十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

磁気カード乗車券

2008年10月31日 | 共生

 自動改札機は1970年の大阪万博の時開発されて使われ始めたらしい。以来38年経つのだが、裏に乗車履歴や残額が表示されるカード式の乗車券が使われだしたのはいつ頃だろうか。切符をいちいち買わなくてもいいから便利で、早くから利用していたように思う。


 長らく使用しているのに今日始めて気がついたことがある。JR京橋駅で改札を通る時に方向を示す矢印とは反対からカードを挿入したのである。そしたら何のことはなく普通に通れたし印字もきちんとされていたのである。下車駅で改札を出る時は上下を裏返して挿入すると表替えってちゃんと印字されていた。


 今日の今日までカード面を確かめてきちんと矢印方向に入れてきたのである。ええ加減にしろ~~、と思わず言いたくなった。


 しかし、よく考えてみると、やはりカードを確かめ矢印方向に入れた方が良いのかも知れないと思い直した。まずカード違いを防ぐこと、方向違いや裏返しにすると機械に負荷がかかり、消費電力も増えることが考えられるからである。 


 まあ、今後は急いでいる時などカードを気にせずに気楽に改札を通れそうである。


P.S. バスの機械はひっくり返したり、反対方向から印字する  機能はないはずだからやはり矢印の表示はいると今朝気がついた。(11/1)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

騙されるな!!

2008年10月26日 | 世相

 振り込め詐欺が横行し始めてもう随分と日が経ち、被害に遭わないための対策も講じられているのに相変わらず被害が減っていないようである。


 手口が巧妙となって自分では気をつけているつもりでも、上手く乗せられて振り込んでしまう人が絶えない。


 オレオレ詐欺には引っかからない大阪のオバちゃんも還付金詐欺にはコロリと引っかかる。手口が巧妙化していると言っても、常識として、今いうて今振り込まなければならないことや、還付金が出ることなど滅多にあることではないのである。


 澤木興道老師はよく「騙されるな。騙されるような甘い顔をしていてはいかん」と言われたそうである。
 なぜいかんのか。自分のウッカリで、相手を犯罪者にしてしまうからである。これは自分がン万円損する程度の問題ではないのである。
 
 もちろん、自分が騙すなんてことはあり得るべきことではないのはいうまでもない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あけびの実

2008年10月25日 | 共生

  実家の離れの樋にまとわりついた「あけび」が初めて実をつけました。
 
 離れは敷地ぎりぎりに建ち、特に角のブロックの塀との間隔は20cm、そこにあけびが生えている。いつ生えたのか、10年前からか、20年前からか、随分前からで母親も分らないという。家の者が植えたわけでもなく、自生する環境でもなく、誰かが種を投げ入れたのか、鳥が運んできたのか分らない。

  樋にからみ、窓格子にからみしていたが、邪魔になるところを切るくらいで、手入れらしいことはしたことがない。実などつけたことはなかったし、どういう植物か知りもしなかったのである。

  実は1個だけ。いつ食べたらいいのか。ネット検索で調べてみると、パクッと割れたときが食べごろとのことで、毎日母親と見張っているのだが、道路際手を伸ばせば誰でも取れるところにあるので、盗まれないかと気を揉んでいる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学道の人は、先づすべからく貧なるべし

2008年10月23日 | 佛教
 独り言に対して、今度は坊ンさんからクレームをいただいた。やはり、二世には二世の悩みがあってののしるなんてとんでもない、同情してほしいということらしい。 しかし、お経でも祖師方の伝記でもののしり迫害にあって得道した話は出てくるが同情されて得道した話はとんと聞かない。

私に対して耳を洗えとのことであるが、むしろ坊ンさん方には眼を洗って次の道元禅師の言葉を噛みしめてもらいたいものである。

 一日僧来って学道之用心(がくどうのようじん)を問ふ次(ついで)に示に云く、学道の人は、先づすべからく貧(ひん)なるべし。財多ければ必ずその志を失ふ。在家学道の者、なお財宝にまとはり、居所を貧り、眷属(けんぞく)に交はれば、直饒(たとい)その志ありと云へども、障道(しょうどう)の縁多し。古来俗人の参ずる多けれども、その中によしと云へども、なほ僧には及ばず。僧は一衣一鉢(いちえいっぱつ)の外(ほか)は財宝を持たず、居所を思はず、衣食を貧らざる間(あいだ)、一向に学道す。是れは分(ぶん)々皆得益(とくやく)有るなり。その故は、貧なるが道に親しきなり。

