十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

人間万事塞翁が馬

2014年12月31日 | 世相

ともかくも あなたまかせの 年の暮

今日は大晦日、今年も残り1日を切りました。

今年も午年、私にとっては当たり年、いろいろありました。

来年の年賀状に人間ほど面白いものはないと、書いているのですが、今年ほど面白いネタがあったと年も珍しい。人間 万事塞翁が馬だ。この人間はニンゲンだと思っている人が多いが、正しくはジンカン、人の間、つまり世の中のこと。私も高校の漢文の時間に習った時以来長い間ニンゲンだと思っていた。先生がニンゲンと教えたのか、私がニンゲンと思い込んだのか、実はジンカンと読むようになったのは数年前のことだ。

面白ネタのトップは韓国ネタだ。ファンタジーを披露して違った現実に出逢うブーメラン現象が多発、最近のナッツリターン事件なんか秀逸でです。朝日新聞のねつ造も酷かった。

来年は未年、穏やかな年であることを願いたいが、ガヤガヤして落ち着かない年になりそうな気がする。

では。来年もよろしくお願いします。

 

 

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禅書「読むだけ禅修行」の紹介

2014年12月28日 | 佛教

曹洞宗 安泰寺住職 ネルケ無方さんの新しい著作が出版されていますので紹介します。

佛教語34語を解説、無方さんの体験を通した受け止めが表現されています。
まずは禅佛教とはどういうものか、理解を深める導入の書、お薦めです。

「読むだけ禅修行」(ネルケ無方著、朝日新聞出版 ¥1400+税)

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=16288

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独楽2

2014年12月25日 | 生命

年賀状を一昨日印刷、昨日添え書きをして本日投函した。
今年は年賀状を交換している本人が亡くなったという喪中はがきが1件もなかったが、初めての経験である。

しかし、喪中はがきもおかしなのがよく来る。家族が亡くなれば1年間は喪中だからとはがきが来る。
1年間喪中は服忌令では実父母だけなんだが・・・。誰に対してどの期間どのように服喪するのは勝手なのだが、折角の年賀を止めるのは如何なものかと思う。

吾輩の親父は4月に亡くなったが、親類以外喪中はがきを出さなかったし、正月も普通にお祝いをした。天寿全うしたのに服喪もないと思ったからだ。

服忌令は今日有効なものではないが、服喪の期間の参考にされるとよい。配偶者以外姻族は関係がない。この間も妻の兄がなんていうのが来ていた。

参考:服忌令
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sogenji/rakugaki/fukkirei.htm

さて、独楽で思い出したことを書いてみる。
まず、内山老師のことである。老師は創作折り紙の創始者で折り紙の名人である。いや、老師は名人の師匠なんだから、「俺神様」(オリカミさま)なんて笑いながらいっておられた。
晩年には折り紙で独楽を作って回して楽しんでおられたのを思い出す。
親父さんが家紋を折り紙で作るということをされていたので、それをヒントに作られたということだった。

折り紙というのは認知症予防に有効ということだ。折り紙、お手玉、けん玉が有効とためしてガッテンでやっていた。けん玉をやってみようかなと思っている。

認知症&受験に勝つ!脳フル回転する昔遊び
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sogenji/rakugaki/fukkirei.htm

 

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独楽

2014年12月22日 | 人生

 年賀状の作成が遅れている。早い年なら年賀状の発売と同時に文案を考えているのだが・・・
しかし、今回は次のでいこうと思っている。賀状の中に死という字が入っているのがどうかと思うところもあるが、別に不吉なことを言っているわけでもないのでこれで行く。

そんなことを考えたいたら、読み直していた和田先生の「葦かびの萌えいずるごとく」のなかにも、「眼をあけて」という文章があって、死ぬ時にも目をつむって暗いところへ行くんじゃなくて景色を楽しみながら死ぬのが素晴らしいなんて書いてある。ちょうどぴったり、これしかない。

独楽

この世で何が面白いといって
人間ほど面白いものはない
中でも自分は格別だ
死ぬまで独りで楽しめる 


*年賀状素材集に独楽のイラストがあったので、タイトルの人生笑劇場を独楽に変更した。

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新刊本紹介 「葦かびの萌えいずるごとく」

2014年12月15日 | 共生

昨日実施された総選挙は事前の大方の予測通り、与党の勢力には変化なく、野党の出入りに終ってしまった。
吾輩は70過ぎたら世間的には隠居の身、若い人に任すという考えだから、棄権した。

さて、その若い人にぜひ読んでほしい本が出版されていたので、ご紹介します。

和田重正著 「葦かびの萌えいずるごとく」(地湧社:¥1500+税)

