心理テストで他力本願度をチェックするというのがあったから、紹介する。
https://news.nifty.com/article/item/neta/12353-2998881/
AIの説明
「他力本願(たりきほんがん)」は、自分の力でなく他人の力によって望みをかなえようとすることを意味する四字熟語です。仏教用語が由来で、もともとは阿弥陀如来の本願によって極楽往生を得るという意味でした。そのため、現代の意味は誤用ともいわれています。
心理テストで他力本願度をチェックするというのがあったから、紹介する。
https://news.nifty.com/article/item/neta/12353-2998881/
AIの説明
「他力本願(たりきほんがん)」は、自分の力でなく他人の力によって望みをかなえようとすることを意味する四字熟語です。仏教用語が由来で、もともとは阿弥陀如来の本願によって極楽往生を得るという意味でした。そのため、現代の意味は誤用ともいわれています。
ヤフーの知恵袋で2010年5月から、宗教のカテゴリーに参加しているが、今日、なんとカテゴリーマスターとやらになった。
2010年からだと、14年。遅いちゅうねん。
どういう基準で選ばれるのか、訳が分からない。1年、2年でなる人もいる。今回も別に通知があったわけでもなく、回答を書いたら「カテゴリーマスター」という表示が表れただけである。
桜のシーズンになると、毎年、花見に出かける。
歳も歳とてひょっとして今年で見納めになるかも知れないという思いで花を愛でている。
昨日は、近所のパナソニックのさくら広場へ出かけてた。今年はいつもより開花が遅れて4日現在満開といかなかったようである。開園日を3日伸ばして6日までとしたようだが、ちょうど満開日に閉園するようである。
今日は桜之宮公園へ自転車で行ってきた。途中で人が増えて自転車を降りて通らなけならない場所があった。外国人の花見客が増えて喋り声が多く聞かられた。ゆっくり花見をしたいこちらとしてありがたくない客である。写真は公園に入って間もない、空いている場所である。
写真は公園内にある自転車が通行できる歩道橋である。春風橋という。なぜ、そういう名称になっているのか、以前、ふと思ったことがあった。
今日、その謎が解けた。毛馬の閘門近くに与謝蕪村の句碑があって、その俳句が「春風や堤長うして家遠し」。与謝蕪村の生まれの地が毛馬なのであった。
「神話をなくした民族は命をなくす」(フランス神話学者 デュメジル)
建国記念の日、「海道東征」を先程聞いてみたところである。
交声曲「海道東征」は昭和15年(1940年)皇紀二千六百年祝福のために作られた。北原白秋作詩、信時潔作曲、による交声曲で神武天皇東征の神話を題材としている。
https://www.youtube.com/watch?v=8UqGPJA0PHA
このレコードが作られのが、昭和16年11月、ちょうど私が母親のお腹の中にいた時期である。
(以下以前の文章を再掲)
今年は皇紀2683年である。西暦に660年加えたものである。そんな古い時代に神武天皇が即位したのか、その後百歳を超える天皇が何人も出てくる、おかしい。
それで神話にしてしまって架空のことにされてしまっている。
私なんかも勝手に国ができたわけではないし、誰かが造ったに違いない、似たようなことがあってそれが神話として残っているのだろうと思っていたが、古代史研究家 長浜浩明氏の説でぐっとその実在性が信じられるようになった。
彼の説は当時春秋暦が用いられていたというのである。春分の日、秋分の日で年が変わり今の1年が2年に数えられていたというのである。天皇の歳も普通の歳になる。
それで換算してみると、神武即位の日はBC70年となるということである。東大阪市日下(くさか)まで舟で行くことができる地勢だったという。
まあ、どこの国も建国は神話である。話が盛られたり、盛って受け止められたりしている。新しくできた国のそうであろう。そうでないと国という形は作れない。
その点日本はBC70年にしても国としては世界最古の国である。大事に守っていきたいものである。
前にも紹介したが長浜浩明氏の話を聞いてみられたい。
https://www.youtube.com/watch?v=-qwim83ScRY
https://www.youtube.com/watch?v=IQUJxqCoAjk
