死後の世界のことを説いているが、その内容は皆違う。
しかし、死後の世界の話で金儲けしている、そこは共通している。

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一法言:死とは?死後の世界とは?(2)

2016年06月27日 | 一法言
以前立ち読みした本の中にこんなことが書いて あった。

死後の世界はあるかないか分からない。しかし、あると考えるか、ない と考えるかで人生に大きな違いが出る。

その著者の主張はあると考えるべきだというのである。
あると考える人は実際 にあったとしたら、それに対し心の準備ができている。
しかし、ないと考えていてあったとしたら大変である。何の用意もされていない。次の世はろくな人生とはならないだろうというのである。
一方、もし、なかったとしたら生前にあると考えようがないと考えていようが同じである。

この著者のある無し論を前提にした上での、私の反論は次のとおりとな る。

次の世がないとすると、まともな人なら今の世を精一杯生きようとするのではないか。その人が亡くなり次の世があるとするなら、因果の理法によりその延長線のものとなるはずである。ちゃんと用意ができていると考えるべきである。

次の世があると信じて生きたら、あったとしたらそれはそれでよしとい うことになるが、なかったらとしたら今の生き方を問題としなければならない。延長した人生があるとしたらそれなりの安心はあるかも知れないが、 妄想の中で真剣味のない生き方になってしまうのではないかということで ある。

さて、次回は死後の世界なんか存在しないという、理由を列挙してみる。

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医者は50人殺して1人前

2016年06月26日 | 生命
「 医者は50人殺して1人前 」
いささか穏当を欠く言葉だが、内科医をしていた弟の言葉である。誰かから聞いた言葉なのか、弟自身の言葉なのか分からない。弟は病気で多くの記憶をなくしてしまっているで代りに紹介する。
もちろん、殺そうとしての話ではなく、救おうとしても救えなかった。自分のミスで殺してしまったのではないか。他に救える方法なかったか等悔恨、反省の上から出た言葉なのである。患者が勝手に死んだという考えからは殺すという表現は出てこないと思う。

ところが、下の記事を見てもらいたい。これは以前、私が病院勤めしていた時に社会保険旬報という雑誌に出ていた記事で衝撃を受けたので書き写しておいたものである。
22年も前の記事であるが、傾向はあまり変わっていないのではないかと思う。
驚いたのは35歳未満の医師の39%が死後の世界を信じているということなのである。全体からすると特異な傾向がみられる。その年代が特に信心深くなったわけでもないだろう。
自分のミスで殺してしまっても、死後の世界で生き続けていればいいなんていう、責任回避的な気持の現れではないだろうかと思う。
こんな医者に身を任したくはないが諸兄はどう思われるだろうか。


医師・歯科医の死生観 保団連調査 (社会保険旬報 94.11)

医師・歯科医師のうち、死後の世界の存在を信じるのは23 %、回復至難の植物状 態での 延命処置に反対なのは 81%、脳死を死と認める(認めたい)のは 78%…。
こんな結 果が、全 国保険医団体連合会の「現代の生と死に関する医師・歯科医師意識調査」( 94.2 月)で 明らかになった。
この調査は、 3044名の① 死②終末期医療と尊厳死 ③脳死と臓器移植に対する考 え方を調べ たもの。 まず死に対する考え方をみると、「死後の世界はある」と考える人は 23%で、 「ない」46% の半分。
ただし、 35歳未満では「ある」39%、「ない」 24%と逆転現象が生じて いる。
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一法言:核保有国は民主国にあらず

2016年06月25日 | 一法言
「核保有国は民主国にあらず」

イギリスでEU離脱の可否をめぐって国民投票が行なわれ離脱派が勝利した。
アメリカではトランプとクリントンの大統領選の一騎打ち真盛り。
日本は参院選に大わらわ。
いずれの国も民主主義国ということだ。

しかし、イギリスとアメリカは民主国とは言えない。
何となれば両国は核兵器を保有するからだ。
核兵器は何のために持つのか。敵国の民を生まれて間もない赤子に至るまで大量殺戮するためのものである。
他国とはいえども同じ地球人、人道にもとる手段で大量殺戮するがごときは民を主とする国とは言えない。

そのことからすると民主主義でもないと言ってもいいが、個人や集団及び宗教なよる独裁国がある中、自国内では最高権力者が自由選挙で選ばれているなら、一応民主主義国と呼んでおこう。

その点、日本は建国の時代から民主国である。知国(シラス国、情報を共有し共生する国)と呼ばれた国柄である。
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闘病記 外出

2016年06月24日 | 生活
梅雨空で天気が定まらず、また、転室もあったので外出許可も取れなかったが、昨日、やっと外出することができた。
空模様を確認してから申請したので、4:00から8:00までの許可をもらうことになった。

