十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

12月8日にちなんで一句

2018年12月08日 | 俳句

12月8日といえば、思い出すべき出来事のあった日、その一つはお釈迦さんが悟りを開かれたこと、もう一つは昭和16年に帝国海軍が米国ハワイの真珠湾攻撃を行い日米開戦の始まったこと。

丁度この開戦の日は内山興正老師は澤木興道老師から得度を受けられた日に当たります。

「12月8日釈迦の悟りと真珠湾」

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秋の観光地で一句

2018年12月06日 | 俳句

今日はソフトバンクの携帯が普通でユーザーが大混乱したようです。

少し前にこんな句を作っていました。

「ハイキング紅葉中行くスマホかな」

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木枯らしの日に一句

2018年12月03日 | 俳句

淀川土手で飼い主に引かれた老犬に冷たい木枯らしが強く吹き付けた光景を詠んでみた。

「木枯らしや引く老犬の毛を捲り」

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神無月に一句

2018年11月25日 | 俳句

11月17日~11月24日まで、日本中の神様が出雲大社に集まって、出雲以外で神様が留守になる。神様は留守だが子らは神社で元気に遊んでいる。

「神無月社に高く子らの声」

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屋根の上の眠り猫に一句

2018年11月16日 | 俳句

荒れた空き家の屋根に眠り猫を見かけて一句。

「小春日や荒れ家の屋根に眠り猫」

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「生かされて生かして生きる生命かな」

2018年11月11日 | 一法言

「生かされて生かして生きる生命(いのち)かな」

何を信じて生きるのか。
頼りにすべきはたった一つ、自分自身の「生命力」です。

生き物は皆生かされて生きているのですが、その力はどこから来るのか、日月星辰森羅万象、つまり宇宙全体からその力はやってきています。逆にやってきた力と同じだけの力を放出しています。
物理的にいうならエネルギー保存則、運動量保存の法則です。そして、重力と電磁力はその影響範囲は無限大なのです。

その生命力を何に使うのか、それを考えることができるのは人間だけです。
自分のためだけに使うなら誠にくだらないことです。この世に糞を製造するために生まれてきたことになってしまいます。

大きな力で生かされているに気づくなら「安らぎ」が得られるでしょう。その力を自覚的に出していくなら「生き甲斐」が得られるでしょう。受け入れたものを全部放出する、留まるものがない、引っ掛かりを持たない、これが「自由」です。

本来そんな力、生命力を生きているのです。

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紅葉の季節に一句

2018年11月08日 | 俳句

「山寺の鐘の響きや紅葉散る」

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秋晴れに一句

2018年11月04日 | 俳句

やはり、秋晴れはやはり透明感が半端ではない。
秋晴れの下にいると心も洗われるようだ。

「秋晴れや内なる世界も澄み渡る」

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NHKこころの時代「唯識に生きる」

2018年11月01日 | 佛教

先週のNHKEテレ「こころの時代」で、「唯識に生きる」という番組が6回のシリーズで始まっている。

見たことがあるなと思ったら、以前に放送されたものの再放送だった。

学習院大学の名誉教授 横山紘一氏は対談形式で話を聞くというものだった。

中で気になる図形があったので、紹介したい。

時間的、空間的、身体的に自分が出来上がっているという図で分かりやすい。

60兆の細胞とあるのは、最近の研究では37兆と推計されているということである。

宇宙の始まりは、長らく137億年前とされてきたが、最新の計算ではでは138億年とされているのと似たようなものだが、それにしても差が大きすぎるようである。

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天を仰いで歩くーー晩年の内山興正老師

2018年10月29日 | 佛教

書棚を整理していたら、ある本の間から大法輪2007.2号のコピーが出てきた。

内山興正老師のお弟子さんの櫛谷宗則さんが内山興正老師の在りし日の思い出を文章にしたものである。
私が安泰寺を初めて尋ねたのが昭和45年秋、宗則さんが20歳の時に出逢っていいる。また、老師が亡くなられた日にたまたま老師宅で居合わせたという縁もある。

天を仰いで歩く

    ー ある日の内山興正老師

「空を見ながら散歩するのは、坐禅と一緒だね。歩くというのは、何か思いを手放しにする処がある。そして大空はつかみきれないほど深い」

 一日中、机に向かい、あるいはお客様の相手でお疲れになった老師にとって、夕方一時間ほどの散歩は心待ちの時でした。着流しから作務衣に着替え、小さな懐中電灯(赤いフィルター付き)を持つと、喜々として運動靴をはかれるのでした。そして大垣の美しい平野を、京都の宇治川ぞいの土手を、信州では広々とした田圃道を、どれくらい歩かれたことでしょう。

 足取りも軽く空を見上げながら、もう仏教のことも何もすべて解き放って、ただゆったりと歩く。この時問が老師にとって至福の時だったのではないがと思います。お顔はいきいき子どものように茶目ッ気たっぷりで、一緒にいると私も幸せでした。風は快く、夕空の雲は時に面白い変化をみせ、夕闇へ澄んでいくひかりのなか、言葉を交していても黙って歩いていても、そこに静けさだけがあったように思います。

 「僕はねぇ、愛想のいい人間だけど本当は一人が好きなんだ」

 ひとり悠々と空高く舞うトンビや鶴は、老師のあこがれでした。小さい頃から病気がちでよく床にふせって空を見ておられたという老師にとって、自由に大空を舞う姿はどんなにか心引かれたことでしょう。あこがれて、あこがれて、老師は一生求めつづけて飽くことがありませんでした。得た、分かったといって、悟りや権威の上に止まろうとはなさいませんでした。偉くならず、ただ一個の裸の人間として最後まで「生きる」ことに深まろうとなさっていたと思います。