https://www.youtube.com/watch?v=yyumrh9Z83s
私は終戦の日、3歳になったところだった。
当日の記憶はないが、それでも、戦争を実際に体験している。
空襲警報の近くにある変電所のサイレンが鳴って、消防団が「空襲警報発令」と回ってくる。
慌てて防空壕に逃げ込む、外を見ていたら大阪方面が真っ赤になっていた。空襲は8回にわたり行われた。
8回目は8月14日、終戦の前日である。親父は当時軍人で大阪城内にあった第4師団司令部に勤務しており、空襲で防空壕に逃げたが、そこに爆弾が命中、生き埋めになったが、這い出すことができた。隣に坐っていた同僚は亡くなっていたそうである。
この空襲は別名京橋駅空襲と呼ばれる。1トン爆弾700発、多くの死傷者が出た。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
親父は大阪城から門真まで8Kmほど歩いて帰ってきた。夜遅くなって家族はひょっとしてと心配していたが、足音が聞こえて安堵したそうである。
そして、明くる日に終戦、他国支配による日本の苦難が始まる。
苦難と受けるのではなく、甘んじて馴れ合っていく、自虐史観を良しとする、情けない日本人ばかりになってしまった。
安倍元首相の言葉に次のようなのがある。
「戦後レジームがもたらしたもので、絶対に落とせないのが、個人と国家を対立するもの、国家を抑圧装置と捉える考え方ではないでしょうか。地域のコミュニティーは大切にするけれど、そこから国家をバイパスしていきなり地球市民になるという特異な考え方は日本独自のものでしょう。」
国家に対しては、たかるばかりだ。
「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。」(ジョン.F.ケネディ)
国に殉じた人を思わぬ人は今の国民も思わない人と断ずる。
しばらく、ご無沙汰しておりましたが、昨日も91名の方の閲覧があり、ありがとうございました。サボリはよくありませんね。反省してショートなものでも書いていきたいと思います。
さて、今日はNHK朝ドラの中で気になる言葉があったので、それについてちょこっと書いてみたい。
朝ドラは、妻が毎日視聴ているので見るとはなしに見せられてしまうのである。今回記事にするに当たってタイトルの「ちむどんどん」って何?沖縄言葉であることは理解していたが、意味を知らずに90回の今日まで知らずに来た。
妻に聞いても、「さあ?」、惰性で視ていることがバレバレ。(笑)
ネットで調べると、「ちむ」が心で「どんどん」は胸がドキドキすることらしい。
さて、今日は主人公の暢子の結婚式で、その中で勤め先のレストランの名前「フォンターナ」の謂れがオーナーから披露される。
フォンターナはイタリア語で、フリードリッヒ・ニーチェの言葉「汝の立つ処深く掘れ、そこに必ず泉あり」から取ったのだという。
そこですぐ連想したのが、和田重正先生の言葉である。
「掌を合わせても合わせなくても、目をつぶってもあけていても坐っていても、立ったままでも、 一番思いが身にしみる形で、 誰もいないところでそっと祈ってごらん。 声を出さないで、ことばにしないで、 お母さんに話しても、お父さんに訴えても、どうにもならない苦しいときや悲しいとき、 楽しい希望や美しい夢に輝いたとき、 深い地下から豊かないのちの水を吸い上げて萌えあがる、あしかび(葦の芽)のように、 あなたはどんな妨害をも凌いで伸びつづけるだろう。」(葦かびの萌えいずるごとくp215~216)
そのいのちの水は、智と愛と勇気の溶けあった真清水である、その真清水を汲み上げようと「まみず」と同人誌を作られ、内山興正老師もその同人であったのである。
智と愛と勇ついては、三種の神器の鏡が智、玉が愛、剣が勇を象徴しているのである。この3つが円満に働かないと駄目である。
智、愛なき勇気は蛮勇となる。それを大和魂と言っては片腹痛い。
戦前の軍部、プーチン、安倍晋三元首相暗殺犯、・・・。
さて、勇気を無くした日本はどうなることか。行く末が心配。
今朝、ユーチューブを閲覧すると、円覚寺の横田老師のサムネイルが目についた。
タイトルが「いのちの色ー和田重正『葦かびの萌えいずるごとく』に学ぶ」というものだった。
