十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

政教分離は近代国家の証

2022年08月22日 | 一法言

政教が分離されなければどうなるか。

政治と宗教が交われば、政治は公正を失い、宗教は神聖さを失い、劣化する。

劣化したものの掛け合わせは劣化度が倍加する。

 ロシア大統領プーチンとロシア正教会キリルの結合が、ウクライナの悲劇をもたらしている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三元首相の国葬儀

2022年08月20日 | 世相
 安倍総理大臣の「国葬儀」は、9月27日に東京・日本武道館で行うことが閣議決定された。
 
 ところが、自民党国会議員による故統一教会のよる支援問題であらぬ方向に問題が拡大、国葬に反対する意見が増加、国を二分する形になってしまった。
 
 今回のことは、自民党議員と統一教会と癒着がなければスンナリと実施できていたところなのに、残念な結果になっている。
 
 さて、一般に国葬と言われているが、戦後国葬という制度はない。
 
 戦前は国葬は勅令によって実施されていたが、戦後は内閣令による国葬儀という名称で実施されている。国葬儀として実施されたのは吉田茂のみである。
 
 戦前の国葬で有名なのは、山本五十六元帥のものである。(昭和18年6月5日)
 母親の里にその時の写真集があり、子供の時に見たが、スケールの大きさにびっくりしたことを思えている。
 
(写真はウィキペディア参照)
(説明文)
 山本元帥の国葬は1億哀悼のうちに日比谷葬場に執行された。この日葬場から多摩墓地に堵列せる市民50万を越え、空前の盛儀を盡くした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦記念日に思うこと。

2022年08月15日 | 人生

 私は終戦の日、3歳になったところだった。

 当日の記憶はないが、それでも、戦争を実際に体験している。

 空襲警報の近くにある変電所のサイレンが鳴って、消防団が「空襲警報発令」と回ってくる。

 慌てて防空壕に逃げ込む、外を見ていたら大阪方面が真っ赤になっていた。空襲は8回にわたり行われた。

 8回目は8月14日、終戦の前日である。親父は当時軍人で大阪城内にあった第4師団司令部に勤務しており、空襲で防空壕に逃げたが、そこに爆弾が命中、生き埋めになったが、這い出すことができた。隣に坐っていた同僚は亡くなっていたそうである。

 この空襲は別名京橋駅空襲と呼ばれる。1トン爆弾700発、多くの死傷者が出た。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2

 親父は大阪城から門真まで8Kmほど歩いて帰ってきた。夜遅くなって家族はひょっとしてと心配していたが、足音が聞こえて安堵したそうである。

 そして、明くる日に終戦、他国支配による日本の苦難が始まる。

 苦難と受けるのではなく、甘んじて馴れ合っていく、自虐史観を良しとする、情けない日本人ばかりになってしまった。

 安倍元首相の言葉に次のようなのがある。

「戦後レジームがもたらしたもので、絶対に落とせないのが、個人と国家を対立するもの、国家を抑圧装置と捉える考え方ではないでしょうか。地域のコミュニティーは大切にするけれど、そこから国家をバイパスしていきなり地球市民になるという特異な考え方は日本独自のものでしょう。」

 国家に対しては、たかるばかりだ。

「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。」(ジョン.F.ケネディ)

 国に殉じた人を思わぬ人は今の国民も思わない人と断ずる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いのちの泉

2022年08月12日 | 人生

 しばらく、ご無沙汰しておりましたが、昨日も91名の方の閲覧があり、ありがとうございました。サボリはよくありませんね。反省してショートなものでも書いていきたいと思います。

 さて、今日はNHK朝ドラの中で気になる言葉があったので、それについてちょこっと書いてみたい。

 朝ドラは、妻が毎日視聴ているので見るとはなしに見せられてしまうのである。今回記事にするに当たってタイトルの「ちむどんどん」って何?沖縄言葉であることは理解していたが、意味を知らずに90回の今日まで知らずに来た。

 妻に聞いても、「さあ?」、惰性で視ていることがバレバレ。(笑)

 ネットで調べると、「ちむ」が心で「どんどん」は胸がドキドキすることらしい。

 さて、今日は主人公の暢子の結婚式で、その中で勤め先のレストランの名前「フォンターナ」の謂れがオーナーから披露される。

 フォンターナはイタリア語で、フリードリッヒ・ニーチェの言葉「汝の立つ処深く掘れ、そこに必ず泉あり」から取ったのだという。

 そこですぐ連想したのが、和田重正先生の言葉である。

 「掌を合わせても合わせなくても、目をつぶってもあけていても坐っていても、立ったままでも、 一番思いが身にしみる形で、 誰もいないところでそっと祈ってごらん。 声を出さないで、ことばにしないで、 お母さんに話しても、お父さんに訴えても、どうにもならない苦しいときや悲しいとき、 楽しい希望や美しい夢に輝いたとき、 深い地下から豊かないのちの水を吸い上げて萌えあがる、あしかび(葦の芽)のように、 あなたはどんな妨害をも凌いで伸びつづけるだろう。」(葦かびの萌えいずるごとくp215~216)

 そのいのちの水は、智と愛と勇気の溶けあった真清水である、その真清水を汲み上げようと「まみず」と同人誌を作られ、内山興正老師もその同人であったのである。

 智と愛と勇ついては、三種の神器の鏡が智、玉が愛、剣が勇を象徴しているのである。この3つが円満に働かないと駄目である。

 智、愛なき勇気は蛮勇となる。それを大和魂と言っては片腹痛い。

 戦前の軍部、プーチン、安倍晋三元首相暗殺犯、・・・。

 さて、勇気を無くした日本はどうなることか。行く末が心配。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする