十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

インフルエンザの流行で一句

2018年02月25日 | 俳句

今年はインフルエンザの流行年のようだ。

月に1回医者へ行き高血圧等数種類の薬を処方してもらっているが、インフルエンザの流行がやばい。

医療機関は罹患者が集まるところだし、予防接種済みだが年取って抵抗力も落ちているから、危険地帯には近づかないが無難。

先月、今月と医師の診察抜きで看護師の問診だけで薬をもらってきた。

「インフルを 避けて医療は 薬のみ」

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女子団体追い抜き金メダルはよかったが・・・日の丸に寄せ書きはペケ

2018年02月22日 | 俳句

平昌冬季五輪で女子スケートの団体追い抜き戦で日本チームが優勝、金メダルを手にすることができたことは同じ日本人として喜ばしい。努力してきた選手を褒めたいと思う。

しかし、今朝の産経新聞に出ていた写真を見て残念な思いをした。

それは何故国旗に寄せ書きをするのかということである。他国ではほとんど見かけれられないというか、私は見た覚えがない。

国旗は国の象徴であるはず、官房長官は記者会見の前に敬礼しているのをニュースでよく見るはずである。

国民が象徴として敬意を払うものに書き物をするなんてことは許されないことと思う。

天皇陛下も国の象徴、陛下の顔に墨を塗るのと同様の行為である。

日の丸がどんな意味を持つか。

1 日出ずる国の太陽、太陽は天照太御神のこと。

2 神から授けられた三種の神器、鏡、勾玉、剣は日本の精神、大和魂を表す。鏡は誠、玉は愛、剣は勇である。それが日の丸に困られているのです。白地は汚れなき誠、丸は玉で愛を、赤色は勇気を表しているのである。

どこの国の人間でも愛国的な人間は皆国旗を大切にしている。寄せ書きしているのは日本だけである。

前の大戦でなぜか日本の軍隊はどこの部隊も皆寄せ書きをしていた。そんなことがまかり通っていた。大和魂に墨を塗っていた誠を失い、愛を失い、そして真の勇気を失ったのである。

負けて当然、結果だったのだ。 

 (産経新聞の画像から)

 

 

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将棋:藤井五段が史上最年少棋戦優勝 六段昇段も

2018年02月17日 | 世相

今日は朝十時半から中学生将棋棋士、藤井聡太五段が朝日杯将棋オープン戦の準決勝で羽生竜王と対戦し勝利する金星を上げ、続く午後からの決勝戦で広瀬章人八段に勝ち優勝したところをずっと観戦。応援していたので気分がよかった。

将棋の羽生は負けて、フィギアスケートの羽生はオリンピック2連覇、何か妙な羽生繋がりだ。

「毎日新聞:記事」
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12159-0217e040320/

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冬の夜に一句

2018年02月15日 | 俳句

寒くなると就寝中1,2回尿意を催して起きることになる。

寒がりで血圧も高い、寝ぼけて便所までの歩行もふらつき転倒の怖れもある。

それで冬場は尿瓶を利用するようにしている。水を欲しくなる時もあるので尿瓶と水瓶を寝床の側において時に応じて使用する。

「冬の夜は 尿瓶水瓶 並び置き」

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天気晴朗なれど寒さ厳し

2018年02月13日 | 俳句

晴天で風も昨日と比べ穏やか、昨日はポタリングを止めにして家に引っ込んでいたが、午後3時頃いつものをコースへ出かけた。

淀川堤防に出たところで真上は晴れて青空が広がっているのに雪がチラチラ降ってきた。

「晴天の 遠き雲より 風の花」

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建国記念の日に一句

2018年02月11日 | 俳句

別に嬉しくもないがオリンピック開催、北朝鮮の核軍拡によって日本を意識する機会となっている。

今日は日本の建国について考えてみよう。

「紀元節 修理固成 知国」 (きげんせつ つくりかためなせ しらすくに)

意味はねずさんの日本の歴史を参照してください。

https://www.youtube.com/watch?v=Ux1qBqsVwmE&index=2&list=PLG1SNOv6LToRvnVkpE5KDJ_esHW4ex4pS

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平昌五輪で一句

2018年02月10日 | 俳句

平昌五輪が開幕、懸念された悪天候もなく開会式は無事終了したようである。しかし、朝鮮の独りよがりの強い政治色の大会運営には辟易する。

ともあれ、日本選手の活躍に期待したい。

さて、冬季五輪は滑るのを競うものであるが日本ではこの時期滑るのを禁句とする人達がいる。そこで一句。

「冬季五輪 見るか見ないか 受験生」

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往くは人道迷い道 帰るが佛道悟り道

2018年02月06日 | 一法言

多くの人は悟りを求めて何故悟れないのか、皆山のあなたへ、河の向こうに悟りの世界を求めるからである。そこはどうせ迷いの世界に過ぎない。

般若心経は短くて優れたお経のように思われているし、いろんな宗派で読まれている。私も読んだり覚えたりもしたが最近気づいたことがある。

あの呪文ところ、「羯帝羯帝(往き往きて) 波羅羯帝 (彼岸に往き、)波羅僧羯帝 (彼岸に到達した僧こそ)菩提 (悟りである)僧莎訶 (めでたし)」。これはどうも違うとしか思えない。

