十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

ともかくもあなた任せの年の暮れ

2009年12月30日 | 人生
 今年も残りわずかになりました。この一年いろいろありましたが、日本国においては良いニュースは少なかったようです。残念ながら来年もあまり期待できそうもありませんね。

 てな訳でここも今年の書き込みはこれで終わりとし、次の言葉で年を越すこととします。 

 「これでいいのだ」(バカボンの親父 赤塚不二夫)
 「ともかくもあなた任せの年の暮れ」(小林一茶) 
 「ケセラセラ なるようになる」(ペギー葉山 歌)

 来年もよろしく。よいお年を!! 
  
 
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真実を生きる

2009年12月17日 | 人生
   真実を生きる

 初めに自己の生命がある
 自己が生命体験することによって時間と空間がある
 動き回る時空の中で動かぬ一点は「今、ここ、自己」である
 これこそ時空の中心点
 この中心点を保持しつつ主体的に立ち働けば真実を生きることとなる


 内山興正老師がご存命中は老師と毎年年賀状の交換をしていた。老師の年賀状には人生詩が書かれていて、当ブログでも以前紹介したことがある。
 私も老師を真似て年によるが詩ものどきのものを書いて知人に出している。今度は上のような文を書いて送ろうかと考えている。
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人権デーに思うこと

2009年12月10日 | 人生

 今日12月10日は世界人権デー、1948年国連で人権宣言が採択されたのを記念して制定されたものである。


 人権というものは果たしてあるものだろうか。そもそも「権」という字は「仮」のものという意味で、人が約束の上で認め合ったものに過ぎない。権利、権力、人権等皆そうである。


 人権の最も重要なものはやはり生存権であろうが、「俺には生きる権利がある」と言ってもそれを認めてくれる人がいなければないのと同じである。山中で出会った熊には通じない、目の前に殺しに来た無法者にも通じない。北朝鮮のような軍事独裁国家では通じない。我が日本国には死刑制度があって国家によって処刑されることもある。


 人権は歴史的過程の中で権力者から獲得してきたものだが、それぞれの権力によって認める範囲が違っている。日本で認められることが人権後進国の中国では認められない。


 日本でも憲法に基本的人権の定めがあるが、それがきちんと守られているかといえばそうでもない。


 所詮は約束事の地盤の上の話であることをよく承知しておかねばならない。約束というものは守られるとは限らない、破られることも多いということである。アテにできる範囲しかアテにならないのである。そんな時どうするか。腹を決めておかなければならない。宗教が必要な時はそういう時である。

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軍艦マーチ

2009年12月08日 | 人生
 12月8日と言えば、やはり68年前の日本海軍の真珠湾攻撃による日米開戦であろうか。私は丁度母親の腹の中、最初のうちは日本軍も調子が良かったし、親父は軍歌のレコード盤を多く持っていたから、軍艦マーチなんか胎教代わりによく聴いたのではないかと思う。
 
 その所為であろうか、マーチの中で軍艦マーチが一番好きである。いつぞやの吹奏楽のコンサートのアンコールで「星条旗よ永遠なれ」が演奏されたが、なぜ日本人が「星条旗よ永遠なれ」だ、オイオイ、と思ったことがある。まあ、外国のものではドイツの「旧友」が一番である。

 それと国防に携わる者の士気高揚のためにあるべきものを、パチンコ屋が客にパチンコする気を高揚させるために使っているのも気に入らんなあ。
 

 
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障碍者

2009年12月04日 | 共生

 今日から人権週間だが、今朝の朝日新聞には何の記事も出ていなかった。朝日はこの手の関係についてはよく記事にするのであるが珍しい。


 夕刊では「人脈記」という連載記事の中で漢字にまつわるエピソードを取り上げているが、昨日は「障碍」だった。
 日本では身体や精神にハンデを負った人を障害者と呼んでいるが、害には災いの意味があり否定的なイメージが強い。だから碍という字を用いるべきという趣旨の運動をしている人がいるが日本では常用漢字の中に碍の字が入っておらず、一般には使えない。韓国では障碍者と書くらしいし、自治体で「障がい」とカナ表記する例もあるらしい。


 しかし、障碍者と書いても問題は残るのである。障碍物とは邪魔になる物という意味だが、障碍者は物を者と入れ替えると邪魔者になってしまうのである。

 現在使われている障害者というのは、もともと身体障害者と呼ばれていたのである。略して身障者だった。ところが30有余年前に精神障害者もいるというので総称から身体を外してしまったのである。これはヤバイのでないかと当時思ったものである。


 障害者のことを英語ではHandicapped person(ハンデキャップド・パーソン)、これに合った言葉を考え出されるのが望ましい。しかし、安易に英語使用は御免こうむりたいものである。

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天才は1%のひらめきと99%の汗

2009年12月02日 | 共生
「天才は1%のひらめきと99%の汗」は発明王トーマス・エジソンの言葉で有名だが一般には努力の大切さを意味するものととして人口に膾炙されている。私も長年そのように思っていた。
 このブログを書くに当ってネットで検索すると、エジソンの真意は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」ということであり、言い換えれば、「1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならない」であるとある。なるほどと長年の思い込みを改めたところである。

 しかし、エジソンは時間を忘れて実験に没頭した。その努力あってこそいろんな発明もなされたのも事実である。

 これに関連して以前ある健康本で次のような話が載っていたので紹介する。
 
 ある人が「毎日長時間実験されているが、どのようにその時間を生み出すのか」が尋ねたので対して「睡眠時間を少なくすればよい」。
「どうすれば睡眠時間をすることができるのか」。「食を少なくすればよい」

 続きとして「食を少なくするには?」「よく咀嚼することである」とあった。この部分はエジソンの言葉なのか、本の著者の言葉なのか忘れてしまったが、要は咀嚼することが大切ということを言いたいのである。
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