十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

盛永宗興老師提唱録・・・十牛図ほか公開

2015年05月24日 | 佛教

先に河合隼雄氏の「日本人のこころ」という講座を公開しましたが、中に十牛図に感心した話が出てきました。

十牛図について、元花園大学学長で竜安寺大珠院住職だった盛永宗興老師の提唱された録音を所有しているので、ついでに公開することとします。

この提唱録音については、何人かの方から聴きたいとの希望を寄せられたもので他の方にも聴いて貰えればと思ういい話が出てきます。

なお、この提唱は私が直接聴きに行ったものでなく、知人所有のテープをダビングさせてもらったもので、講本もなく、また、講座も毎回分揃っているわけでなく、断片的なものに過ぎないことをご了承ください。

下記サイトからダウンロードしてください。
http://yahoo.jp/box/QdiJ29

十牛図
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3

証道歌
http://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/shodouka.htm

禅海一瀾
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%8C%97%E6%B4%AA%E5%B7%9D

碧巌録
http://hanazonoinkyo.com/hekigan.html

臨済録
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%B8%88%E7%BE%A9%E7%8E%84

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日本人のアイデンティティ

2015年05月21日 | 共生
日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とある。
しかし、日本の周りの国でどこに公正と信義ある国があるというのだろうか。
 
中でも朴大統領を始めとする韓国国民の日本に対する反感ぶりは異常というべきレベルに達している。そんな中で前に記したような跳ね上がりも出てくるのである。
 
彼の国のアイデンティティは奈辺になるのか、中味が空っぽ。壇君神話に始まる神話を今作成中。誇るべき人物は李舜臣と安重根、あらゆるものの起源は韓国にあるという神話である。その神話が国民のアイデンティティとなっているのである。
 
翻って日本はどうか。日本人のアイデンティティも日本神話にあるのである。あまり意識はされていないが日本人の考え方、生き方の底流をなすものは神話にあるのである。
 
それはどんなことか、元文化庁長官、京都大教授、心理学者の河合隼雄さんの「日本人のこころ」というNHKTVの教育番組で放送されたものを録音したものがあるので、ぜひ聴いてもらいたい。画像はなく、最初のところは途中から始まっています。
 
 
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いくらなんでもこりゃアカ~ン

2015年05月18日 | 他教

今年の年賀状に人間ほど面白いものはない、中でも自分は格別だと書いたのを紹介したが、いやいや、超絶して面白い人種がいた。韓国人だ。
ユーチューブで韓国を検索した動画を見ると、TVのバラエティを見るより面白い。

しかし、この記事はいかん!佳子さまを慰安婦にするなんてほざけば許せん。面白がっているわけにはいかん。

どこにでもはみ出し者がいてこんな記事を書く人間がいてもおかしくないが、韓国はそうでもないらしい。安部首相の米国議会での演説に対して、関係ないのに国会が全会一致て非難決議をしたりした。なんでも国会議員の2割が前科持ちという。

国の頭がいかれておれば国民がそうなるのも無理はないともいえる。隣国だが迷惑なことおびただしい、敬遠しておくに越したことはない。

https://www.youtube.com/watch?v=2HG2yRYv8YA

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法華経は真理が説かれているのか

2015年05月12日 | 佛教

法華経は真理が説かれているのか、説かれているとしたらそれは何か?という質問が知恵袋にあったので、次のとおり回答した。

これが真理だなんていう真理なんて説かれていないのです。
言葉で説かれてしまっては、もうそれは真理とは言えなくなってしまいます。

方便品第二でなぜ釈尊がこの世に出て来られたのか、出世の本懐といいますが、それは衆生をして佛之知見つまり佛様の見方に開示悟入せしめんためだと書かれています。

佛となって佛の見方で世の中を見なければ真理なんて分からないということなんですよ。

さて、その佛之知見は如来寿量品第十六に書かれています。

如来は如実に 三界の相を知見するに生死の若しは退 若しは出有ることなし 。亦在世滅度の者なし。 実に非ず虚に非ず如に非ず異に非ず三界の三界を見るが如くならず」(佛が実物どおりにこの世の在り方を見てみると、生死という出入りはない。世の中に生存ということもなければ死ぬということもない。生と死ははっきりと決まってあるものではない。生死は実在として在るわけでもないし、では全くないのでもない。空虚とも虚無ともいえない。では生と死は一如平等でベッタリ同じかというと、そうではない。では全く差異格別のものかというと、それも当たらない。とにかく三界というこの世の中の人がこの世の中を見ているような在り方のようなものではない。佛の眼で見ると我々の見ている世界のようなものではない)ということなのです。

何のこっちゃというしかないでしょう。

法華経は修行せよ。修行すれば成佛できる。成佛すれば佛様の見方ができる、としか言ってないのですよ。

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