十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

大阪城梅林へサイクリング

2010年02月22日 | 道楽
 今日午後、暖か陽気に誘われていつものサイクリングコースから足を伸ばして大阪城の梅林を訪れた。満開にはまだちょっと7,8分咲きといったところだが、梅見は十分楽しめる。次の土日は大賑わいとなるだろうから、時間の取れる人は今が狙い目か。そのためか私自身を含めて今日は年配者がやけに多かった。
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年配者の趣味・道楽

2010年02月17日 | 人生

 趣味は人それぞれ好きなものをやればいいのであるが、人生いつどんなことが身の上に起こるか分からない。手広く用意しておくに如くは無い。特に無趣味で退職した男性は妻に「濡れ落ち葉」と疎まれる可能性大だから事前に何か考えておくことが必要だろう。


・運動系  スポーツ、ハイキング等(ゴルフは自然破壊につながり勧めない)
・外出系  旅行、映画・演劇、カラオケ等、
・屋内系  音楽、読書、PC、書道、手芸等
・臨床系  音楽鑑賞、読書等


 それぞれ一つは持っていたい。特に寝たきりになってからは臨床系の趣味しかないのであるから元気な内に用意した方がよいようである。


 「飲む・打つ・買う」は、身体と懐と相談の上ホドホドに・・・

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建国記念の日を祝う

2010年02月11日 | 人生
 今日は建国記念の日、日章旗を買ってから2回目の祝日になる。旗を門に掲揚したかったが雨降りのため家の中に飾るはめになった。

 建国記念だとか、軍艦マーチ、大和魂、日の丸なんてことを書き連ねてきたので、私のことを右翼だとか、国粋主義者のように思っている人がいるかも知れないが、全然違うのである。

 私は自己主義者である。まず自己生命があって自己の世界(国)がある。その自己国の中に日本がある。日本とは私にとっては属国というべきものである。しかし、そこで生まれそこで育ちそこで生きている、だからこの日本という国が大好きなのである。その旗印、日の丸も大好きなのである。
 
 その日本がいつ建国されたか。『日本書紀』卷第三、神武紀に

 辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮 

 神武天皇が紀元前660年の1月1日に奈良県橿原神宮で即位したとの記述があり、明治6年太陽暦採用合わせ2月11日を紀元節と定められた。その紀元節の日を昭和41年に「建国記念の日」という祝日法に制定された。本来「建国記念日」であるべきだが、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにしたらしい。というのも神武天皇も伝説の人物で即位の時期もまた伝説だからである。

 まあ、日本国が現にあるのだから天皇家の祖先によって建国されたに違いないというところなのであろう。私はそれでよいと思っている。

 ちなみに私が生まれる2年前の昭和15年には皇紀2600年には大々的祝賀行事が行われ、その時作られた奉祝國民歌「紀元二千六百年」が私の小さい頃 よく歌われており、何故か「紀元は二千六百年」のフレーズが頭に残っている。この2600年に海軍の名機「零式戦闘機」は制式化されたので零式という。

 今年は皇紀2670年に当る。日本が国の形を整えてから2670年の歴史を刻んでいると考えると胸がちょっと熱くなるのを覚える。
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逆説 福の神と貧乏神

2010年02月01日 | 人生

 明後日は節分、この時期になると豆撒きのやり方について異論を展開しているが、今回も同様の趣旨で話してみたい。


 豆まきの掛け声は一般には「福は内、鬼は外」であるが、寺社によっては独自のやり方をしているようである。
 節分行事で有名な成田山では、不動明王の力で鬼はいないから「福は内」だけだし、鬼が追い出されてかわいそうだから「鬼は内」という。


 ところで一般の人は福の神と貧乏神の性質をよく知らないようである。福の神と貧乏神は「類は友を呼ぶ」と性癖があるのである。「笑う門には福来る」「正直の頭に神宿る」とあるとおり福の神は福分を持った人のところに寄ってくるのである。
 一方、貧乏神は貧乏性の人のところにやってくる。


 「福は内」と掛け声するのは、福の神を呼んで福を貰おうとする貧乏根性そのものなのである。貧乏人根性で福を狙う、こうなるとやってくるのは貧乏神なのである。


 また鬼は天邪鬼というのもいるくらいだから、「鬼は外」と言って鬼は出ていくかというと却って居座ってしまう鬼だっているのである。豆鉄砲で飛んで逃げるのはハトポッポしかいないのである。


 そこでお勧めは「福は外」という掛け声。「福は外」というのはすでに福が内にあるということである。風呂の中で手で湯を向うに押しやっても戻ってくるという理屈なのである。


 仏教的に言えば「福は外」は菩薩の6つの徳目の一つ、「布施」に当たる。布施ができるということは自らの内に豊かなものを持っているということである。お金がなければ無財の七施というものもある。


 「福は内」で貧しくなるか、「福は外」で豊かになるか。まさに節の分かれ目である。

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