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十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

守口市花火大会

2016年08月29日 | 生活
昨日は久しぶりに花火を見に行って来た。

4年前に天神祭の花火をサイクリングで見に行って以来である。

花火を見るのは好きな方で淀川河畔で行われる花火大会にはよく出かけたものである。

しかし、この頃は人での多さに辟易するので、出かけるのを控えている。

今回は守口市市制70周年の記念イベントでもあり、あまり周知もされていないし、対岸の摂津市側からなら空いているのではないかと思いつき、淀川に懸かる鳥飼大橋を渡りママチャリで出掛けた。

予想通り、人は少なくて好きなところに場所取りができて、河川敷の芝生の広場の川側の鉄柵に坐り見ることにした。

寒冷渦と台風10号のせいか風が強く涼しかった。

花火の打ち上げ場所までは、約1キロの距離があろうか、花火が開いてから音が聞こえるまで約3秒だ。

7:30から始まって8:30まで約1時間、打ち上げ数は5000発。

遠見の花火で迫力は欠けるが、夏の納涼行事としては楽しめた。

帰りの橋の上は、自転車が2台、並行、すれ違いできる程度の幅しかなくのに、風が強く前から人や自転車が来ると当たらないか、ヒヤヒヤしながら渡った。

一夜明けて、今日は大雨。行事関係者はホッとしていることだろう。

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闘病記:治療終了

2016年08月25日 | 生活
今日4時頃雲が出て日差しがなかったので、久しぶりに整形外科外科を受診した。

主治医から「コルセットを外したの?」と聞かれたので、今週から外し、退院後、痛みも出ず順調だというと、X線写真を撮ってくるよう指示された。

写真を見て、今日で治療終了ということになった。

やれやれ、である。

主治医に礼を言い、世話になった病棟、及びリハビリ室にも挨拶に回ってきた。

骨が弱くなっているので、用心しなければとならない。痛いのはこりごりだ。

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闘病記:コルセット

2016年08月24日 | 生活
3月20日の第1腰椎圧迫骨折から、5ヵ月が経ち、コルセットの装着を今日から外した。

7月7日の外来受診以来、7月一杯は寝る時、ソファーに腰をかけたりしている時、風呂に入る時以外は用心のためできるだけコルセットをつけるようにしてきた。

猛暑が続き暑いので8月に入ってからは、外出する時のみ装着する様にしてきたが、暑いのにたまらず医者の許可を得ず外してしまった。

勿論、腰に負担が来るような場合は着けて用心することは言うまでもない。

医者には1月後に受診に来るように言われていたが、痛みもないのでそのままにしている。
そろそろ行かないと叱られそうであるが、、、。
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生きているということは誰かに借りをつくることなのか?

2016年08月22日 | 人生
いつも自転車で前を通る寺の掲示板に、先月亡くなった永六輔氏の言葉が書かれていた。

こういう考え方が嫌いなので、その文を紹介するとともにどこが気に入らないか書いてみたい。

「生きているということは誰かに借りをつくること。
生きていくということはその借りを返してゆくこと。
誰かに借りたら誰かに返そう。
誰かにそうしてもらったように誰かにそうしてあげよう。」

この文章を読んだ多くの方は、その言っていることに納得されるのではないかと思う。
だからこそ、永氏の著作の中に残され、それをお寺さんが紹介しているのであろう。

しかし、貸したり借りたりは所詮処世のこと、世渡りのことである。勿論それも大事なことだが、人生をそういう考えを根本に据えると辛いものになると思う。

人生は貸し借りで考えたら誰でも生まれてからは世話になり放し、借りは留めなく積み上がりとても返せるものではない。若くして亡くなる人は返せないまま亡くなってしまうことになる。
高齢者も借りを作って亡くなるのではないだろうか。それまでに貸しを作っておいて差し引きなんてことができるのだろうか。

佛教的には貸し借りでない「お陰様、ご互い様」で行きたいものである。

そういう意味で恩という言葉も気に入らない。ひねくれているのかも知れないが何とかの恩とかいうと、裏に恩返しを要求するようなニュアンスを感じてしまうのである。

この寺は真宗の寺で、報恩講という行事が行われるが、 昔ほどの得信者がいない現在にあっては 報恩というのはさしずめお布施を持って来いということと勘ぐってしまう。

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終戦記念日・「それで今の私がいます」

2016年08月15日 | 人生

今日は終戦記念日。

正午に黙祷を捧げて、天皇陛下の慰霊のお言葉をお聴きしたのち、鎮魂歌を歌った。

歳のせいか音域が狭くなり、声にかすれが出たが、何とか歌い終えた。
照会したyoutubeの歌詞を見ながらであったが、出てくる兵士の顔にどことなく叔父の顔に似た人が叔父を思い出しながら歌った。叔父は航空自衛隊で現職死亡している。

さて、今朝の産経抄に感動することが書かれていたので、コピーを張り付けた。

11歳の少女が曽祖父のことを聴いて、「それで今の私がいます」と。

そのとおり、あの写真の兵隊さんのお陰で皆、生きているのである。繋がっているのである。

 

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