和田さんは前の記事「理想と現実」のところで紹介した先生です。

葦かびとは、耳慣れない言葉ですが、この本には次のように説明されています。

「あしかび」とは葦牙と書き、「葦」の頴(かび、穂先のこと)、あの勢い良く伸び上がろうとする葦の新芽のことで、古事記のはじめのところに「国稚く、浮脂の如くして、クラゲなす、ただよへる時に、葦牙の如、萌あがるものに因りて成りませる神の御名は、ウマシ・アシカビ・ヒコジの神・・・」というのがあります。本書の題名はそこからとったもので「あしかび」を生成化育の力の象徴とみているわけです。

「葦かび」という機関誌が塾で発行されていましたが、その中から選出し本にされたものです。

「葦かびの萌えいずるごとく」

http://www.jiyusha.co.jp/books/229-5.html

「生きることを考える本」(精選あしかび)
注:「葦かびの萌えいずるごとく」とダブっているものがあります。

http://www.jiyusha.co.jp/mokrok/books/010-9.html

「もう一つの人間観」
「葦かびの萌えいずるごとく」に共感されたなら、お読みなることをお勧めします。

http://www.jiyusha.co.jp/mokrok/books/019-2.html

 

 

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理想と現実

2014年12月12日 | 共生

数日前の記事に理想と現実について、ある人の言葉を紹介した。

ある人とは、小田原ではじめ塾という学習塾を経営していた和田重正さんである。和田さんの学習塾は小学高学年から中学生に対して単に学校の学科を教えるのではなく、人間の生き方についてもいろいろ指導されてきた先生である。著書も多く、また、NHKの教育テレビにも何回か出ておられる。

私にとって人生の師といえば何と言っても内山興正老師だが、その次にいろいろ学ぶところの多かった先生である。

さて、

理想に即して理想に生きる
理想に即して現実を生きる
現実に即して理想を生きる
現実に即して現実を生きる

と列挙したが、実は順番をはっきり覚えていないのである。和田さんの説明を何とか思い出してみると

「理想に即して理想を生きる」   現実を無視し理想にのみつっ走る生き方は現実を破壊し生活破綻を起こしかねない。 
「理想に即して現実を生きる」   頭ではいろいろ考えるが、結局現実を生きるわけで現状維持しかない。理想は単なる夢となり勝ちである。
「現実に即して理想を生きる」   理想を着実に実現するにはこの生き方が最も相応しい。
「現実に即して現実を生きる」   これは理想とは関係のない生き方である。

 

 

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人権デーに思うこと

2014年12月10日 | 共生

人権デーに因み2009年のブログで次のように書いたことがある。

<引用開始>

今日12月10日は世界人権デー、1948年国連で人権宣言が採択されたのを記念して制定されたものである。

 人権というものは果たしてあるものだろうか。そもそも「権」という字は「仮」のものという意味で、人が約束の上で認め合ったものに過ぎない。権利、権力、人権等皆そうである。

 

 人権の最も重要なものはやはり生存権であろうが、「俺には生きる権利がある」と言ってもそれを認めてくれる人がいなければないのと同じである。山中で出会った熊には通じない、目の前に殺しに来た無法者にも通じない。北朝鮮のような軍事独裁国家では通じない。我が日本国には死刑制度があって国家によって処刑されることもある。 

 人権は歴史的過程の中で権力者から獲得してきたものだが、それぞれの権力によって認める範囲が違っている。日本で認められることが人権後進国の中国では認められない。 

 日本でも憲法に基本的人権の定めがあるが、それがきちんと守られているかといえばそうでもない。 

 所詮は約束事の地盤の上の話であることをよく承知しておかねばならない。約束というものは守られるとは限らない、破られることも多いということである。アテにできる範囲しかアテにならないのである。そんな時どうするか。腹を決めておかなければならない。宗教が必要な時はそういう時である。

<引用終わり>

人権というものは約束事の地盤での話で、認められないところではないのも同じだと言ったが、国家や差別者は何をしてもいいのかというと勿論そういうことではない。人を隷属状態に置く権利も勿論存在しないのだ。

権利云々なんて荒立ったことをいわなくてもそれぞれの人格を尊重されるにしくはない。

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12月8日といえば・・・(2)

2014年12月09日 | 佛教

12月8日といえば、ここは一応佛教をメインのブログだから、日米開戦よりこちらを先に扱わなければ理屈だが、1日遅れでエントリーする。

12月8日は釈尊の成道の日、成道会(じょうどうえ)の日である。

日本では旧暦の臘月(12月)の8日に釈尊が成道された日として成道会の法事が行われる。
禅宗の僧堂では1日から8日まで臘八接心と称しぶっ通しの坐禅修行を行い、睡眠も結跏趺坐したままとる。禅板(ぜんばん)という板で身体を支えて眠る。元々8日間の日程であるが日を短縮する傾向にあるという。

