十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

生命観

2024年08月24日 | 一法言

人それぞれ独自の生命観をもって、生きているわけであるが、その生命観を極々簡単に区分けしてみた。

1 肉体が生命の本体。死をもって生命の滅びとする。

2 スピリチュアル。 精神、霊魂が生命の本質。死後もその永続性を認める。

3 輪廻転生する霊魂が本質、肉体はそれに付属する。死ねば新たね肉体に入れ替わる。

4 神、仏等超越的な存在によって造られたもの。生も死後も超越者に依存する。

5 無始無終、無量無辺の無限空間の中で縁起によりたまたま仮に寄せ集まった生命体で実体はない。(無我、空)

6 宇宙(有限空間)の中で縁起により形成された生命体、宇宙のひとかけらであり宇宙と一体的に躍動している。宇宙をわが身とすれば滅びはない。

さて、縁起は釈尊が発見された真理です。他の教説も縁起を基に考えられたものである。

ところがそれは無限空間の中では因縁という限定された縁起になってしまう。限定的な因を考えそれに付随する縁を考えるからである。五蘊説にしても、十二支縁起にしてもそうである。

ところが宇宙が有限だとすると、宇宙全体が繋がり縁起してということであり、そのひとかけら同士は相互依存し影響し合うことになるのである。

電磁力と重力は影響範囲が無限大ということからも理解できるであろう。

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タイ寺院における修行生活

2024年08月21日 | 一法言

 佐々木閑 花園大学特別教授がタイのチェンマイの近くの上座部仏教寺院を訪ね、その修行生活を動画に撮り、その有様を紹介されています。

 ユーチューブで複数回に分けて、アップされるようです。

https://www.youtube.com/watch?v=vOCMVfRQNdg&t=12s

https://www.youtube.com/watch?v=fuOPhy1AD6Q

https://www.youtube.com/watch?v=7goaqkGHMeI

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今年の夏は早田に爽やかな神風が吹きました

2024年08月15日 | 一法言

 パリ五輪卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルに輝いた早田ひな選手(24)が「鹿児島の特攻資料館に行ってみたい」と語ったこと、日本大好きな私としては感動した。反日連中は真逆の反応を示しているが・・・。

「あの頃  
 あの人たちがいて
  あのことがあって
 今の日本があり
 私たちは生きています
 ありがとう」

 

 私は当時3歳、一番小さな子と同じ年ごろ、私も守られたのある。

 居住地の門真町は松下電器の本社、工場のあるところ、艦載機から爆弾の投下も何回もあった。空襲警報のサイレンがなって防空壕に逃げ込んだことをよく覚えている。

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成仏してから死ね(3)

2024年08月12日 | 一法言

 全国的のお盆真っ盛り、死者の霊の来たり帰ったり。「成仏してから死ね」なんて書いてしまったけれど、仏教に深く信奉する人以外はその気になかなかなれないのでは思うので、対比的に日本人の死生観について、上手く説明されている動画を見つけたので紹介させていただく。どうしますかね。

 内山興正老師曰く「死者の霊魂とは生き残っている者の間に漂う亡き人の残映である」 

https://www.youtube.com/watch?v=eCvNiRbAsBQ

 

 

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仏教における性悪説と性善説

2024年08月04日 | 一法言

仏教における性悪説と性善説と言うと、何事かと思われるかも知れないが、性悪説とは輪廻説のこと、性善説とは如来蔵説のことである。

輪廻説は生まれ変わり思想、前世の悪業を背負って現世に生まれて来る、無明、煩悩、執着による苦しみで汚れてしまった状態で生まれて来る。

一方、如来蔵説は大乗仏教の中に生まれて来た考えで、如来蔵とは如来の蔵、蔵は胎児のこと、つまり、仏の子として生まれて来ることである。

 「おさな子がしだいしだいに知恵づきて、仏に遠くなるぞ悲しき」

 苦しみの元は生まれてから身につけた悪癖だということである。後天的なものなら直すことできるし、来世に引き継がれる理屈もないことになる。

 さて、仏教は個々の背負った苦悩を解消しようとする、教えであり営みである。

 それは初期仏教では、無我であり、大乗仏教では空である。これが中途半端な教えでこれで悟りということはないと思う。

 無我、空も自己存在を認めないのである。

 それを説明するのに五蘊説を持ち出す。色、受、想、行、識の五蘊が寄せ集まって化和合しているに過ぎないから、実在しているわけではないというのである。

 この理屈はそもそも五蘊というのがどこから来たかを無視している。生命を縁起的に頭で考えて分けたものに過ぎない。実際に分けようとすれば死んでしまう。五蘊なんてものはあり得ないものである。

