十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

桃太郎の家来

2009年03月29日 | 共生

 智愛勇の日本精神についてエントリしていたら、不思議なことに関係するものが寄って来るようだ。


 今日「センゴク」(宮下英樹作)というマンガを貸本屋で借りて読んでいたら、羽柴秀吉が浅井長政の小谷城を攻める時先駆けとなる3人の豪傑藤堂高虎、仙石権兵衛、可児才蔵を称して「猿の智、犬の仁、雉の勇」という場面出てきた。3人は実在の人物だが3人が城攻めを一緒にしたかは確かでないし秀吉がそのように例えたというのは作者の作り話だが中々面白い。


 なぜ桃太郎の家来が、猿、犬、雉なのかと子供の時分に思ったことがあったが、智、仁、勇を表しているらしいということが分ってよかった、マンガもためになるところがある。 

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日章旗よ、永遠なれ

2009年03月28日 | 共生

 前回日の丸が日本精神の象徴と書いたが、それより先1月6日に「拝の文化-日本精神の源流」という石川洋さんの文章を紹介した。合わせて読んで頂くと日常生活の中にその精神が息づいていることが分ると思う。


 日の丸のその姿形は正に「以和為貴」なのである。平和の旗なのである。戦前その旗を振って戦争をした。智もなく愛もなく真の勇気でなく蛮勇を振るった。軍人を始め日本人全体がどうかしていたのである。


 戦後もどうかしたままである。偏狭な国粋主義者が日の丸の意義を知らずに振り回す一方で未だに日の丸を軍国主義の旗印とし拒絶反応を示す人間もおる。また、スポーツ観戦ごときに落書きした日の丸を振り回す輩もいる。


 我々の国旗である。まず心の中の日の丸をクリーニングしてもらいたいものである。日の丸の美しさに気づけば他にもこの国の美しいものがいっぱい見えてくる。


 美しい国日本に住む日本人、その連帯の旗印、共生の旗印。


 日章旗よ、永遠なれ。

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日の丸ー日本精神の象徴

2009年03月26日 | 共生

次郎物語を書いた下村湖人の言葉に次のようなのがある。


「どんな人でも、心の奥にはいつも清らかな泉がわいている。それは愛と智と勇
気とが透明にとけあった泉である。これをうたがうものはまだ一度も自分の心を
本気でほりさげてみたことのない人である。本気で自分の心をほれ。そうした
ら、自分がいかに貴い存在であるかにめざめるであろう」


  心の奥に汲んでも尽きぬいのちの泉があるというわけである。これを汲み出してみようではないかというのである。


  この知と愛と勇気の三つが精神的支柱であり日本人共通の宝です。これを象徴するのが三種の神器。
  まず、鏡。鏡は私照がない、だから事物を正直に映す。これが智恵。鏡が智の
象徴であり、誠を表す。
  また、玉は柔和善順。相手に合わせて動く。つまり、愛を象徴している。
  つぎに剣というものは剛利決断。つまり、勇気を表している。
  智と愛と勇と、この三つがなければ人間一匹具足しないわけである。
  この三つがよく渾然として一緒に働く、一つになって働く、つまり、これが和の精神。そうでなければ本当の働きにならない。これが日本の精神(大和魂)である。


  さて、この日本精神を旗としたのが日の丸である。
  白地は鏡と同じで清く明るく何でも正しく映しので知、誠を表す。丸は玉、愛の象徴。赤が熱血つまり勇気を表す。

 また、日の丸は太陽であり、太陽は古来より日本人の信仰の対象である。お天道様、お日様、また、日本神道の最高神天照大神である。


 かくのごとく 日の丸は日出ずる国、日の本の国日本の象徴であり、かつ、日本人の精神の象徴でもある。


  日の丸にこのような深い意味を蔵することを知らず敬意を表さない人間は日本人といえない。
 昨日も書いたが国旗に私的欲求を書くがごときは、国辱的な行為であり、日本人としての精神を自ら卑しめる行為であることを知るべきである。白地は余白では断じてないのである。戦前日の丸に「武運長久」たら書いて寄せ書きするようなことを軍人がやっていたが「智」を穢す馬鹿をやらかしていたのである。


 先週、近所の小学校で卒業式があり、校門に2本の日の丸が掲揚されていたが美しい風景として目に焼きついている。これほど深い意味をもった国旗は他にないであろうし、シンプルで実に美しい。


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大阪城 桃園

2009年03月18日 | 道楽

 今日は気温も上がって絶好のサイクリング日和。いつもは東を向いて走るところ、大阪城の桃が見ごろという新聞記事をみて、今日は西を向いて大阪城まで走ってきた。


 梅と桜は何度か見に行ったことはあったが、桃園があることはついぞ知らなかった。梅はもうほとんど花はなかったが、中に花の残っている木が何本かある程度。桃園の場所を売店で聞いて駆けつけたが、こじんまりしたところでこの時期に通らなければ気づかない。
 携帯の写真なので綺麗とはいえないが、こんなところがあるという参考まで。



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西川香代と愉快な仲間たち

2009年03月16日 | 道楽

 フリーランスのクラリネット奏者 西川香代さんから、チャリティーコンサートの案内チラシが送られてきたので紹介しておきます。
  もちろん、私は先に紹介した「なにわオーケストラルウインズ」も、このコンサートも聴きに行く予定にしております。もし行く人があって私を見かけたら声を掛けてください。

 日時:5月30日(土)17:00(16:30開場)
 場所:逸翁美術館マグノリアホール
     〒563-0053 大阪府池田市建石町7-7
                阪急宝塚線「池田」駅下車、北へ徒歩10分
 料金:3500円(収益金は奉仕団体国際ゾンタに寄付)
 問い合わせ:大阪?ゾンタクラブ ?06-6365-1808


