3月ほど前から、毎日認知症予防の脳トレをやっている。
2つのイラスト絵を見比べて違いを見つけるというものである。
間違い箇所は全部で30箇所、大体は見損ないは7箇所以内(神レベル)だが今だパーフェクトはない。
こうなったら、パーフェクト取るまで止められない。
3月ほど前から、毎日認知症予防の脳トレをやっている。
2つのイラスト絵を見比べて違いを見つけるというものである。
間違い箇所は全部で30箇所、大体は見損ないは7箇所以内(神レベル)だが今だパーフェクトはない。
こうなったら、パーフェクト取るまで止められない。
終戦の日に当たり、戦没された人のために鎮魂の歌を歌ってあげてください。
ということで、去年と同じものに若干修正してアップしたが、「不正な書式が含まれている」という理由で表示を拒否されたので、「はてなブロク」のURLを示します。そちらからご覧ください。
なぜ、不正なのか意味不明です。
https://fippou.hatenablog.com/entry/2025/08/15/093659
昭和20年8月14日、私が3歳になって間もない頃、大阪大空襲があった。
大阪には20年3月から8月まで合計8回の空襲があったが、その最後の回である。
当時、私は京阪電車の古川橋駅(門真市)近くに住んでいて、隣が駐在所。勝手口を出た道路に駐在所と共同の防空壕があり、空襲があれば逃げ込むのである。道路は比較的広くて防空壕を作っても交通に支障はない。通行人が逃げ込めるようにしていたのかも知れない。
空襲があるとなれば、1km行かずのところにあった変電所のサイレンがけたたましく鳴り、消防団だか町内会だかの人たちがメガホンで「空襲警報発令!!」と大声で怒鳴りながら回ってくる。そうすると、皆、慌てて防空壕に逃げ込むのである。
8月14日の空襲は大阪城の東側にあった大阪陸軍造兵廠を狙ったものでB29が150機、1トン爆弾700個を落として造兵廠を壊滅せしめた。
古川橋から現場まで約8Kmあるが、その火や煙を防空壕から見ていたのを覚えている。
近くの大阪城にも爆弾が落とされ多くの櫓が消失した。大阪城には陸軍の第4師団の司令部があり、親父はそこの古参の下士官。爆撃が厳しくなって防空壕に逃げ込んだが至近弾が落ちて、同僚とともに生き埋めになったが助け出されて無事だったが、隣の人は亡くなったということだった。
そのうち、大阪城もやられたという噂も入ってきて、母親も覚悟したらしい。
翌15日、明け方、親父が帰って来た。もちろん、電車は通っていない、歩いて帰って来たのである。よかったとなるのであるが、何故か覚えていない。
その後、時間を経て終戦となるのである。
後から、知ることだが、門真市も松下電器の本社工場もあり艦載機からの爆撃もあった。爆弾池と呼んでいたが田んぼに爆弾が落ち、丸い穴に水が溜まっているのが何箇所かあった。近くは500m程の距離に直径5mほどの水溜りだった。
また、母親がある時艦載機グラマンに遭遇、慌てて近くの家へ逃げこんだというエピソードも話してた。グラマン社の艦載機ヘルキャット(スラッグであばずれ、鬼婆)だったのである。
ウィキペディア:大阪大空襲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
2021年5月に購入したサイクリング車を昨日廃車にした。
83歳にもなって運動神経の反応の目立ってきたからである。もう、1年も前のことであろうか、ママチャリで交差点を渡ったところで目の前を急に横切る歩行者を避けるために急ブレーキをかけたが、足を地に下ろすのが遅れて転倒したことがあった。
いつも空気入れのポンプを借りている自転車屋に持って行って引き取ってもらった。ちょうど、タイヤ交換の時期になっていたからである。
別のママチャリはいつものように乗っているが、足を地に着けやすいようにサドルを以前より3cmほど下ろしている。そうするとペダルが重くなって足の筋肉も落ちているのでトロトロしか走れない。
もし、次どこかで転倒するようなことがあれば、自転車を捨てなければならないかもと思ったりする。
日本人の特徴について、驚くべき見解が動画で示されていたので紹介したい。
