十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

梅、桃、桜

2011年03月31日 | 道楽

 春の陽気に誘われて今日は桜ノ宮と大阪城へ転輪号を駆って花の様子を見に行ってきた。桜ノ宮公園では何本かの桜が咲きかけていたがまだ蕾の状態、日曜日にもなれば大分咲く花も増えるのではないかと思われる。

 大阪城の梅園の様子を見に行くとさすがに梅は終わっていて写真のごとくほとんどの花枝が剪定にかかっていた。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」の格言通りの有様だった。

 帰りに桃園を見るとここは丁度今が盛りと桃の花が咲いていた。しかし、桃園は木も少なく人も少なく殺風景の感は否めない。

 大阪城では咲いた桜は見られなかったが、桜ノ宮公園では数本の桜が花開いていた。日曜日にもなれば相当数の木が開花するのではないかと思われる。

 ちょっと日を置いてまた出かけることする。歳も歳、いつ見納めになるか分からないし・・・。

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迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教―

2011年03月28日 | 佛教

 安泰寺の住職 ネルケ・無方さんの本が出版されましたの紹介します。

日本人が忘れた、“本物の佛教”がここにある。
「お坊さんになって悟りたい!」――。悩めるドイツ人青年の危機を救ったのは、祖国で出会った坐禅だった。出家の覚悟を決めて来日するも、そこで見たものは、この国の佛教のトホホな姿。算盤を弾くばかりの住職、軍隊のような禅堂、佛教に無関心な世間……。失望と流転の末、ようやく辿り着いた理想の修行は、小さな山寺での自給自足・坐禅三昧の生活だった。日本人が忘れた「一瞬を生きる意味」を問う、修行奮闘記。

ネルケ無方
ネルケ・ムホウ


1968年ドイツ生まれ。禅僧。兵庫県にある曹洞宗・安泰寺住職。高校時代に坐禅と出会い、佛道を志す。1993年、安泰寺にて出家得度。京都の名刹や大阪城公園でのホームレス修行生活などを経て、2002年から現職。檀家ゼロ、自給自足、坐禅三昧の修行生活をおくっている。

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「自分一人くらい」と「自分一人だけでも」

2011年03月27日 | 共生

 福島第一原発事故により関東地方の電力不足が深刻で輪番で停電が実施されている。停電の実施を控えるために節電の呼びかけが行われていて、大方の人は協力していると思われる。

 しかし、今はまだ始まったばかりだから、みなその気になっているのだがそのうちいい加減にしてほしいというように思う人が増えて来ることは目に見えている。

 そうすると「自分一人くらい節電のしても大したことでない」と協力しない人も出てくるだろう。この「自分一人くらい」というのは自分を大勢の中に埋没してその中の単なる一員にしてしまっていて自己がない。

 反対は「自分一人だけでも」である。他の誰が協力しなくても自分だけはやる、ここには自己がある。みなこうあってほしいものである。

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行先に我が家ありけりかたつむり

2011年03月26日 | 共生

 今般の地震津波で多くの家が損壊し家を無くしたりすぐには住めずにいる人が多数出て避難所暮しを余儀なくされている。お気の毒という他はない。

 こういう時に宗教を持つことの意義が顕になってくる。諦めが早いのである。持たぬ者より落ち着いていられる。神、佛という任せるものを持つからである。

 禅者は自己の世界を持つ、何処に赴こうともその中心に自分がいる。とするとオタオタすることはない。「行先に我が家ありけりかたつむり」である。この家は地震で壊れるような家ではない。ただ、今は家の中に壊れ物が散乱していることは事実だから片付けに精を出すと言ったところか。 

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天命を考える

2011年03月23日 | 共生

 一昨日に天罰についてエントリーしたが天つながりで天命を考えてみる。

 命の字が入るもので実物的な生命以外の意味的な命として、天命、宿命、運命、使命、寿命がある。これを連ねると

「宿命によって生まれ、運命によって生かされ、使命によって生き、寿命によって死す、これ天命なり」 

 宿命と運命と寿命は黙って受け取るしかない。使命だけ考えて生きればいいのだと思う。ところが多くの人は使命を忘れ宿命転換、運命の好転だけを追っているようだ。そんなことをやっているうちにそれだけでいつのまにか寿命が尽きる、勿体無い命の使い方である。

 使命とは大それたことを考えることではなくて今、ここにおいて命の限り精一杯生きることだと思う。生也全機現、死也全機現である。 

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地震は天罰か?

