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十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

虫の声聞こえるのは、日本人とポリネシア人だけ

2017年07月30日 | 俳句

毎日、サイクリングに出かけるが、暑くなったので夕方5時半頃から、淀川に堤防に出かける。いつも1時間ほど走っている。

夏のこととていろんな虫の鳴き声が混ざり合ってよく聞こえてくる。場所によってはうるさいくらいである。

そんな中で最近タイトルのようなことが提示されたユーチューブ動画を見つけた。

それによると、大方は我々日本人が虫の声と聞いているものを他国の人は声とは聞いておらず、音と捉えているということだそうである。

日本人は音声を言葉化してそれを声と捉えるようである。松虫はチンチロリン、犬はワンワンだ。

日本人は虫の音を左脳つまり言語脳で捉える、他国人は音として右脳で捉えるという。

なぜかは日本語の有り様によるらしい。日本語を使っていると他国人でも声のように聞こえてくるという。

「閑さや岩にしみ入る蝉の聲」有名な芭蕉の句も声になっているが、岩にしみ入るのは声でないと駄目、音ではしみ入るにならない。私はこれは言霊だと思う。言葉には力がある、力があるからしみ入ることになるのだと思う。

虫の声、鳥の声、動物の声、森の水車、なんてものもありますね。

道元禅師の正法眼蔵にも渓声山色の巻というのがあって渓の響きを声となっている。

そこで一句

「夕暮れや 大和言葉の 虫の聲」

https://www.youtube.com/watch?v=lS0VEGk7wbY

 

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生きている 生かされている 生かしている そして 生きている

2017年07月05日 | 一法言

「生きている 生かされている 生かしている そして 生きている」

まず、頭を空っぽにしても生きていると実感がある。次には生かされている自己がいることに気づく、次に周りを生かして行くところに生きる意味を感じる、そのトータルが生きているということだ。

宗教特に佛教を信じる者はよく生かされて生きているとよく言う。生かされているということで安らぎを感じるのは理解できる。

しかし、生かしているということは滅多に言わない。

宗教を持つことの功徳は「生き甲斐と安らぎ」、安らぎだけでは半分だ。

生かしているという働きで生き甲斐を得ることができるのだ。

さて、この生かしているであるが、ただ存在してるだけ周りを生かしているということである。誰も外せないからである。外せない以上は掛け替えのない働きを持っているということだからである。

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