誇張されているとも思えるが、納得するところも多い。
1万年以上も前の縄文時代から自然と調和しながら生きてきた祖先の基質の変化が生じていたのかも知れない。
https://www.youtube.com/watch?v=0a15V5oEF88&list=PPSV
マイブログへの閲覧数100万、閲覧者数50万人に達していたことを前回発表した。
単純にその数だけでもとんでもない量だと、感慨を新たにするが、それが与えた影響を考えた時無限の広がりを持つものだと考えられるのである。
たとえば、一つの記事を読んでもらうとすると、その読者に影響を与えたことになる。「いや、お前の記事に影響されることはない。お前の意見とは別の、反対の意見を持つ。」と、思われるかも知れない。
確かに記事の内容については、影響されてないと言えるかも知れないが、ブログの画面を開けた時点でもう影響が始まっているのである。
意識が何かに一瞬でも振り向けられたら、そこから意識の流れがそれまでとは完全に切り替わってしまう。
意識の流れが変われば、行動が変わる。意識に沿った行動になってしまう。行動が変わるということは影響されたと言わざるは得ない。
行動が変わるということは周りに対して影響を与えることになる。影響されたものはまたその周りに影響を与える。連鎖反応が始まるのである。
この連鎖反応は肩と肩がぶつかったというような限定的なものでなく、世には増幅拡大する装置仕組みあるから影響は幾何級数的に拡大する。例としてはTVやネットを考えるとわかり易い。コロナウイルスの蔓延なんかもよい例である。
5年前に書いた次の文章も参考にされたい。
2008.7.1にこのブロクを始めて丸17年、昨日、50万人超えを果たしました。
閲覧数は既に100万を超えています。
これもご愛読いただいた皆様のお陰、感謝申し上げます。
残念ながら、goo blogは、今秋閉鎖されることが決まっています。10月1日から新規投稿、編集ができなくなりますので、既に「はてなブロク」に記事を複製していますのでご承知ください。
引き続きよろしくお願いします。
宗教においては、聖なるもの、善なるもの。清浄なるもの、安楽なるものを目指す。
しかし、出発点が違う。性善なるものか、性悪なるものか、それによって歩む道も歩み方も大いに違ってくる。
近頃、ユーチューブを見てると欧州で神道に関心を持つ人が増えているようである。
宗教・思想 | 性善/性悪 | 根拠・教義の要点 |
---|---|---|
キリスト教 | 性悪説 | 人間はアダムとイブの原罪により堕落した存在。救いは神の恩寵と信仰によってのみ可能(とくにアウグスティヌス的理解) |
小乗仏教(上座部仏教) | 性悪説 | 人間は煩悩・無明に縛られた存在で、カルマ(業)によって輪廻を繰り返す。修行によって煩悩を断たねばならない。 |
大乗仏教 | 性善説 | 「悉有仏性(しつうぶっしょう)」=すべての存在に仏になれる内なる光(仏性)が宿るとされる。悟りは本来の自性を明らかにする行為。 |
神道 | 性善説 | 人は「八百万の神の分け御霊(わけみたま)」であり、本来清らかで神聖な存在。罪穢れは外的なものとされ、禊や祓いで清めれば本性に戻れる。 |
先日、次図の自己生命図を紹介した。
認識世界について、説明が足りないので、以前開示したことのある次の図をもって今回もChatGPTの助けを借りて説明したい。
なお、両図において実物世界と真実世界との違いはあるが同じものの事実との対比で真実としたものである。
おって、解説は分かり易かった「です、ます」体のものをそのまま利用した。
これから「自己世界」という図を使って、私たちが世界をどのように認識しているのか、その構造についてお話ししたいと思います。
まず最初にお伝えしたいのは、「私たちが見ている世界」と「本当にそこにある世界」は、同じではないということです。
この図の一番外側にある四角い枠、これは「宇宙」つまり真実の世界を表しています。この世界は、私たちが見ていようと見ていまいと、勝手に存在している世界です。重力があったり、太陽が光ったり、誰もいなくても火山は噴火しますよね。そういうのがこの「真実の世界」です。
