十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

成佛へのアプローチ

2014年09月27日 | 佛教

佛教徒にとって、究極の目標は成佛である。

ところが誰も生きているうちに成佛できるとは思っていなくって、死んでから成佛するのだと思っている。大方の人は死んで戒名なり法名をつけてもらってそれが正式な佛教入門になると同時に成佛したことになるように思っている。刑事ドラマを見ても殺人被害者のことを「このホトケは・・・」と呼んでいたりする。

確かに佛の境地である涅槃というのは、「煩悩諸結の火を滅す」こととされていて、確かに死んでしまえば頭の機能がなくなってしまうのだから、苦しみとかシガラミから解放されることには違いなく、「これで楽になる」なんて言われたりもするが、楽を体感する身体が無くなるのだから楽になるもへったくれもない話なのである。

では、佛とはどういうものか、私がもっとも端的に言い表されていると思っているのが、肇法師の「聖なる人に 己なし 己ならざるところなし 天地同根 万物一体」という言葉である。

我々が持つ自我意識が無くなって、自分と他者、他物との区切りがないのが佛だというのです。

だから、大乗佛教では衆生教化のためいろんな佛が創出されるが、その佛は天地同根 万物一体となった世界、それが清浄であるという浄土を持っていると考えられたのである。佛は皆、自分の浄土を持っていて、例を挙げれば阿弥陀佛が極楽浄土、薬師佛が浄瑠璃浄土、毘盧舎那佛が蓮華蔵浄土、阿閦佛が妙喜浄土、釈迦牟尼佛が霊山浄土、観音菩薩は菩薩だけれど補陀落浄土という浄土を持っている。極楽浄土は西方十万億土の彼方にあるという、十万億土とは億の10万倍、つまり10兆の佛がおられてそれぞれが浄土を持っているという話なのである。

さて、我々はどうなのか。我々もここで何回も話しさせてもらっているとおり、自分の世界を持っているのである。しかし、自我意識が働き過ぎて自己世界との一体感をなくしてしまっているのである。本来清浄であるはずの世界を汚してしまっているのである。物欲が深ければ餓鬼道世界となる。破廉恥なことを好めば畜生道の世界の現出となる。佛心を抱けば佛の世界となる。

結論として、佛ということでなくても誰でも自己世界を持っているのだということ。それをその世界をどのようにするのか、それは正に自分の根性次第なのだということ。餓鬼根性で行くのか、畜生で行くのか、はたまた、佛で行くのか。スイッチの切替え次第で様相はガラッと変わるということも同時に知っておくことも大事である。
時間をかけて佛になるなんて考えていては駄目。ところがお経では生まれ死に変わり修行してなんて書いてある。誰がそんな修行をするもんか。

ともあれ、佛道修行ということでなくとも自分の世界なんだから大事にしましょう。どうするかで皆、それがまた必ず自分に還ってくる、自業自得、因果応報というやつです。

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彼岸入り

2014年09月20日 | 共生

今日は彼岸の入り。「暑さ寒さも彼岸まで」なんていうが近年は暑さが残っていることが多いが、今日は肌寒さを感じて、長袖のシャツを着ることに。
台風16号が昨日の進路予想では日本を狙ったような図であったが、さっき、台風情報を確認したら進路が大分西にずれて支那大陸の方へ行きそうでほっとしたところである。

彼岸については、以前にも書いたが自分としてはどうもしっくりこないのである。

ウィキペディアの説明をみてみると、次のように書かれている。

彼岸は雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う佛事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。(引用終)

この波羅蜜(パラミータ)が完成とか到彼岸とかいうもので、到彼岸するための布施とか、持戒とかいう6つの徳目をいうのである。

波羅蜜と到彼岸という言葉は大蔵経のデータベースで引いてみると、それぞれ94812語、1560語で、到彼岸という使われ方は圧倒的に少ない。

彼岸なんてものはどこにあるのか。まさかお寺が彼岸というわけもない。到彼岸なんておかしいと書いたが、しかし、よく称える四弘誓願に「衆生無辺誓願度」というのがあって、この度というのが此岸から彼岸へ渡すという意味なので後から気がついてどう受け止めてよいか困ってしまった。しっくりこないが唱え言だからまあいいかで済ましている。

どこかいいところへ行くことではなく、今いるここをいいところにしなくてどこにそんな世界があるというのか、ということである。彼岸なんていうのは幻想、ファンタジーであるということを心得るべきだろう。

しかし、まあ、ファンタジーがなくてはという人はそれもよいであろう。自分の心の中だけなら・・・。

さて、上段で支那大陸と書いたが、中国というのは中国が戦後世界の中心である国と呼ばせようとした国名で、日本は戦前支那と呼んでいた。支那は昔からの国名でお経の中にも支那国と書かれ大蔵経には334語出てくる。
支那を西洋ではチャイナであり、英語では自らをチャイナと名乗っているのである。

日本は日本だが、英語圏からはジャパンと呼ばれて、アメリカは米国と呼ぶし、フランスは仏国、初めて聞いた人が仏の国があるのかと尋ねたという笑い話もある。何と呼ぶかは勝手みたいなものである。漢字だからそれにならえというのは通らない。気に入らないというなら、カタカナでチャイナと書くまでである。