 もう少し分かりやすくいうと、例えば、ダイヤモンドがある、これは炭素の粒が集まったものである。本質は炭素の粒であり仮にダイヤモンドと呼んでいるだけであるという理屈になる。

  しかし、幾多の縁起によって出来上がったものをダイヤモンドと呼び価値を認める、そこにそのダイヤモンドとしての自性を認めるべきでしょう。私は今ちゃんと生きていてこんな文章を書いている。私は存在しないなんて考えようもない。

 「はじめにいのちありき」なんですよ。それは無限の縁起、宇宙全体の縁起により生じたもの。宇宙生命、つまり、宇宙一杯の仏の子として生まれ、他に行きようもなく宇宙の中に没する。それでいいのだ、そうでなくちゃ。

 死んでからも未練たらしく生まれ変わりたい。生き方としてどうなんですかね。

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成仏してから死ね(2)

2024年07月29日 | 一法言

 「成仏してから死ね」なんて、前回書いたけれど、とにかく死んでから追善してもらって成仏なんてあり得ない、とすると生きている間に成仏するしかないのである。

 じゃあ、仏とは何かというと、自己の周りに仏国土という世界を持っており、それが浄土であるということである。

 内山老師の自己図(下図)のように誰でも自己世界を持っているのであり、それを清浄にすればいいだけのことである。

 自己がいて自己の周りに自己の世界があるなんてことは、ちょっと考えればすぐ分かることであり、そこに余計な、馬鹿げた、錯覚を混ぜ込むから世界が汚れるのである。

 では、クリーンにするにはどうするか、只管打坐の坐禅をするしかない。ちかごろ、瞑想流行りだが、いくらよいことを考えても透明清浄から比べればゴミに過ぎないのである。

 只管打坐すれば、自己世界が見える、その世界が清浄になる、つまり、仏の出来上がりである。仏典に出てくる次の言葉を参考にされるがよい。

 一切衆生悉有仏性( 涅槃経)

 自性清浄心(大乗起信論)

 坐禅自己の正体なり(正法眼蔵随聞記)

 衆生本来仏なり(坐禅和讃)

 修証一等(正法眼蔵弁道話)

 一寸坐れば一寸の仏(禅語)

 生も時なり 仏も時なり(正法眼蔵有時) *生とは衆生のこと。

 とにかく、只管打坐を坐禅を体験し、死ぬ時にはそれを思い出し、坐禅でも臥禅されれば仏として死ねることになる。

 仏とは宇宙一杯の存在だから、死ぬことはない。

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「成仏してから死ね」

2024年07月23日 | 一法言

6月25日に仏教における死後のコースについて、書いてみたが、要約すると、

1.即輪廻コース
2.49日コース(追善あり)
3.十王経コース(追善あり)
4.十三仏コース(追善あり)
5.即得往生コース

 になる。

 しかし、そもそも死後の世界があるのか、輪廻はあるのか、極楽浄土はあるのか。
誰も見た者はいない、とすると、生きている人間の想像、悪く言えば妄想に過ぎないのではないか。科学の発達した現代において、考え直してみる必要があるのではないか。

 仏教は成仏を目指す宗教、死んで自己存在が無くなった状態で成仏なんてあり得ないというべきであろう。

 しからば、成仏は生きている間に達成しなければならない。

 「成仏してから死ね」ということである。

6.仏道コースというコースが必要と言うことになる。

「成仏してから死ね」とはどういうことか、次回に書いてみますが、日を置きますので諸兄も考えてみてください

 

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敬弔記事

2024年07月18日 | 生命

 加入している退職者の会の会報が今日届いた。4半期ごとに発行されているものである。

 いつも気になって必ず見るのが、敬弔欄である。

 毎回、1頁で収まっていたのが、2頁に渡っていた。

 死亡者 101名、上司・同僚だった者 5名、それにいつもチェックしているのは、私の年齢82歳より、若くして亡くなった者である。今回は、19名、19.9%。
虚弱体質の私はいつ死んでもおかしくないのであるが、彼等より長生きさせてもらっていることに有難味を感じることができるからである。

 今回の物故者の中に、109歳(女性)の人がおられた。100歳超えの人はちょくちょく見かけるが、109歳は初めて。

 長寿と言えば何と言っても徳之島の泉重千代さん(1986年2月21日没)。120歳で亡くなる前、ギネスブックに「長寿世界一」として登録されたこともある泉重千代さんの言葉。とあるテレビ局からインタビューされた際、好みの女性のタイプを聞かれて答えた。「年上の女がいい」

 これは内山老師の講話で聞いた話だが、あるインタビューで長生きの秘訣を聞かれて「天命じゃよ」と答えられたを素晴らしい答えと老師が感心されていたのを思い出す。

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弟の満中陰法要

2024年07月13日 | 一法言

 本日、5月29日に亡くなった弟の満中陰法要が行われた。2日早めに実施である。

 当初は出席の予定だったが、体調がよろしくないので遠出して途中で熱中症になっても困るので欠席した。

 兄弟は5人、1人亡くなって残りは4人、うち3人がダウン。一番下の妹だけが出席したようである。

 今日の法要では初盆も一緒にやったそうである。いい加減なものである。

 前に法要のあり方についたが、書いていなかったことがあったので、追記しておく。

 法要は忌日の前倒しはよいが、後になってはいけないのは、追善供養であるからである。忌日の審判までに前もって回向する功徳を用意しておかなければならないからである。

 しかし、追善供養なるものはどう考えてもおかしい。まあ、49日まではまだ生まれ変わりが終わっていないからという理屈も成り立つが生まれ変わってからも審判というのが訳が分からないし、追善なんてあり得ないこと。

 弟は即得往生で満中陰で極楽往生、極楽で菩薩となって仏になる修行をするというのである。

 で、即得往生すればもう追善は無用、審判も無用のはず。しかるに、寺から法要の連絡が来る。

 南方仏教のように葬式して火葬して散骨してお終い。それでいいのだ!! 

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先進レーダ衛星「だいち4号」/H3ロケット3号機打上げ

2024年07月01日 | 科学

  本日正午過ぎ、先進レーダ衛星「だいち4号」が種子島宇宙センターからH3ロケット3号機により打上げられ、予定通りの軌道に投入されミッションは成功した。

 地球観測衛星「だいち4号」は、昨年打ち上げ失敗したH3ロケット初号機で打ち上げられる予定だった「だいち3号」の後継に当たるもの。稼働中の「だいち2号」より相当レベルしているようである。

 

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弔い事(仏式)

2024年06月25日 | 一法言

 5月末、亡くなった弟の満中陰の法要の日付が決まったと連絡があった。7月13日の土曜日である。実際には49日は7月15日(月)なるが、子、孫が勤め人であったり生徒であったりしたので2日早めたようである。

 そこで前に予告したように、仏式の弔いについて書いてみよう。実家が浄土宗だったので弟も浄土宗式で行われた。

 まず、仏式の弔いは、輪廻思想、つまり、生まれ変わり思想に基づいて行われる。

 1.最も、シンプルなのは東南アジアの上座部仏教(テーラワーダ)です。亡くなってすぐ五道(地獄、餓鬼、畜生、人間、天上)に生まれ変わるというので、通夜、葬式をして火葬して散骨してお終い。中陰とか回忌とかはない。どこかに生まれ変わってしまっているのだから、拝んでみてもしようがないということである。

 生まれ変わり先は六道ではなく、五道。後に五道に阿修羅が追加されて六道になったものである。

  (動画:タイの葬式)
   https://www.youtube.com/watch?v=GcMSiDfI238

 2.中陰(中有)という考えは、釈尊の死後、100年~数百年の部派仏教の一派に考えられ広まったものである。中陰(中有)は死後次の生を受けるまでの期間をいい、一般には49日、期間中に審判があり閻魔大王によって生前の罪が裁かれる。

 この期間中、遺族等による追善供養が行われる。その功徳の一部を亡者に回向することで亡者が善行ポイントがアップして少しでも良いところへ逝けると言うわけである。

 3.その後、仏教がシナ大陸に伝わると、土着の儒教・道教等と習合して、十王経というお経が作られた。冥土の王10名、仏教の仏・菩薩が10名、ペアになって10回の審判を行うというのである。例えば、五七日は閻魔大王と地蔵菩薩がペアになっている。7日毎の追善法要の後の最後の審判で生まれ変わることになる。

 そうすると、3ペアの審判が残ることになる。それが100か日、1周忌、3回忌に行われることになる。生まれ変わってからの再審である。十王経ではここで生まれ変わりは終了。

 この十王経は日本に平安時代末期に導入されて、以降徐々に行われるようになっていく。

 4.室町時代になると、なんと三王、三仏が追加されるのである。忌日は7回忌、13回忌、33回忌。これを十三仏信仰という。13回忌と33回忌の間が20年も空くのである。ケリがつくまで引っ張れるだけ引っ張ろうという坊さんの浅知恵としか考えられない。その間に17回忌とかの回忌を挟んでお布施稼ぎとしか思えない。

 それで33回忌に弔い上げとなる。亡者はどこへ行き着いたことだろうか。

それが近頃では弔い上げを50回忌にまで引っ張ろうというのである。

 5.そもそも、シナ産のお経は偽経というのである。もうじきお盆だが盂蘭盆経もまた偽経だという説がある。

(下表はウィキペディアからの転写である)