2011年03月21日 | 世相

 石原東京都知事の「津波は天罰」発言が物議を醸し、結局宮城県知事からの抗議によって謝罪する羽目になった。

 石原知事「津波は天罰、我欲を洗い落とす必要」 (読売新聞)
http://j.mp/hgf1y9

 関東大震災では「腐敗堕落した人間社会一般に対する天の戒め」という意味で用いられ、実業家の渋沢栄一やキリスト者の内村鑑三らが「第一次世界大戦後の贅沢や自由放縦に対する天罰」としきりに喧伝したという。

 四川地震ではネット上で「地震はチベット人を虐殺した天罰」という書き込みが多く出たようだし、また、今般の地震に対して中国で「天罰」というネット書き込みが横行していたようである。

 地球物理上の理由によるものを人為的なものに原因を求める考え方は肯んずるものではないし、被災された人々のことを思えば憤りを覚える。
 
 なお、天災ではないが「原爆は仏罰」という発言をした国内最大級の宗教団体指導者の発言もある。似たような発想をする者がいるものだとつくづく思う。

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コマーシャル自粛 やり過ぎではないの

2011年03月20日 | 共生

 一般企業のTVコマーシャルが自粛されたままでACジャパンの周知ばかり。民放を見ていると同じ画面ばかり見せられ音声を聞かされる、こうなると目に障り耳に障ってくる。
 企業の経済活動がなければ被災地復興にも差し支えるだろう。

 「こころ」はだれにも見えないけれど 「こころづかい」は見える
   「思い」は見えないけれど 「思いやり」はだれにでも見える (宮沢章二)

 これはいいことばなので 覚えてしまった。

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東日本大震災被災者に災害救援金を贈ろう

2011年03月19日 | 共生

 今日、災害救援金を送金した。

 プロバイダーは1996年からアット・ニフティを利用しているが、アット・ニフティの災害救援金システムを利用して送金した。壁紙を購入という形で金を払えばニフティが振り替えが済むまでに立て替えて早期に関係団体に送金するというもの。HP画面上で手続きでき金融機関に出向き送金しなくてもよいので便利だった。ちなみに期間、募金機関は次のとおりだが他のプロバイダーも似たようなことをしているのかも知れない。

受付期間  2011年03月11日~2011年04月10日

募金機関  日本赤十字社、国境なき医師団日本、特定非営利活動法人ジェン

皆さんも物資を送るよりできるだけお金でちょっと痛いなと思うくらい多めに出してあげてください。

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もし避難所生活することになったら

2011年03月18日 | 共生

 連日各種メディアで東日本大震災の報道がなされているが、今日で丸一週間になるのになかなか避難所の生活が改善されていないようだ。復旧がチグハグで一つが直っても別ところが深刻の度を加えている。

 そしてそれはまず高齢者や病人のところにしわ寄せが来るようで、避難所暮らしの老病人が20数人亡くなっている。

 関西も東南海、南海地震がそう遠くない時期に起こることは毎違いないようだし、関連する直下型地震も起こりそう。

 そこで吾輩が避難所暮らしを余儀なくされたらどうなるか想像してみた。

 痩身でとにかく寒さに弱い、冷たくなると血管が縮んで身体がすぐに冷たくなる、血圧が高くなる、便所が近くなる、寒いと寝られない、1週間でヘタっていること間違いない。 

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気になる福島第一原発事故

2011年03月17日 | 世相

 今日は寒くて1日中家の中にいて、TVを見たり本を読んだりして時間をつぶすことになった。

 一番気になるのは福島第一原発の様子である。自衛隊がヘリで3号炉に海水を投下するところを見たが、ホバリングせずに炉上を飛越しながらの投下では大部分は狙いの外に落ちてしまった。後からのデータでは隊員の被曝量は想定よりはるかに低かったようだから明日以降はホバリングしながらやってもらいたいものである。

 プールには燃料棒が水につかるだけの水量として500トンが必要。ヘリが1回に運ぶ水量は7.5トン、ホバリングしてうまく入れたとして100回は必要である。

 夜間になって自衛隊の消防車より放水が行われたが、1回の水量は30トン。どれだけ効果的に行われたのか放射線量からはほんの少し低下したらしいが、誤差の範囲程度のようである。

 また、外部からの電力の引き込みが建物まで届いたようだ、炉内の機器に電気が通じれば事態の改善が図られる可能性がある、期待したい。

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貪らぬこの一事をもって十方に供養す

2011年03月16日 | 共生

 大乗仏教においては布施は六波羅蜜のトップにくる徳目であるが、人に何かを差し出すということだけでなく、表題のとおり貪りを控えることによって周りのゆき渡りに配慮することも布施の一形態だということである。

 今般の大震災、マスコミでは東日本大震災という言葉を使い出しているようだが、これにともない東日本では電力、ガソリン等のエネルギーや食品、日用品の品不足が生じている。この要因の物資関係は買いだめである。

 TVで見たところである主婦がインタビューに答えて「あるのを見つけたら買い込んでいる」と答えているのや、キャベツを3つも買い込んでいるオバさんなんかいる。コンビニ、スーパーの棚は空っぽ、ないとなると買いだめに走る、この連鎖は津波なみ。東日本一円で発生、その余波が我が家まで及んできている。家内の妹が電池がない、赤ちゃんのオムツがないとかいって宅配で送ってくれと言ってきた。家内が送ってやったが何回も頼まれたらかなわないから多めに買ってきて送ってやったそうな。近くで手に入るものを500Km離れたところで入手しなければならないなんてどうかと思う。