とにかく、支那人が自分らの国が世界の中心というのは気に入らない。世界の中心はこの自分なのだから。

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慰安婦を奴隷に貶め、日本人に対する人種差別を助長した国連人権委員会ー国連に逆提訴を

2014年09月14日 | 共生

慰安婦問題に関し韓国のプロパガンダにより国連の勧告、慰安婦像の設置等日本に対する国際的圧力が加えられているが、元々は事実誤認に基づくものであることを承知している我々日本人としては真に腹立たしく忸怩たる思いを抱いているところである。
確かに民間の慰安所の管理に関し軍が便宜を図るという意味で関与があったことは認めざるを得ないし、また、一部において慰安婦に対し人権侵害があったことは想像に難くない。
政府はそれを認め、謝罪もし、元慰安婦に対し慰労金を支払う枠組みを作るなど措置も講じて来ている。
しかるに、朝日新聞のねつ造記事を発端に誤った認識が世界中に広まってしまった。
勿論、強制連行はなかったというような正しいの事実関係を発信していくことが求められるが、それだけでいいのだろうかという疑問を持つ。

慰安婦像あれは韓国のプロパガンダだが、あれは日本人に対する人種差別に当たると考える。明らかに日本政府に対するものではない。日本人に対するものである。70年も前の誤解された事実でもって日本人の名誉を傷つけ、子どものいじめ等実際生活上の支障も生じているのである。
正に日本人の人権が侵される人種差別であり、今正にそれが拡散するし続けられている。国連はこれを放置していいのだろうか。


また、国連勧告では「性奴隷」と呼んだ。これぞ正に人権侵害だ。決して立派な職業とは言えないが、身体を張って収入を得ていたのであって決して奴隷などというものではない。奴隷に貶めているのは誰か、国連勧告ではないのか。
男の私がいうのもおかしいが、もし、慰安婦ならいかにつらい状況に置かれてたとしても断じて「性奴隷」と呼ばれたくない。
元慰安婦の人に聞かれたらよい。「あなたは奴隷だったのですか」と。まともな人権感覚を持った人なら答えは「ノー」となるはずである。

かの国連勧告は事実誤認に基づく日本人、慰安婦に対する人権侵害でそれを全世界に拡散するものでありこれを止めるべく国連に逆提訴すべきと考える。

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囲碁会 全敗

2014年09月09日 | 道楽

昨日、2ヶ月ごとの退職者親睦の囲碁会があり、今回も出席。

下痢をしたりしてちょっと体調が不良だが、メンバーが少ないので抜けるわけにはいかない。
結局、7名が集合、碁会所の近くのいつも補欠で入ってくれるメンバーに連絡、10分ぐらいで来てくれたので8名で開催できた。

いつものとおり4回打ったが、全敗。1回は最後まで打って8目負けだったが、あとの3回は大石を取られて途中で投了。結局2回は注意が足りずがあっという間に大石が相手の餌食になった。もう一回は死活を時間をかけて読んだのだが、読み損ねで逃げまわった挙句御用になってしまった。

Eテレの囲碁講座やトーナメントを見たり、図書館で本を借りて少しは勉強もするのだが、一向に強くならない。そのうち大化けするかもと淡い期待しかない。

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長時間のサイクリングは危険?

2014年09月02日 | 道楽

サイクリングが唯一自分が好きでやれるスポーツだが、今日、ネットで長時間のサイクリングが前立腺がんの発症リスクを高めるという週刊ダイヤモンドの記事を見つけてビックリ。一部をコピペしURLを紹介する。

現在、以前ほどではなくなったが、私の自転車に乗る時間は1週間のうち4日は30分、3日は1時間半ほどであるとすると、6時間程度毎週乗っていることになる。

以下の記事を自分にあてはめると3倍のリスクになる。前立腺肥大という弱点を持っているのでヤバイのではないかとつい思ってしまう。
そこで考えた。要するに股間に圧力がかかることがよくないということのようなので、尻をより後方に引いてサドルの一番広いところに尻の骨が来るようにすればよいと考えた。実際、そうしてみると股間への圧力が減り痛くなることもなくなった。ただ、そのままだとだんだん前にずれてきていつもの位置に戻ってします。だから、腕を突っ張り気味に力を入れていなければならなくなる。これがちと困るところだが、しばらくはこの姿勢で乗ってみようと思う。
今は家の近くをポタリングだけだからいいが、半日、1日と長時間乗るのはいんどくなるなあ。

(週刊ダイヤモンド記事抜粋)

英ロンドン大学の研究グループから男性機能とサイクリングに関する調査報告が出された。研究者らは2012~13年に、男性サイクリスト約5000人を対象とした調査を実施。自転車に乗っている時間と、自己申告による勃起不全(ED)の有無、医師の診断による男性不妊および前立腺がんの発症との関連を調べた。

(途中略)

50歳以上の男性では、1週間あたりの自転車漕ぎ時間が長くなるほど、前立腺がんリスクが上昇することが判明したのである。例えば、1週間あたり8.5時間を超えて自転車を漕いでいる男性の前立腺がんリスクは、3.75時間未満の男性の6.14倍に跳ね上がった。1日あたりに換算すれば1時間強。50歳を超えて、自転車通勤を敢行している男性はハイリスク群に該当すると思われる。また、週に3.75時間以上~8.5時間未満の自転車漕ぎでも、3.75時間未満よりリスクが約3倍高かった。

http://diamond.jp/articles/-/58418

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