十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

藤井聡太七段が「待った」の反則か?

2018年06月30日 | 道楽

負けず嫌いの私としては、負けない藤井聡太のファンである。

彼の思いもよらない指し手を見るのが一つの楽しみになっている。

昨日は竜王戦の2局目で若手の実力派の増田康宏六段との対戦。十連勝目でそろそろ危ないという懸念が現実のものになって負けてしまった。粘りに粘り逆転のチャンスもあったが、その攻めの筋が見つけられずに力尽きた。今期の竜王挑戦は夢と消えた。

さて、途中で藤井七段が「待った」をしたのでないかという疑惑が持ち上がっている。「待った」は反則、犯せば反則負になる。

駒を指して手を離したら指したことになり、それを剥がして他の手を指し直せば「待った」したことになる。彼は指した後、駒の舛にきちんと納まるようにだろうか、チョンチョンとする癖がある。この癖は藤井七段に限らず多くの棋士に見る癖である。

問題場面(https://imgur.com/xc14lLa)。

私が見ていた時は全然気にならなかったが、それを見て気になった人が多くいたようである。

まあ、藤井七段は結局詰まされて負けているので勝負に関しては問題なしだが、何らかのペナルテーがくだされる可能性があるということである。

元奨励会員アユム氏が見解を述べているがどうなるだろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=4LFXpFNTUDA

ひふみんこと加藤一二三九段が対局終了後裁定で反則負けを食らっているという前例がある。いろんなところで話題の主となっているのは面白い。

https://www.youtube.com/watch?v=Fb0EH2clFbk

反則といえば、同じ日にワールドカップのポーランド戦で反則点を怖れて消極プレーでブーイングを受けたのはちょっといただけなかったが、サッカーに興味のない私からすれば、どうせベルギーに負けるのだから、どうでもいい。

 

「追記」

藤井七段、加藤九段の該当場面のリンクを追加しました。

なお、将棋連盟の対局規定は次のようになっています。反則行為があっても終局までに誰からも指摘、確認が行われなければ反則負けにはならないようです。
反則が後から指摘された場合、ペナルティが課されるかどうか、微妙ですね。規定からは答えが出てきません。

しかし、連盟としても放置できませんから、注意処分でことを収めることになるのではないかと思いますが・・・。


第8条 反則

1. 対局中に反則を犯した対局者は即負け。
2. 両対局者が反則に気がつかずに対局を続行し、終局前に反則行為が確認された場合、反則時点に戻して負け。
4. 終局後は反則行為の有無にかかわらず、投了時の勝敗が優先(投了の優先)。
6. 対局者以外の第三者も反則を指摘できる。  (ここまで抜粋)

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大失敗/目に油注す

2018年06月26日 | 生活

今日とんでもないことに気がついた。

目薬と間違って電気剃刀用の油を目に注していたのだ。

先週に結膜炎をおこして医者から目薬をもらって注していたのだが、2,3日前から一つの薬を注すと何故か霞んで見えにくくなるのである。

しかし、処方された薬と信じ込んでいるから、「こんなものか」と思いながら1日3,4回注し続けていたのだ。

今日になって椅子の下に落ちていた薬を見つけて驚いた。薬が4つになっている。見ると一つは電気剃刀用のオイルだった。

せっせと見えにくくなる油を目に注していたのだ。

容器が違うから気がつくはずなのによく確かめもせずに使っていた。             

結膜炎用の薬は左の2つ、その右は白内障予防薬、1日4回点眼する処方になっている。

黄色いキャップと白いキャップ、オイルはオイルと表示されており間違うはずはないのだが・・・。

まあ、しかし、油は一番最初に注して後の2剤で流していたからあまり影響はなかったかも知れない。

 

