十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

天を仰いで歩くーー晩年の内山興正老師

2018年10月29日 | 佛教

書棚を整理していたら、ある本の間から大法輪2007.2号のコピーが出てきた。

内山興正老師のお弟子さんの櫛谷宗則さんが内山興正老師の在りし日の思い出を文章にしたものである。
私が安泰寺を初めて尋ねたのが昭和45年秋、宗則さんが20歳の時に出逢っていいる。また、老師が亡くなられた日にたまたま老師宅で居合わせたという縁もある。

天を仰いで歩く

    ー ある日の内山興正老師

「空を見ながら散歩するのは、坐禅と一緒だね。歩くというのは、何か思いを手放しにする処がある。そして大空はつかみきれないほど深い」

 一日中、机に向かい、あるいはお客様の相手でお疲れになった老師にとって、夕方一時間ほどの散歩は心待ちの時でした。着流しから作務衣に着替え、小さな懐中電灯(赤いフィルター付き)を持つと、喜々として運動靴をはかれるのでした。そして大垣の美しい平野を、京都の宇治川ぞいの土手を、信州では広々とした田圃道を、どれくらい歩かれたことでしょう。

 足取りも軽く空を見上げながら、もう仏教のことも何もすべて解き放って、ただゆったりと歩く。この時問が老師にとって至福の時だったのではないがと思います。お顔はいきいき子どものように茶目ッ気たっぷりで、一緒にいると私も幸せでした。風は快く、夕空の雲は時に面白い変化をみせ、夕闇へ澄んでいくひかりのなか、言葉を交していても黙って歩いていても、そこに静けさだけがあったように思います。

 「僕はねぇ、愛想のいい人間だけど本当は一人が好きなんだ」

 ひとり悠々と空高く舞うトンビや鶴は、老師のあこがれでした。小さい頃から病気がちでよく床にふせって空を見ておられたという老師にとって、自由に大空を舞う姿はどんなにか心引かれたことでしょう。あこがれて、あこがれて、老師は一生求めつづけて飽くことがありませんでした。得た、分かったといって、悟りや権威の上に止まろうとはなさいませんでした。偉くならず、ただ一個の裸の人間として最後まで「生きる」ことに深まろうとなさっていたと思います。

 大空は遠く限りなく、同時に何でも話せる身近な友でした。老師が愚痴をこぼすとーーー「まあいいさ、大したことはない」、キレようとする時はーーー「それもよかろう、でもくだらないぞ」、落ちこんでいるとーーー「まあそんな日もあるさ」、大空から大きな慰めをもらったと詩にも書いておられます。

 それは東京・本郷のお生まれで故郷の消えた老師にとって、幼い頃と変わらない安らぎに満ちた故郷でもあったでしょう。

 そんな老師のお散歩は、気分転換のためでも、健康のためでもなく、いつかそういう世間的なこととは、はるかに違う世界へ踏み入っておられたように思います。そこに坐禅に通じるものを発見し深めていかれたのでした。その頃、こんなことを書いておられますーー。

 「とにかく大空は『つかめぬ』『つかみきれぬ』故に、はなはだ『物足りない』のですが、それなればこそなおのこと、私は大空を素晴らしいと思い、また仰がずにはいられないのです。
 つまり、まるで磁石の針が北に向かうように、その『つかみきれぬ、物足りなさ』そのものに向かってしまうのです」

 「つかみきれぬ、物足りなさ」ーーー全くソレは坐禅のソレと直通しています。

 われわれはいつも「つかもう、物足りよう」という迷いの真っ只中に生きればこそ、最後にはそこですべて止めて坐らざるをえなくなります。迷いを片づけてから坐るのでも、迷いをなくすために坐るのでもなく、力尽きて坐禅の方から「ただ」坐らざるをえなくなるのです。それは坐禅という大空のつかみきれない深さでしょう。力でしょう。

 お年を召してからもう全く坐禅ができなくなった老師は、坐ってただ壁に向かうように、天を仰ぎみ歩くことによって自ずと生きる姿勢を正され、新たなお気持で一日、一日を歩まれていかれたのではないかと思います。雲一つない澄みきった日はことに嬉しそうなお顔で、入り日を拝み、一番星を拝み、夕空に手を合わせるなか、老いのいのちにそっと寄り添い、安らいでおられたのだと思います。

 生きることそれぐるみ大空の光のなかに包まれながら、どこまでもそれに向かって刻々歩んでいく。
われわれは坐禅の大空に向かって今日一日をつとめるなかに、あたりは夕光に包まれているでしょう。
その夕暮れの深みへ、いきつけない光のように、ほのかに澄浄(ちょうじょう)するだけです。いつか何もかもが、ただ夕光のやわらかな影でしょう。