(道元禅師の『正法眼蔵随聞記』の巻四、第九節の一節)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自立と共生

2008年10月21日 | 共生

 昨年、福田内閣が発足したとき、福田首相がキャッチフレーズとしたのが「自立と共生」である。
 しかし、記者会見で「自立と・・・・」と言い詰り、間をおいて「共存」と言って記者に「共生」と教えられて言い直すお粗末。


 その上、小沢民主党党首から、「それは自分が昔から言っていること」と指摘されるに至って使われなくなってしまった。


 しかし、政治家の考える「自立と共生」は、「自助と互助」と言い直した方がよい。政府は借金を抱えて面倒みきれない。自分で自分の面倒をみろ、近いところで面倒見合え、ということなのである。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログの作り替え

2008年10月19日 | 共生

 ブログパーツ「あしあと」を追加しました。感じられたところを送信いただければ幸いです。


 このパーツを追加するために、テンプレートを変更せざるを得ず、山の写真にしました。

 今後ともよろしくお願いします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鯛一匹の値段はただである

2008年10月16日 | 共生

 信用度の低い向けのローン、サブプライムローンの返済の延滞率が上昇し住宅バブルがはじけたことから、世界中の金融機関の信用収縮がおこり、破綻を起こすところも出て株価の大暴落で世界中が大騒ぎ。 

 しかし、物の金銭的価値なんて人間が勝手につけたそれこそバブリーなものなんである。まして紙に書かれた信用だけの、それも空鉄砲を写真にとったようなものはそもそも価値なんてなかったのである。

 物の価値という話になると、山田無文老師のことばが思い出される。

「鯛一匹の値段はただである」 

 海の中で泳いでいる時の鯛は人間の価値付けがされていないから価値以前の存在であるが、それを漁師がとらえ港に水揚げしセリに掛けられたところから値段がつく。中買い、卸、小売と人の手を経るごとに経費や口銭が上乗せされて消費者の手に渡るときには何百円、何千円とするようになるのである。

 鯛はまだ食料としての実物的価値がある。

 ところが三笠フーズの汚染米転売のごとく、本来の価値のないものが何段階も経ることによって最終段階では正常米とあまり変わらない値段になってしまっている。

 世界金融の危機も金融機関が本来価値なきものに価値あるごとく見せ、価値あるがごとく扱ってきたところにある。三笠フーズと何ら変わりはないのである。

参照: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E7%84%A1%E6%96%87

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緒形拳 坐脱

2008年10月10日 | 人生

 禅門の高僧の死に方に坐脱立亡(ざだつりゅうぼう)というのがある。坐脱は坐禅しながら死ぬこと、立亡は文字通り立ったまま死ぬことで立ち往生である。


 立亡はむずかしそう、死んでもすぐ倒れそう。伝説の弁慶の立ち往生は金剛棒に掴まっていたのだろうか。大方はもたれかかっていたのだろう。


 坐脱はありそうなことで有名なところでは、山岡鉄舟がやったらしい。勝海舟が山岡を訪ねると白の死装束で坐禅をし「これより涅槃に参るところでござる」なんて言って死に、死んでも坐禅の姿勢がくずれなかったので近所の人が拝みに来たという話が残っている。


 禅門では「生也全機現 死也全機現(しょうやぜんきげん しやせんきげん)」とか言って機は働き、現は現すことだから、今の言葉で分り易くいえば全力投球すること、死ぬのも全力投球する。死をもコントロールできるということなんでしょう。