 大空は遠く限りなく、同時に何でも話せる身近な友でした。老師が愚痴をこぼすとーーー「まあいいさ、大したことはない」、キレようとする時はーーー「それもよかろう、でもくだらないぞ」、落ちこんでいるとーーー「まあそんな日もあるさ」、大空から大きな慰めをもらったと詩にも書いておられます。

 それは東京・本郷のお生まれで故郷の消えた老師にとって、幼い頃と変わらない安らぎに満ちた故郷でもあったでしょう。

 そんな老師のお散歩は、気分転換のためでも、健康のためでもなく、いつかそういう世間的なこととは、はるかに違う世界へ踏み入っておられたように思います。そこに坐禅に通じるものを発見し深めていかれたのでした。その頃、こんなことを書いておられますーー。

 「とにかく大空は『つかめぬ』『つかみきれぬ』故に、はなはだ『物足りない』のですが、それなればこそなおのこと、私は大空を素晴らしいと思い、また仰がずにはいられないのです。
 つまり、まるで磁石の針が北に向かうように、その『つかみきれぬ、物足りなさ』そのものに向かってしまうのです」

 「つかみきれぬ、物足りなさ」ーーー全くソレは坐禅のソレと直通しています。

 われわれはいつも「つかもう、物足りよう」という迷いの真っ只中に生きればこそ、最後にはそこですべて止めて坐らざるをえなくなります。迷いを片づけてから坐るのでも、迷いをなくすために坐るのでもなく、力尽きて坐禅の方から「ただ」坐らざるをえなくなるのです。それは坐禅という大空のつかみきれない深さでしょう。力でしょう。

 お年を召してからもう全く坐禅ができなくなった老師は、坐ってただ壁に向かうように、天を仰ぎみ歩くことによって自ずと生きる姿勢を正され、新たなお気持で一日、一日を歩まれていかれたのではないかと思います。雲一つない澄みきった日はことに嬉しそうなお顔で、入り日を拝み、一番星を拝み、夕空に手を合わせるなか、老いのいのちにそっと寄り添い、安らいでおられたのだと思います。

 生きることそれぐるみ大空の光のなかに包まれながら、どこまでもそれに向かって刻々歩んでいく。
われわれは坐禅の大空に向かって今日一日をつとめるなかに、あたりは夕光に包まれているでしょう。
その夕暮れの深みへ、いきつけない光のように、ほのかに澄浄(ちょうじょう)するだけです。いつか何もかもが、ただ夕光のやわらかな影でしょう。

櫛谷宗則
 昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。19歳のとき、澤木興道老師の高弟である内山興正老師について出家得度。以来、安泰寺道場に10年間安居。『禅に聞け』『澤木興道 生きる力としての禅』 (大法輪閣)、『コトリと息が切れたら嬉しいな』(探求社)、『共に育つ』等を編集。五泉市在住。

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サイクリング中の光景で一句

2018年10月28日 | 俳句

「秋夕焼西のねぐらへ烏二羽」


夕焼けの空に烏が二羽並んで西の空へ飛んでいく。きっとつがいなのだろう。

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点滴無用

2018年10月25日 | 生活

叔母の入院に際して、点滴についてネットで調べてみた。

その中の記事で気になるものがあったので、お見せしたい。

いよいよとなったら、点滴など受けない方が良さそうだ。終活として家族に納得させておく必要があると思う。

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秋祭りで一句

2018年10月22日 | 俳句

この土日は近傍の複数の神社で秋祭りが行われた。

夕方、淀川の堤防を自転車で走っていると、町中を練り歩いている地車の囃子の音が聞こえてきた。そこで一句。

「秋夕焼だんじり囃し遠に聞く」

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叔母の入院で一句

2018年10月18日 | 俳句

2週間前、夜11時頃一人暮らしの叔母から電話が掛かってきた。脈が飛んで脈拍が40、だというのである。寝床に入っていて、特に症状は出ていない。あくる日になればかかりつけ医のところへ行くという。

ところが、12時近くになって、電話が掛かり2コールで切れてしまった。気になって叔母宅へこちらから電話すると、呼び出し音は話し中。10分ほどしてかけ直すが話し中、夜中に電話することはないはずと思いながら、さらに10分待ってみた。かけ直すとやはり話し中だ。近所に夫の従兄弟がいるので、見てきてもらおうと電話するもすぐFAX受信に切り替わって出てもらえない。

切り忘れなら問題ないが、夜中に掛けかけておかしくなったのではないかと心配になった。そこで救急に電話をして、事情を話して安否確認してもらえるか、尋ねてみたらすぐ見に行くと言ってくれた。

救急隊員が呼び鈴を押したら叔母は出てきたと連絡をもらいホッとした。しばらくして、電話を入れてみると、従兄弟の嫁さんに従いて行ってもらい救急でM病院へ入院するという。

放っておくわけにいかないので、病院へ急遽駆けつけた。心電図検査の結果、病名は「完全房室ブロック」というので心臓の信号の流れが切れているとのこと。

無症状なので差し当たりしばらく入院して検査を受けることになった。

脈が正常に打つようにするにはペースメーカーを埋め込む必要があるが、高齢のため様子をみることになった。

落ち着いたので1週間で退院したが、一人暮らしは難しくなってきた。

「秋夜中脈飛んで呼ぶ救急車」

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安泰寺ネルケ無方住職の人権講演

2018年10月14日 | 共生

曹洞宗安泰寺ネルケ無方住職の人権講演の映像がユーチューブで公開されていたので、紹介します。

タイトルは

「赤・青・黄色ー多文化の狭間で人権を考える」

まあ、聞いてみてください。

差別戒名、ゴキブリ、ヤクザ、黒人等々

https://www.youtube.com/watch?v=JVg_yy7mN0M

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