和田先生は私にとって内山興正老師とともに人生の師というべきお方である。内山老師の「進みと安らい」という本を読み、その出版社が柏樹社で出版されていた本が「葦かびの萌えいずるごとく」であった。元々中学校程度の塾の生徒に書かれた機関紙の文章を集めたもので読みやすく分かりやすいものだった。
内山老師の本とともに、繰り返し読んで自分への励ましとしたものである。塾のある拠点は小田原市なので伺ったことはなかったが、関西に講演に来られた時は2,3回お目にかかったことがある。
この本は何回か形を換えて出版されている。私が最初入手したのは昭和45年発行の合本版、その後簡略したスクール版、若き日の自己発見版とがある。
今回、ネットで検索していく中で「和田重正に学ぶ会」というのがあり、合本版がPDFでダウンロードできるようになっているのを見つけた。これで読んでもらうとよいと思う。
http://wadashigemasa.com/youkoso_he_tian_zhong_zhengnopejihe/Welcome.html
「蟻は小ぽけな虫けらか」という文章、ここをしっかり読んでもらいたい。
さて、表題にある「葦かび」という言葉だが、本の最後のところに説明がある。
時期を同じくして、数学者の岡潔さんが「葦牙よ萌えあがれ」という本を出されている。この本にも感銘を受けた。古本で入手可能のようである。
おって、このブログは私の独り言というスタンスで始めました。コメントを求めないというスタイルで始めたのでその傾向がずっと続いています。
しかし、この「葦かびの萌いずるごとく」に関しては、思い入れのある本なのでどういう読後感を得られたか、コメントいただけたら嬉しく思います。よろしく。
裕一(古関裕而)は「長崎の鐘」の作曲を頼まれて、長崎へ作者の永田医師(永井隆医師自身も被爆しつつ被爆者の救助救命に尽力した)に会いに行く。
永田医師から「落ちろ!落ちろ!どん底まで落ちろ!」。
裕一は自分の戦争に関わったことの後悔の念から前に踏み出せないでいたのを、落ちるとこまで落ちてしまえというのである。
どういう意味か、3日考えるが答えが出ない。永田の妹に連れていかれた救護所に書かれた、「どん底に大地あり」という言葉。
それで裕一は意味を理解した。大地には多くの人が助け合って生きている、希望があるということ。
永田は言う。その人達を勇気づけてほしいと。
曲は、被爆という現実とその後の希望と励ましが描かれていた。
古関は前半を短調、後半を長調に、転調と技法を使って表現した。
歌は、藤山一郎、藤山もフィリピンへ慰問で訪れて戦争の悲惨さを体験している。
「長崎の鐘」
サトウハチロー作詞・古関裕而作曲
こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ (転調)
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る
https://www.youtube.com/watch?v=z-000VudpMg&feature=emb_err_woyt
毎朝、8時になると妻がNHK朝ドラ「エール」を視聴する、こちらも一緒に見ることになるのだが、古関裕而の曲が懐かしい。
親父は軍人で軍歌のレコードをたくさん持っていて、それをかけて聞くことが多く、エールで流れた、「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌」なんかは自分で歌いもした。
昨日は、戦後の第1作、これがなかなか難産だったが、昭和22年7月に「鐘の鳴る丘」の誕生秘話だった。
私は丁度5歳になったところ、ラジオドラマ放送が始まって主題歌はよく聞いた。
人気が出て、当時、近所に回ってくる紙芝居でも「黄金バット」とともに必ず入っていた。
紙芝居のおじさんも歌から始めるのである。
ところで、昨日の放送で女の子のコーラスが出てきて懐かしく聴いたのが、「えっ」と思ったところが出てきた。
聴きながら自分も心の中で合わせて歌っていたら、歌詞が違っていた。
『鐘の鳴る丘』
【作詞】菊田 一夫
【作曲】古関 裕而
緑の丘の赤い屋根
とんがり帽子の時計台
鐘が鳴ります キンコンカン
メーメー子山羊も啼いてます
風がそよそよ丘の家
黄色いお窓は俺(おい)らの家よ
「風がそよそよ丘の家」のところが「風がそよそよ丘の上」と歌っていたのである。