 今「どうぞどうぞ」──と食料品や日用品の買い占め・買いだめを控え、物資を譲り合う気持ちを持とうという「ウエシマ作戦」が首都圏のTwitterユーザーを中心に広がっているらしい。これは「どうぞどうぞ」のギャグで知られるダチョウ倶楽部の上島竜兵にちなんだ作戦名だとか。

 ガツガツせずに「どうぞどうぞ」はゆとりの現れ、こういう連鎖は大きく広がってほしいものである。

 話は変わるが東電さん、初めは何だコイツらと思っていたが、今は心から応援している。そして無事を祈る。 

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福島第一原発事故で放射性物質が漏えい

2011年03月14日 | 共生

 福島第一原発事故の拡大は留まるところを知らない。次から次へと懸念材料が現出してくる。地震、津波のよる施設へのダメージが主原因であるがその対応の不手際が目立つ。1号から4号まで全部爆発させるのはなんてとんでもない。

 また、現状等についての情報周知が遅すぎるし、中には笑いながら記者会見する者もいたが頬を緩める場面でないのに・・・。

 放射能といえば、我々年配者にはソ連、中国の核実験を思い出す。核実験で舞い上がった塵埃が日本上空までやって来て雨に混じって降ってくる、放射能雨である。放射能雨にはセシウム137(半減期30年),ストロンチウム90(半減期29年)、及びヨウ素131(半減期8日)が含まれていて主としてそれらが人体に悪影響を与えるということを知った。

 今回の原発事故でセシウム、ヨウ素が検出されたということであるが、セシウムは体内に取り込まれると筋肉等に留まると半減するまで70日ほどかかるらしい。ヨウ素は甲状腺に集まり8日と短いが短い分放射線が強く甲状腺ガンを起こす、チェルノブイリ事故後甲状腺ガンが多発し、特に小児のガンが痛ましいものだった。

 ストロンチウムは骨に入り込み人体に取り込まれれば半減するには15年かかるという。

 何とか現状で食い止めてほしいものである。

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中国「輪廻転生廃止は許さない」

2011年03月09日 | 佛教

Newsweek日本版 の昨8日の報道によると

 チベット佛教の最高指導者ダライ・ラマ14世は昨年、後継者は自分が生きている間に指名するか、いっそ選挙で選ぶことになるかもしれないと語った。本来は死後にその生まれ変わりと認定された者が後継者となるべきところだが、それを中国政府に選ばれてしまうのでは、チベット人の支持は得られないと懸念したからだ。

 だが、中国政府は例によってダライ・ラマの考えに猛反発している。

 チベット自治区トップの張共産党委書記は、ダライ・ラマに輪廻転生を廃止する権利はないと語り、チベット対する強硬姿勢を改めて鮮明にした。「そんなことは許されない。不可能だと思う」と、北京で開会中の全国人民代表大会の傍らで張は語った。

  「われわれはチベット佛教の歴史的慣例と宗教儀式を尊重しなければならない」、「輪廻転生を失くすなど、人が決められることではない」と・・・。



後継者選びには活佛転生制度というのがあり、高僧が遺言で指定した地方に、49日間以内に誕生した乳児の中から、神畏の備わっている者=転生霊童を選び、転生者とするものである。

活佛とはダライ・ラマとパンチェン・ラマのことでその選びには次の4つのチェックによる。
  1 先代ラマの遺体の観察
  2 聖なる湖(中央チベットのラモイラツォ湖)の湖面の観察
  3 神託・占い
  4 本人に対するテスト

その前提として輪廻転生という考え方があるのだが、ダライ・ラマがその転生を重要視しない発言は大きいように思う。多分転生を自覚していない感覚があるのだろう。
一個体が個体性を維持しながら生まれ変わるはずもないのだから、全うな発言だと思うのだが、唯物論の共産主義者が輪廻転生をいうのはチベット人なるがゆえか。

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岐路に立つお寺~問われる宗教の役割

2011年03月06日 | 佛教

 3月1日のNHK報道番組クローズアップ現代で「岐路に立つお寺~問われる宗教の役割」というタイトルの番組を見た。

 全国各地の寺で檀家の寺離れが進んでいて寺の運営に支障が出てきている。最大の仏教団体である浄土真宗でのアンケートによると20年後にはその6割が寺を運営できないと予測している。

 特に最近の問題は墓の引越しが増えてきているということ。これは業者による割安な霊園、納骨堂ができてそこへ引っ越してしまうのである。
 危機感をいだいた寺が業者とタイアップしたりして上手くやっているのはごく一部で、寺独自で納骨堂を造るも利用者が少なく倒産したりと運営上問題ある状況が生じてきている。

 ゲストの東工大 上田紀行准教授のアンケートによると、良いイメージを持っている人が
仏教は90% 寺25% 僧侶10% ということ。

 人々の苦しみに寄り添う宗教本来の取り組みを始めた僧侶のグループが各地で生まれて来ている。

 といった内容であったが、寺25% 僧侶10% というのは在家一般の人間が感じる当たり前の感覚で坊さん方は厳しく受け止めなけれならないだろう。

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