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十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

安泰寺ドイツ人ネルケ無方住職のTV出演の紹介

2011年06月28日 | 佛教

 7月2日(土)ETV午後1時~2時「こころの時代~宗教・人生~『坐禅は生の主食』」(再放送)という番組で安泰寺のドイツ人僧侶ネルケ無方さんがインタビューに答えるという形式でお話をされますのでお聴きになることをお勧めします。
 私も初回の放送は聞き逃したので録画予約しておきました。

安泰寺HP
http://antaiji.dogen-zen.de/jap/index.shtml

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唯識

2011年06月22日 | 佛教

 仏教の唯識学は「唯識3年倶舎8年」というくらい習得するにむずかしいものらしい。私も随分昔に入門本を1,2度読んでみたことがあるがそれっきりになっている。

 その概要はウィキペディアを参照してもらうとして、唯識は語源的に見ると、「ただ認識のみ」という意味であるが、これは今日では情報の問題と考えたら分かりやすいと思う。

 コンピュター的に考えると、阿頼耶識がHDD等データ保存媒体、末那識がCPU、前五識がインターフェース、意識がディスプレイと言ったところだろうか。

 さて、そこで過去、現在、未来と時間を分けて考えてみる。過去は過ぎ去っていて今はなくそれは過去の情報としてHDDの阿頼耶識に蓄えられている。それが意識というディスプレイに呼び出され意識される。つまり、識のみ完結しているのである。
 
 次に未来はというと、未だ来たらず今はない。現在、過去の情報を加工して同じくディスプレイに表示したものでしかない。これもまた識のみで完結している。

 さて、現在はというと厳密にいうと時間というものない。過去と未来のフロンティア、時間の流れを羊羹のようなものに例えると切り口の一方が過去で一方が未来、その切り口が動いていくようなものである。

 しかし、人間の感覚はそこまで厳密に感覚できるわけもなく、情報処理に時間がかかりタイムラグがある。それを見込んで考えてみると、身体内外の情報がセンサーである五官で捉えられ阿頼耶識に蓄えられている情報と照合しその上でディスプレイに表示され認識される。つまり、外界情報も認識装置であるコンピューターの働きがなければ意味をなさなくなるのである。

 目の前に危険物があってもそれが危険物と認識されなければ、その人にとって危険物とはならない。うっかり触って手に痛みを感じて初めて危険物と知る。認識が改まると次からは危険物としてうっかり手を出すことはなくなる。同じものでも認識次第なのである。安全であると認識されてきた原発が今般の事故で一挙に危険なものになってしまった。

 つまり、たとえ存在を確信しているものでもそれは大概HDDから呼び出された過去情報に過ぎないである。例えば現在、太陽の存在を疑う人はいない。しかし、それはみな過去情報に基づくものである。過去に見た太陽を思い出しているに過ぎないのである。

 目の前に見えているものでも、決して実物を全て見ているわけでもない。今見えているのは表面の光だけである。それもアバウトなものである。目の解像度に問題がある、歪みがある、盲点がある、焦点だけしか見えていないという按配である。見えていないところは過去情報を呼び出して補った上で認識しているのである。

 認識力が全てなのである。時間も空間もあらゆる存在もそして想像するものもみな認識あってのことなのである。認識されなければその人にとって何ものも存在しない。

 いや、認識しないことでもあるはずだ、未発見のものでも発見されているではないかというがそれも発見されてから認識されて存在することになったのであって、それ以前は存在するはずという程度の存在であったということなのである。

 植物状態の人、認知症の人等認識力を失った人、異常をきたした人はあらゆる存在も失われたり、歪なものとなってしまっているのである。

 正常なつもりの我々でも何もかも認識次第であり同じ一つのものを見ても皆違うのである。

 唯識とは全ては情報処理によるということである。

 

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東日本大震災被災者数(5~6月推移)

2011年06月16日 | 共生

 被災者数を先月から拾い始めたが、昨日になって避難者数が警察庁に代わって内閣府が2週間おきに発表することになった。15日の発表は6月2日現在のもので、従来の集計では仮設住宅や親類縁者宅などへの数が含まれていなかったものが集計されて発表されることとなった。

 また、身元未確認の遺体がまだ900ほどあるらしい。行方不明の遺体の陸上分はほとんど捜索済みで後は海や沼等の遺体で捜索はより困難になってきている。

<colgroup span="1"><col style="width: 54pt;" span="5" width="72"></col></colgroup>

 

死亡 行方不明 避難
5月9日       14,919        9,893       24,812     118,786
5月10日       14,949        9,880       24,829     117,085
5月15日       15,057        9,121       24,178     116,372
5月20日       15,148        8,881       24,029     109,456
5月25日       15,217        8,666       23,883     103,021
5月31日       15,281        8,492       23,773     102,271
6月1日       15,310        8,404       23,714     100,527
6月2日       15,327        8,343       23,670       99,592
6月3日       15,341        8,298       23,639       99,398
6月4日       15,355        8,281       23,636       98,916
6月5日       15,365        8,206       23,571       98,505
6月6日       15,373        8,198       23,571       98,303
6月7日       15,382        8,191       23,573       93,270
6月8日       15,391        8,171       23,562       93,397
6月9日       15,401        8,146       23,547       91,523
6月10日       15,405        8,095       23,500       90,109
6月11日       15,413        8,069       23,482       88,361
6月13日       15,424        7,931       23,355       84,537
6月14日       15,429        7,781       23,210       83,951
6月15日       15,434        7,742       23,176     124,594
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元職場の親睦会

2011年06月11日 | 共生

 昔、神戸の病院に事務職で勤めていたことがあって今日現役・OBの親睦会が神戸のホテルであったので参加してきた。

 母親の介護があるので母親の調子次第なので事前に幹事さんの了解を得ておいて当日の飛び入り参加である。

 転勤してから22年ぶりに再会という人が多かった。OBでは20人中自分も含めて13人、現役では14人中3人が知った人だった。22年ぶりといってもみな成人してからの知り合いだから際立って様相の変わった人はいなかったので名簿と突き合わせればみな分かった。知った女性は6人、いずれも当時の姓のまま。未婚のままの人が多いみたい。

 こういう行事には現役当時は付き合いで参加ということも多かったがリタイアしてからは面倒くさくなって参加を遠慮してきた。こういう会はどうして現役当時の上下関係がそのまま生きていて昔の役職で呼び合ったりなどすると雰囲気の悪いものとなる、いや、そう感じてしまうのである。そうなると参加したくなくなる。

 今日の会はそんなこともあまり感じなかったし、懐かしさを味わった。

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