まず母親の面会に行き、実家に帰った。3回ともお定まりのコースだ。

夕食は久しぶりを近所の珉珉でラーメンと餃子を食べた。餃子はどこの店より珉珉のが口に合う。
入院前は週2回の安売り日には欠かさず食べに行ってたものである。3か月ぶりに食べたが、食べ慣れた味は美味かった。

今日のビッグニュースは英国のEU離脱だが、日本経済も急激な円高、株価下落など大きな影響を受けた。
安倍さん、消費税引き上げを先延ばしにして正解だったようだ。
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一法言:投票は国民の義務である

2016年06月23日 | 一法言
「日本は民主国、主権在民である。
まず国民がその主権を行使しなければ国が成り立たない。従って投票は権利であると同時に義務でもある。」

国も生き物、絶えず動き変化している。数年に一度巡ってくる選挙は、流動して止まない日本国の国民であることの明かし立てる機会なのである。

入れるべき人がいない、見つからない場合はどうするか。
白紙でもよいし、×印でもよい。思ったことを書いてもよい。当然無効票になるが投票の義務を果たしたのだ。




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闘病記 転室

2016年06月22日 | 生活
今日、3F病棟から新4F病棟に病室が変わった。
月曜日に急に言われて、理由を聞くとドクターの指示だという。3Fも新4Fも同じリハビリ病棟だし、自分の治療には関係ない。諸般の事情でということなのだろう。
不承不承承知した。

そうなると、水曜日は風呂日、火曜日に入浴はどうなるかと尋ねると、「ちょうど今空いているからどうぞ」となって入れられてしまった。

今日は朝から引越しの準備。品物が結構多くて整理しながら荷造りしていたら、中腰の姿勢を取り続けたせいか、腰が強ばって痛くなってきた。長らく腰筋に負荷かけずにきたから大分筋力が落ちているようだ。

移った部屋は新館のため綺麗でベッドスペースも前と同じ窓側でこれはよかった。

また、先月母親が療養していた病棟なので見知った医療スタッフもいるのでその点は助かる。

詰所に置いてあった本を借りて読んでいる。「本当は恐ろしいグリム童話」という本だが、まず白雪姫の話を読んだがおぞましいというしかない。元々はとんでもない話だったのだ。
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一法言:死とは?死後の世界は?

2016年06月21日 | 一法言
「誰しも自らの死を体験することができない。自分の死というものは存在しないのだ。無論、死後世界など存在するはずもない。」

「他人の死はあるが、自分の死はない」

認識しないものは存在することにはならない。自分にとって知らないものはないのである。「いや、知らないものが一杯ある」と反論が来そうだが、知らないものは何があるとの言及は不能、言えない以上あるとは言えない。
何かあるという程度の認識なら何かある程度ものがその人の中に存在しているということである。

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朝日記事: チャリンコ地球1周分 84歳、自宅近所で達成

2016年06月20日 | 道楽
朝日記事の記事によると、84歳の老翁が8年前からチャリンコで地球一周分4万キロを走破したという。
我輩も同じく地球一周の4万キロを目指したが、1万2千キロ、つまり一周の3割、ほぼ直径と同じ距離で計測を止めてしまった。
距離メーターの液晶画面が直射日光に弱く、表示が薄くなりやすい。3つ目が駄目になったところで取り外してしまったのである。

それから計測はしていないし、長距離を走ることもしていないが、1万5千キロ以上は走ったのでないかと思っている。

しかし、84歳の老翁が毎日高低差のある22キロを3段変速のママチャリで走るのはなかなか大変。怪我をしないようにして記録を伸ばしてほしいと思う。

http://www.asahi.com/articles/ASJ6J434YJ6JPTIB006.html?google_editors_picks=true
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一法言:人の価値

2016年06月19日 | 一法言
禅の坊さんには語録というものが残っている。澤木興道老師や内山興正老師にもそれが残っている。
我輩だって、我が言葉で語れることがあるはず、思いついたら、「一法言」として披露させて頂く。

早速、一発目。

「何を価値と考えるか、それがその人の価値である」

金にセコイ舛添さん。どれだけ金を持っているのだろう。
10億円?それが舛添さんの値打ち?たったそれだけ?

ビルゲイツが10兆円、ドロボウだよ。吾輩の金をふんだくりやがった。

トランプ?詐欺師じゃないか。

他に大事なものがあることを考えないのかね。コイツら。


ちょっと、品がなくなりましたが、ご容赦を。
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闘病記 胸の痛み