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梅雨空の飛行機雲

2018年06月21日 | 俳句

梅雨の晴れ間にジェット機の吐き出す白雲が幾筋も見えた。

水蒸気一杯の空を飛んで行くからか。

「梅晴れの 空に筋引く ジェット群」 

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就寝中、地元大阪で震度6弱の地震発生 

2018年06月18日 | 生活

前日遅くまで起きていたのでいつも7:30ごろ起きるのに寝たままだった。

7:58に大阪北部を震源とする最大震度6弱の直下型地震が発生。住まいのある守口市の震度は5弱だった。

寝ているところにドーンと来て目を覚ました。いずれ地震も来るだろうと思っていたから、「来たか」という感じで怖いとも何とも感じなかった。揺れる時間が短かったから、家の中の有様に直ぐ目をやった。棚やタンスの上に載せていたものが落ちたり、テレビが倒れたりしたが思ったほど大したことはなかった。

30分ほどして救急車が走ったり、2時間で市の広報車がやってきて避難所を開設した旨周知していった。その後も何回かやってきたが、そのアナウンスが決まり文句で、地震の発生を伝えた後、「津波の心配はありません」という。守口で誰が津波の心配をするというのか。

TVの放送でも震源地が陸地で大した震度でもないのに「津波の心配はありません」とよく言っている。余計なことは言うなといいたい。

午後にはいつもより早くポタリングに出かけたが、町の中で損傷しているようなところは何処にも見られなかった。

大阪モノレールの大日駅の前まで来ると男女の駅員がモノレールの18日中の休止を告げていた。
いつもはスムーズに車が流れている中央環状線も車が混んでいた。
自転車でいつも走る道路もいつもは自転車だけなのに、淀川にかかる鳥飼大橋を歩いて往来する人も多くいた。

余震が心配だが、余震といえば本震より弱いのが常識だったが、熊本地震以来強いのが来る可能性がるということになってしまった。それまではそんなことはなかったのだから確率的にはずっと弱いものになると思っている。

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病気自慢13

2018年06月17日 | 生活

NHKのEテレに「チョイス」という番組がある。録画しておいて関心のあるものだけ、後から見ることが多い。前日に録画したものは貧血に係るものだった。少しだけ見てすぐ止めてしまった。現状貧血でもないからである。でも、貧血症であったことを思い出し病気自慢のリストに追加した。

全部で75,年の数と同じである。

とにかく、昔、ひどい貧血になっていたこともあったし、時々、脳貧血でぶっ倒れたこともあった。一つは小学校の2年生の頃、十二指腸虫をわかし血を吸われて貧血症状になったし、その後長い間青い顔をしていたことがあった。

また、一時的な症状であるが立ちくらみを時々起こしている。通勤の帰途電車の中でつり革にぶら下がっていた時段々周りが暗くなって倒れそうになり必死に堪えていたこと。

2階で寝ていて下から母親に呼ばれて急いで起きて階段を降りかけた時に、立ちくらみで気を失って2mほどの高さから転落したこと。階段入口の襖は突き破ったが不思議と怪我はしなかった。

最後のはひどかった。これは印象深い事故だったので病気自慢しておくと・・・。

下の娘が3歳こらいの正月に娘2人と近くの成田山関西別院に歩いて初詣に出かけた。帰り道で上の娘が「先帰る」といって走って帰ってしまった。妹は「お姉ちゃんが帰ってしまった」とベソをかき出したので、「追いかけたる」をその子を背負って100mほど坂道を駆け上がった。坂は結構きつくて若い元気な者でなければ自転車では上がれない。
上がった所が交差点で渡ったところが自宅である。信号は赤信号、正月のことで周りには車も人もいない。信号無視して渡ってしまっても何の問題もないが、娘に赤信号は止まれと教えている手前、ストップしてしゃがんで子どもを下ろしたところ、娘は姉を追いかけるように走り出した。
「待ちなさい」と声を掛けつつ立ち上がって数歩進んだところで立ちくらみで気を失って交差点で防御態勢も取らないまま転倒してしまった。
しばらくして、気がついたが交差点の真ん中で寝ていたので、一体、何処にいるのか分からなかった。そんなところからの景色を見たことがなかったからである。打ったところを痛みを感じだしてようやく状況が飲み込めるようになった。歯が欠ける、顎が曲がる、唇が切れる、肩を打撲する等正月早々とんでもない目にあったのである。

初詣で事故に合うなんて、早々にケチがついたことだった。

ついでながら、正月の初詣の事故といえば死者124人・重軽傷者77人を出した彌彦神社の事故が思い出される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%8C%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