 さて、今日の朝日新聞の天声人語によると緒形拳さんの死に様が書かれていたので次にその一部を紹介すると、


「天声人語}
歌舞伎役者のように虚空をにらんで、緒形拳さんは静かに息を引き取ったそうだ。臨終に立ち会った津川雅彦さんは、その時を「おれもあんな死に方をしたいと思うほど格好いい最期だった」とまとめた▼危篤と聞いて病院に駆けつけると、71歳の名優は一度ベッドに座り直したという。ひとしきり仕事の話をし、「治ったらウナギ食いに行こうな。白焼きをな」。この誘い、津川さんの激励ではなく、緒形さんの言葉というから驚く。淡いユーモアがにじむ、骨太の幕である


 息を引きとる時には寝た状態だったのだろうが、危篤状態の人間が坐り直して応対するのは坐脱みたいなもんだと思う。
 自分の死を見届けながら死ぬ、最後はそうありたいもんである。


/P>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サイクリング1500Km達成

2008年10月09日 | 道楽
 本日、我が転輪号が走行距離1500Kmを達成。
 
 今まで 装備費 90000円 を要したから、キロ当たり 60円。
 1時間 20Km 走るとして 1時間当り 1200円。
 
 映画が2時間で1000円(シニア料金)だから、これとの比較ではまだ大分高い。

 私の服装は、手持ちのものを使用し、サイクリング用のジャージ、パンツ、インナー、靴、靴下等使用していないので夏冬用を揃えればさらに50000円以上はかかる。

 本格的にやろうとすれば20万円はかかってしまうのでご注意を。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

琵琶湖畔サイクリング

2008年10月08日 | 道楽

 5~6日の琵琶湖一周サイクリングに参加しなかったが、正解だったかも知れない。私以外は全員参加したが一人が雨の路面のためスリップし転倒、肋骨を折ったとのことだった。


 今日、親戚に預けた自転車を取りに行ったついでに、瀬田からさざなみ街道を北上、琵琶湖大橋を渡って浜大津に出るコースでサイクリングを楽しんで来た。快晴でさざなみ街道から見る琵琶湖の景色は抜群で何度でも来たい思いを強くした。


 浜大津から京都三条までサイクリングして、三条から京阪電車で輪行、自転車の分解、組み立ても慣れてきてこれならあちこち行けそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

琵琶湖一周サイクリング

2008年10月05日 | 道楽

 元職場の先輩でベテランのサイクリストである人から誘いを受けて、今日と明日、一泊二日で大津から琵琶湖畔を一周する予定だった。


 持っていなかった輪行バック、雨具、リュックサック、ヘッドライト、テールライト、パッド入りサドルカバーなんかを買い揃えた。また、何回か自転車の車輪をはずし輪行バックへ収納する、逆に組み立てる練習を行った。


 輪行は初めての経験ゆえ当日集合時刻に遅れてはいけないと、2日前に大津市の親戚に自転車を預けるなど準備万端怠りなかったのに、朝起きて外をみると無情の雨。昨夜寝る前には曇り予報だったのに、雨が1日早くなっていた。最近の天気予報は結構よく当ると思っていたのに・・・


 先輩に電話を入れ不参加を申し入れた。雨天でも決行するらしい。若い人は休暇を取っての参加であろうし旅館の予約もある、行く人がいる限り簡単に計画を中止することはできないのだろう。こういう時世話する者はつらい思いをする。


 なぜ、不参加を決めたか。
 運動神経のにぶい高齢者の自分がトラブルを起こして迷惑をかけたくないし、何より自分が楽しめないからである。


 雨中走行には次のようなデメリットがある。
1 視界が悪い。(雨で煙る。雨が顔に当る)
2 雨具で身体の動きが悪くなる。蒸れる。
3 スリップし易い。
4 水にぬれたタイヤはパンクしやすい。
5 周囲の人、車も悪条件のため事故の危険が高くなる。
6 自転車は雨、泥で汚れ、メンテナンスは必要。
7 風、夜間となれば最悪となる。


 睥霄圓了笋♠好檗璽勅昭屬望茲襪謀辰董罎般覺屬倭蕕覆い海箸鮓饗Г砲靴討い襪里任△襦/P>

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする