近くの教会(プロテスタント系)のチラシが郵便受け箱に投函されていた。読んでみると馬鹿げたことが書いてあるので抜粋して紹介する。
《・人間はサルから進化したのではなく、初めから人として創造されました。
・人間は、神様から与えられた知性や感情を悪用して神様のお心に従って生きることを拒み、自分たちの創造者である神様を無視して生きています。
・神様は、正しく聖なるお方です。罪とは、神様に対する反逆なのです。人間は、神様を無視して、罪を犯している結果、さばきを受けなくてはならないのであす。そのさばきは、死後にあるのです。そのさばきとは、地獄です。
・神ご自身が罪人のために救いを用意されたのです。これが福音です。
・私たちは、自分の犯した罪の当然の報いとして地獄でさばかれるべきだったのが、それを主イエス様は、十字架の上において、私たちの代わりに神様の激しい怒りをお受けくださったのです。
・地獄も実在ですが、同時に神様のおられる天国の実在です。
・みなさまも、イエス様がご自身の主すなわち神であると、またご自身の救い主すなわちキリストであると信じるならば、罪赦されて、神のこどもとされて天国に行くことが出来るのです。》
一神教の神は創造主であり、在りて在る者であり、全知全能ということになっている。人間も神がつくったという。絶対神である。
さすればこの世のものは全て神の手の中、その手の外に出ることはできない。神と人間の力関係は月とスッポンどころか無限大とゼロくらいの開きがあるのである。そのような絶対者が人間ごときに裏切られるということがあるだろうか。裏切られて腹を立てお仕置きをする神なんてとても絶対神といえないだろう。
絶対神ならこの世の全てのことは神の意思、原爆を落とすのも大地震でぺろっと何万人を殺すのも神の御業、人間が悪を為すのも神の所為というべきである。それでこそ絶対神である。絶対神のもとでは人間に罪はない、責任は全て神にある。
聖書の神は絶対神といいつつ小さなドジ神の話になってしまっている。ドジ神は人間を作り損なってそれを人間の所為にする。バカにするなと言いたいところである。
神が絶対神なら神を矮小化した聖書は冒涜の書というべきだろうし、聖書が物語る人間を作り損なったような神なら絶対神というのもおこがましいのである。