<頭、顔部>
脱毛症、白髮、健忘症、脳貧血、黒子、ガングリオン
<眼部>
近視、乱視、老眼、白内障、ドライアイ、網膜穿孔、網膜変性症、閃輝暗点、濾胞性結膜炎、飛蚊症、結膜炎、緑内障
<耳部>
中耳炎、耳鳴り
<呼吸器系>
感冒、インフルエンザ、蓄膿症、鼻炎、咽頭扁桃炎、気管支炎、胸膜炎、耳下腺炎
<口腔、歯科系> 
虫歯、歯周病、口内炎、口唇ヘルペス、歯欠損、顎骨脱臼
<消化器系>
逆流性食道炎、胃炎、胃ポリープ、食中毒、十二指腸虫症、腸炎、大腸ポリープ、痔疾、回虫、肝臓病、胆石、
<循環器系>
高血圧、冷え性、腹部大動脈石灰化、高ガンマグロブリン血症、足動脈狭窄、頸動脈プラーク
<泌尿器系>
慢性腎臓炎、腎臓結石、前立腺肥大症、貧血症
<骨格>
橈骨骨折、肋骨亀裂骨折2回、腰椎椎間板ヘルニア、踵骨亀裂骨折、顎脱臼、手足の脱臼、各所捻挫、脊柱管狭窄症、第一腰椎圧迫骨折、骨粗鬆症
<皮膚>
擦り傷、切り傷、虫さされ、水虫、皮膚炎、両母趾巻き爪、日焼け炎症
<筋肉>
五十肩、こむら返り、背筋痛

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秋月龍珉師の誤解だらけの佛教21

2018年06月16日 | 佛教

第七章 なぜ「梵我一如」は佛教でないか
「梵我一如」に対する違和感

省略

「梵我一如」と「般若直観」の違い

「佛法には、(無我)にて候」という蓮如の言葉こそ、私たち佛教徒の基本信条であ

る。佛教の基本思想は「無我」すなわち「アン・アートマン (ニル・アートマン)」である。これに対して、ヒンドゥイズムの正統的な哲学の中心思想は「我」(自我)すなわち「アートマン」である。「我」こそ、輪廻の主体であり、また生死からの解脱の主体アートマンである。ヒンドゥ的な考え方は、常にこの〝輪廻と解脱の主体″としての「我」を前提とする「有我説」である。ここが「無我説」に立つブディズムとヒンドゥイズムとの根本的相違点である。
 
 バラモンの「祀り」によって、神の恩寵を受けて、「不死」の世界に趣くという考え
方の底にも、この有我説があったし、そうした見方に変えて、宇宙の絶対者たるブラフマンと個我であるアートマンとが本来一つであると知ることによって、「梵我一如」によって、「不死」となるという考え方の底にも、この有我説があった。ヒンドゥの宗教は、すべて 「我」が何らかの意味で「不死」を得るという有我説であった。

 釈尊も、また輪廻からの解脱を求めた。その意味で、ヒンドゥ伝来の不死の獲得を
目ざしたと言ってよいであろう。現に、悟った釈尊は、「私は(不死)を得た。私は鹿野苑で、(不死)の法鼓を打つであろう」と宣言している。ただ佛陀は、そのことを「無我」の体験によって ー より正確に言えば、「無我の我」の自覚によって ー 確立し得たのである。すなわち「法」 - 「無我の我」の真実 - を悟って佛陀に成ることによって、佛法的な「不死」の道を開拓したのである。釈尊もまた輪廻からの解脱の道を探し求めて出家修行し、その結果として「法」を悟った人である。

 「法」とは何か。「法」は〝宇宙と自己の真理・真実″である。そして、それを釈尊が悟って、人々に〝説いた教え″である。

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蝸牛が教えること

2018年06月14日 | 俳句

梅雨のこの時期、よく見かけるのが蝸牛。

私がこのブログでよく、自己世界を持たなくてはと紹介するのも次の句である。

「行き先に わが家ありけり 蝸牛」(山岡鉄舟)