十三仏 裁判官 読み 審理 縁日
不動明王 秦広王 しんこうおう 初七日(7日目・6日後) 28日
釈迦如来 初江王 しょこうおう 二七日(14日目・13日後) 8日
文殊菩薩 宋帝王 そうていおう 三七日(21日目・20日後) 25日
普賢菩薩 五官王 ごかんおう 四七日(28日目・27日後) 14日
地蔵菩薩 閻魔王 えんまおう 五七日(35日目・34日後) 24日[2]
弥勒菩薩 変成王 へんじょうおう 六七日(42日目・41日後) 5日
薬師如来 泰山王 たいざんおう 七七日(49日目・48日後) 8日
観音菩薩 平等王 びょうどうおう 百か日(100日目・99日後) 18日
勢至菩薩 都市王 としおう 一周忌(2年目・1年後) 23日
阿弥陀如来 五道転輪王 ごどうてんりんおう 三回忌(3年目・2年後) 15日
阿閦如来 蓮華王 れんげおう 七回忌(7年目・6年後) 4日
大日如来 祇園王 ぎおんおう 十三回忌(13年目・12年後) 28日
虚空蔵菩薩 法界王 ほうかいおう 三十三回忌(33年目・32年後) 13日

 6.浄土宗、浄土真宗には、即得往生という考えがある。浄土宗では五重相伝という修行を受けた者は満中陰に極楽往生できる。浄土真宗は臨終即往生、亡くなると同時に極楽往生できるというのである。

 結論、結局坊さんのお布施稼ぎの舞台というしかありませんね。

 

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将棋 伊藤匠七段 叡王位獲得

2024年06月21日 | 道楽

 昨20日、将棋叡王戦第5局が行われ、伊藤匠七段が藤井翔太叡王を破り、初タイトルを獲得した。

 2勝2敗の5分の成績での最終戦、藤井叡王優勢のまま進んでいたが終盤残り時間が少なくなったところで緩手を連発して伊藤匠七段の逆転を許した。

 伊藤七段は今季叡王戦は別にして、棋戦前日までの5勝6敗、4連敗まである不調。当日、振り駒で後手番を引いて藤井相手に不利明白。タイトル奪取は難しいと思っていた。

 応援している棋士が勝つと、気持ちがいい。

 伊藤匠七段が八段位を獲得するには次のような条件がある。なかなかたいへんのようである。

 ・竜王位1期獲得
 ・順位戦A級昇級
 ・タイトル2期獲得
 ・七段昇段後公式戦190勝

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人は死んだらどうなるのでしょうか

2024年06月20日 | 一法言

今日の知恵袋で「人は死んだらどうなるのでしょうか。」という問いがあったので、回答しておいた。

(回答)

死んだら、死体となり、焼かれて肉はガスとなり空中に散らばり、骨灰が残ります。

死後の世界は誰も見た者はなく、あれこれ言っているのは生きている人間の妄想です。

元々、生まれる前はあなたはいなかった訳で、死んだ後は元のようにいなくなるそれだけのことです。

死ぬまでの人生をしっかり生きることです。死んでからの妄想に時間を使うのは時間が勿体ないですよ。

(追記)

生きている間に周りに影響を与えて行きます。死後もその影響力は残ります。良い影響を残すようにしてほしいですね。

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弟の葬式

2024年06月13日 | 一法言

 5月28日に4歳下の弟が私より先に77歳で亡くなった。1月に見舞いに行った時は口も聞けず目を見合わすだけ、いつ何時か分からない状態に陥っていた。それから、4ヶ月、死亡の連絡があって、「やっと、ご苦労さん」、ホッとした気になったものである。

 29日に通夜、30日に葬式と思い込んでいたが、30日が友引で1日伸ばしたそうだ。おいおい、今時、友引なんてないぜ、と思っていたら、31日の斎場はなんと満員。日延した人が多かったようだ。

 通夜の日、弟の顔を見たら栄養が回っていなかったせいか、眼がごぼっと落ち込んでいた。

 近所の浄土宗の寺に葬式を頼んだそうだ。通夜も葬式も型通りに行われ、収骨後初七日忌も行われ、後は49日法要に集まることになった。

 次には葬式関係の謂れを書いてみたい。

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輪廻転生に関する意識調査でびっくり

2024年06月07日 | 一法言

 TVのレポーターが「生まれ変われるとしたら何になりたいですか」なんて質問していることがよくある。ひどいのになると「生まれ変わったら何になりたいですか」なんて聞いているのもある。

 そこで、最近の意識調査はどうなっているか。

Copilotに質問してみると、全体で 42.6%もあった。

 16歳ー29歳:女性69%、男性52%
 30-39歳:女性73%、男性37%
 40-49歳:女性62%、男性37%
 50-59歳:女性40%、男性38%
 60歳以上:女性30%、男性20%

 これには驚いた。論理的思考のできないものばかりじゃないか。日本の行き先が心配である。

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