十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

一法言:死とは?死後の世界とは?(2)

2016年06月27日 | 一法言
以前立ち読みした本の中にこんなことが書いて あった。

死後の世界はあるかないか分からない。しかし、あると考えるか、ない と考えるかで人生に大きな違いが出る。

その著者の主張はあると考えるべきだというのである。
あると考える人は実際 にあったとしたら、それに対し心の準備ができている。
しかし、ないと考えていてあったとしたら大変である。何の用意もされていない。次の世はろくな人生とはならないだろうというのである。
一方、もし、なかったとしたら生前にあると考えようがないと考えていようが同じである。

この著者のある無し論を前提にした上での、私の反論は次のとおりとな る。

次の世がないとすると、まともな人なら今の世を精一杯生きようとするのではないか。その人が亡くなり次の世があるとするなら、因果の理法によりその延長線のものとなるはずである。ちゃんと用意ができていると考えるべきである。

次の世があると信じて生きたら、あったとしたらそれはそれでよしとい うことになるが、なかったらとしたら今の生き方を問題としなければならない。延長した人生があるとしたらそれなりの安心はあるかも知れないが、 妄想の中で真剣味のない生き方になってしまうのではないかということで ある。

さて、次回は死後の世界なんか存在しないという、理由を列挙してみる。

コメント
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