2016年06月18日 | 生活
もう、随分前から感じていたことだが、ここへ来てだんだん胸の痛みが強くなってきた。

コルセットを装着すると部分的に擦れの強いところが出てくる。我輩の場合、ちょっと出ているだけの乳首の部分が痛くなる。

それでずっとタオルを四つ折りにして当ててきたのだけれど、ここへきて腫れきたのだろうか、心持ち大きくなっているみたいでヒリヒリ感が増してきた。

そこで看護師さんに頼んで、傷バンドを貰い貼り付けることにした。処置は手を煩わすまでもなく自分でやることにした。

電気カミソリで乳暈の周りに生えた毛を剃り、後は傷バンドを貼るだけ。うっかり毛そりを忘れると剥がす時泣きを見る。

そのお陰で擦れによる痛みはほとんどなくなったが、押さえると痛い、やはり、腫れていたようだ。

思わぬ体験をするものだ。

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宗教の持つ働き

2016年06月17日 | 共生
宗教が持っていなければならない働きとして、私は次の5点を挙げたい。
自由、安らぎ、生き甲斐、共生、喜び、である。

これだけのことを教え与えてくれる宗教を持たないのは、どうかしているというべきである。

無宗教であることを自慢げにいう人もいるが、「私、馬鹿です」と言っているようなものだ。

しかし、それも無理ないところもある。世にある宗教がお粗末すぎるからである。

一つは死後の世界という架空の話を持ち出しそれを教えの根拠としていること。

二つ目は縛りがきつく脅しが用いられること。つまり自由がないということ。

具体的には教えに背くと地獄に堕ちるなんてことである。

先日の銃乱射事件も同性愛は神に背く行為、地獄に堕としてやる、そのことにより自分は天国へいける、そんな思いでやったのだろう。

宗教に脅しは無用である。

そうなると、合格点をとる宗教は限られてくる。
佛教と神道、これもおかしなものが混じり込んでいるから、その部分は自分で摘み出して捨てる作業が必要である。

一番真っ当なのは、私の選んだ道元禅だと思う。

道元禅師の教えの中に三心というのがある。
大心、老心、喜心である。これを五つの項目に当てはめると、
大心=自由、安らぎ
老心=生き甲斐、共生
喜心=喜び
大心とは、十方世界を自己の世界とすること。
老心とは、老婆心のこと。自己世界の中の生命を我が生命の如く接すること。老婆親切という言葉もある。
喜心とは文字通りの喜びであるがエゴ的喜びではない。


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一神教のこわいところ 米銃乱射事件

2016年06月16日 | 共生

13日産経の号外記事によると、米国でイスラム国シンパによる銃乱射事件があり50人が死亡したという。

イスラム教徒が命懸けでテロ行為を行う事件が絶えないが、宗教の持つ危険な一面が格差の拡大した世界の中で表出してきている。

一神教の持つ独善性とそれに伴う不寛容さが、人のいのちを何とも思わないような行為に走らせる。そのためには自分のいのちも捨ててしまうのだから、狂っているとしか思えない。

聖戦で死んだ者は天国に行ける、天国は素晴らしいところ、「酒は美味いし姉ちゃんは綺麗」だというのである。

一神教にとって異教徒や異端者のいのちは何とも思わない。殺し、奴隷にするなんてことが当たり前なのだ。アメリカが日本に原爆を投下したのも異教徒なるがゆえにものだ。相手がキリスト教国ならきっと躊躇したことだろう。そしてとても正当化できないはずだ。

さて、かの犯人は彼なりの正義感、神への忠誠心を持って犯行に及んだのだろうが、大きな考え違いがあるといえる。彼らの神は彼らにとって偉大なる神のはず、イスラムとは神への恭順を示す言葉だ。この世のことは全て神の思召し、最終的には神が全て差配される、それを信じて耐えることを教えているはずである。

しかるにかの犯人は、神によるの裁きが待てずに神に代わって神の正義を行おうとした。このことは神への不信を意味する。
神への信仰のつもりが、神を冒涜していることになることに気がつかない。

日本もかつて「天に代わりて不義を討つ」と、戦争に出掛けたが、「天に代わりて」が不義だったのだ。

「以下産経記事」

米南部フロリダ州オーランドのナイトクラブで12日未明(日本時間12日午後)、銃乱射事件が発生し、地元当局によると、50人が死亡し、53人が負傷した。容疑者の男は警察と銃撃戦の末、店内で死亡した。オバマ米大統領は同日、「米国史上最悪の銃撃事件」だと述べ、「テロ行為であり、憎悪に基づく行為だ」と実行犯を強く非難した。オーランド市は非常事態を宣言した。

 米メディアは、男が犯行前、警察にかけた緊急通報の中で、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)に忠誠を誓う発言をしていたと伝えた。IS系のサイトも「ISの戦士が実行した」と事実上の犯行声明を出したが、実際に関与があったかは不明だ。

 当局によると、男はニューヨーク出身の米国籍でフロリダ州に住むオマル・マティーン容疑者(29)。家族はアフガニスタン出身という。殺傷力の強い銃や爆発物の疑いがある装置を所持しており、警察当局者は「周到に準備していたとみられる」と述べた。

http://www.sankei.com/world/news/160612/wor1606120033-n1.html

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