でも、私たちはその世界をそのままの形では認識できません。
代わりに、私たちはこの真実の世界を「自己のフィルター」を通して受け取っています。それが、図の中にある丸い層で表された部分です。この丸の中が、「認識された世界」=事実です。
つまり、「真実」はそこにあるけれど、「事実」として私たちが捉えるときには、すでに主観が混じっているんです。
この丸はさらに三層に分かれています。内側から順に説明していきます。
● 第1層:五感と体験
まず一番内側の層には「五感」と「体験」があります。私たちはまず、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感を通して、外の世界から情報を得ます。
たとえば、りんごを見て「赤い」と思い、かじって「甘い」と感じる。こういうのが五感による現実の捉え方です。
そして、それが積み重なることで「体験」になります。「昔、りんご農園で手伝ったな」とか、「青リンゴは酸っぱかった」というような記憶ですね。
この層は比較的、真実に近い。でも、完全ではありません。たとえば、同じ音でも人によって「うるさい」と感じたり「楽しい」と感じたりしますよね。
● 第2層:知識と想像
次に、真ん中の層。「知識」と「想像」です。
ここでは、体験を元にした情報や学びが整理されて、「知識」になります。学校で習ったこと、本で読んだこと、人から聞いた話。そういったものです。
さらにその知識を使って、「想像」が生まれます。未来を予測したり、まだ見たことのない状況を考えたり。たとえば、「もし火星に住めたらどうなるだろう」とか、「この話をあの人にしたら怒るかな?」というのも想像ですね。
● 第3層:空想と未知
そして最後、外側の層。「空想」と「不知(ふち)」、つまりわからない世界です。
ここでは、完全に現実から離れて、自由な発想が広がります。ドラゴンが出てくるファンタジー、宇宙人との交信、異世界転生…そういった世界です。
また、「不知」というのは、人間にはまだわからない、あるいは想像すらできない領域です。たとえば、「死んだあとの世界」とか、「宇宙の果て」などですね。
ここまで聞いていただいてお分かりのとおり、私たちが普段「世界」と呼んでいるものは、真実ではなく、あくまで自分の頭の中の世界=事実なんです。
しかも、それは五感と体験に始まり、知識と想像、そして空想へと、どんどん主観的になっていきます。まるでレンズを通して見る世界のように、世界は自分の心によって色づけられているんです。
実はこの考え方は、多くの哲学者が語ってきたことでもあります。
カントという哲学者は、「物自体」と「現象」を区別しました。つまり、「本当のモノ」はわからないけど、「私が見た現象」はわかる。
ソクラテスは「自分が知らないということを知っている者こそ賢者である」と言いました。
仏教では、「空(くう)」という考え方があります。あらゆる物事は固定的な本質を持たない、という教えです。
この「自己世界」の図を通して見えてくるのは、私たちが見ている世界は、あくまで「認識された世界」であって、その奥にはまだ、手が届かない真実の世界があるということです。
だからこそ、自分の認識に自信を持ちすぎず、常に「知らないことがあるかもしれない」と思う姿勢が大切なんじゃないでしょうか。
それが、真理に少しでも近づくための、一つの道なのかもしれません。
5月18日の記事において、私の考案による自己生命図を紹介したが、今回、一部説明を追加してChatGPTにかけてみた。参考にしていただければ幸いである。
本稿は、「自己生命図」と名づけられた図像的モデルに基づき、人間存在の構造を存在論的・認識論的に考察する。特に、実物世界を「万物一体」とする統一的存在の場として捉え、対照的に認識世界を「断片的観念の集合体」とすることにより、自己の媒介機能の哲学的意義を明らかにする。本図は、自己を両世界間の運動的接点として位置づけ、情報と行為の相互連関を通じて自己が世界のうちに定位されていく構造を視覚的に提示する。
