明後日は節分、この時期になると豆撒きのやり方について異論を展開しているが、今回も同様の趣旨で話してみたい。
豆まきの掛け声は一般には「福は内、鬼は外」であるが、寺社によっては独自のやり方をしているようである。
節分行事で有名な成田山では、不動明王の力で鬼はいないから「福は内」だけだし、鬼が追い出されてかわいそうだから「鬼は内」という。
ところで一般の人は福の神と貧乏神の性質をよく知らないようである。福の神と貧乏神は「類は友を呼ぶ」と性癖があるのである。「笑う門には福来る」「正直の頭に神宿る」とあるとおり福の神は福分を持った人のところに寄ってくるのである。
一方、貧乏神は貧乏性の人のところにやってくる。
「福は内」と掛け声するのは、福の神を呼んで福を貰おうとする貧乏根性そのものなのである。貧乏人根性で福を狙う、こうなるとやってくるのは貧乏神なのである。
また鬼は天邪鬼というのもいるくらいだから、「鬼は外」と言って鬼は出ていくかというと却って居座ってしまう鬼だっているのである。豆鉄砲で飛んで逃げるのはハトポッポしかいないのである。
そこでお勧めは「福は外」という掛け声。「福は外」というのはすでに福が内にあるということである。風呂の中で手で湯を向うに押しやっても戻ってくるという理屈なのである。
仏教的に言えば「福は外」は菩薩の6つの徳目の一つ、「布施」に当たる。布施ができるということは自らの内に豊かなものを持っているということである。お金がなければ無財の七施というものもある。
「福は内」で貧しくなるか、「福は外」で豊かになるか。まさに節の分かれ目である。