十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

胆石で手術決定

2010年05月26日 | 生活

 昭和63年頃エコー検査で胆石が見つかった。薬で溶けるかも知れないということで半年程服用してみたが変化がなかった。痛みの出ないサイレントストーン(沈黙の石)だし、そのまま放置、痛みが出ればその時手術すればと思っていた。

 経歴の中で一時期病院の事務職をしていた時がある。院長が外科の専門医で各種の結石のコレクションとしていて、大きさ、形状、色模様が様々なのが百以上院長室に並べてあった。こんな大きなものが臓器の中に収まっていては身体に変調を来すのは無理がないと思われるものがゴロゴロ。医者嫌いな人の石だと容易に推測できた。

 コレクションの中に砂状のものがあったが、私のもその類でフラスコの底に砂が溜まったようなようなエコー画像だった。

 そのまま20年ほど経過して職場の健康診断で肝臓データに異常値が出てたので近くの医院で再検査をしてもらうと、胆石のせいで胆汁の流れが悪くなり肝臓に影響しているとのことで、肝臓の働きを改善したり胆汁の流れをよくする薬をずっと飲み続けている。石が溶けるわけでもないが、肝臓が悪化しても困るので飲んでいるわけである。

 ところが昨秋時々胃のあたりが痛くなる。悩ましいことに胆石でも胃のあたりが痛くなることがよくあることらしい。胃を胃カメラで調べてもらうと特に悪いところはなかったので胆石の痛みだろうと言われた。
 
 となると、いつ、きつい痛みに襲われるか分からないし、現に肝臓に悪影響を与えているし、石がガンの原因になることもあるらしいので、手術を受けることにした。ただ、まずいことに新型インフルエンザが流行中、春暖かくなってからにしようということになった。

 かかりつけ医の紹介状をもって、近くの医大病院へ入院の申し込みに行ってきた。担当医師の説明を受けて納得の上で手術を受けることにした。腹腔鏡により胆のうを摘出する手術である。術中術後合併症、胆管損傷、腸管損傷、胆汁瘻、遺残結石等の不具合の数値が表になったものを見せられた。やはり、100%安全というわけではないようであるが、この手術が原因で死んだ人はいないということだし、合併症等での再手術率も0.4%ということでそれほど心配するものでもない。

 6月3日に術前検査、7日に検査結果の通知、10日入院、11日手術、5日間ほどて退院予定となった。

 心配はしていないが、入院,手術は、気が重い。嫌だね。

 

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宗教の信者数

2010年05月22日 | 他教

 グリーン・ゾーンという映画を見に行った通り道で、近く本屋を覗いたら「新宗教」を特集した雑誌「週刊ダイヤモンド」が山積みされていた。
 表紙に現在の全宗教法人信者数ランキングが載せられてたので携帯写真を撮ってきた。
 それによると、
 1 神社本庁       6805万人
 2 幸福の科学      1100万人
 3 創価学会         827万人
 4 浄土真宗本願寺派   694万人
 5 浄土宗           606万人
 6 立正佼成会       429万人
 7 高野山真言宗      411万人
 8 日蓮宗          385万人
 9 天理教          164万人
10 霊友会          158万人

 なんとまあ、水増しされた数字であることよ。神社本庁なんて人口の半分以上、私も近所の神社へ付き合いで祭りの時祝儀を出しているから当然入れられているのだろう。
 檀那寺は浄土宗だからこれにも入っているし、曹洞宗の寺で受戒したからここにも入っている可能性がある。

 しかし、驚いたのは幸福の科学である。1100万もいるはずはない。大川教祖の本が結構売れているから読者がアンケート応募したものを信者に加えているようだ。本物の信者が1100万もおれば先の衆院選で全滅ということはないと思うが資金力が豊富なことがよく分かった。
 幸福なんか個人の主観的なものだから、本来科学するものでないものではない。科学と言う言葉に騙されていいように思っている人が多すぎるということ、浅はかというべきだ。

 創価学会も相変わらず、政治指向が強すぎるようである。参院選に向けて何人もの知人からアプローチがある。大作大先生は名誉称号が288に達したそうである。大したものである、しかし、常識はずれで馬鹿げすぎている。ワッペンを一杯付けて喜んでいるガキと変わらない。
 
 
                

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アイデンティティー

2010年05月18日 | 共生
 私は 大阪人にして、関西人であり、日本人であり、地球人であり、宇宙人である。

 私の背景というか依って立つ地盤は、大阪、関西を近景とし、日本、地球を中景とし、宇宙を遠景とする。
 この遠景が非常に大事、これがないと落ち着かない。
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独坐大橋下

2010年05月16日 | 佛教
  「一日作さざれば一日食らわず」という有名な言葉を残した唐の禅僧 百丈懐海 の言葉で他に「独坐大雄峯」というのがある。

 ある時僧が問う「如何なるか是れ奇特の事(特にすぐれて意義のあることは何か)」のきりこみに、百丈は「独坐大雄峯(ただひとりこの大雄峯に坐していることのほかに、特別に奇得なことなど何もない)」という揺るぎのない境地を語ったということだが、

 私は大雄峯とは単なる百丈のいた山の峯ではなく、それは「時空の中心」と解すべきと思う。そう言った方がピンと来る。言い換えると「宇宙の中心」(宇は空間、宙は時間を意味する)に独りデンと坐って宇宙全体を睥睨している。

 別に山の上でなくても自分がいるところが百丈の言うところの大雄峯でなければないらない。

 昨日、枚方大橋までサイクリング、橋の袂で柵にもたれてじっと小一時間ほど坐っていたが、坐る姿勢・態度は坐禅ほどきっちりしたものではないが、まあ、言わば「独坐大橋下」である。

