知恵袋で「般若心経の仏説と佛説ではどちらが正しい?」という質問があった。
私の書いた回答は次の通り。
『旧字と新字の違いだけですが、偏は同じでも旁の意味を考えると違いが出てきます。
新字は人偏にム、ムは私の意味です。
旧字は人偏に弗、弗はあらずの意味です。
新字の仏はただの人。
旧字の佛は人ならざるお方ということになります。
私は佛教と書く場合旧字を使うようにしています。』
仏説では凡夫の説になってしまう。佛法が衰えているのもむべなるかなだ。
諸兄も佛の字を使ってもらいたい。
知恵袋で「般若心経の仏説と佛説ではどちらが正しい?」という質問があった。
私の書いた回答は次の通り。
『旧字と新字の違いだけですが、偏は同じでも旁の意味を考えると違いが出てきます。
新字は人偏にム、ムは私の意味です。
旧字は人偏に弗、弗はあらずの意味です。
新字の仏はただの人。
旧字の佛は人ならざるお方ということになります。
私は佛教と書く場合旧字を使うようにしています。』
仏説では凡夫の説になってしまう。佛法が衰えているのもむべなるかなだ。
諸兄も佛の字を使ってもらいたい。
囲碁は私の趣味の一つだが、実戦が少ないせいか中々強くならない。
もう、5年も前のことくらいなるだろうか、「最強の囲碁」というソフトを購入、まだ弱くてソフトに私が白を持ち4子置かせて勝ったり負けたり。
ところが、AIの囲碁ソフトが非常に強くなってプロが勝てなくなってしまう強さを勝ち得てしまった。
そんなZENというソフトも販売され、なぜZENなのか分からないが、結構強いらしく、我が碁会の会長も所有しているとのことだった。
それでそれを購入してみようかなと考えたが、念のためフリーソフトでいいのがないのか検べてみたら、「Leela碁」というのが見つかった。ベルギー人が作ったソフトで無料で使えると言うのでダウンロードしてみた。
使ってみると、やはり大分強く、こっちが5子おいて5分5分。これなら使用可能、しばらく使って見ることとしたが、こちらの打ち方が同じなら相手も同じ手でやってくる。これにちょっと不満を感じるが、勝ちパターンを掴めそうで勉強になるとも言える。
興味ある人は使ってみてください。
Leela碁の案内HPは以下のとおり。
そろそろ 年賀状の文面を考える時期に来た。
今日郵便局を覗いたら特設売り場のおばちゃんに勧められた。年賀状は期日内なら値上げ前と同じ52円ということ。
何人に出すか、枚数を勘定しなくては。
昨年は母の命が何時まで持つかと状態だったので年賀状の作成は控えていたが、結局12月に亡くなって正解だった。
今年は
「共生」
生きとし生きるもの たった一つのいのちを共有して生きている
この言葉を書こうと思っている。
宇宙一杯の同じいのちを生きているのをタイトルを共生にして共有という言葉を使った。
今日は澤木興道老師による正法眼藏弁道話の提唱を公開します。
この提唱は昭和39年4月、安泰寺での提唱です。昭和40年12月に示寂されていますからその約1年8か月前のものになります。
最後の回向では内山老師の若い時の声が聞き取れます。
これをもって、私の所有する佛教関係の公開できる録音は全部です。
https://drive.google.com/drive/folders/1pB_vbD3jXktHTljhoMoIdbc-NdCQmGSJ?usp=sharing
なお、私の公開した録音資料を元に安泰寺でもユーチューブで発信されています。
昨日、十一月期の囲碁の例会があったので参加してきた。
参加者がたったの4人。会の存続が危ぶまれるようになってきた。
会はトーナメントでやってきているが、対戦は2回しか出来ない。それで総当りそれで3回、5人いれば4回戦できるのだが、いつもより早く終わった。
結果、2勝1敗の2位。
負けの1敗は相変わらず死活が読めずに土壇場で大石を殺されたもの。死活は読んで大丈夫と思っていたものがダメが詰まって死んでしまった。ダメづまり怖い、何度泣いたことか。
先ほど内山老師の「発無上心」の提唱をファイル化し公開中のストレージにアップロードしましたのでご利用ください。
なお、残念ながら4回中2回分しかありません。
また、テキストとして松門寺の正法眼藏ライブラリを利用させてもらっていますが、発無上心の巻はありませんでしたので照会したところ、「発無上心」は「発菩提心」の底本でほぼ同じ、つまり、別バージョンだということです。
従って、テキストしては「発菩提心」の巻をフォルダに入れていますので、事情をご了解の上ご利用ください。
先ほど内山老師の「身心學道」の提唱をファイル化し公開中のストレージにアップロードしましたのでご利用ください。
なお、残念ながら初回分の録音がありませんのでご了解ください。
しかし、老師は初めての参加者のために前の部分を略して話しされますので話の繋がりはある程度お分かりになられると思います。
先ほど内山老師の坐禅箴の提唱をファイル化し公開中のストレージにアップロードしましたのでご利用ください。
なお、残念ながら4回目と最後尾の部分の録音がありませんのでご了解ください。
「内山興正老師講話」の子育て1のファイルを修正して若干聞き易くなりました。元のファイルを保存されている方は入れ替えられるとよいでしょう。
今回は同じ子育てについて、保育科学研修所の河合月海という人の講演を録音したものを持っていますので関連で「内山興正老師講話」フォルダに挿入しましたのでお聴きください。
保育の実際面で参考になるのではないかと思います。
整理中のテープの中に盛永老師の維摩経の提唱が1本出てきました。残念ながら片面だけで途中で終わっていますが、お聴きいただけたらと思います。
初めには坐禅和讃が5分間ほど入っています。
http://blog.goo.ne.jp/ippouji/e/f351f25475a9c7341c9d01bfba537248
家の中の片付けをしていたら、見つからなかったカセットテープが10本近く出てきました。
中味はまだチェックしてませんが、聴けるものならmp3に変換して順次公開したいと思っています。
今回は内山老師が昭和62年8月に信州の無量寺という尼寺(住職青山俊菫さん)で女性を相手に講話されたものを「内山興正老師講話」のフォルダに挿入しましたのでダウンロードしてお聴きください。
タイトルは「子育て」としていますが、私が勝手につけたものです。
中に有名な言葉で「自未得度先度他」と言う言葉出てきますが、これに老師は違和感を感じておられたようです。
私は自身が悟りを得ていない者がどうして他者を度することができるか。これはおかしな言葉だと前から思ってきていましたが、この講話で老師は「共に育つ」ことだと言われているのに共感しました。
音質はよくありませんが、聞き取れないことはありません。ご了承ください。