 逸翁とは阪急電鉄、宝塚歌劇等阪急グループ企業を創設した小林一三氏のことで、氏の美術コレクションが同美術館に展示されていたが、現在建替え(4月竣工)のため休館中で10月にオープン、ホールもこの5月23日にオープンされるそうである。


    

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サイクリング3000Km達成

2009年03月15日 | 道楽
 本日My転輪号は3000Kmを達成した。


 さて、例によってコスト計算してみると、初期の装備費用90000円に来年度のサイクリング協会費と損害保険料6400円を追加して96400円、3000Km走行したから、1Km当り32円となる。
 1時間当りの走行距離も前回同様15Km程度とすると、1時間当り480円の遊び代となる。 シニアの映画代と似たところは変わりない。



 


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”だんだん”におけるガン告知

2009年03月12日 | 人生

 毎日家にいる関係で朝の連続テレビ小説”だんだん”を視聴している。三倉茉奈・佳奈ちゃんも好感が持てるし、父母に対し「お父ちゃん」、「お母ちゃん」と呼んでいるのがぴったり好ましい。父親役の吉田栄作も自分の母親(三林京子)に対しても「お母ちゃん」、日本の家庭はこうでなくては思う。


 私も幼少の頃は「お父ちゃん」、「お母ちゃん」、中学生になって「ちゃん」で呼べなくなって「さん」付けで呼ぶようになった。ずっとそれで通して来たが母が90歳になったのを機に「お母ちゃん」と呼ぶようにした。


 子が親を呼ぶのは魂の叫び、気ママでパーパーはご免こうむりたい。


 さて、”だんだん”のストーリーは祖母が膵臓ガンを患ってガン治療を始めなければならないが告知をどうするか。父親は告知しないという。本人には告知しないで治療が始まった。しかし、これが問題なのである。


 医師は告知義務を負う。告知せずに治療すると医療法違反となる、つい数年前に最高裁判決で確定した。それで誰に告知するか、家族でよいのかとなるとそうはいかない。個人情報保護法ができて本人の了解なしに本人の重要な個人情報を本人以外の者に、家族といえども洩らしてはならないのである。


 客観的に見て本人が判断力を失っている場合は別として、本人に説明と納得を経ずに治療できない。”だんだん”のストーリーのように息子がたとえ善意であったとしても親の生命を勝手にできないし、医師はそれに加担はできない。訴えられたら負けである。宅麻伸演じる医師の扱いは間違いである。告知なければ治療できない旨を伝えるべきなのである。実際治療する上でも本人にその気がなければ治療しにくいし効果も期待できない。


 したがって、ガンになった場合告知はされることを承知していなければならないし、いつ死ぬことになるかもしれないことを前もって覚悟しておかなければならない。

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閻魔大王

2009年03月07日 | 佛教

 今日の朝に新聞の付録版に閻魔大王に関する記述があった。1847年に四谷太宗寺に盗賊が入り閻魔像から直径24cmの水晶の目玉を抜いたとたん転落し気絶、捕まったが酒に酔ってのこととて無罪放免となったことが大評判となり、参詣客が大勢集まったとのこと。


 つい先週も建仁寺の十一面観音像ほか何十体もの仏像を盗みコレクションしていた罰当たりな男が捕まったが、いつの時代でも盗人が存在するものとつくづく思う。
 「石川や 浜の真砂は尽きんとも 世に盗人の種は尽きまじ」


 ところで悪事を為し死んだら35日目に閻魔の庁で閻魔さんの取調べを受けることになる。閻魔さんは浄玻璃鏡という罪業を映し出す滅法素敵な鏡を持っていて、亡者のどんな嘘も見破ってしまう。政治家なんて人種は右も左も嘘をつきまくっているから、鏡に次から次にそれが映し出されて冷や汗でボタボタになること請け合いである。


 てな閻魔大王であるが閻魔大王そのものが嘘の存在なのである。仏教が中国に入り、道教と習合し偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略称として『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。閻魔大王は中国産、その装束も中国人の格好している。


 日本ではさらに『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略称として『地蔵十王経』)が作られ、平安時代に末法思想と冥界思想と共に広く浸透した。三途の川や奪衣婆(だつえば)の話は日本での創作が加わっているこの偽経による十王信仰によって、法事というものが行われているのである。死後7日ごとに王が出てきて亡者を審判する。


秦広王(しんこうおう)     初七日
初江王(しょこうおう)     二七日
宋帝王(そうていおう)     三七日
五官王(ごかんおう)         四七日
閻魔王(えんまおう)      三十五日
変成王(へんじょうおう)    六七日
泰山王(たいざんおう)    四十九日
平等王(びょうどうおう)    百か日
都市王(としおう)        一周忌
五道転輪王(ごどうてんりんおう) 三回忌


 その後、江戸時代には十三王信仰が生まれてくる。7回忌、13回忌、33回忌である。


 盆行事の根拠となっている盂蘭盆経も偽経だし、お寺さんの収入の多くは嘘の上に成り立っている。とすると、閻魔さんに舌を抜かれるのは・・・

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国の役割

2009年03月01日 | 共生

 国があって国民がいるのではない。国民がいて国があるのである。
 しからば
 国の役割は究極のところ
  国民の生命を守ること であることぐらいバカでないかぎり気がつくはずである。


 ところが今まで国は国民の生命を守ることをないがしろにしてきている。数え上げればキリがないくらいである。 
 近いところから列挙すると、自殺、ホームレス、救急医療、病院閉鎖、介護、食品汚染、大麻、C型肝炎、エイズ、交通事故、タバコetc

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