 橋下でも「時空の中心」、「宇宙の中心」ということでは、百丈と何ら変りない。時空の中心をキープすることが一番大事なことなのである。

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宗教を持つバカ、持たぬバカ

2010年05月10日 | 人生
 宗教とは何か、まず辞書でその意味を調べてみると、
  
 神や仏など、人間を超えた聖なるものの存在と意志を信じ、それによって人間生活の悩みを解決し、安心,幸福を得ようとする教え。(現代国語例解辞典)
 
 神または何か超越的絶対者、或いは、卑属的なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰、行事またそれらの連関的体系。(広辞苑)
 
 仏教、耶蘇教等の如く最高偉大のあるものを畏敬尊崇し之を人格化して信仰し帰依して吾人の安心を得て以て人生の欠陥を補わんとするもの。(字源 S13版)  
 
 うーん、何かワケがよく分からない。 神たら、仏たらいうのも信者がそう思い込んでいるだけで誰も見た者がいない。見たという者がいたとしたらそれは幻覚を披露しているに過ぎないだろう。そんなものに近づくのは実に危険である。

  そうだからと言って無宗教というのも如何なものか。生きるべき方向を持っていない。行き当たりばったりに右往左往した挙句、墓穴にズボっと落っこちるのが関の山である。

  宗教の「宗」という字を字源で引くと、主要、本源、最も尊いもの とある。宗教とは平たくいうと一番大切なものは何か、それを如何に大切にするかということの教えのことである。

 で、一番大切なものとは何かといえば、「自己の生命」に決まっている。人は朝起きて夜寝るまで自分を一番大切にしているのである。顔を洗い、手洗いし、飯を食い、・・・等々何から何まで大方の時間を自分のために使っているのである。他に大事なものがあるか。あると言ってもそれは自分の思いであり、その思いを大切にすることは自分を大事にしていることになる。それに自分以外のものを大事にできるか。わが子が大事としても別人格であり、大事に仕様がないのである。

  さて、そんな一番大切な自己生命のことをきちんと教えてくれるのは仏教しかないのであるが、残念ながらきちんと教えてくれる坊ンさんは滅多にいない。

  私が知る限り内山興正老師のみである。既に亡くなられて12年、その謦咳に接することは不可能だが著作が6冊ばかり発行されているので閲覧されることをお勧めする。また、安泰寺HPに著作の一部が紹介されているので閲覧を乞う。  
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母の日プレゼント

2010年05月09日 | 共生
 今日は母の日。母の日はどこかからの輸入のもので、バレンタインデーのように花屋が営業用に作ったものか知らんと思っていたが、世界各国で行われており、その起源は世界中で様々であり日付も異なるらしい。

 母の日のプレゼントの定番は、カーネーション。今まで母親に花を贈ったことなどなかったが、初めて鉢植えのものを買ってきた。「死んでから墓に供えて貰うより生きているうちに貰うた方がエエやろ。」と言いながら渡したら、「そうやな、おおきに」と喜んでくれた。

 親には生きているうちにできることはしておかないと・・・
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枚方大橋下はバーベキュー場

2010年05月03日 | 道楽
 好天に恵まれサイクリングに出かけようとしたら、何と前輪の空気が抜けている。以前にも何回かパンクしていてその時はチューブをサラのものに取り替えていたが勿体ないので百均でパンク修理セットを買って来て穴を継ぎ当てすることにした。

 パンク場所がバルブの真横でパッチのサイズが大きくてハサミで切りサイズを合わせて貼り付けた。上手くいったようで空気漏れはなくなった。釘が刺さるようなところでなくチューブ自体の出来が悪かったようだ。

 修繕が済んで淀川のサイクリングロードへ出てみると、今日は人出が多くて子供の自転車もいっぱい。子供の自転車はフラフラとハンドル操作が安定しないし、周囲の安全を確認せずに進路を右に左に変えて危なくて仕様がない。

 今日の目的地枚方大橋に着くと驚いた。日陰の橋下を中心に家族、グループがバーベキューセットを持ち込んでバーベキューパーティーが大繁盛。4,50組はいたと思う。

 携帯で写真を撮ろうと思ったら持っていくのを忘れて撮り損なった。 
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オレは宇宙人

2010年05月01日 | 生命

 今朝、出かける前に少し時間があったのでTVのチャンネルを回していたら、NHKで立花隆が小学生を相手に教室で話をしている場面があった。

 「宇宙人はいるのか」と子供たちに聞いたら、7割方の子が「いると思う」に挙手、2,3人が「いない」、残りの子は手を挙げなかった。「宇宙人はいるか」と聞かれると大概はETみたいなものを想像して、いるか、いないかを考えるのだと思う。

 鳩山首相も宇宙人を呼ばれるが、あれは浮世離れしていて宙に浮いた人格や思考傾向を持っているところが理由なのだろう。そもそも我々が右往左往している浮世というのが大自然の地盤から宙に浮いたところなのに、それより浮き上がってしまっている存在としてのエセ宇宙人では、浮世をコントロールできようもないというべきだろう。

 トボけた首相や空想上の宇宙人の存在は認めがたいが、宇宙人は実在すると考えるべきである。去年の4月10日私は私のことを宇宙人だと言ったことがある。宇宙が137億年かけて、その全力を尽くしてこの私を生み出したのだから、当然宇宙人を呼ぶべきものなのである。私だけではない、生きとし生けるもの、その辺に転がっている石ころに至るまで宇宙が造り出したものだからである。石ころ一つに宇宙のようなドえらいものが137億年もかけているのである。今の私の満年齢は67歳であるが、宇宙年齢は137億歳である。

 立花氏の話も宇宙人は存在する。我々皆んな宇宙人なんだと言っていたが同感である。

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