十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

なにわ《オーケストラル》ウィンズ2010

2010年03月27日 | 道楽

 今年も交響楽団奏者達によるスペシャル吹奏楽、なにわ《オーケストラル》ウィンズ2010が東京(5/4)と大阪(5/5)で開催されるので紹介します。

 チケットは1月前から発売され、高等学校の吹奏楽コンクールの課題曲全曲がプロによって演奏される関係で吹奏楽をする高校生が多く早期に完売となります。

 今年も私がファンであるクラリネット奏者西川香代さんが出演されるので聴きに行く予定です。

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占いをすることなかれ

2010年03月26日 | 佛教
 先行き見通しが利かない時代のためか、占いがブームとなっている。
 他愛のないものが多く娯楽的にやっている分には支障はないと思うが、結構入れ込む人がいるようである。占い依存が高じると占い依存症と一種の病気状態に陥ってしまっている人もいるようである。

 私も若かりし頃挫折続きで人の運命について関心を持った時期があり、周りに祖母とか母とか占い好きの人間がいたこともあり、いろいろと本を読んでみた。それに自分を当てはめてみたが真っ当に当るようなことはなかった。当たり障りのないこと、どちらともとれることが書かれているのである。つまり、養生すれば病気が治るみたいなことが書いてある。これって治っても治らなくてもよいのである。養生が条件になっているからである。

 後日人の運命は「その人の根性によってそれに応じた運命が展開してくる。良き運命を願うなら根性の点数を上げよ」という小田原のはじめ塾の和田重正という先生の文章を読んで納得、占い事から一切手を引いた。右するか左するか大概は判断のつくところだし、まこと条件が同じで今すぐ判断を下さなければならないとしたら、コイントスでもして決めればいいのである。これでも自分の運命は自分で決めたのであるから結果はどうあれ納得というものである。

 仏教の教えにも占いを禁じる言葉ある。

「吉凶占い、天変地異占い、夢占い、(ものに表われた吉凶の)相の占いを除去し、彼は吉凶占いの誤りを捨てたのである。かの行乞者は正しくこの世に遍歴するであろう。」(360)
「呪法、夢占い、占相、また星占いを行なってはならない。また(動物による)声占い、懐妊術や治療を、わたしの弟子は行なってはならない。(927、宮坂宥勝 訳 『ブッダの教え──スッタニパータ』法蔵館、2002年



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桜之宮公園の桜

2010年03月22日 | 共生

 そろそろ桜花のシーズン。 毎年、サイクリングで桜之宮公園、大阪城公園へそれも何回か出かけるが、今日は様子見に走ってきた。  ほとんどの木は蕾の状態だが、何本かは咲き始めていて、中には満開状態の木もあった。

ちらほら咲きの染井吉野

 

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彼岸ってどこ?

2010年03月21日 | 佛教

 彼岸とは悟りの世界で迷いの世界つまり此岸の対岸にある世界で真ん中に川があるのように考えられている。


 此岸から彼岸へ渡る渡し守の役が坊ンさんの仕事ということだが、今時の坊ンさんにそれだけの力量があるかどうか。


 しかし、大体、彼岸とか此岸とか言っていること自体が分かっていないというべきだ。此岸たら彼岸たらいうものはない。「今ここ」からどこへ行くこともできないのである。「今ここ」で迷っているか目覚めているかである。

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内山興正老師の詩「芽ぶき」

2010年03月14日 | 人生

 昨日は内山老師の命日のことを書いたが、老師の近くにいたお弟子さんから去年の夏ハガキをもらった中に老師の詩が書かれていたのでここで紹介する。季節的にも丁度いい。


 「芽ぶき」


その自己は
枯れはてた固体のように
動かない
それはきびしい寒風のなかに
じっと自己の生命を
にぎりしめて耐えている
芽ぶきなのだ
たまたま薄い冬陽の射すとき
きらりと光る
そのみずみずしさ


 

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内山興正老師の命日

2010年03月13日 | 人生

 今日は恩師内山興正老師の命日である。平成10年3月13日に亡くなって12年になり13回忌に当る。住職をされていた当時は京都にあった安泰寺は現在兵庫県の新温泉町の山中に移転しており、雪が深いため2月遅れの5月13日に法会が行われる。

  とにかく雪深く寺しかない過疎地で雪のために修行者が2名別の時期に死亡しているところである。1人は冬場は郵便配達がないため修行僧が郵便局へ行く途中雪崩で死亡、もう一人はブルドーザーで雪かきをしていた前住職である。  

 さて、老師が亡くなられた日にたまたま老師宅へ知人と2人で伺っており、親しくお話をいただいていたのに当日夜遅く急逝されたと聞きビックリしたものである。 私達の訪問で疲れさせてしまったのではないか、そういう思いを今も抱いているのである。

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イルカを捕って食ってどこが悪い

2010年03月11日 | 共生
 今年のアカデミー賞で「ザ・コーヴ」がドキュメンタリー映画賞で受賞した。
 太地のイルカ漁を隠し撮りして、イルカのような頭の良いかわいい動物を殺して食べるのは残酷だというのがルイ・シホヨス監督の主張らしい。

 隠し撮りしたようなものを賞にするとは選考委員も偏向が過ぎるというものである。「食わん殺生せんもんじゃ」というとおり、食わずに殺すなら問題ありだが食うために捕るのは食文化の問題であり、他所者に兎や角言われたくないものである。

 イルカは漁師にとってある意味で害獣である。イワシなどの小さな魚を食べまくっているのだから。

 連中は牛を食っているが、インドじゃ牛は神の使い、牛を殺して食うなんてとんでもないという話になってしまう。要するに文化の違いである。

 ただ、絶滅危惧種ということにでもなれば話は別である。
 黒マグロはどうなるのか、気になるところである。
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小惑星の衝突

2010年03月05日 | 生命

 今朝の朝日新聞に6550年前の恐竜絶滅原因が小惑星の衝突であったということが12カ国チームが結論づけたという記事が出ていたのでメモっておこう。


 メキシコのユカタン半島に直径10~15Kmの小惑星が秒速20Kmで衝突、衝突時のエネルギーは広島型原爆の10億倍、発生した地震はマグニチュード11以上、衝突地点(当時は海)の津波は高さ300m、一千億~5千億トンの硝酸塩が大気中に放出され長期にわたり太陽光が遮られ、酸性雨や寒冷化により生物の約6割が絶滅した。


 地球上の生命誕生は38億年前、以来我々の祖先はこのような危機を乗り越え生き延びてきた。38億年にも及ぶ生命の連鎖、それを安易に断ち切らんが如き行為が横行しているのはいかが考えるべきか。

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