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十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

桜見物で一句

2021年03月30日 | 俳句

 昨日、桜之宮公園、大阪城へ桜見物に出かけた。平日ゆえ人出も少ないと考え、去年は来なかったから、出かけたのである。

 勿論、人出があるが自転車に乗って走り抜けることができる程度であった。外のことでマスク不要と思ったが、大概の人がマスク着用、見習ってマスクしての見物である。

 去年も思ったことであるが、ひょっとしたらこれが見納めなんて思いが頭を過ぎったりする。

 コロナの感染者がまたぞろ増え出している。こうなったらワクチンが頼りだが、接種済みの人はまだせいぜい1%、先は長い。

 今こんな状態ではまともな形のオリンピックはとても無理と言わなければならない。

 私は去年の5月29日の記事でこのように書いた。

「オリンピックはまず無理、経済的ダメージを抑えるために早々に中止を決めるべきだ。」

 気楽な立場での発言だが、そうなりつつあるのは残念である。

 

 「早咲きのコロナの風に散る桜」

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耳鳴りに一句

2021年03月14日 | 俳句

先日から耳鳴りが強くなってきた感がある。シーンという音が鳴っているようである。

昔からある病気自慢の一つである。

淀川の堤防をポタリングする時音楽をよく聴いている。

S/N比、つまりシグナルとノイズの差でシグナルのレベルを上げるとノイズが目立たなくなる理屈である。

しかし、大きな音量で長時間で聴くと聴覚器官にダメージが来るそうで注意が必要だそうである。

「耳鳴りや イヤホンで聴く 早春賦」

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念想観とは何?(2)

2021年03月09日 | 佛教

 先に「念想観とは何?」で書いた後の後日談である。

 念想観について、諸兄は私の解釈で了解して頂いたのだろうか、いろいろな解釈がある中でスッキリしない人もおられるのではないかと思う。

 あの後、普勧坐禅儀の本をネットで検索すると、なんと古本で値段がたったの1円送料350円というのが見つかった。

 業者は「もったいない本舗」、本・CD等の中古品の買取、販売している業者だった。売れないし紙くずにするのももったいないということで1円で売りに出したのであろう。

 本は西嶋和夫老師の著作、老師は在家の時に澤木興道老師の教えを受け、後に丹羽廉芳老師のもとで出家、嗣法した人である。

 ドーゲン・サンガという坐禅の会を指導されていて私も一時期それに参加していたことがある。

講座のまとめ:一部紹介  http://gudoblog-j.blogspot.com/2006/06/blog-post_08.html

 さて、西嶋老師は念想観について、どう言っているかというと、『「念」というのは、というのは、ごく普通に心の中に生まれてくる想念、「想」というのは、意識的に考えられた内容、「観」というのは体全体で感じられた内容』と、念・想・観と明確に分けて解釈されている。

 年想観なんておかしな観があるわけないのである。

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ブログ村に参加しました

2021年03月08日 | 共生

 この度、にほんブログ村に参加することにしました。

 覗いたブログにバナーがあったので、クリックしたらランキングで記事が紹介されていたので、見てもられる人が増えるかもと思い参加しました。

 カテゴリーは「哲学・思想」、サブカテゴリーが「人間・いのち」「仏教」「禅・坐禅」です。

 私はバナーを「人間・いのち」を選択しました。

 私は内山興正老師から、「禅の背景には仏教があり、仏教の背景には自己の人生がある」と聞いたことがあり、自己の生命観、世界観、人生観を禅・仏教に学ぶという態度を採っており、必ずしも仏教に随順するということではないので「人間・いのち」を優先しました。

 一度、クリックして覗いてみてください。いいのがあるかも知れません。

 ついでですが、いつぞやから、下にリアクションの4つのボタンが設置されました。

 しかし、残念ながら、反応が極めて少ないのはいささか淋しい気がします。

 同意されるような記事がありましたら、クリックをよろしくお願いします。凡夫には励みになります。

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雛まつりに一句

2021年03月03日 | 俳句

「雛人形 社殿にズラリ 成れの果て」

 3月3日雛祭りになると、いつも思い出すことがある。

 和歌山県加太にある淡嶋神社の人形供養された人形たちである。

 たかが人形なのだけれど、捨てられたものがあれだけ集まると執念というか煩悩というかそういうもので薄気味が悪くなるところがある。

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