禅的には「即今 当処 自己」が本拠、それを離れて向こうにおいてしまっては悟りはあり得ない。

いわゆる彼岸とは迷い世界のことである。飛んじゃっている、浮いている、浮世のことと言わざるを得ない。

安泰寺の本堂に懸けられた扁額は内山興正老師の揮毫による「帰命」である。(写真のとおり)
帰命とは修証一如、只管打坐の坐禅することと解している。

下の歌は悟りの歌?です、

  夕焼け小焼け

  夕やけこやけで 日が暮れて
  山のお寺の 鐘がなる
  お手々つないで みなかえろ
  からすといっしょに かえりましょ

 夢路より

  夢路より かえりて
  星の光 仰(あお)げや
   さわがしき 真昼の
  業(わざ)も今は 終わりぬ
  夢見るは 我が君
   聴かずや 我が調べを
    生活(なりわい)の 憂いは
    跡(あと)もなく 消えゆけば
    夢路より かえりこよ

埴生の宿(ホーム・スイート・ホーム)
  
  埴生の宿も わが宿
   玉のよそい うらやまじ
    のどかなりや 春のそら
    花はあるじ 鳥は友
    おお わが宿よ たのしとも たのもしや

以上の考え方に対し皆さんはどう考えられるでしょうか。賛否のコメントいただければ幸いです。

コメント (2)
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節分の豆撒きは「福は外」

2018年02月02日 | 世相

明日は節分です。それぞれのご家庭で豆撒きをされるところも多いでしょう。
豆撒きには大概は「鬼は外、福は内」と掛け声されるのではないでしょうか。

我が家では20年も前から、「福は外」です。どうしてか。このブログに9年前に書いていますが、初めての方もおられるでしょうから以下再掲します。

「再掲文」

 皆さんのお宅では節分行事をされますでしょうか。土地土地でいろんな習慣があるようですが、どこでもあるのが豆まきですね。豆まきの時はどんな掛け声をされるのでしょうか。一般的には「福は内、鬼は外」ですが、そう言わないところも結構あるようです。

東京雑司が谷の鬼子母神  「鬼は外」といえば祭神を追い出すことになるので「鬼は内、福は内」

奈良市中院町の元興寺  元興神(がごぜ)という鬼がいて悪者を退治する言い伝えがあることから「鬼は内」

奈良県吉野山の蔵王堂 「福は内、鬼も内」といい、鬼を集めて、お経の力で改心させるというもの。

愛知県の大須観音  「福は内」だけ。鬼の面が寺宝なので「鬼は外」は唱えない。群馬県鬼石町  昔、鬼が投げた石でできた町と言われており、鬼は町の守り神。近年では、全国から追い出された鬼の安住の地をうたっており、「福は内、鬼は内」という。  

(地域情報誌くりちゃん2月号から引用) といろいろあるようですね。

共通するところはどこも「福は内」は唱えるが「鬼は外」とは言わないところですね。  ところで私の家では「福は外」と唱えて豆まきを致します。何故、「福は外」なのか。ちょっと説明しますと、以前住んでいた近くに成田不動尊関西別院というのがあって毎年芸能人なんかを年男年女に招いて派手に豆まきを致します。そこの掛け声が「福は内」だけなんです。寺の境内に鬼なんぞおらないというのがその理由でございます。なるほどと思ったのですが、よく考えてみるとお寺さんが「福は内」というのも又おかしな話ではないか。福を授けるというなら「福は外」ではないのかと思いましてね。 

 そもそも「福は内」というのは内に福がないということで貧乏根性の表れでありましょう。幸い我が家はささやかではありますが恵まれてもいる。恵まれているならここは気持ちだけでも世間様に福をお分けするべきではないかということで「福は外」と掛け声することにしたのです。もう20年以上も前からそのやり方で豆まきをしております。   

   節分に  福を数えて  おすそ分け  福は外  福は外  

「福は内」とやるよりも「福は外」とやる方が気分が爽快になりますよ。で、今年の豆まきは寺も里も「福は外」で行きましょう。日本中が「福は外」とや>るようになればもっと住みいい社会になると思うのですが。  


     「福は外」!「福は外」!!^\(^o^)/~

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皆既月蝕に一句

2018年02月01日 | 俳句

昨日、皆既月蝕で赤くなった月を見た。満月が一月に2回あるのをブルームーンといって数年に1回に当たり珍しくそれが皆既月蝕となると滅多にあるものではないということらしい。

「寒空に 顔赤めたり 蝕の月」

 

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