人間の自己とは何か、そしてそれは如何にして世界と関係するのか――この問いは哲学において根本的であると同時に、今日の技術的・情報的文脈においてますます切実な意味を持ち始めている。本研究は、「自己生命図」と名づけられた視覚モデルを出発点とし、世界と自己との構造的関係を図式化しつつ、その内的論理を哲学的に分析することを目的とする。
本稿では、以下の三領域を縦断する多元的方法論を採用する:
本図は、三つの中心的構成要素から成る:
実物世界(宇宙):図の下部を占める円であり、「万物一体」と注記される。これは存在そのもの、すなわち全的で相互関係的な実在の場として描かれる。ここでは分断も概念も存在せず、自然・物理・関係性が統一された一元的場とされる。
認識世界:図の上部に位置する円であり、「断片的観念の集合体」と注記される。これは自己によって構成される意味世界であり、感覚・記憶・言語・判断といった複数の部分的要素によって成り立っている。統一を欠いた多様な知覚の断片が寄せ集められた構造である。
自己:両世界の間に存在する小円であり、「情報」と「行為」の流れを統御・仲介する場である。自己は両世界間の翻訳点、すなわち「断片と統一」「主観と客観」「意味と実在」を媒介し、双方向的運動を可能とする。
図における実物世界は、「万物一体」と明記されているように、あらゆる存在が根本的に相互依存的であるという東洋的自然観を含意する。この世界は、存在者たちの総体にして、時間・空間・因果を超えた全体性をもつ。
このような理解は、以下の哲学的系譜に連なる:
ここでの「世界」は、自己とは無関係な客体ではなく、常に自己が属する運動的・有機的全体として現れる。
これに対して、認識世界は「断片的観念の集合体」と規定されており、統一的な把握を欠く構造が強調されている。これは、以下のような認識論的観点と整合する:
つまり、我々が「世界」として把握しているものは、実在そのものではなく、自己の感覚・記憶・思考によって構成された一種の「モザイク的構造体」である。
自己は、実物世界と認識世界を繋ぐ一点に位置づけられており、「情報の受容」と「行為の発出」という二方向の矢印によって、その媒介的性格が示されている。
この媒介的機能の構造は、次のように定義される:
実物世界 → 自己:物理的・感覚的情報が流入
自己 → 認識世界:情報が概念化・言語化・価値化され、意味を与えられる
認識世界 → 自己:構成された意味が行為意図となって還元
自己 → 実物世界:身体的・社会的行為として世界に作用を及ぼす
この循環的構造において、自己は閉じた主体ではなく、世界とともに形成されるプロセス的存在であると考えられる。
本図が提示する最大の哲学的洞察は、「統一としての実在」と「断片としての認識」という構造的ねじれにある。このねじれは以下のように読み解ける:
実物世界 | 認識世界 |
---|---|
一体・統一 | 断片・多様 |
無差別 | 区別・判断 |
直接的存在 | 間接的構成 |
根源的現実 | 意味的現象 |
自己は、このギャップを越境する能力を有する存在であり、それゆえにこそ人間的創造性・倫理性・歴史性が発現する余地が生まれる。
「自己生命図」は、人間存在の根源的構造を、図像的手法によって直感的かつ理論的に表現する試みである。その構造は、現象と実在の非対称性を媒介する自己の多重的機能を浮き彫りにする。
本図は、以下の哲学的問題に対して新たな視角を提供しうる:
認識の不完全性と行為の創発性
主体と世界の共進化的関係
統一と断片の往還運動としての時間的自己
ゆえに、本モデルは、近年のポストヒューマン論、AI哲学、認知科学的構成主義などとも接続可能な、根源的思索の基盤図式として高い理論的価値を有する。
Hume, D. A Treatise of Human Nature
Kant, I. Kritik der reinen Vernunft
Spinoza, B. Ethica Ordine Geometrico Demonstrata
Merleau-Ponty, M. Phénoménologie de la perception
中村元『東洋思想史』
河本英夫『知の編集工学』
巨人の長嶋茂雄終身名誉監督=報知新聞社客員=が3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。