最初からそう思い込んでいたのか、途中から間違えるようになったのか、記憶にない。丘の上の方が文章として合っているような気もするだが・・・。
(注:丘の家は戦争で孤児になった子を集めた施設)
新型コロナウイルスのせいで、人との接触を控え家ですっこんだ形を余儀なくされて、いわゆるコロナ疲れに陥っている人も多いと思う。
外国でのDVの多発のニュースを見聞きすると、日本でも同じ傾向があるのでは思う。
うつ病になったという話もある。
仕事が出来ず、経済的に追い詰められている人もいる。公的な手当てが早急に行われることを期待したい。
さて、ここ数日、感染者数の減少から、終息への傾向が見られることは希望が出てきて喜ばしい。
どころで、厚生労働省が示した「新しい生活様式」、何あれ、まるで家畜扱いだね。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_newlifestyle.html
以前、ユング派心理学者の河合隼雄さんの講話「日本人のこころ」で心理面から読み解くところを紹介したことがある。
この度、ネットをサーフィンをしていたら、ユーチューブで国史研究家の小名木善行さんの古事記の解説がアップされていたので紹介したい。
氏の説明によると、古事記は国家運営の秘伝の書というのである。その視点で見ていくと、面白い側面が見えてくる。
特に天地創成・天地開闢のところがこじつけのようだが面白い。
天之御中主神(アメノミナカヌシ)、高御産巣日神(タカミムスビ)、神産巣日神(カミムスビ)、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジ)、天常立神(アメノトコタチ)
https://www.youtube.com/watch?v=yVdx0wh9LMg&t=146s
なお、氏の話の中でアマテラスはイザナキの右目から生まれたと言っているが古事記では左目となっている。言い間違いか、思い違いである。
台風12号は過去になかったコースを進んだということらしい。
関東から北九州へ、これも初めてなら。九州を南下するコースも初めて。
クリっと回ってチャイナへ。夏台風はコースが定まらないのが多いがこれはひどすぎる。
13号があとを追っているのが嫌らしい。
話変わって、5月にガラケーからスマホに切り替え、gooのブロクのアプリを入れた時に開設時からの経過日数が表示される欄があり、もうすぐ10年になることに気がついた。もう、10年もやってきたのか感慨を新たにした。
ということを思い出したので、振り返ってみた。
開設日は、2008年7月1日、経過日数は3716日
合計閲覧数は706309(1日あたり190)
合計閲覧者数は260949人(1日あたり70人)
更新せずに放ったらかししている時もあるし、記事を出した時は100人以上の人に来ていただいているようで、有り難く思っています。
私も先日76歳になりました。何処までやれるか分かりませんが、続けられる間は頑張りたいと思いますので今後ともよろしくお願いします。
なお、このブロクは私の独り言というスタイルで始めました。それでコメントを無用としていましたが、共感いただけるようなものには応援メッセージをいただけたら励みになりますので今後よろしくお願いします。
学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる財務省の決裁文書改竄問題により国会は空転状態におちいってしまっているが、責任ということについてどうも役人にも国会議員にも考え方が違うようである。
以前、パソコン通信のフォーラムに書き込んだ下村湖人の心窓去来からの引用文を紹介したい。
・責任の無限性
人間の責任の範囲に限界はない。人間は、ただそれぞれに責任の中心点を異にするのみである。われわれは、生活の便宜上、仕事の範囲に一定の限界を設けるが、それがただちに責任の限界を意味すると思ったら、仕事は仕事としての価値を失ってしまうであろう。それは、愛がその範囲を限られた場合、愛としての価値を失ってしまうのと同様である。
河合隼雄先生の講話を先に公開しましたが、音声だけでは理解し難いところもあるでしょうから、古事記と神代正語常磐草をネット上を探したところ適当なものが見つかりましたのでお知らせします。
講話の中に出てくる古事記及び神代正語常磐草(かみよのまさごとときわぐさ)は下記サイトを参考にしてください。