十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

転輪号10500Km走破達成!!

2011年07月29日 | 道楽

 最近は日中は暑いので夕涼みサイクリング。今日は寝屋川市まで往復14Km走って、
合計10500Kmを走破した。こうなれば20000Kmを目標にするしか仕方がない。

 さて、例によってコスト計算。今回も支出が0円、総合計 117000円
 1Km当たり11.1円、1時間あたりの走行距離を15Kmとして、1時間あたり167円である。

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永代供養

2011年07月26日 | 佛教

 今朝の朝日新聞によると、高野山の「持明院」という寺の永代供養権を売るとうたって高齢者らに高額の代金を騙し取った業者がいて被害額が1億1500円に上るらしい。

 永代供養とは寺が位牌や墓の管理を行い読経、法要を勝手にやってくれ遺族はそれを任せておくだけよいものだが当然それに対する金を事前に払って権利を得る必要がある。

 しかし、これもけったいなもので遺族からも顔を名前も忘れられた状態で供養も何もないもんだと思う。

 今回は寺から委託を受けた業者のペテンだが、元々寺が死んだ人間を供養するなんてことで金儲けを考えることがまやかしなのである。

 人間死んでも知る人の心の中に残映として残るものであるが知る人がいなくなればそれで終わりということを知るべきである。

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天上天下唯我独尊

2011年07月22日 | 佛教

 今時、天下の唯我独尊といえば菅総理、ひとりよがりのうぬぼれも極まっている。この首相のせいで日本における最大危機の中で最大不幸社会を作りつつあるのは嘆かわしい事態である。

 過去においてはやはりすぐ頭に浮かぶの織田信長、その傍若無人ぶりは極まっている。この個性あってこそ日本を統一、革新できたというべきだが、それによって自らの滅びの因となっている。

 菅首相や信長となると天下といっても日本のことだが、天上天下唯我独尊と、天上までとなると桁外れどころか比べようもないことになる。

 天上天下唯我独尊は世界において最も勝れた者であるの意である。生まれたばかりの釈尊が7歩歩いて右手を挙げこの句を述べたと伝えられている。そんなことがあるはずがないところだがことばとしては素晴らしい。

 出来上がった世界の中で俺が一番偉いんだとなれば傲慢、独善でしかないのだが、仏教的世界はそんなものではない。自己が生命体験することによって自己の世界の展開があるという世界の中では正にオンリーワンの存在なのである。

 したがって、なにも釈尊だけが天上天下唯我独尊であるのではなく、我々誰でも天上天下唯我独尊なのです。それはあいつより俺は偉いという話ではないのである。 

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佛の話

2011年07月20日 | 佛教

 台風6号は日本列島に大きな傷跡を残して太平洋上はるかへ去っていった。私のいる大阪は大した被害もなくホッとしたところだが被害に遭われた方々にお見舞い申し上げたい。

 さて、この一法寺はオンライン上の寺であるが浅学非才の小生のその時折々の独り言の場に過ぎず、佛の話をあまりせずにきている。これからはもうちょっと佛の話を増やしていきたいと思う。

 と言っても難しい話は知らないし、説明もできない。自分の納得しているところを簡単に説明させてもらうことになる。

 私の佛理解はアインシュタインの言葉を基にしている。
「宗教なき科学は跛行者であり、科学なき宗教は盲目者である」身障者を引き合いに出しての言葉で不適切の謗りは当然あるところであるが、科学と宗教の関係と端的に表現していてそのことに同感なのである。

 河合隼雄さんの講話「神話の知と科学の知」にその関係性が見られるので聞いてみていただけたらと思います。

http://blog.goo.ne.jp/ippouji/e/36f76d9d799c6bf2c046d0c49b91a407

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夕涼みサイクリング

2011年07月15日 | 道楽

 日中の最高気温が35℃を超える猛暑日の予報だったので、始めて夕涼みがてらに夕食後サイクリングに出かけた。距離は往復10Kmほど。夕方のこととて往来が多いので早めに点滅ライトを点けて日の落ちないうちに帰ってきた。

 ところがあと少しのところの交差点で赤信号のためストップしようとしたところ、歩道が右下がりに傾斜していて自転車が右に傾き右足を出すタイミングも遅れて転倒。右肘擦過傷、右膝擦過傷でそれぞれ10cmほどの傷ができた。年のせいで治りが遅くなっている大したことはなくその内治るだろうと思っていたら、2時間ほどしてから右手首が痛くなってきた。見ると膨らんでいる。どうやら手を着いた時捻挫したようである。

 で、このタイピングも左手で打っているのである。(;´д`)トホホ…

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自信

2011年07月12日 | 生命

 今の日本人の多くは自信を失っている。内憂外患を抱かえて立ちすくんだような人が多過ぎる。先行きが見えずに元気を無くしている。

 それというのも自己がない。自己がないから他から揺り動かされ易い。自己が確立していないのである。

 で、自信を持つには絶対間違いない、不動の立脚点に立つことである。そんなものがどこにあるか。

 今、自分が絶対的に確信することは何かということである。それは自分が今生きているということである。それは明日太陽が昇るより確かなことなのである。太陽が昇ることを疑う人は誰もいない、誰しも絶対的に確信することのように思えるが、これはそうではない。何となれば自分が存在しなければ自分にとって太陽が昇るとは言えないし、時間も場所も不明なら確かめようもないのである。

 自分が今生きているということは、今誰しも確信できることである。まともな人間なら俺は死んでいるなんてことはありえない。

 今生きているということは、五官が働いていることである。中には4官、3官の人がいるかも知れないが。五官が働いて生きていること実感できる。そして自分の周りの世界の認識する。認識するからあらゆるものが存在するのである。認識しないことは存在することにならない。

 自分がいて自分の世界がある。この確信が自信である。

自分がいて自分の世界がある。このことを日本臨済宗の開祖栄西禅師のこう述べておられる。

「天地、我を待って覆載(ふうさい)し、日月我を待って運行し、四時我を待って変化し、万物我を待って発生す。大いなるかな心や」
 覆載:天が覆い、地が載せる  四時:春夏秋冬  心:いのち

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棒と玉

2011年07月04日 | 道楽

 今日の天気予報は雨マークだったが晴れてうちにとサイクリングに出かけた。
 自転車に跨って最適位置に股部を落ち着けるのであるが、やはりセンターライン上に棒をそして二つの玉を左右に振り分けることになる。ところが痩せぎすのため臀部の筋肉が少なく陰部と肛門の間が圧迫されて20Kmほど走ると痛みが出てくる。そうすると尻を少し後ろへ引くと当たりが緩和されてるが走りにくくなる。そんなことで30Km以上は走りにくかったのである。

 今日たまたま片端をペダルを乗せて走りながらサドルを跨いだら玉二つが左側に、普段なら腰を上げて坐り直すところだがそのままで走ると痛み場所へに圧迫が少ない。右足のサドルへの接触度は増しているが試しにその状態で走ってみた。若干の違和感はあったがレースをするわけでないから走りにあまり支障はなかった。

 棒と玉の位置を変えながら22Km走ってきたが全然痛みがなかった。坐る位置が2ポイントから左中右前後の6ポイントに増えて走るのが楽になった。(笑) 

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