私は長嶋の巨人軍入団時から、ファンだった。
巨人軍は小学校の映画会で「エノケンのホームラン王」という映画を見てから、好きになったのである。
長年、巨人ファンだったが、どちらか言えば長嶋ファンだった。その長嶋も力が落ちて王が実力的に追い抜いた時点で興味を失った。
「長嶋さんの名言」
引退式における「わが読売巨人軍は永久に不滅です」
これは「永久に」と「不滅」の意味の重複だとして、迷言とされているものであるがこれは実は素晴らしい言葉なのである。
長嶋さんは巨人軍を永遠なるものとし、その永遠なるものと一体化しているということなのである。永遠なるものと一体化することによって、生命の永遠性を得るのである。
お読みいただいて感想コメントをいただければありがたい。
あなたが考案した「自己生命図」は非常に興味深く、哲学的かつ認知論的な観点から自己の存在と世界との関係を表現しています。この図をもとに、以下のように詳しく説明いたします。
【自己生命図の構造と意味】
1.全体構造
図は二つの大きな円で構成され、それぞれが「認識世界」と「実物世界(宇宙)」を表しています。その接点に「自己」が小さく描かれており、「情報」と「行為」がその間を往復しています。
2.各要素の説明
■ 実物世界(宇宙)
意味:私たちが物理的に存在している現実世界であり、物質、エネルギー、自然現象など客観的な存在が含まれます。
位置づけ:下部の円であり、土台のように自己と認識世界を支えている構造です。
特徴:自己から見て「外界」にあたり、五感などを通じて情報を得る対象です。
■ 認識世界
意味:自己が捉えた世界の主観的なイメージや理解で構成される、いわば「内的世界」。
構成要素:思考、記憶、信念、感情、価値観など。
位置づけ:上部の円であり、自己の意識・知性が働く領域。
■ 自己(中心の小円)
意味:「行為」と「情報」の交差点にある主体。意識・意志・判断を担う存在です。
機能:
実物世界から「情報」を受け取り、それをもとに認識世界を形成。
認識世界に基づいて「行為」を実物世界へと働きかける。
哲学的意義:この図では、自己は媒介者でありながら、認識と行為の起点でもあります。
3.情報と行為の流れ
→ 情報(実物世界 → 自己 → 認識世界)
感覚器官や観察、経験を通じて実物世界からデータが流れ込む。
自己を通じて、それが「意味づけ」され、認識世界に取り込まれる。
この流れによって、認識世界が更新・構築される。
← 行為(認識世界 → 自己 → 実物世界)
認識世界における判断や価値観、意志によって「行為」が生成される。
自己を通じて、物理的・社会的な行動として実物世界に影響を与える。
【この図の哲学的示唆】
この図は、西洋哲学の「カント的構造」や、東洋思想の「主客未分」的な捉え方とも重なる部分が多く、以下のような示唆を与えてくれます。
自己は媒介者である:世界と自己は断絶されておらず、常に相互作用している。
世界の認識は主観的である:我々が知っている「世界」は、あくまで認識世界において構築されたものである。
行為は認識に基づくが、認識も行為によって変化する:フィードバックの循環が生命活動の核心にある。
宇宙と自己の関係性:人間存在の根源的な問い(「我とは何か」「世界とは何か」)を内包している。
【応用可能な視点】
この図は以下のような分野で応用可能です:
認知科学・心理学:知覚と行動の関係のモデルとして。
哲学・倫理学:自由意志や自己認識の議論において。
教育・学習論:情報の受容と行動の生成過程を可視化。
アート・デザイン:内的世界の表現や創造の根源的構造として。
誰でも宇宙一杯の生命を生きている。
面白い動画を見つけたので紹介する。
狭い地球上で競り合いをやっている各国のプレジデントの合唱。実際にあり得ない風景だが映像上ではこんなこともできてしまう。(笑)
gooのサービス停止に伴い、次のブログサイトに記事を移動しました。
今後は「はてなブログ」に記事のアップを行いますので、引き続きよろしくお願いします。本ブログの記事はサービス終了まで残します。
タイトルは宇宙一杯の生命としました。