今日たまたま見つけたの次の句。蝸牛はわが家を持っているというところで共通している。

「かたつむり どこで死んでも わが家かな」(小林一茶)

 

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秋月龍珉師の誤解だらけの佛教20

2018年06月10日 | 佛教

佛法には(無我)にて候

 佛教のスローガンは「無我」ということにある(〈無我説〉)というのは、しばしば耳にするところであろう。これはたとえば、インドの正統派の哲学思想が、ウパニシャッド以来、「我」 という〝輪廻・解脱の主体″の実在を前提とする学説、すなわち(有我説)であるのとの対比で、佛教の特色を示すものとされる。
 
 佛教の(無我説)の範型ともいうべきものは、「五経無我」と呼ばれるものであるこの場合「我」には〝自由になるもの″〝(病いなどにかかって)変化しないもの〃という見方が前提となっている。この点を捉えて、漢訳佛典は「(我)とは〈常一主宰)の義」と定義している。「五蘊」(色・受・想・行・識)を挙げるほかには、「六人」(眼・耳・鼻・舌・身・意)を挙げるばあいも多いが、これも要するに我々が「自我」と考えているものを構成している諸要素である。そしてこれら五蘊とか六人の一つ一つを「法」と呼んでいる。つまり「諸法無我」とは、我々が自我と考えているものを構成している諸要素は、すべて戎ではない″、従ってどこにも〝我はない〃ということである 。

 これが、自我は五蘊の仮和合であって、すべては因縁所生 (「縁起」によって生じたもの)だという「縁起」説である。「佛法には無我にて候」(蓮如)である。初期佛教が「縁起」説を基本とするというのは、「無我」説だからである。そして 「無我」説は断じて 「梵我一如」 の「大我」説にはならない。

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藤井七段の超絶の差し手

2018年06月08日 | 道楽

将棋の藤井聡太七段が手段後最初の対局でAIが計算できずに悪手とした着手を差してあっという間に詰めてしまった。

他のプロ棋士も絶賛する読みの深さには驚くばかりである。

その絶賛の着手は飛車で歩を取る手である。

その手以降の選択肢がいくつもに別れているところを数手前から全部読み切っての決行だったのである。

それを解説している動画を見つけたので、将棋を知らない人も一度ご覧あれ。

なお、この解説画面は詰めに関係ない駒は省いたり、後手を手前に見やすくしてある。

https://www.youtube.com/watch?v=MdoWk8c9YCA

高校生になって、7戦全勝、そう遠くない時期にタイトルを取る可能性がありそうで楽しみである。

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曼荼羅 塗り絵

2018年06月03日 | 佛教

4月のNHKのEテレのこころの時代で下記のような番組が放送された。

曼荼羅の塗り絵に興味を引いたので、ネットから無料の下絵を入手して塗ってみた。

こころの時代~宗教・人生~シリーズ マンダラと生きる 第1回▽なぜマンダラか

マンダラとは、密教が世界や心の構造に関する最高の真理を、言葉や文字ではなく、視覚を通して伝えるために開発した図像だ。その特徴は幾何学的な構成や強い対象性。日本では1200年ほど前に空海が留学先の唐から持ち帰って以来、独特の展開を遂げてきた。一方で、密教のマンダラとは縁がない地域にもマンダラに似た図像が存在する。これはマンダラ型の図像が人類に共通する深い精神性と無縁ではないことを示唆しているという。

【出演】宗教学者…正木晃,【きき手】渡邊あゆみ

(塗り絵 サンプル)

https://www.google.co.jp/search?rlz=1C1QNPB_enJP718JP758&tbm=isch&q=%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85+%E5%A1%97%E3%82%8A%E7%B5%B5&spell=1&sa=X&ved=0ahUKEwidgsDM1bfbAhWCa7wKHWIjAC0QBQhOKAA&biw=1111&bih=873&dpr=1

塗り絵 ソフトはPIXIAがお薦め

(ダウンロード先)

https://forest.watch.impress.co.jp/library/software/pixia/

(閉鎖領域の塗りつぶし法)

http://nd2nd.info/ndwp/pixiatips_heiryouikinuritsubushi.html

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