櫛谷宗則
 昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。19歳のとき、澤木興道老師の高弟である内山興正老師について出家得度。以来、安泰寺道場に10年間安居。『禅に聞け』『澤木興道 生きる力としての禅』 (大法輪閣)、『コトリと息が切れたら嬉しいな』(探求社)、『共に育つ』等を編集。五泉市在住。

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サイクリング中の光景で一句

2018年10月28日 | 俳句

「秋夕焼西のねぐらへ烏二羽」


夕焼けの空に烏が二羽並んで西の空へ飛んでいく。きっとつがいなのだろう。

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点滴無用

2018年10月25日 | 生活

叔母の入院に際して、点滴についてネットで調べてみた。

その中の記事で気になるものがあったので、お見せしたい。

いよいよとなったら、点滴など受けない方が良さそうだ。終活として家族に納得させておく必要があると思う。

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秋祭りで一句

2018年10月22日 | 俳句

この土日は近傍の複数の神社で秋祭りが行われた。

夕方、淀川の堤防を自転車で走っていると、町中を練り歩いている地車の囃子の音が聞こえてきた。そこで一句。

「秋夕焼だんじり囃し遠に聞く」

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叔母の入院で一句

2018年10月18日 | 俳句

2週間前、夜11時頃一人暮らしの叔母から電話が掛かってきた。脈が飛んで脈拍が40、だというのである。寝床に入っていて、特に症状は出ていない。あくる日になればかかりつけ医のところへ行くという。

ところが、12時近くになって、電話が掛かり2コールで切れてしまった。気になって叔母宅へこちらから電話すると、呼び出し音は話し中。10分ほどしてかけ直すが話し中、夜中に電話することはないはずと思いながら、さらに10分待ってみた。かけ直すとやはり話し中だ。近所に夫の従兄弟がいるので、見てきてもらおうと電話するもすぐFAX受信に切り替わって出てもらえない。

切り忘れなら問題ないが、夜中に掛けかけておかしくなったのではないかと心配になった。そこで救急に電話をして、事情を話して安否確認してもらえるか、尋ねてみたらすぐ見に行くと言ってくれた。

救急隊員が呼び鈴を押したら叔母は出てきたと連絡をもらいホッとした。しばらくして、電話を入れてみると、従兄弟の嫁さんに従いて行ってもらい救急でM病院へ入院するという。

放っておくわけにいかないので、病院へ急遽駆けつけた。心電図検査の結果、病名は「完全房室ブロック」というので心臓の信号の流れが切れているとのこと。

無症状なので差し当たりしばらく入院して検査を受けることになった。

脈が正常に打つようにするにはペースメーカーを埋め込む必要があるが、高齢のため様子をみることになった。

落ち着いたので1週間で退院したが、一人暮らしは難しくなってきた。

「秋夜中脈飛んで呼ぶ救急車」

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安泰寺ネルケ無方住職の人権講演

2018年10月14日 | 共生

曹洞宗安泰寺ネルケ無方住職の人権講演の映像がユーチューブで公開されていたので、紹介します。

タイトルは

「赤・青・黄色ー多文化の狭間で人権を考える」

まあ、聞いてみてください。

差別戒名、ゴキブリ、ヤクザ、黒人等々

https://www.youtube.com/watch?v=JVg_yy7mN0M

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淀川土手の草刈りで一句

2018年10月09日 | 俳句

自転車散歩のコース淀川土手の雑草の草刈りが9月中旬、下旬にかけて行われた。

夏草が生い茂って写真にある土手下の道なんか草が両サイドから張り出してきて所々で草に当たってしまうほどである。

今はもう数は減ってしまっているが、刈られた時にはこんな状態でも多くの虫の声が聞かれた。

そこで、一句。誰でも作れそうな凡作だねえ。

  「土手の草刈られて哀し蟲の声」

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観光シーズンで一句

2018年10月04日 | 俳句

国慶節の連休休みで中国人が大挙日本へ観光に来ているが、団体の彼らのお喋りは騒音というしかない。

そこで一句。

「国慶節かまびすかしや土産店」


台風24号に続いて25号が日本に接近してきているが、どうやら衰えが見えてきたようで少しホッとしている。現在965hPa。

 

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台風24号列島縦断 被災地の方々にお見舞い申し上げます

2018年10月01日 | 俳句

4日も5日もずっと大阪を狙っていた台風24号の進路にヤキモキしていたが、四国沖で急に南に進路を変えて結局和歌山県田辺市付近に上陸した。

大阪の我が家では最接近時に20分ほどヒューと風音がしただけで何事もなく済んでしまって拍子抜けがした。来れれたら困るわけで正直有難かったが、それは別のところを通ったわけでそこでお住まいの方にはお気の毒、複雑な気持ちになる。

「台風や的を外して通り抜け」

      被災者の皆様にお見舞い申し上げます。

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