この成道会や灌仏会などの特別な日に得度式が行われたりする。
昭和16年12月8日には内山興正老師の得度式の行われた。私は昭和56年4月8日に在家得度をしてもらったのである。

さて、釈尊の成道とは何か。明けの明星を見た時悟りを開かれたそれが成道ということなのだが、何を悟られたのか。
自己が何かが分かったということ。自己の正体がつきとめられたいうことである。

その時の釈尊の発せられた言葉が「我与大地有情 同時成道 山川草木悉皆成佛」だという。禅門ではよくこの言葉を使う。我と大地及び動物も同時に成道した。山川草木も佛となったというのである。これってどういうことか。

肇法師の言葉として「己なし 己ならざるところなし 天地同根 万物一体」、また、道元禅師の言葉で「尽十方界真実人体」という言葉もある。

何もかも宇宙全体がぶっ続きで一体だ、それが自己だということです。一切は因縁生起するものだからこれが自分と限定できない、限定できなければ無限だということなのである。これが無我、無我なる自己を悟られたそれが成道なのである。

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12月8日といえば・・・

2014年12月08日 | 道楽

12月8日といえば、若い人はピンとこないかもしれないが、我々の年代以上のものは大東亜戦争開戦の日であることがまず頭に浮かぶ。

17年の7月生まれだから、丁度母親の腹の中、胎教の音楽は軍艦マーチだったはず。しかし、生まれ出た時は日本が負け始めていた時だった。6月にミッドウェー海戦で大被害を被ったのだから。しかし、大本営の発表では日本が決して負けたようなことは言わない。勝った、勝ったで喜んでいた時勢だった。

それから3年世界中を敵に回して日本はよく戦ったと思う。多くの人はその戦争は日本が負けたのだという。確かに痛い目にあったし、降伏もした。しかし、戦争というものは小さな衝突からなし崩し的に始まるものも多いが、大義名分、戦争目的を掲げて戦う戦争もある。

あの戦争は後者に当たると思うのである。あの小野田寛郎さんが開戦の詔書を読んでほしいという。これを読んで当時の帝国臣民としては奮い立たざるをえなかったであろう。かの朝日新聞なんか先頭切って戦意の高揚を図っていたのである。それが戦後GHQにやられて自虐反日新聞になってしまうた。

確かに日本も日露戦争に勝って自信をつけ過ぎやり過ぎたところはあった点は反省しなければならないけれども、戦争とはそういうものである。

しかし、今になって考えると、欧米によるアジア支配、植民地解放と戦争目的は結果として果たしたことになるのではないかと思う。日本が蛮勇を奮わなければ今だアジアは植民地のまま、ひょっとしたら日本自体がそうなっていたのかもしれない。戦後70年になるが現在もアメリカの支配が軍事を始めいろんなところで及んでいるのである。

今日は、久しぶりに映画を見に行ってきた。ブラッド・ピット主演の「Fury」という戦争映画である。ドイツ戦線で戦車による戦闘を描いたものであるが、ブラッド・ピット演じる戦車長のセリフで「平和は理想だ。だが歴史は残酷だ」というのがあった。そのとおりだと思う。

どこかの国の人間は理想しか見ていないようだ。

ある人の言葉に次のようなのがある。理想と現実との関係においてどう生きるか。

理想に即して理想を生きる
理想に即して現実を生きる
現実に即して理想を生きる
現実に即して現実を生きる

どれが理想の生き方なのでしょう? 答えは後日。

(参考) 開戦の詔書

http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm

 

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はやぶさ2発進

2014年12月05日 | 宇宙

小惑星探査機はやぶさ2が3日、種子島のロケット発射場からH2ロケットにより打ち上げられた。どうやら、無事軌道に乗ったようでほっとした。
元々、若い頃から宇宙に関心のある方で宇宙開発に日本が貢献することにいつも気持ちの上だけだが応援してきた。

1号機はどうなることかと思ったが、無事帰還を果たし感動物語が生まれた。シネコンで映画を見たりもした。

1999JU3という小惑星に行って資料を取ってくる。52億Kmという長旅をして6年後オリンピックの年に帰還する予定という。6年後というと吾輩は78歳、う~ん、見れるかな、かなり怪しい。無事帰還を祈りたい。

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/newsphere-20141204-22084/1.htm

また、先月13日には欧州宇宙機関の着陸機「フィラエ」が彗星に着陸した。これは10年前に打ち上げられたもの。100億Kmを旅してやっと辿り着いたもの。

http://www.cnn.co.jp/fringe/35056494.html

小惑星、彗星に生命の根源となる有機物があるかどうか、興味深い。

また、今日は昨日の予定が日延された米NASAによる有人火星探査船オリオンの無人試験機が打ち上げられ帰還時における問題点の確認が行われる。火星行きはこれも大へんなミッションだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141205-00050120-yom-sci

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